2007年04月03日
今日は頭頸部外科
今日は頭頸部外科の診察でした。
凹む事ばかり・・・。思いは先生に伝えられず、伝わらないからもどかしい。1ヶ月に一度の貴重な診察日なのに。
最近、口が開かなくなってきています。あごが思うように動かず、口を広げられない。だから物を食べる時も不便です。
そして酷く疼く痛み。痛み止めの麻薬を飲んでも効かず、解消されません。
そして変わる事の無い、「自分はそのうち消えてしまうんだ」という恐怖感に苛まれます。
私の人生は一体なんだったのでしょうか。
生きる事に後ろ向きだった学生時代。 でも『死』が確定してからは、こんなにも「自分が消える事への抵抗感」に付き纏われています。
私の人生は一体なんだったのでしょうか?
2007年03月05日
通院日。
今日は精神科の通院日。
今は週に一度のペースで通院しています。本当は二週間に一度とかでもいいんでしょうが、でも、やはり、もう一つの病気の方で今は心が凄く不安定で家で泣いてばかりいるから、先生に会って話を聞いてもらった方が落ち着くから、週に一度にしてます。
入院してから目の調子が悪く、自分で車を運転出来なくなっているので、母親に迷惑がかかるのですが、付き添って病院に行ってくれる母に甘える形で通院してます。父も白内障で今、車が運転出来ないので、もし母が居なかったら・・・と思うとゾッとします。電車にも乗れないし。
不安定な睡眠で朝、すごく弱いのですが、今日は時間に間に合うように起きられて良かった・・・。 今日は大荒れの天気になる…との予報だったのですが、今のところ埼玉県はまだ雨降ってません。本当に降るのでしょうか?
2007年02月26日
頭頸部外科
私のガンを診てくれる専門病院の外来の科の名前。
『頭頸部外科』(とうけいぶげか)
脳などを除いて、首から上のガンを診る科。
喉頭ガン、舌ガン、・・・もっと色々なガンがあると思う。私のガンは上顎ガン(じょうがくガン)。上あごのガン。そんな種類のガンがあるなんて自分でなるまで全く知らなかった。しかし、不思議な事に医師から「あなたは上顎ガンです」と言われた事は今まで一度も無い。自分で症状を本と照らし合わせて、あぁ私は上顎ガンという癌なんだ、と知った。今も医師を信頼する事は出来ない。相変わらず、左頬の内側にはピンポン玉くらいの丸い物の手応えが、口の中の上部は歯茎が腫瘍化し、歯はグラグラ、真っ直ぐに下を向いて生えているはずの歯が斜め下を向いて生えていたり。故に物を噛める歯が限られていて、食事は未だにお粥を何ヶ月も食べ続けている。噛める物は、柔らかめのパン、玉子焼き、など。しかも前歯は腫瘍化が一番酷く、物を噛み切る事が出来ないので小さく千切った物しか口に入れられない。パンも、玉子焼きも、柔らかい肉などを食べる場合も、予め千切ってから。だから食事にやたら時間がかかる。そんな自分がもどかしい。いっそ、お粥と、茶碗蒸しとプリンとヨーグルトとウイダーインゼリーだけをずっと食べ続けようかと思う時もある。でも、家族が横で肉を頬張っている。肉を魚を、パスタを、ラーメンを・・・。悔しい。何故、よりによって口の中に腫瘍が出来てしまったのか。誰か教えてほしい。私が生まれた意味はあったのですか?人の半分も生きずに死をむかえる私が生きた意味は、あったのですか?誰か、教えて下さい。
明日は頭頸部の診察です。手術をしないと伝えてある私はこれ以上、治療のしようが無いので、口の中を診られて、痛み止めを処方されるのみです。
2006年12月06日
細胞
体の中にある何億個もの細胞たちは生きていて、私たちが意識しなくとも今この一瞬のうちにも何らかの働きをしているのだろう。
がん細胞もそれと同じ。生きていて止まることなく一瞬一瞬と働いているのだろう。私の口の中の腫瘍も、頬の内側に埋もれている腫瘍も、退院後少しずつ幅を広げているのに自分でも気付いていた。
診察時、「だいぶ大きなものですから、手術も大きなものになります。かかる時間は10〜12時間位ですかね。上あごを全部外すので、上の歯は全て抜く事になります。」「・・・顔に傷が残りますし、上あごを取り除いてしまうわけですから、だいぶ容姿に影響が出てきます。そこのところをよく考えて御家族で手術するのか、しないのか、よく話し合ってみてください。」
退院時とは、だいぶ違った方向に話が進み始めた。
手術しなければ、当然、元が絶たれていないので転移する可能性は十分に考えられる。でも私は手術したくなかった。
顔に残る傷。変わってしまう見た目。この2つと一生付き合っていく事になる。そこから起こる様々な問題に負けずに行ける自信が全く無かった。
『それならば、今のままでいい』、そう思っていた。
そして昨日の診察。 まだ結論を出していない私や母を医師は急かすような態度で言った。 「するか、しないかの結論を出すのは早ければ早い程いいです。あまりに遅いと手術できない状態に進んでしまいます。」「手術するのであれば、年内なら25日、それか年明けですね」
医師にとっては私の考えている事や思いは、とりあえず、どうでもいいらしい。
私はモルモットでは無い。
でも、あの診察室に入る度に思う。私は本当はモルモットなのではないかと。
師走。
10/26、退院。
ブログなんて書いてる場合じゃなかった。と言うか、今現在の方が、状況はその言葉に当てはまる。
10/30まで受けた放射線治療、9月から10月にかけ3回行ったカテーテルによる抗がん剤注入の化学治療、この2つによって退院する頃は、腫瘍はだいぶ小さくなっていた。顔の腫れもだいぶひいた、とみんなに言われた。でも、癌の元が無くなった訳では無い。切除手術をしなければならない事実は変わらなかった。
そして時は経ち、放射線治療を終えてから約2ヶ月。
退院時、医師から「手術をするのであれば、2ヶ月後くらい、年末か年始ですね。腫瘍もだいぶ小さくなっているし、放射線治療がききましたね。ただ癌の元が完全に無くなった訳ではないので、手術はしっかり行わないと。」と言われていた。
退院後、外来で診察を受ける事、数回。事態は変わった。
2006年10月02日
2006年09月30日
日付感覚
日付感覚が危ない・・・。もう10月になっているかと思いきや、まだ9月で、、、1日の中の時間の流れ具合もおかしい。ずれている。 日付の感覚については、昨日一日で修正してしまおうと思い、昨日、意識的に行動しては記憶する動作を繰り返した。それでもやはりおかしい所が多々。 そして時間の感覚についても、意識的に正常だった頃を思い出した。でも、こっちもやはり直に直るはずも無く、、、・・・。
去年の9月もそうだった。鬱で寝込んで、少しづつ治ってゆき、元に戻るまで。戻った時に待っていたのは、色んな事柄でのズレ。 直らないんじゃないかと密かに、かなり不安はあった。でも気付いたら直っていた。
そう、色々不安がり過ぎる事は無意味で、そこからは何も生まれない。 でも、やはり不安を感じてしまう。
2006年09月24日
限定もの
外泊という名のドロップアウト
23,24日の土日で外泊許可を元から貰っていた。 でも、実際は昨日の昼の早い時間帯から、明後日、月曜の昼まで。
22日の朝、いつもどおり「腫瘍熱」で39.6℃も熱があった。平熱が5度代の私にとっては、9度代というのは、尋常ではない数字。即、ナースコールで看護士さんを呼び、処置をしてもらった。 でも忙しい時間帯だったと言う事もあって、あまり心配されてないな…というのをナースさんの態度から読んだ。アイスノンや氷枕を持ってきてくれる気配もなく、私の熱の苦しみを知っているのはそのナースさんのみ。悔しかった。
それで、病院から出て行ってやる計画を経て、なるべく目立たない感じでナースステーションの前を通り、エレベーターに乗れた!他の階のナースさんは私の存在など知る由も無いので、5回を抜け出した=脱走、成功。
病院前のロータリーで一応親に電話をかけると、そこで待ってなさい!の指示。 母が着くなり、無理やり部屋へ逆戻り。そして一番信頼のおけるナースさんを呼び、しばし話した。辛かったよね、弱音も吐かずに頑張ってたもんねぇ…と慰められた。そして泣く私。 ナースさんが隣の私の行きつけの精神病院の私のと話をつけてくれたらしく「今から話しておいで」と言われ、結局ナースさん達の意のまま、隣の病院へと・・・。今日は主治医は笑わなかった。「月曜日にまた来て」と言う事で、診察終了。
がんセンターに戻ると、ナースさんがこっちの主治医の先生も今日から外泊行って、家でゆっくりじっくり考えておいで…との事で、22日から家に居る。
本当は平日毎日受けなければいけない、放射線照射治療。そんなわけで22日は受けなかった。
もう入院はしたくない。入院せずに通院治療で治す方法は無いのか。 帰ってきてから、その件を母と話していない。 本当は話さなければいけない。でも糸口が見つからない。もう完全にドロップアウトだ。腫瘍なんて無くなればいいのに。それかこのまま転移し、し続けて、私の体を壊せばいいのに。
悪い事の後にはいい事がある・・・そんなの嘘。
