2005年10月17日
ポール・オースター『シティ・オヴ・グラス』書評
抽象的な美に到達した作品
アメリカでは1985に刊行された『シティ・オヴ・グラス
』は日本でも人気の高いポール・オースターの実質的処女小説であり、『幽霊たち
』『鍵のかかった部屋
』と続く「ニューヨーク三部作」の第一作目である。訳者あとがきにもあるように、刊行当初アメリカでも日本でも一風変わったミステリとして受け止められていたが、実際に読んでみるとミステリ固有の意匠はいろいろと出てくるもののミステリとは全く異なるジャンルに属する小説である。
ダニエル・クインという元詩人で今は推理小説を書いている人物の元に間違い電話が何回も掛かってくる。その電話は探偵のポール・オースター宛のもので、クインも最初は間違い電話として処理をするのだが3回目に掛かってきた時にポール・オースターを装って彼は依頼された仕事を引き受けてしまう。そしてクインはポール・オースターとして探偵の仕事を始める。
アメリカでは1985に刊行された『シティ・オヴ・グラス
ダニエル・クインという元詩人で今は推理小説を書いている人物の元に間違い電話が何回も掛かってくる。その電話は探偵のポール・オースター宛のもので、クインも最初は間違い電話として処理をするのだが3回目に掛かってきた時にポール・オースターを装って彼は依頼された仕事を引き受けてしまう。そしてクインはポール・オースターとして探偵の仕事を始める。
推理小説を書くときクインはウィリアム・ウィルソンという筆名を使っているのだが、言うまでもなくこの名前はポーの短編小説に由来している。「ウィリアム・ウィルソン」という作品は、ウィリアム・ウィルソンが全く同じ名前と生年月日をもつ人物に影のように付きまとわれるという分身を主題とした短編であった。すでに『シティ・オヴ・グラス』の冒頭において著者オースターは分身の主題を提出している。そして、クインに仕事を依頼したのはピーター・スティルマンという名のちょっと変わった人物なのだが、彼の父の名前もまた全く同じである。(その仕事の内容とは実は父ピーターが自分を殺害しようとしているので守って欲しいというものだ。)さらに、著者ポール・オースターの同姓同名の分身が自分の作品内に探偵オースターとして、作家オースターとして登場する。そしてクインは父ピーター・スティルマンに話しかけるとき様々な名前(ピーター・スティルマンも!)を名乗ることによっても自らの存在を分身化させる。
このような分身の例はこの作品内に他にも見つけることはできるのだが、この分身化が頂点に達するのはこの作品自体が自らの分身を見出す時である。ポーのウィリアム・ウィルソンのように『シティ・オヴ・グラス』へ影のように付きまとうのはセルバンテスの『ドン・キホーテ』だ。クインが作家ポール・オースターの自宅に赴いて様々な話をする中、会話はオースターが今取り組んでいる仕事の話になる。彼が今書いているのは『ドン・キホーテ』論である。そしてオースターは『ドン・キホーテ』について長々と語りだすことになる。ここで思い出しておこう。クインの頭文字はD.Q(ダニエル・クイン)であり、ドン・キホーテと同じである。(これは決してこじつけではなくクイン自身「なぜ自分はドン・キホーテと同じイニシャルを持っているのか」(p.197)と自問している。)さらに赤いノートを買ったあと、彼は最初のページにフルネームのダニエル・クインではなくあえて頭文字のD.Qを記している。(p.61)彼がD.Qとノートに書き込んだこの瞬間こそまさにクインがドン・キホーテであることを引き受けたときではないだろうか? そして物語は『ドン・キホーテ』をなぞり始める・・・・・・
この作品がミステリの枠から次第にずれていくのもこの瞬間からであると言ってよいかもしれない。クインの捜査は最初のうち順調であるようにも見えるのだが徐々に空回りを始め、最後には依頼人である息子ピーターも父のピーターもニューヨークからもしくはこの世から消え去ってしまう。息子ピーターがかつて住んでいたアパートにクインが入り込みそこで暮らし始めるときから、さらにこの小説は現実の世界から完全に幻想・狂気の世界に移行していく。彼はアパートの奥の部屋でひとり裸になり、ベッドで寝て起きては赤いノートを着実に埋めていく。クインのほかに誰もいるはずはないのに、起きるとなぜかベッド近くの床にローストビーフなどの食事が置かれていて、彼はそれを食べてはノートに記入し続けていく。時間が経つにつれて季節と関係なしに次第に暗闇の時間が増え、最後には2、3行ノートに書き込むだけですぐ暗くなってしまう。奇妙ではありながらもかろうじて現実の枠内に収まっていたこの小説がここでは完全に現実の埒外にある狂気の世界に入り込んでいて、抽象的と言っても良い美しさに達している。
このようにオースターの『シティ・オヴ・グラス』は刊行当初ミステリの範疇に入れられていたことが信じられないほど抽象性に達した作品である。(信じがたいことにエドガー賞の候補にもなっていたという。)登場人物は同姓同名の分身たちによって固有のアイデンティティを奪い去られて記号へと還元され、さらにこの作品自体も『ドン・キホーテ』という古典的な作品に自らの分身を得てその抽象性を増している。その美しさに触れることこそ『シティ・オブ・グラス』を読む醍醐味ではないだろうか?
このような分身の例はこの作品内に他にも見つけることはできるのだが、この分身化が頂点に達するのはこの作品自体が自らの分身を見出す時である。ポーのウィリアム・ウィルソンのように『シティ・オヴ・グラス』へ影のように付きまとうのはセルバンテスの『ドン・キホーテ』だ。クインが作家ポール・オースターの自宅に赴いて様々な話をする中、会話はオースターが今取り組んでいる仕事の話になる。彼が今書いているのは『ドン・キホーテ』論である。そしてオースターは『ドン・キホーテ』について長々と語りだすことになる。ここで思い出しておこう。クインの頭文字はD.Q(ダニエル・クイン)であり、ドン・キホーテと同じである。(これは決してこじつけではなくクイン自身「なぜ自分はドン・キホーテと同じイニシャルを持っているのか」(p.197)と自問している。)さらに赤いノートを買ったあと、彼は最初のページにフルネームのダニエル・クインではなくあえて頭文字のD.Qを記している。(p.61)彼がD.Qとノートに書き込んだこの瞬間こそまさにクインがドン・キホーテであることを引き受けたときではないだろうか? そして物語は『ドン・キホーテ』をなぞり始める・・・・・・
この作品がミステリの枠から次第にずれていくのもこの瞬間からであると言ってよいかもしれない。クインの捜査は最初のうち順調であるようにも見えるのだが徐々に空回りを始め、最後には依頼人である息子ピーターも父のピーターもニューヨークからもしくはこの世から消え去ってしまう。息子ピーターがかつて住んでいたアパートにクインが入り込みそこで暮らし始めるときから、さらにこの小説は現実の世界から完全に幻想・狂気の世界に移行していく。彼はアパートの奥の部屋でひとり裸になり、ベッドで寝て起きては赤いノートを着実に埋めていく。クインのほかに誰もいるはずはないのに、起きるとなぜかベッド近くの床にローストビーフなどの食事が置かれていて、彼はそれを食べてはノートに記入し続けていく。時間が経つにつれて季節と関係なしに次第に暗闇の時間が増え、最後には2、3行ノートに書き込むだけですぐ暗くなってしまう。奇妙ではありながらもかろうじて現実の枠内に収まっていたこの小説がここでは完全に現実の埒外にある狂気の世界に入り込んでいて、抽象的と言っても良い美しさに達している。
このようにオースターの『シティ・オヴ・グラス』は刊行当初ミステリの範疇に入れられていたことが信じられないほど抽象性に達した作品である。(信じがたいことにエドガー賞の候補にもなっていたという。)登場人物は同姓同名の分身たちによって固有のアイデンティティを奪い去られて記号へと還元され、さらにこの作品自体も『ドン・キホーテ』という古典的な作品に自らの分身を得てその抽象性を増している。その美しさに触れることこそ『シティ・オブ・グラス』を読む醍醐味ではないだろうか?


