2010年04月15日

 澤田典子『アテネ民主政』(講談社選書メチエ、2010年)を読む。この本によれば、古代アテナイの民主政治を構成するものとしては三つの要素が挙げられる。第一は「緊張」。市民の多数が政治に直接参加するなかで、その指導者の地位にある者は、彼らに大きな利益をもたらすことを行えばそれに見合うだけの名誉を与えられた。しかし、ひとたび失敗を犯せば、過去の功績とは無関係に弾劾裁判にかけられ、死刑を含む厳しい処罰にさらされた。そうした緊張状態のなかで、アテナイの指導者たちは政治を行っていたのである。

 第二に「説得」。民主政が成立するためには、指導者の方針を市民たちが支持しなくてはならない。説得の方法は民主政の発展過程によってそれぞれ異なる。貴族の力がまだ強かった民主政初期には、彼らの威光がものをいった。社会の指導者層が伝統的貴族の手から新興の富裕層へと移った頃には、経済力と社会貢献がそれに変わる。あるいは軍事指導者(ストラテゴス)として成功を収めれば、それが政治的なリーダーシップにつながった。さらに民主政が進むと、弁論術、すなわち文字通り言葉によって直接、市民たちに理解と支持を得ようとする人々が登場する。王政や貴族政(寡頭政)にも側近や民衆からの一定の支持は必要とされるが、直接民主政においてその度合いはより重要となる。したがって市民に対する説得の方法や技術は、アテナイの政治指導者にとって不可欠なものだったといえよう。

 第三は「外交」。アテナイの国内政治は、伝統的に対外政策と大きく連動していた。当時のギリシア世界には内部にスパルタという軍事国家があり、外部にペルシア(アケメネス朝)という強大な帝国が存在していた。アテナイの指導者層のなかには、親ペルシア・反スパルタ、反ペルシア・親スパルタという勢力があって、それが国際政治の動向に影響を受けて国内における政治の実権をめぐる争いにつながったのである。やがてギリシア世界は、急速に台頭したマケドニアによって支配圏に組み込まれることになるが、興味深いことにアテナイの民主政は外交に対する自主性を奪われるに及んでバランス感覚を失っていくのである。

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 澤田典子『アテネ 最期の輝き』(岩波書店、2008年)が、古代アテナイの民主政において最末期の状況を分かりやすく描いたように、この本ではアテナイの民主政を支えた政治家に焦点を当て、人物からその全体像を明らかにしている。プルタルコス『英雄伝』などでこの時代をある程度知っていれば、古代アテナイの民主政に対する理解もより深まるはずである。『英雄伝』は極めて優れた人物評伝であり、この本でも数多くの引用があるものの、その記述にはプルタルコス自身の認識や「徳性」という評価が表に出すぎるところがあって、史実とは異なる記述もある。
 ここでは特に、冒頭の三つの要素を軸に、アテナイの民主政が貴族たちからの権力収奪によって成立した「物語」をいくつかの観点から否定し、それはむしろ段階的に成立し、確立していったことを証明している。また、通説では僭主(独裁者)の出現を防ぐために用いられたとされる陶片追放も、その実態はより現実政治に即して行われたものではないかと指摘する。これらの理論構成は前作(『アテネ 最期の輝き』)同様、非常にエレガントで分かりやすい。

 アテナイの民主政を支えた政治家として取り上げているのは、『プルタルコス英雄伝』(ちくま学芸文庫)にも登場するテミストクレス、ペリクレス、アルキビアデス、デモステネスのほか、彼らの政敵や後継者たちにも及んでいる。その多くは、アテナイの繁栄に偉大な貢献をしたにもかかわらず、晩年は刑死や追放という憂き目にあっており、民主政の背景にある「緊張」という要因が決して誇張ではないことが分かる。にもかかわらず、アテナイに次々と優れた政治家が現れたのはなぜか。この本は、私にとってもアテナイという社会とその時代、そして民主政に対する関心をいっそう引き立たせてくれる一冊になった。


(18:24)

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1. わが闘争 上 民族主義的世界観 3/7 〜議会制民主主義批判  [ 投資一族のブログ ]   2013年04月09日 21:12
つまらぬ人物が、精神、能力ともに矮小になればなるほど、彼に巨人のような力や独創性を求めず、むしろ尊重のずるさに甘んずる体制、ペリクレス(紀元前495-429、古代ギリシアの政治化、アテナイ民主政治の完成者といわれ、アレオパゴス会議の実権を奪って評議会を民衆際場所

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