プログラマー35歳定年説の論拠は一般的に次の2点だと思う。

1. 若いプログラマーでないと徹夜で仕事することができない

言語道断。徹夜が当たり前になっている業界の体質自体がそもそもおかしい。

スケジュールを守らなければいけないという真面目さは良い。

予測できない突発的な問題が発生する。
バッファを取っていても解決の目処が立たない問題が発生したらどうにもならない。
人員補充をしようとしても良い人が見つからなければ少人数で取り組んだ方が解決が早い。
良い人を探そうとしても見つからない。または他のプロジェクトで手一杯になっている。
そういう難しさは、刃物で身が切られるように、痛いほどわかる。

しかし、
そうならないようにするのがマネージャの仕事であり、
問題が起こってしまった時にスケジュールを調整したり機能が削れないか交渉したり、
何とか良い人を探してきたりするのもマネージャの仕事である。
それができない自分の無能をプログラマーに押し付けてしまっていないか。

私自身、徹夜ですごい速度でソフトウェアが完成していくのを、
これぞベンチャーと思っていた頃もあった。
それで連帯感が生まれたことも多くあったと思う。

それでも、
短期的な成果と同時に、
個人の精神や組織の雰囲気を蝕むものはジワジワと染み渡っていく。
今ではとてもではないが徹夜や過度な労働を当然のものとして受け入れることはできない。

2. 若いプログラマーでないと最新技術についていくことができない

プログラミングの世界で新技術を学ぶに当たって、
例えばバイオリンは小さい頃からやっていないと、
といった種類の、リテラシーに深くかかわる部分での難しさはそれほどは多くないと思う。

もちろん、向き不向きやセンスといったものはある。
しかし私の知る限り、優秀なプログラマーは年齢関係なしに優秀なのであって、
「若いプログラマーでないと」と言えるような要素というのは、
新技術を片っ端から追いかけていくような種類のものを除いて、ほとんど見たことがない。

大学の頃、バイト先の社長と巣鴨のおでん屋台で飲んでいた時のことを時々思い出す。
好奇心旺盛な彼はオブジェクト指向というものについて知りたがっていたので、
私は比喩を使ったりしながらできるだけわかりやすいように説明していた。
と、その時である。
「テメェ、COBOLとかPL/1とか書けるのかよ?言ってみろよ!」
隣に座っていた中年男性に突然からまれた。
どうせ俺なんて、という内容の話をしばらく独り言のように話して帰っていった彼は、
なぜそのような態度をとったのだろうか。

新しい技術を身に付ける時間もないほどに忙しい職場環境であったり、
自分でこれから世に出てくるものを身に付けていこうという気持ちがなかったことであったり、
時代の変化に応じた教育の機会を提供しない会社の姿勢であったり、
自分がある技術に固執したいのにもかかわらず、
その技術が求められている場所を探さなかったことだったり、
そういうことが本当の原因なのではないか。



周りを見渡してみれば35歳を越えてもプログラマーであり続けている人はいくらでもいる。
その意味において、プログラマー35歳定年説が事実として正しくないことは多くの人が知っている。

しかし私はここで、姿勢としての、あるいはあるべき姿としてのプログラマー35歳定年説を再度否定したい。

プログラミングはソフトウェア開発の物作りとしての側面を支える基盤である。
その基盤を形作る人々の多くが、35歳どころか2、3年プログラマーを経験しただけで、
やっと簡単で定型的で仕様が決まっているシステムの構築ができるようになってきた、
というレベルでプログラマーを卒業していってしまう。

これはソフトウェアの世界における物作りの危機である。

今日におけるプログラマーのあり方は多様であり、
どの方向を目指すにしても極めたなどという言葉を簡単に口にすることはできない。

私が分類するところの「林のエンジニア」に当たる人、
つまりPM的な役割を目指す人であるならば、今日のキャリアパスの典型である
プログラマー → SE/コンサルタント/マネージャ
という道を目指すのも良いだろう。

もう一度考えてみてほしい。
プログラマーであるあなたは、どのような道を歩みたいのだろうか。
マネージャや経営者のあなたは、どのような人たちで構成される組織を築きたいのだろうか。


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