2017/8/27 メト・ライブビューイング・アンコール2017より、3か月ほど前の、2017年5月13日に上演された、R・シュトラウスの歌劇「バラの騎士」の公演を、東銀座の東劇へ聴きに行きました。その感想・レビュー。
<目次>
【2】演奏のレビュー・感想
プッチーニでいえば、「ラ・ボエーム」や「蝶々夫人」よりも、「トスカ」「トゥーランドット」の方が数段すきですし、ワーグナーの作品も、「さまよえるオランダ人」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の方が、「タンホイザー」や「ワルキューレ」等よりも好きです。
その意味において、R・シュトラウスのオペラで好きになったオペラは、「サロメ」(「エレクトラ」も、と言いたいところですが、なぜかそれほどまでではない)で、「バラの騎士」に関しては、「「サロメ」や「エレクトラ」で、あれほど大胆で、前衛的な音楽が聴けたのに、なぜこんな保守的な恋愛オペラを書いてしまったのだろう」と、結構長い間、少し不満でした。
それゆえ、このオペラを聴いて、最初どこが好きになったかというと、圧倒的に、第2幕、特にオックス男爵が登場してからの場面です。このオペラを聴き始めたのは、20代中盤位からだったと思いますが、その時の印象は、「コミカルなオペラ」としてこの作品が好きでした。
すなわち、2幕で、ちょっと傷つけられただけで、大げさに騒ぎ、その後、「マリアンデル」という女性から手紙をもらうと、ケガも忘れて、有頂天になり、ワルツを口ずさむ、オックス男爵がなんとも喜劇的で見ていて面白かったです。この一連は、バス歌手の「腕の見せどころ」かと思います。
その後、実際の舞台でこの作品を見て、この作品は、実は元帥夫人、マルシャリンの心の襞や時の移ろい・「あらゆることに終わりがあること」の感傷にたいする心情にその味わいがあることが理解できました。この辺が、ホフマンスタールという一流文学者との共作である所以かな、と感心したことを覚えています。
以前、書かせてもらいましたが、このオペラは、その意味で、現在は、「愛」と「滑稽」と「感傷」が程よくまじりあっている、R・シュトラウスの傑作であると思ってしますし、それなりに鑑賞できるようになったと思っています。しかし突き詰めると私は、今でもこのオペラの「滑稽」の部分が一番好きだし、楽しみにしていると感じています。それが、ちょうど好きな声質の「バス」と「バリトン」が基本受け持っていることも、そのような聴き方をしてしまっている要因の一つかもしれません。
※ ※ ※
【1】「コミカル」なオペラ
最近は、だいぶ見方が変わってきましたが、私はオペラが好きなのですが、基本恋愛場面にはそれほど興味はなく、劇的な場面、外連味のある場面そして、喜劇的な場面が多い作品の方が好みです。プッチーニでいえば、「ラ・ボエーム」や「蝶々夫人」よりも、「トスカ」「トゥーランドット」の方が数段すきですし、ワーグナーの作品も、「さまよえるオランダ人」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の方が、「タンホイザー」や「ワルキューレ」等よりも好きです。
その意味において、R・シュトラウスのオペラで好きになったオペラは、「サロメ」(「エレクトラ」も、と言いたいところですが、なぜかそれほどまでではない)で、「バラの騎士」に関しては、「「サロメ」や「エレクトラ」で、あれほど大胆で、前衛的な音楽が聴けたのに、なぜこんな保守的な恋愛オペラを書いてしまったのだろう」と、結構長い間、少し不満でした。
それゆえ、このオペラを聴いて、最初どこが好きになったかというと、圧倒的に、第2幕、特にオックス男爵が登場してからの場面です。このオペラを聴き始めたのは、20代中盤位からだったと思いますが、その時の印象は、「コミカルなオペラ」としてこの作品が好きでした。
すなわち、2幕で、ちょっと傷つけられただけで、大げさに騒ぎ、その後、「マリアンデル」という女性から手紙をもらうと、ケガも忘れて、有頂天になり、ワルツを口ずさむ、オックス男爵がなんとも喜劇的で見ていて面白かったです。この一連は、バス歌手の「腕の見せどころ」かと思います。
その後、実際の舞台でこの作品を見て、この作品は、実は元帥夫人、マルシャリンの心の襞や時の移ろい・「あらゆることに終わりがあること」の感傷にたいする心情にその味わいがあることが理解できました。この辺が、ホフマンスタールという一流文学者との共作である所以かな、と感心したことを覚えています。
以前、書かせてもらいましたが、このオペラは、その意味で、現在は、「愛」と「滑稽」と「感傷」が程よくまじりあっている、R・シュトラウスの傑作であると思ってしますし、それなりに鑑賞できるようになったと思っています。しかし突き詰めると私は、今でもこのオペラの「滑稽」の部分が一番好きだし、楽しみにしていると感じています。それが、ちょうど好きな声質の「バス」と「バリトン」が基本受け持っていることも、そのような聴き方をしてしまっている要因の一つかもしれません。
ちなみに、イタリア・オペラでは、喜劇的なバス歌手が活躍するオペラが、ロッシーニなどを中心に案外ありますが、ドイツ・オペラではそれほど数が多くないのでは、と思います。私が知らないだけかもしれませんが。このR・シュトラウスの「バラの騎士」のオックス男爵の他、思いつくものは、モーツアルトの「後宮からの逃走」のオスミン(「ドン・ジョヴァンニ」のレポレッロはイタリア語だから不適格)と、ロルティングの「皇帝と船大工」です。 ロルツィングには、もっとバスが活躍する作品があるのかもしれませんが、勉強不足です。
※ ※ ※
さて、今回のメトロポリタン歌劇場の「ばらの騎士」の公演は、長年メトをささえ、名マルシャリンといわれてきたルネ・フレミングのこの役の引退公演だそうです。 同じくオクタヴィアンを演じる、エリーナ・ガランチャも、この公演を最後にズボン役(女性が歌う男性役)を引退するとこのことです。
メトの公演、そしてこの二人の公演であれば、まず間違いないだろう、そして指揮が先日、日本でも素晴らしい公演を聴かせてくれたセバスティアン・ヴァイグレとくれば、演奏にはまず問題がなく、あとは、オックスのギュンター・グロイスベック(この人も、日本の「ローエングリン」のハインリヒ王で素晴らしかったが、喜劇物はどうか?)と、舞台がどのような物だろう、などとの期待・予想をしながら、今年5回目となる、夏のメト・ライブビューイング・アンコール編を観に行きました。
さて、今回のメトロポリタン歌劇場の「ばらの騎士」の公演は、長年メトをささえ、名マルシャリンといわれてきたルネ・フレミングのこの役の引退公演だそうです。 同じくオクタヴィアンを演じる、エリーナ・ガランチャも、この公演を最後にズボン役(女性が歌う男性役)を引退するとこのことです。
メトの公演、そしてこの二人の公演であれば、まず間違いないだろう、そして指揮が先日、日本でも素晴らしい公演を聴かせてくれたセバスティアン・ヴァイグレとくれば、演奏にはまず問題がなく、あとは、オックスのギュンター・グロイスベック(この人も、日本の「ローエングリン」のハインリヒ王で素晴らしかったが、喜劇物はどうか?)と、舞台がどのような物だろう、などとの期待・予想をしながら、今年5回目となる、夏のメト・ライブビューイング・アンコール編を観に行きました。
【2】演奏のレビュー・感想
さて、当日は、日曜午後の公演なので、やはりそこそこの人が入っていました。
私は、以前に予約したので、前よりの通路沿いに座ることができたのですが、やはり、横にだいぶ人が来ている状態です。
13:30からの開始、各10分の休憩を入れて、4時間半の上演時間なので、終了は18:00ですが、あっという間に過ぎてしまいました。
今回の感想ですが、まず、圧倒的にオクタヴィアンのエリーナ・ガランチャが男前!歌も、安定した歌いぶりで、力強い処、しっとりとしたところともに巧みな表現、しっかりしていて文句なしの演奏です。
そしてそれ以上に、ビジュアルおよび男性の演技、男性が女性を演じる演技(ややこしいですが)が実に素晴らしく、全く非の打ちようがない、それは素晴らしいオクタヴィアンです。メトでは、こんなに素晴らしいものが観ることができるのかと思うと、羨ましい限りです。
個人的に、エレーナ・ガランチャを生で聞いたことがあったかを調べてみたら、2003年に、新国立劇場の「ホフマン物語」で聴いていていました。その時のメモにも「その中でも一番すばらしい」と書いているので、なぜ覚えていなかったかが不思議です。この公演で、ズボン役は引退とのことですが、何らかの公演でもう一度聞いてみたいです。
マルシャリンのレネ・フレミングもしっとりとした、「時が過ぎることの残酷さに半ば諦めながらもしっかりと向き合う」優しく気丈な女性を素晴らしく演じています。この方は、声が非常にきめが細かく、丁寧で優しい歌声で、知的かつ繊細な歌唱をする人で、ビュアで気品ある役には最適なソプラノだと思います。この人は昔聞いたことを覚えています。個人の記録では、25年以上前、1991年にヒューストンで、ジュリアス・ルーデル指揮のドボルザーク「ルサルカ」、1992年にダラスで、チャイコフスキーの「エフゲニ・オネーギン」で見ていました。「ルサルカ」のコメントで、「とても魅力的で素晴らしいソプラノ」と書いていますし、今回聴いても、その思いは変わりませんでした。
しかしながら、この辺は完全に好みの領域で言えば、私のマルシャリン像が、フレミングの演じるような「理想的な女性」ではなく、その一面もあるが、とは言え自分も結局アバンチュールを楽しむ、「貴族的」な冷たさも持つ女性、なので、その意味では、フレミングの演技は、多少「良い人」過ぎかな、と少し感じます。贅沢すぎる発言とわかっていますが。
私が大好きなオックス役のギュンター・グロイスベックは、新国立劇場で、2012年の「ローエングリン」のハインリヒ王で印象的だったのでよく覚えていました。先日観た、メトの「タンホイザー」や、今年の「ニュルンベルグのマイスタージンガー」(BSで放送していました)にも出演し、ワーグナー歌手の印象が強いですが、この役も実にうまい。早口なのですが、深い声は変わらず、低い声の響きも十分。舞台姿も軍服がとても格好いい。オックスも、本来30代の「貴族」であるべきで、だらしない中年男ではない、というのが個人のイメージです。最近はそのような演出も多く、納得する舞台も多いのですが、この舞台もとても魅力的なオックス男爵です。
幕間のインタビューでは、グロイスベックがオックス像につき「かれは経済問題を抱えており、見かけより深刻な状況に置かれている」という解釈。正直音楽だけ聴いていると、そんな気はしないのですが、そういう見方で再度見ると、オックス像もまた変わるかも知れません。
ソフィーのエリン・モーリーも、とても澄んだ声のソプラノで、歌には文句ありません。
あとは例によって趣味の問題で、ゾフィーの人物像が、少し私と違うのが、逆にここまで舞台が完璧になると残念になるくらいです。この人物像は、私は保守的で、「深窓の令嬢」。もっと主体性を持った人間だ、という主張は受け入れるつもりですが、今回の上演は、「ちゃきちゃきのアメリカ娘」の様に見えてしまい、それはやりすぎか、というのが感想です。
ファーニナルのマーカス・ブルックという人は初めて聞きましたが、喜劇的なこの役をやはりきちんとこなし、好印象。イタリア人歌手を演じた、マシュー・ポレンザーニは、エンリコ・カルーソー風のメイクが楽しかったです。
ちなみに、ポレンザーニは、この「バラの騎士」のホスト役を務めていました。
最初に、「メトの総監督ゲルフ氏は、私が1幕でしか出番がないので、今回、有効活用ということで、私をホスト役に任命しました。総監督の効率的な運営方法には感心します」と挨拶したのが、個人的にはとてもウィットの聞いたコメントと思い、面白く関心しました。ただ、ホスト役はメイクを落とした背広姿ですが、カーテンコールはメイク姿らしく、何度かメイクしなおしをしたらしいので、その点は非効率的だったのかもしれませんが。
※ ※ ※
歌手陣は上記のように万全の布陣ですが、ロバート・カーソンの演出はというと、まずこれもメトらしく豪華。入り口とその中身が見える二重構造の舞台も素晴らしい作りですし、外に出るのに、4つもの扉を開ける必要ある、豪華な家を再現できる舞台の奥行き、高さに改めてびっくりします。
(一幕の場面は、まずは部屋の外で演じられ、その後部屋の中へと舞台転換します。3幕も同じ方式でした)
(2幕のバラの騎士の登場。ファーニナルの家は機能的でした。)
また、驚いたのは、3幕で、これは居酒屋ではなく、完全に娼館として描かれていました。
豪華な中にも、いかがわしさが満載です。3幕は、普通「はじらうマリアンデル(変装したオクタヴィアン)に、強引にせまるオックス男爵」として描かれるのが普通ですが、今回の演出は逆で、オクタヴィアンの方が、積極的にオックスを誘い、オックスの方がたじたじとなっている演出でした。考えてみれば、オクタヴィアンはオックスを窮地に追い込みたいので、このように主導権を握って追い込む演出もありかな、と思いました。
さらに、この舞台は豪華なだけではなく、読み替えやメッセージも感じられました。
まず舞台は、この曲が作られた20世紀初頭。オックスは軍服を着ていて、オクタヴィアン、元帥夫人の夫も軍人として描かれています。ファーニナルの家には、大砲や機関銃がならんでおり、ファーニナルが武器商人として財を成したことを暗示しているのではないかと思います。
(オックスと家臣。軍服姿が格好いいです。)
(第二幕。ファーニナルの家には、大砲などが並べてあります)
これは、最後の最後、いつもは、黒人の少年召使モハメットが「ハンカチを取りに戻る」という洒落た落ちで終わるエンディングが、この演出では、青年召使モハメットは酒に酔って現れ、背後に、武器を手にした人々が蜂起しているような絵で終わります。幸せの裏側で、きな臭い世界が始まるという暗示なのでしょうか。少し衝撃的な終わり方です。
本来は、このような演出は個人的にあまり好きでないはずですが、この舞台では、それまでがあまりに豪華な作りで堪能させてくれたのを、最後の一瞬にちょっとひっくり返すような手法に、良い意味で意表を突かれ、不意を突かれる感じも少し心地よかったです。
※ ※ ※
二期会の「バラの騎士」で素晴らしい演奏をきかせてくれたセバスティアン・ヴァイグレの指揮も文句なし。インタヴューで「振れば振るほど、作品の理解が高まる」と言っていたので、メトの後で日本に来てくれたことに感謝です。
再三思いますが、これほどハイレベルな舞台になると、私の鑑賞力では、本来「素晴らしい演奏に驚嘆している」という感想以外何者でもなくなります。あとは好みの問題。、ただその意味でもこの演奏は、DVDなどがでたら、ガランチャとグロイスベックを観るため、買い求めたいな、と思える素晴らしい演奏でした。 メト・ライブビューイングには、すっかりはまってしまっています。
出演:
マルシャリン:ルネ・フレミング(S)
オクタヴィアン:エリーナ・ガランチャ(Ms)
ゾフィー:エリン・モーリー(S)
オックス男爵:ギュンター・グロイスベック(Bs)
ファーニナル:マーカス・ブルック(Br)
イタリア人歌手:マシュー・ポレンザーニ(T)
私は、以前に予約したので、前よりの通路沿いに座ることができたのですが、やはり、横にだいぶ人が来ている状態です。
13:30からの開始、各10分の休憩を入れて、4時間半の上演時間なので、終了は18:00ですが、あっという間に過ぎてしまいました。
今回の感想ですが、まず、圧倒的にオクタヴィアンのエリーナ・ガランチャが男前!歌も、安定した歌いぶりで、力強い処、しっとりとしたところともに巧みな表現、しっかりしていて文句なしの演奏です。
そしてそれ以上に、ビジュアルおよび男性の演技、男性が女性を演じる演技(ややこしいですが)が実に素晴らしく、全く非の打ちようがない、それは素晴らしいオクタヴィアンです。メトでは、こんなに素晴らしいものが観ることができるのかと思うと、羨ましい限りです。
個人的に、エレーナ・ガランチャを生で聞いたことがあったかを調べてみたら、2003年に、新国立劇場の「ホフマン物語」で聴いていていました。その時のメモにも「その中でも一番すばらしい」と書いているので、なぜ覚えていなかったかが不思議です。この公演で、ズボン役は引退とのことですが、何らかの公演でもう一度聞いてみたいです。
マルシャリンのレネ・フレミングもしっとりとした、「時が過ぎることの残酷さに半ば諦めながらもしっかりと向き合う」優しく気丈な女性を素晴らしく演じています。この方は、声が非常にきめが細かく、丁寧で優しい歌声で、知的かつ繊細な歌唱をする人で、ビュアで気品ある役には最適なソプラノだと思います。この人は昔聞いたことを覚えています。個人の記録では、25年以上前、1991年にヒューストンで、ジュリアス・ルーデル指揮のドボルザーク「ルサルカ」、1992年にダラスで、チャイコフスキーの「エフゲニ・オネーギン」で見ていました。「ルサルカ」のコメントで、「とても魅力的で素晴らしいソプラノ」と書いていますし、今回聴いても、その思いは変わりませんでした。
しかしながら、この辺は完全に好みの領域で言えば、私のマルシャリン像が、フレミングの演じるような「理想的な女性」ではなく、その一面もあるが、とは言え自分も結局アバンチュールを楽しむ、「貴族的」な冷たさも持つ女性、なので、その意味では、フレミングの演技は、多少「良い人」過ぎかな、と少し感じます。贅沢すぎる発言とわかっていますが。
私が大好きなオックス役のギュンター・グロイスベックは、新国立劇場で、2012年の「ローエングリン」のハインリヒ王で印象的だったのでよく覚えていました。先日観た、メトの「タンホイザー」や、今年の「ニュルンベルグのマイスタージンガー」(BSで放送していました)にも出演し、ワーグナー歌手の印象が強いですが、この役も実にうまい。早口なのですが、深い声は変わらず、低い声の響きも十分。舞台姿も軍服がとても格好いい。オックスも、本来30代の「貴族」であるべきで、だらしない中年男ではない、というのが個人のイメージです。最近はそのような演出も多く、納得する舞台も多いのですが、この舞台もとても魅力的なオックス男爵です。
幕間のインタビューでは、グロイスベックがオックス像につき「かれは経済問題を抱えており、見かけより深刻な状況に置かれている」という解釈。正直音楽だけ聴いていると、そんな気はしないのですが、そういう見方で再度見ると、オックス像もまた変わるかも知れません。
ソフィーのエリン・モーリーも、とても澄んだ声のソプラノで、歌には文句ありません。
あとは例によって趣味の問題で、ゾフィーの人物像が、少し私と違うのが、逆にここまで舞台が完璧になると残念になるくらいです。この人物像は、私は保守的で、「深窓の令嬢」。もっと主体性を持った人間だ、という主張は受け入れるつもりですが、今回の上演は、「ちゃきちゃきのアメリカ娘」の様に見えてしまい、それはやりすぎか、というのが感想です。
ファーニナルのマーカス・ブルックという人は初めて聞きましたが、喜劇的なこの役をやはりきちんとこなし、好印象。イタリア人歌手を演じた、マシュー・ポレンザーニは、エンリコ・カルーソー風のメイクが楽しかったです。
ちなみに、ポレンザーニは、この「バラの騎士」のホスト役を務めていました。
最初に、「メトの総監督ゲルフ氏は、私が1幕でしか出番がないので、今回、有効活用ということで、私をホスト役に任命しました。総監督の効率的な運営方法には感心します」と挨拶したのが、個人的にはとてもウィットの聞いたコメントと思い、面白く関心しました。ただ、ホスト役はメイクを落とした背広姿ですが、カーテンコールはメイク姿らしく、何度かメイクしなおしをしたらしいので、その点は非効率的だったのかもしれませんが。
※ ※ ※
歌手陣は上記のように万全の布陣ですが、ロバート・カーソンの演出はというと、まずこれもメトらしく豪華。入り口とその中身が見える二重構造の舞台も素晴らしい作りですし、外に出るのに、4つもの扉を開ける必要ある、豪華な家を再現できる舞台の奥行き、高さに改めてびっくりします。
(一幕の場面は、まずは部屋の外で演じられ、その後部屋の中へと舞台転換します。3幕も同じ方式でした)
(2幕のバラの騎士の登場。ファーニナルの家は機能的でした。)
また、驚いたのは、3幕で、これは居酒屋ではなく、完全に娼館として描かれていました。
豪華な中にも、いかがわしさが満載です。3幕は、普通「はじらうマリアンデル(変装したオクタヴィアン)に、強引にせまるオックス男爵」として描かれるのが普通ですが、今回の演出は逆で、オクタヴィアンの方が、積極的にオックスを誘い、オックスの方がたじたじとなっている演出でした。考えてみれば、オクタヴィアンはオックスを窮地に追い込みたいので、このように主導権を握って追い込む演出もありかな、と思いました。
さらに、この舞台は豪華なだけではなく、読み替えやメッセージも感じられました。
まず舞台は、この曲が作られた20世紀初頭。オックスは軍服を着ていて、オクタヴィアン、元帥夫人の夫も軍人として描かれています。ファーニナルの家には、大砲や機関銃がならんでおり、ファーニナルが武器商人として財を成したことを暗示しているのではないかと思います。
(オックスと家臣。軍服姿が格好いいです。)
(第二幕。ファーニナルの家には、大砲などが並べてあります)
これは、最後の最後、いつもは、黒人の少年召使モハメットが「ハンカチを取りに戻る」という洒落た落ちで終わるエンディングが、この演出では、青年召使モハメットは酒に酔って現れ、背後に、武器を手にした人々が蜂起しているような絵で終わります。幸せの裏側で、きな臭い世界が始まるという暗示なのでしょうか。少し衝撃的な終わり方です。
本来は、このような演出は個人的にあまり好きでないはずですが、この舞台では、それまでがあまりに豪華な作りで堪能させてくれたのを、最後の一瞬にちょっとひっくり返すような手法に、良い意味で意表を突かれ、不意を突かれる感じも少し心地よかったです。
※ ※ ※
二期会の「バラの騎士」で素晴らしい演奏をきかせてくれたセバスティアン・ヴァイグレの指揮も文句なし。インタヴューで「振れば振るほど、作品の理解が高まる」と言っていたので、メトの後で日本に来てくれたことに感謝です。
再三思いますが、これほどハイレベルな舞台になると、私の鑑賞力では、本来「素晴らしい演奏に驚嘆している」という感想以外何者でもなくなります。あとは好みの問題。、ただその意味でもこの演奏は、DVDなどがでたら、ガランチャとグロイスベックを観るため、買い求めたいな、と思える素晴らしい演奏でした。 メト・ライブビューイングには、すっかりはまってしまっています。
【3】キャスト&スタッフ
指揮:セバスティアン・ヴァイグレ
演出:ロバート・カーセン
演出:ロバート・カーセン
出演:
マルシャリン:ルネ・フレミング(S)
オクタヴィアン:エリーナ・ガランチャ(Ms)
ゾフィー:エリン・モーリー(S)
オックス男爵:ギュンター・グロイスベック(Bs)
ファーニナル:マーカス・ブルック(Br)
イタリア人歌手:マシュー・ポレンザーニ(T)
上映時間
:4時間24分(休憩2回)[ MET上演日 2017年5月13日 ]
言語
:ドイツ語