いまから約12年前、日本海側の小さな町で起きた医療過誤事件が、つい先日、裁判所の和解で解決しました。
亡くなった方は当時79歳の男性。
数年前から肺炎等で入通院を繰り返し、年末年始の一時退院中、自宅で血液混じりの嘔吐をして被告病院に搬送され、そのまま死亡しました。死亡診断書の直接死因は、「出血性ショック及び低酸素血症」、その原因は「消化管出血及び誤嚥」と記載されていました。
遺族が主張した過失は、入院中に消化管出血を示唆する黒色便がたびたびみられていたにもかかわらず、
① 消化管内視鏡による精査を行わなかったこと
② 消化管出血の場合は禁忌とされている抗血小板薬プラビックスの投与を継続したこと
の2点です。
これに対して病院側は、過失の存否以外に、死亡原因は吐瀉物誤嚥による窒息であって出血は無関係であるとして因果関係を争いました。
和解金は100万円です。死亡事案としては少額ですが、実は、原告は相続人のうちの1人だけで、法定相続分は6分の1でした。そのことからすれば、過失があることを前提とした金額であるというのが原告側の理解です。
しかし、この和解で重要なのは、和解金額の多寡ではなく、
被告は、原告に対し、患者死亡後の当時の病院長の対応に不適切な面があったことを認め、謝罪する。
との謝罪条項が入っているところです。
謝罪の対象となった、病院長の不適切な対応とはいったいどういうものであったか。
亡くなった方は当時79歳の男性。
数年前から肺炎等で入通院を繰り返し、年末年始の一時退院中、自宅で血液混じりの嘔吐をして被告病院に搬送され、そのまま死亡しました。死亡診断書の直接死因は、「出血性ショック及び低酸素血症」、その原因は「消化管出血及び誤嚥」と記載されていました。
遺族が主張した過失は、入院中に消化管出血を示唆する黒色便がたびたびみられていたにもかかわらず、
① 消化管内視鏡による精査を行わなかったこと
② 消化管出血の場合は禁忌とされている抗血小板薬プラビックスの投与を継続したこと
の2点です。
これに対して病院側は、過失の存否以外に、死亡原因は吐瀉物誤嚥による窒息であって出血は無関係であるとして因果関係を争いました。
和解金は100万円です。死亡事案としては少額ですが、実は、原告は相続人のうちの1人だけで、法定相続分は6分の1でした。そのことからすれば、過失があることを前提とした金額であるというのが原告側の理解です。
しかし、この和解で重要なのは、和解金額の多寡ではなく、
被告は、原告に対し、患者死亡後の当時の病院長の対応に不適切な面があったことを認め、謝罪する。
との謝罪条項が入っているところです。
謝罪の対象となった、病院長の不適切な対応とはいったいどういうものであったか。
一時退院を控えた12月29日、家族は主治医から病状の説明を聴いています。
当時、患者は輸血を必要とするほどの貧血状態であり、家族は主治医に対し、貧血の原因とその対策について質問しています。主治医の答えは、「貧血には鉄剤を投与する。貧血の原因として少しずつ消化管出血があると思われるので、抗潰瘍剤を投与する」というものでした。また、消化管出血の精査のため内視鏡検査の必要性を尋ねた家族に対し、主治医は、「消化管出血で死ぬようなことはない。むしろ、肺炎の増悪が心配。ほんとうは内視鏡検査が望ましいが肺への負担が重い」と説明しています。
家族は、消化管出血があるにもかかわらずプラビックス投与が続けられていることにも問題意識を抱いており、それを受けて、主治医は抗血小板薬をプレタールに変更しています。
そのような説明を受けて自宅へ退院し、その2日後の元旦に、患者は吐血して死亡しました。家族が懸念していた、最悪の事態でした。
なぜ、こんなことになったのか、家族は、病院に説明を求めました。対応した主治医の説明は、「患者がなぜ亡くなったのか、自分は救急搬送されたときその場にいなかったので分からない」という話に尽きていました。
納得できない家族は、カルテ開示を求め、その内容を検討しました。その中心になったのは、今回の裁判の原告になった長女です。獣医師の資格を有していた彼女は、カルテからさまざまな問題点を抽出した上、弁護士(わたしではありません)に医療事故調査を依頼し、弁護士は、病院宛に書面で問題点についての説明を求めました。
この時点では、遺族である妻と3人の子どもたちは、病院の責任を追及するという点で共同歩調をとっていました。
ここで登場するのが、件の病院長です。
病院長名義で弁護士に送られてきた返事には、質問に対する回答は一切ありませんでした。
カルテを遺族以外に見せることは法律で禁じられています。ここに大きなプライバシーの侵害を侵しておられます。弁護士資格があるならば弁護士会を通じて、あるいは裁判所を通じてご質問ください。鑑定人にも必要あるでしょう。高額な負担も生じてしまいます。当院においては、ご存命中にご希望あらば病状を十分に説明しております。民法の弁論主義では証拠手段の手入れ方法に大きな誤謬があります。当方が答えますと更なるプライバシーの侵害となります。
念のため説明すると、遺族が弁護士に委任をしているわけなので、その弁護士の質問に答えることは、プライバシー侵害にはまったくあたりません。
ご家族へ:〇〇半島は小さな社会です。あなたにとっては大切な故郷でしょう。今回の行動はその大切な故郷に向かって大きく唾棄するようなやりかたですよ。本当に民事にもっていくのならちゃんと会いにきてください。必要ならば顧問弁護士も立てるでしょう。争いごとを大変忌み嫌う土地柄です。ご遺族の方へ深く哀悼の意を表し、逝かれた方のご冥福をお祈りいたします。
これに対して、弁護士は、カルテ開示やプライバシー保護の趣旨を丁寧に説明して、改めて質問に対する回答を求めました。
しかし、病院長の態度は変わりませんでした。
それどころか、自らの病院で作成された死亡診断書の「消化管出血」、「出血性ショック」といった死亡原因を棚上げし、患者の死亡は、食物誤嚥による窒息であり、夕食の介助をした家族にこそ責任があるとの反撃に転じました。
介護は殆どお母様がなされました。お母様と看護師は非常に良好な関係を築いており、いつもI先生(主治医)や看護師の方には感謝していますという言葉をいただいていることについて数人の人から証言をとりました。したがって係争となればこれらの方々を証人喚問することになります。鑑定人もたてさせていただきます。
認知症が強く、嚥下困難な場合には、食べさせた方にある程度の責任が及ぶことになります。これほど献身的に介護をなされたお母様に対して、そのようなことで責めることはできませんでした。
この病院長からの2通目の手紙は次のように結ばれています。
親との別れというものは辛いものです。しかし、千年も生きる親はいません。認知症がひどく、嚥下障害・心不全がある場合には何が起こっても不思議ではありません。故人もこのように歌っております。
世の中に去らぬ別れのなくもがな 千代もと嘆く 人の子のため
このような病院長の強硬(?)な姿勢に、長女を除く家族は、萎縮していきました。
子どもたちはそれぞれ都会で自分の家庭を持っており、夫に先立たれた妻は、この小さな町で一人暮らしです。不整脈などの持病を抱え、なにかあれば、やはり病院に頼るほかありません。また、妻は元小学校教師であり、被告病院の看護師には昔の教え子も含まれています。そのような人たちに迷惑をかけるわけにはいかないという気持ちもあったようです。
病院の責任の明確化を求める長女は、家族から孤立しました。
また、長女の夫の父親は、医師でした。病院長は、その夫の父親にも、長女に、責任追及を止めさせることを求めました。このことによって、長女は、婚家からも孤立することになってしまいました。
自分の父親に背き、ともに闘うことを選んでくれた夫だけが支えでした。
わたしが、この長女夫妻から相談を受けたのは、時効成立が迫った一昨年のことです。
時効中断のための調停申立を経て、昨年夏に提訴、約1年間の主張のやりとりを経て、先日、証拠調べ前の和解が成立しました。
しかし、病院への対応を巡って家族が対立しているうちに、妻は脳梗塞に倒れ、現在は、脳血管性認知症の状態とのことです。私の依頼者である長女は、この和解を、母親に報告することもかないません。
昔は、「お医者様にたてつくなんてとんでもない!」みたいな話をよく聞いたものです。「病院と対立して、なにか不利益を被るようなことはないでしょうか」と心配される医療事故の相談者も珍しくありませんでした。
そういう話を聞かなくなって久しいと思っていたのですが、まだ、こんな事件が起こっているのですね。
「小さな社会」には「小さな社会」なりのよさがあるでしょう。
しかし、「小さな社会」であるがゆえに、医療事故の原因解明ができない、責任が明らかにならない、ということでは困ります。
被告病院の謝罪が真摯なものであることを信じたいものです。
当時、患者は輸血を必要とするほどの貧血状態であり、家族は主治医に対し、貧血の原因とその対策について質問しています。主治医の答えは、「貧血には鉄剤を投与する。貧血の原因として少しずつ消化管出血があると思われるので、抗潰瘍剤を投与する」というものでした。また、消化管出血の精査のため内視鏡検査の必要性を尋ねた家族に対し、主治医は、「消化管出血で死ぬようなことはない。むしろ、肺炎の増悪が心配。ほんとうは内視鏡検査が望ましいが肺への負担が重い」と説明しています。
家族は、消化管出血があるにもかかわらずプラビックス投与が続けられていることにも問題意識を抱いており、それを受けて、主治医は抗血小板薬をプレタールに変更しています。
そのような説明を受けて自宅へ退院し、その2日後の元旦に、患者は吐血して死亡しました。家族が懸念していた、最悪の事態でした。
なぜ、こんなことになったのか、家族は、病院に説明を求めました。対応した主治医の説明は、「患者がなぜ亡くなったのか、自分は救急搬送されたときその場にいなかったので分からない」という話に尽きていました。
納得できない家族は、カルテ開示を求め、その内容を検討しました。その中心になったのは、今回の裁判の原告になった長女です。獣医師の資格を有していた彼女は、カルテからさまざまな問題点を抽出した上、弁護士(わたしではありません)に医療事故調査を依頼し、弁護士は、病院宛に書面で問題点についての説明を求めました。
この時点では、遺族である妻と3人の子どもたちは、病院の責任を追及するという点で共同歩調をとっていました。
ここで登場するのが、件の病院長です。
病院長名義で弁護士に送られてきた返事には、質問に対する回答は一切ありませんでした。
カルテを遺族以外に見せることは法律で禁じられています。ここに大きなプライバシーの侵害を侵しておられます。弁護士資格があるならば弁護士会を通じて、あるいは裁判所を通じてご質問ください。鑑定人にも必要あるでしょう。高額な負担も生じてしまいます。当院においては、ご存命中にご希望あらば病状を十分に説明しております。民法の弁論主義では証拠手段の手入れ方法に大きな誤謬があります。当方が答えますと更なるプライバシーの侵害となります。
念のため説明すると、遺族が弁護士に委任をしているわけなので、その弁護士の質問に答えることは、プライバシー侵害にはまったくあたりません。
ご家族へ:〇〇半島は小さな社会です。あなたにとっては大切な故郷でしょう。今回の行動はその大切な故郷に向かって大きく唾棄するようなやりかたですよ。本当に民事にもっていくのならちゃんと会いにきてください。必要ならば顧問弁護士も立てるでしょう。争いごとを大変忌み嫌う土地柄です。ご遺族の方へ深く哀悼の意を表し、逝かれた方のご冥福をお祈りいたします。
これに対して、弁護士は、カルテ開示やプライバシー保護の趣旨を丁寧に説明して、改めて質問に対する回答を求めました。
しかし、病院長の態度は変わりませんでした。
それどころか、自らの病院で作成された死亡診断書の「消化管出血」、「出血性ショック」といった死亡原因を棚上げし、患者の死亡は、食物誤嚥による窒息であり、夕食の介助をした家族にこそ責任があるとの反撃に転じました。
介護は殆どお母様がなされました。お母様と看護師は非常に良好な関係を築いており、いつもI先生(主治医)や看護師の方には感謝していますという言葉をいただいていることについて数人の人から証言をとりました。したがって係争となればこれらの方々を証人喚問することになります。鑑定人もたてさせていただきます。
認知症が強く、嚥下困難な場合には、食べさせた方にある程度の責任が及ぶことになります。これほど献身的に介護をなされたお母様に対して、そのようなことで責めることはできませんでした。
この病院長からの2通目の手紙は次のように結ばれています。
親との別れというものは辛いものです。しかし、千年も生きる親はいません。認知症がひどく、嚥下障害・心不全がある場合には何が起こっても不思議ではありません。故人もこのように歌っております。
世の中に去らぬ別れのなくもがな 千代もと嘆く 人の子のため
このような病院長の強硬(?)な姿勢に、長女を除く家族は、萎縮していきました。
子どもたちはそれぞれ都会で自分の家庭を持っており、夫に先立たれた妻は、この小さな町で一人暮らしです。不整脈などの持病を抱え、なにかあれば、やはり病院に頼るほかありません。また、妻は元小学校教師であり、被告病院の看護師には昔の教え子も含まれています。そのような人たちに迷惑をかけるわけにはいかないという気持ちもあったようです。
病院の責任の明確化を求める長女は、家族から孤立しました。
また、長女の夫の父親は、医師でした。病院長は、その夫の父親にも、長女に、責任追及を止めさせることを求めました。このことによって、長女は、婚家からも孤立することになってしまいました。
自分の父親に背き、ともに闘うことを選んでくれた夫だけが支えでした。
わたしが、この長女夫妻から相談を受けたのは、時効成立が迫った一昨年のことです。
時効中断のための調停申立を経て、昨年夏に提訴、約1年間の主張のやりとりを経て、先日、証拠調べ前の和解が成立しました。
しかし、病院への対応を巡って家族が対立しているうちに、妻は脳梗塞に倒れ、現在は、脳血管性認知症の状態とのことです。私の依頼者である長女は、この和解を、母親に報告することもかないません。
昔は、「お医者様にたてつくなんてとんでもない!」みたいな話をよく聞いたものです。「病院と対立して、なにか不利益を被るようなことはないでしょうか」と心配される医療事故の相談者も珍しくありませんでした。
そういう話を聞かなくなって久しいと思っていたのですが、まだ、こんな事件が起こっているのですね。
「小さな社会」には「小さな社会」なりのよさがあるでしょう。
しかし、「小さな社会」であるがゆえに、医療事故の原因解明ができない、責任が明らかにならない、ということでは困ります。
被告病院の謝罪が真摯なものであることを信じたいものです。
(小林)