2016年12月06日

弓友とは ・・・NO5 「札幌弓粋会発足」

 H23年の秋、I氏一家4人が弓粋館に見学に訪れた。そして、娘と練習したい旨を申し出た。

*以前、札幌中央体育館で偶然出くわしたことがあり、室蘭出身で「室蘭弓粋館」に数回遊びに来ていたことがあった。<彼の高校仲間数人が弓粋館員だったため> 懐かしさから住まいを聞くと、簾舞寄りの藤野で、車だと弓粋館へ数分で着くとのこと。暇な時に1度見学に来ることを勧めていた。

 そして、晩秋から4人での練習が始まった。年の明けた頃、I氏が突然「会(新たな)を創りましょう。」と私達に申し出た。あまりに唐突だったので、その場は「考えておく。」とだけ返答し、保留した。
 案の定、妻は「私達の老後のための道場でしょう。」と強く反対した。私も妻の気持ちがよく解っていた。教頭試験準備や公務に没頭し多忙(主任・部長職のため会議が多く、教科指導と弓道部指導が目一杯だった。)で、室蘭弓粋会や弓道場管理を、彼女に丸投げしていた負い目があった。私自身も、室蘭時代のリスク(連盟との関わり、道場・館員管理・近所とのトラブル等)を省みてウンザリしていた。
しかし、彼は「是非、会を創って下さい。指導など何でも協力します。」と進言した。私達とだけで無く、道場仲間が欲しかったのだろう。・・・・?。
私達夫婦は、1ヶ月近く色々議論した。その結果、妻が「使用者が道場管理等に積極的に協力し、問題を起こさ無いなら。」という条件下、渋々新会の発足を承諾してくれた。この以前に三女から、紋別北時代の生徒の娘さんが弓道を教えて欲しいとの要請依頼を受けていたことも後押しした。

いよいよ弓道仲間の募集に着手した。
I氏は、インターネットで呼びかけ、私は、札幌市(南区<定山渓出張所含む>と豊平区民センター)にポスター掲示依頼をしたが、公平さを欠くとの理由で断られた。次に思いついたのが、体育館だった。南区体育館に、「営利目的で無く、弓道を広める一心で会員を募りたい。」との説明に理解を示され、募集ポスターの掲示を許可してくれた。
無料広報誌「ふりっぱー」にも、市と同様の趣旨を説明をし、賛同を頂き「まちぴと」欄に3月上旬掲載してくれた。そして、反応は直ぐ現われた。2月下旬にポスターを見た2名が、見学を申し出、内1名が入門、紋別の母子2名も入門し、3月中旬から初心者3名と私達4名、計7名の稽古が開始された。
4月上旬の見学会には、「ふりっぱー」掲載の見学者(事前に電話受付)と藤野生協で待ち合わせた。私は、雪降る駐車場で、わくわくした期待感(高揚感)で彼等を待った。幸い10名程度の来館者の殆どが入門した。

 週4日(火・木・土・日) 9時~12時を練習日時と定め、早速稽古が開始された。
室蘭同様に、テキスト(初心者指導書)と用具(ゴム弓作成・弱弓)を準備した。幸い弓道部での新入部員指導経験と室蘭弓粋会での初心者指導経験のノウハウが役立った。入門希望者が、次々と集まり弓粋館は活気に満ち溢れていた。 8月の「札幌弓粋(館員)会」発足に向け、規約作成等の準備に着々と取り掛かった。
                             ・・・続く





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2016年11月30日

弓友とは・・・NO4 新設弓道場で修練開始

  7月になって何とか練習することが出来た。初めて的に向った時、2度目も感無量だった。
室蘭の時(業者に依頼一部協力)は、道場主になった喜びと満足感。今回は、独力(プレハブ組み立てのみ業者)で完済させた達成感と喜びがあった。そして、室蘭と同様に道場名を「(第二)弓粋館」と命名した。
何よりも、自身が自分の意志で自由に練習出来ることの喜びが大きかった。(この時は、夫婦二人で残りの弓道人生を楽しみたかった。)

 道場建設と平行して、畑作りも手がけた。連日、早朝5時に起床し、6時に自宅を出発、日没まで汗みどろに成りながらよく働いた。帰宅は、19時を過ぎるのが常だった。かなりの重労働だったが、目的意識(意欲)が身体疲労に打ち勝った。しかし、暑さと藪蚊が辛かった。中古の耕耘機を購入し、15年間放置されていた荒れ地を耕した(深さ30cmに)が、硬く雑木・雑草の根と石混じりの土地で大変苦労した。それでも夏の過ぎた頃、トウモロコシや豆類・ジャガイモ・南瓜などが結構収穫できた。烏骨鶏飼育にも挑戦した。鶏舎を、切り倒した松材と古材で建て、量販店でヒヨコ雄2羽・雌4羽を購入した。最初は自宅で育て、どうにか産卵するようになったので、増やさす目的で、孵卵器(10個用)を購入し孵化に取り組んだ。
この時、悲しい事件が起きた。親鳥6羽全てが狐の鶏舎侵入(鋼網の一部が破られた。)によって全滅させられてしまった。可哀想で悔しかった。  

 嬉しい弓友の協力もあった。E君が、安土のブロック積みと、道場の土台作成を2回手助けしてくれた。(協力要請に応えてくれた。) 秋には、弓粋館完成祝いとして「夫婦で津軽三味線と長唄」を披露してくれた。Hさんからも祝儀として1万円頂いた。 感謝の意を表わすために、E君には、12年物の山崎(ウイスキー)を、Hさんには、魚沼産のコシヒカリ10kgを贈った。

 室蘭の時もそうだったが、連盟の対応は冷ややかで、黙りを決め込んでいた。(羨ましさから来る、嫉妬心・僻みだろう・・・。) 従って、訪れるの者は居なかった。私達夫婦にとって、このことは煩わしさから開放され、ゆっくり練習等に専念でき、平和で結構気に入っていた。

                そして、1年目が過ぎた初秋      ・・・続く



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2016年11月27日

弓友とは・・・NO3 弓粋館の建設(2)

平成21年11月に、先ず建設業者の選定に奔走した。当初は建築科卒の旧友から当たったが上手く行かず、最初の業者は資金面との絡みで断念、次のプレハブ業者の見積もりも上手く行かなかった。翌平成22年の1月から弓道場建設に向け具体的行動を開始した。プレハブ中古専門業者2社を選び、2月に現場や工場を見学後、資金面で折り合いの付いたH社と契約した。特に土台・床に配慮した。杭を止め、四方の土台をH鋼で補強し、90mmの角材を900mm毎に使用した。防湿のため、土面をビニールで覆い。床には45mmの垂木を450mm間隔に配置、その上にコンパネ、更に楢の床材を張り詰めた。(かなり頑丈に完成した。) 宿泊・休息ができるように3畳ほどのロフトも作った。

建築前の樹木の伐採と地ならしも大変だった。前地主が植樹したとど松が大きい木で20mもあり、15本伐採した。風向きを見ながらロープで固定し、倒木方向に気を付けながら、自らチェンソーで伐採した。枝を払い、支柱は5m間隔で切断した。水を吸っている木は重く、転がすことも出来ずに結局業者のユンボで移動した。(3日間を要した)

目視では、殆ど草原の平地に見えたが、実際の高低差が端から端(約76m)までかなりあった。道場建築予定地を平らにならす必要があった。35mをユンボで平すと巨大な石がゴロゴロ出てきた。道場の土台地に、砂利をダンプ3台分搬入した。結局、敷地の3分の2を地均し、伐採した樹木の枝をユンボで始末するのに2日を要した。

幾度と工場に足を運び、6月上旬、2日掛かりでプレハブの組み立て作業が開始された。残念ながら1日目が小雨で資材がかなり濡れた。その後、安土小屋と道場土台と床を自力作成した。量販店の車を借り、ブロック・角材・セメント・鉄筋等を満載にして数度搬入した。特に思い出すのは、安土の鉄骨組とブロック積み(コンクリート練りが辛かった。)、 敷地100mの柵作りも大変だった。(50本の杭打ちは老骨に応えた。)
殆ど孤軍奮闘、7月上旬には何とか完成させることが出来た。弓道情熱が大生な63歳だった。

その後も、畑の開墾(約300坪)、果樹の植樹、物置修理、鶏小屋作成を、妻の力を借りながら実施した。切り倒した木の皮を剝き資材に利用した。

省みるに、本当に良く頑張り、成し遂げたものだと思う。  そして、いよいよ弓道修練が始まった。
                             ・・・・続く


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2016年11月21日

弓友とは・・・NO2 弓粋館の建設

土地探しに当たって配慮したのが、安全に落ち着いて弓の引ける環境で、充分に管理できることでした。

先ず、発寒の某所個人道場を見物しましたが、住宅街にあり車の置き場が無く、何よりも安全面と地域住民とのトラブルが懸念される状況でした。「ここでは駄目だね。」夫婦一致した見解でした。
札幌近郊を探したのですが、条件に合った物件は中々探し当てることが出来ませんでした。次に探したのが、白老のアメリカ村?でした。自宅から高速道路を利用して1時間半の距離で、「温泉につかりながらユックリ弓が出来るのではないか」と考えましたが、距離が遠かったこと、隣人の理解が得られなかったことで断念しました。

そして、新聞広告で現在の簾舞の地を知りました。距離は車で自宅から20~25分、面積が約2反(宅地)、二方が壁と台地で安全面はOK、市道が行き止まりなので車10台以上駐車出来そう、他の干渉を受けにくい環境にありました。
譲渡金額も予算内だったのでこの地に決定しました。 <H21年11月>

当初は、妻と二人隠居後にひっそり弓を楽しむつもりでした。そのために、道場も3間×3間(9坪)の広さとしました。
そして、諸条件から、地ならしとプレハブの組み立てのみ業者を使い。樹木の伐採(20m15本、チェンソーで)、安土小屋のブロック積み・安土盛り土、道場の土台と床作・室内壁のペンキ塗り、矢庭等の地ならし、弓道場玄関前の階段作成、柵の作成(110m)を自力で(隠居仕事)行い完成しました。2ヶ月を要しました。 建築科出身で、特殊学校勤務から得た、木工とコンクリート工の知識が役立ちました。 <H22年6月>
                                            ・・・続く



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弓友とは・・・NO1

昨今、韓国の朴大統領が、40年来の親友との関わりで、世を騒がし自らも窮地に陥っている。
友とは、旧友とは、親友とは如何なる者で、どう付き合っていくべきなのでしょうか?

弓粋会の皆さんには、以前「4種類の友」のお話をしましたね。

中国では、「華のような友・秤のような友・山のような友・大地のような友」に区分できる。・・・という話です。
1 華のような友~良いときは近づき、悪くなると離れていく。(芸能人・マスコミ関係者に多い?)
2 秤のような友~常に自身の損得で付いたり・離れたりする。(政治家・商人?)
3 山のような友~どっしりと頼りがいはあるが、意にそぐわないとスッパと切り離される。
4 大地のような友~常に母のような温もりで、大きな包容力を持って見守ってくれる。

70歳を4ヶ月後に迎える現在、今まで自分と付き合いのあった方々、旧友・親友・弓友について思うことがある。
省みると、幼少期~中学期の友、高校期サッカーで同じ釜の飯を食った仲間は、殆どが4の「大地」に該当する。
損得無しで安心(信頼)して付き合える。大学に入ると、3の「山」が多く、2「秤」も居ました。

昨今、弓友についても考え(反省)ることがあります。
私は、友としてお付合いするとき、純真に信頼し可能な限り温かみを持って接しようとしてきました。
特に弓友は、同じ道に進む同志であり、信頼できる存在で、揺るぎない信頼の絆で結ばれていると思っていました。

しかし、35歳ころから、1「華」、2「秤」的な弓引も居ることに気付いたのです。ただ、この時点では、ごくまれな存在であると判断していました。

40歳を超える頃、昇段・昇格審査受審を止め、高校管理職を目指、そして教頭・校長として頑張りました。
教頭職に在ったときは、万事が多忙で解りませんでしたが、校長になり少し余裕の出来た頃、弓をチョットだけ手にすることが出来ました。この頃、弓道の、弓引きの意変に気付きました。残念ながら弓引きの質の低下(特に礼や思いやりの欠如)が見られたのです。

そして退職し、半年間考え抜いた末に弓道を再開することに決め、地元の公設弓道場に妻と通い始めました。
そこで待ち受けていた(体験)のが、私達の全く意図しない現実でした。
私達にとっては、30年ぶりの公設弓道場体験でした。少子化社会とは言え高齢者(65歳以上は使用料がかからないため)が多くドンヨリとした活気の無い世界でした。若者にとっては使用料が高く、年寄りの環境に馴染めないため足が遠くのだろうと察知しました。
先ず感じたのが、高段者や年寄りが優位で、挨拶や自分たちのルールを強要する。それぞれが他を認めず意地悪(いじめ?)が横行、人を貶める。虚勢の張り合いで偽りを吹聴する場と化していました。
政治家や企業家同様、弓道界も 2の「秤」になっていました。
私の目指す弓道は、ここでは出来ない。そのために、再度私設道場「弓粋館」を建設することを決意し、土地探しに奔走することになりました。平成21年秋のことです。
                                    ・・・・       続く





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