2021年も残すところあと2日となりました。みなさまは、どのような年末をお過ごしでしょうか。

 年末年始の間に、これもしなければ、あれもしなければと思いながら、漠然とパソコンを開いて、久しくブログを更新していないことを思いだし、来年こそは、などといつもの先延ばしに陥りそうなところ、いやいや、あと2日ある、今できないことは年が明けてもできはしないと自らに言い聞かせ、前々から予定していた医療事故紛争解決事例の周産期シリーズを書き始めることにしました。

 入院は妊娠38週4日。5年前に同じ病院で長女の出産を経験しています。2年前の妊娠は流産してしまいました。今回も、妊娠がわかってしばらくして、頚管無力症との診断でシロッカー手術(子宮頸管縫縮術)をしています。
 入院当日にシロッカー糸の抜糸をして、翌日午前9時10分からオキシトシン(分娩誘発剤)点滴開始。毎分2.5㎜単位から開始して、以降、30分おきに、5㎜、10㎜、15㎜と増量を重ね、11時10分に20㎜単位まで増やしています。
 午前11時28分自然破水、以降、強い痛みの訴えあり。
 午前11時39分頃から変動一過性徐脈、同56分頃から遅発一過性徐脈。このあたりのCTGの読み方については、かなり争いがありました。
 午後0時15分頃、児心音70に低下。オキシトシン中止。
 午後0時23分頃、子宮口開大度8〜9、児頭位置−3。
 午後0時30分頃、ここではじめて主治医が診察し、急速遂娩を決定。

博多駅前


 午後0時40分頃から、クリステレル併用での吸引分娩を数回試みますが、「児頭が高かったため娩出できず」とカルテに記載されています。
 午後0時55分帝王切開決定。午後1時19分帝王切開開始。お腹を開けてみたら、子宮が破裂していて、胎児の顔が一部見えており、胎盤も部分剥離していました。
 午後1時21分娩出。出生直後のアプガーは2点(心拍以外は0点)です。気管内挿管を行って、新生児の専門医のいる病院に搬送。搬送先で、食道挿管になっていることが判明しました。
 結果的には、重度の脳性麻痺で、精神遅滞、てんかん、痙性四肢麻痺の後遺症を残しました。一審判決当時6歳で、首もすわっていない状態でした。

 訴訟での争点は、まことに多岐にわたりました。分娩誘発の適応、分娩誘発にあたっての説明義務、オキシトシンの投与量及び増量の適否、分娩監視記録における胎児心拍数曲線・陣痛曲線の評価、過強陣痛の有無及び子宮破裂の原因、吸引分娩及びクリステレル圧出法の適否、食道挿管になったのはいつか……。

 この事件の一審判決は判例時報1728号及び判例タイムズ1053号に、控訴審判決は判例時報1893号に掲載されています。
 結論的にいえば、11時56分以降、陣痛ごとに遅発一過性徐脈が現れるようになり、妊婦も強い痛みを訴えていたのに、12時15分に至るまでオキシトシンを中止しなかった過失及びその過失と子宮破裂〜胎児の低酸素状態との因果関係を認めた高裁判決が確定しました。
 提訴から確定まで、8年以上を要しています。

 わたしは、分娩誘発剤投与中の経過観察が問題になった事案を、本件を含めて5件経験しています。どのケースでも、微量から開始して、一定の時間をおいて増量し、分娩までには最大量まで増量されていました。その間、主治医は観察しておらず、助産師のみの対応であったことも同様です。
 微量で開始して、一定の時間をおいて増量していくというのは、分娩誘発剤に対する感受性が人によって異なるからであるはずです。つまり、最大量は1分あたり20㎜単位だけれども、全員にその最大量を使う必要はない、むしろ使うべきではない。少しずつ増量していって、その人に適した量に達したらそれ以上は増量しない、それが本来の使用法なのではないかと思います。それなのに、わたしが経験した5件の医療事故では、その投与量での陣痛の評価が行われた形跡はなく、機械的に最大量まで増量されているように思われました。
 このようなやり方で、多くの症例はうまくいっているのかもしれません。しかし、個々人の感受性を無視した機械的なやりかたでは、ある程度の確率で、こういった事故が起きてしまうということではないでしょうか。

 ちなみに、この病院は、この事件の4年後、ほぼ同じような経過で同じような事故を発生させており、それも訴訟になりました。こちらは、提訴後2年弱で、原告の勝訴的和解が成立しています。鑑定結果が原告に有利なものであったという事情もありましたが、病院側としては、4年前の事件で、高裁まで争って全面敗訴という結果であったことを考えたのかもしれません。
(小林)