先日池袋ジュンク堂で行われた「ソフトウェアアーキテクトが知るべき97のこと」のトークイベントの事前打ち合わせの際、はてな伊藤さんとTwitterについて話をしていた。伊藤さんはTwitterをやっていないのだが、その理由は二つあって、一つはトークイベントでも話している内容で、ネットの感覚を前提としてサービスを作ると、一般の感覚とずれてしまうことがある、というものだ。そしてもう一つは、Twitterでつぶやいていると、それで満足してしまうのが怖いから、というものだ。

今回エントリを書こうと思ったのは、後者の「Twitterでつぶやいていると、それで満足してしまう」という点についてである。私も含めて、Twitterを始めてからブログの更新頻度が激減した、という人はかなり多いのではないかと思うが、こうした現象がなぜ起こるのかを考えると、感情が蓄積し、ある程度の時間をかけてブログのエントリを起こそうというところまでたどり着く前に、Twitterで思ったことをポロッとつぶやいて、同調したり、同情したり、コメントをくれたりする人がポツポツと現れたりしている過程で、蓄積しつつあった感情が心の蛇口から漏れてしまう、というのが最大の原因であるように思える。

同じようなことは情報のインプットの方にも言えて、はてなブックマークのホットエントリーを毎日のように見ていたり、RSSリーダーで各種フィードを購読していたりすると、最近何が話題になっているのか、斜め読みでキーワードと概略を把握して、知的好奇心が浅く広いレベルの情報で満たされてしまい、まとまった時間を取って何かを深く掘り下げて調べたりしにくくなってしまう、ということに心当たりのある人は少なくないだろう。かく言う私自身もそういうところがあり、自分への警鐘も含めてこうしてエントリを書いているわけである。

また、これは必ずしもネットで、というわけではないのだが、「意気込みを宣言する」ことも、感情の蓄積を阻害する要因の一つになってしまうケースがあると思う。小学生時代の私の机の引き出しには、1ページ目に「この日記をなぜ書こうと思ったのか。それにどんな意味があるのか」という熱意が記されており、2ページ目以降が永遠に空白の日記が眠っていた。何かしら書こうと思っていたこともあったのかもしれないが、宣言したらなにやら熱い気持ちになってきて、実質的には何も書いていないにもかかわらず、満足してしまってそれで終わってしまったわけである。Twitterでもときどきやる気や意気込みを宣言している人を見かけるが、これはTwitter + やる気宣言のあわせ技で、相当量の感情がこぼれ出てしまっていると思われるので、よく注意しながら宣言することをお勧めしたい。

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ソフトウェアアーキテクトが知るべき97のこと

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