2021年03月25日

引き際。

私は、いま43歳。

今年、5月で、もう1つ歳をとる。

客観的にみても、主観的にみても、

43歳という、リアリティがない。

まだまだ、若いと思ってしまう。

でも、間違いなく、歳は経過している。


自分が、43歳となると、

かつて10年、15年前に、

キラキラ輝いて見えた、60歳、65歳の先輩方は、

当然、70歳、75歳、それ以上になっている。


最近、同時かつ立て続けに、

「引き際」について、考える機会に複数直面している。


生意気ながらも、

この、かつて大好きだった人生かつ経営の大先輩は、

「引き際」を間違えたなぁと、考えてしまう出来事に、
いま、私自身、複数直面している。


かつて若かりし頃の自身の成功からくるプライド。

下の世代の意見を認めれないプライド。

失敗は自分の責だと認められず、下の者や周囲の責としてしまうプライド。

周囲から言われれば言われるほど、自分はできる!と意固地になってしまうプライド。


いろんな、人として当たり前のプライドが邪魔をして、

引き際のタイミングを逃してしまい、引くに引けなくなってしまった方々。


これを、世間は、「老害」というのかもしれない。

老いることは、「害」ではない。

リスペクトすべきこと。

なのに、どこかのタイミングから、そのリスペクトすべきことが、「害」となってしまう現実。


私の大好きな父は、今年83歳となる。

元政治家だ。

まだまだ元気で、周囲から大変有難いことに必要とされ、
(実は、そうでもないかもしれないが 笑)

重要な場面で、いろんなところからお声がけいただき、

元気に、誇らしく、毎日出かけていく。


若い世代からの、お情けかもしれないが、声がかからないより、お声をいただくことは、

息子として、誇らしい。


その父は、上位ではないけども、まだまだ選挙に勝てる72歳のとき、

出馬を辞め、自ら引退をした。


先日、10年前に、初めて父から相談された、
カフェのテラス席に行く機会があった。


【以下、10年前の光景】

父「まだまだやりたい。やれる自信もある。まだまだ現役でできることに尽くしたい。」
父「でも、次の選挙の出馬に悩んでいる。もはや老害ではないか。」
父「政治や選挙の在り方も変わった。次の世代のために、自分の感性は引くべきかもしれない。」

と。

私「いやいや、まだまだ現役で、元気に頑張ってほしい。」
私「毎日のやりがいがなくなったら、ボケちゃうから。現役でいて。」

父「そうか・・・。そうかもな。」

そのあと、父は、新聞紙面で、誇らしく、「引退」を表明した。

その紙面の写真は、見たことない華やかな笑顔だった。


引退する父に、悔しさと寂しさもあったけど、

その笑顔をみて、これでよかったのかも。と、
おやじ、ここまで育ててくれてありがとう!との気持ちになったのを
今でも覚えている。


潔い引き際かどうかわからないが、少なくとも、いまも父は、まるで現役かのように、
動き回っている。

若い世代は、ハイハイ笑、と鬱陶しいかもしれないが、

父はイキイキと、毎日出かけている。


人の「引き際」は大事だ。

タイミングを逸すれば、

華やかな晩年が、「老害」と化してしまう。



それを10年前の父から、
そして、いま複数直面している人生と経営の大先輩との問題から、

深く考えさせられ、学んでいる。

少なくとも、自分の引き際には、敏感でありたいと。


華やかな晩年か。

老害としての晩年か。


少なくとも、いつかくる、自分の引き際には、

敏感でありたい。


直面する、複数の諸先輩方に、最大の敬意を表して。


*写真は、息子が、父から初めて相談を受けた、某カフェのテラス席です。
テラス

labarca3120 at 22:39│Comments(0)clip!

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