夏期休暇をヨーロッパで過ごしながら考えたのは、何十年も何百年もかけて建造される建築物のアーキテクトとは、どのような人であったのだろうかということだった。

今私が手を触れているミラノのドゥオーモの1本1本の柱の頂上に立つ人物像一体をつくるだけでどれほどの感性を注ぎ込まなければならないか、さらにそられを生み出すことができる人々を束ね、世界観を崩さずに建造物を完成に導くことがどれだけ困難なことか、想像するだけで身震いがする。

3年ほど前に鈴木健が softdrink という飲み会で、世界史に名前を残す、という発言をしたことがあって、そのときそこにいた人たちは、自分たちがいつの間にか小さなことしか目指さなくなってしまっていたことにハッとして、何人かの人はメーリングリストやブログにそれぞれが感じたことを長文で書いた。

レベル程度
1 世界史に大きな影響を与える。
その名を知らぬ人は世界でも極めて少ない。
世界宗教の創始者。大革命の指導者。時代を変える技術の発明者。不世出の芸術家。
2 世界史に名前を残す。
教養のある人たちの間で時代を超えて知られる。
世界史に登場。
3 世界でトップレベルの活動をする。
主に同時代の同分野の人の間で世界的に知られる。
世界選手権で入賞。
4 国内でトップレベルの活動をする。
主に同時代の同分野の人の間で国内で知られる。
日本選手権で入賞。
5 仲間内でトップレベルの活動をする。
仲間内で有名になる。
社内の有名人。
6 普通に活動する。
親族や友人や取引先などの自分と関わりのある人たちの間で知られる。
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その席にいた人たちの多くはそれぞれに目指していることがあったり、自分がこれと決めた分野で会社を立ち上げたりしている人たちだったのだけれど、真剣にレベル2以上を意識している人はおそらく鈴木健一人だったのではないかと思う。

野心に満ちていることは時としてむしろ遠回りであるようにも感じられるけれど、自分は世界史に名を残すのだという意欲が生み出す成果もある。

だから、この感覚と感触は忘れずにいたい。

後世に名を残した人々の作品を目の当たりにしながら、上記のように考えた。