ライカとタンノイの日々

私の好きなライカ(モノクロ写真)とタンノイ(オーディオ)を中心に、愛車(アルファロメオALFASUD 1.5ti)や椅子(ハンス ウェグナー)やスペイン旅行(バルセロナ)のことについて徒然なるままに書き綴ります。

IMG_0058

6G-B8全段差動アンプの良さに気を良くして予備のつもりでヤフオクで6AH4GT 全段差動アンプを落札したのは4か月前、そのまま鳴らしてもまずまずの音だろうとは思ったけれど、無敵?の6G-B8全段差動アンプと比べると多分相当手を入れないといけないと思い、4か月間頑張ってみました。
1、不平衡から平衡への入力の交換
単にXLR入力にするだけではダメでNFBを片側ではなく+と−両方へかけないといけない。間違えると発振するので慎重に行った。
因みにXLR入力端子はテフロン金メッキをebayで手配した。
2、入力ボリュームをやめて固定にした
その外したボリュームの穴を使い、50Kの4連ボリュームを入れNFBを若干調整できるようにした。
3、線材の入れ替え
ほとんどがAWG18のテフロン線だったが、ヒーターも含め太すぎて、中高域に張りが出すぎてしまうので、ヒーターはAWG22の普通の線材に、他はwestern electricの黒エナメル単線に、入力のシールド線はchordのRCAケーブルをバラしたのに交換、さらに増幅回路の抵抗をVAR(vishay Z201naked)に交換した。
4、スピーカー出力端子
安っぽいものから手持ちの純銅無メッキのものへと交換した。
5、真空管ソケットの交換
セラミックのタイプが付いていたのだが、死ぬほど苦労して(笑)さらに良いと思われるテフロン金メッキタイプに交換した。
6、クロス中和
高域がもっと伸びてもいいのでは・・と思い5PFのコンデンサを4個買い、ぺるけさんの本にも書いてある「クロス中和」というのをやってみた。
7、アンプの脚を初期のtaocのインシュレータに交換
ゴム脚は音が鈍い。taocは初期のハイカーボンのタイプの方がクセが少ないのでわざわざ古いインシュレータを探した。
8、カップリングコンデンサ交換
付いていたフィルムコンを6G-B8アンプでも使ったvitamineQタイプのDel Ritomoの0.39μFに交換した。

これで一先ず音出しをしてみたのだが、十分とは言え6G-B8の完成度には追い付かない。最後の手段、タンゴのFE-25-8をファインメットに交換することも考えたが、某先輩のブログでドライバー段の6sn7GTで音がけっこう変わるらしいので、付いていたsylvaniaから評判の良いFOTON 6N8Sに変えてみたら確かに変わり、上品なクラシック向きのやや細身の音にはなった。
しかし6G-B8アンプと比べると何かものたりない。もう出力トランスの交換しかないのかと思ったが、6sn7でいろいろ検索すると、究極はこれだという「1578ホールプレート」のブログを見つけたのでebayで探し思い切って落札してみた。半信半疑ダメなら出力トランスの交換しかないと思い昨晩入れ替えてみたら(足がやや太く、写真のようにテフロンのソケットに全部が入らないのが悲しいのだが)何と大正解。いきなり6G-B8を超えるような文句のない音が出たのだ。低域は弾むし、どこにも引っかかるところがなくずっと聴いていられるしなやかで繊細な音である。この何とも言えぬ「品位の高さ」は何なのだ・・
ドライバー段の真空管を変えるだけでこんなに違うのか・・・とア然とした。
凄い球である。
しばらくはこの音で十分だ。予備にこの素晴らしい真空管「1578ホールプレート」をもう2本買っておきたいのだが、6sn7というありふれた球にペアで3マン!はキツイなあ・・・
にほんブログ村 PC家電ブログ ピュアオーディオへ
にほんブログ村

オーディオランキング

IMG_0055

写真でもお判りのように予備のアンプ6AH4GT全段差動(店に置いてレクタンギュラーヨークを鳴らす予定)もヤフオクで落札して大改造したのだけれど、その前に左側の6G-B8全段差動平衡型アンプにまた少し手を入れてみた。
特に不満はあったわけではないけれど、若干のハム音と鳴らす音楽に緊張感伴いすぎるのが少し気になっていた。ハムが完全に消え低域がもう少しだけふっくらすれば更に良いのではと考えたのだ。

1.配線材が電源もヒーターもすべてAWG24だったので机上では十分なのだろうがいくら何でも細すぎる。やたらな銀メッキテフロン線では高域にクセが出るのが判っていたのでオヤイデのちょっと高級な配線材を使って太さも電源は18AWG、ヒーターは20AWGくらいに入れ替えてみた。
2.少し気になるハム音は安っぽいチョークのせいかと思い、ラックスのチョーク(パラ接続で1.2H・400V)をツヤありのブラックに塗装して載せ替えてみた。
3.入力から初段までwestern electricの24AWGエナメル単線(スズメッキなし)だったのをノイズ対策で思い切ってchordのRCAケーブルをバラして2芯シールド線として使ってみた。

この時点でもハム音未だは消えず、あきらめの境地になりながら、はらわた(配線)を見ていてふと気が付いたのだが、何とアース線がシャシーに落ちていないではないか!ド素人の私でもこれはおかしいと思いアースを落してみたら一発でハム音は消えた。全段差動らしい恐ろしいまでのSN感になった!!

何だよ〜。カンベンしてほしい。このアンプを作った元の製作者さーん、ハムに随分悩まれて某掲示板にも相談されていたようでしたが、原因は初歩の初歩のコレですよー。

その後、高域にまだ若干キツさがあったのだけれど、12AU7のソケットをセラミックのタイプからテフロン・金メッキに交換したら、これもウソのようにしなやかになった。
テフロンを金メッキと組み合わせるというのは一番良い気がするが意外に製品は少ない。銀メッキや純銀線との組み合わせが多いのだが、これは高域におかしなクセが必ず出ると思う。
今の音は、ぱっと聴きだと高域が伸びていないように聴こえるけれどちゃんと伸びている。
私の駄耳は長年の習い性で高域にキャラクターが乗っていないと伸びた感じがしない、ということなのだろうけれど、ほんとうの高域というのは変なキャラクターのないこのような自然な高域なのだと思い知った。

ロストロポーヴィッチやシュタルケルのチェロが未だかつてどこでも聴いたことがないような朗々と自然な音で鳴り響いている。幸せである。(笑)
にほんブログ村 PC家電ブログ ピュアオーディオへ
にほんブログ村

オーディオランキング

IMG_0042

手を入れて良くなってきたこのアンプだけれど、さらに良い音を求めて2回ほど手を入れた。
1回目は
1.主なナット類のワッシャーをM2052の制振ワッシャーに変えたこと
2.負帰還を調整できるように前面にNFB調整ボリュームを設けたこと
3.電源部の電解コンデンサB1+,B2+のところに手持ちのオイルペーパーコンデンサを、B3+にスチコンをパラってみたこと
4.ドライバー段の12AU7のプレート抵抗を39Kから47Kに変えてもう少しロードラインを寝かせ、動作点の電圧を少し下げたこと
5.出力管をいろいろ変えてみたこと(マツシタ6CA7、スヴェトラーナEL34、スヴェトラーナ6550と東芝6G-B8)
結果は繊細さも増して透明感も出てきたような気がするけれど、高域は伸びてはいるもののほぐれてはいない。一度に色々な変更をしたので、何が原因かも良く分からない。負帰還は多くかけた時はスリムになりすぎて高域がキツくなるのは確かなのだけど・・・。
出力管はマツシタの6CA7が繊細でバランスも良かったが東芝6G-B8はもう少し音が厚く、サックスもチェロも気持ちが良かったので当分はこれに決定。6550はさらに太くてニブイ感じがして大味すぎてダメであった。
その後しばらく聴いていたのだが、どうしても高域が気になる。伸びていても弦楽器がイマイチほぐれないのだ。
昨晩、意を決してB1+に手持ちのマイカコンを、B3+のアルミ箔のスチコンを外してビタミンQと銅箔のスチコンをパラってみた。電源を入れて30分もしたら、うっとりするような音が流れてきた。電解コンにパラるのは高域に効くだけかと思ったら中域にも低域にも効くのだ。ライブ演奏のレコードでは聴衆のかすかな足音まで聴こえてくる。本当に聴こえなかった音が聴こえるのである。
全段差動アンプは電源部と信号回路が一切干渉しない?ので電源部にいろいろと手を入れても無意味と書いてあることが多いが、そんなことはない、すごく変わる。
こうなると最終のアップグレードとして電源部のブリッジにしてあるダイオード等もSIC SBDにいつか変えてみたい。でも電圧も若干変わってくると思うのでド素人の私には難しい作業になりそうだけど・・・
書き忘れたけれど電源ケーブルもshunyata researchに変えた。shunyataとは仏教用語で「空」(くう)の意味であるらしい。「色即是空」の「空」である。<「空」の研究>?すごい名前の会社だけど、音は自然で色付けもなく大変素晴らしかった。
にほんブログ村 PC家電ブログ ピュアオーディオへ
にほんブログ村

オーディオランキング

イダ・ヘンデルが最初に契約したdeccaが発売したSP(チャイコフスキーV協)
IMG_0037

演奏家にとってテクニックやトーンはもちろん大切だけれども、イダ・ヘンデルの凄さは「間」である。
彼女の「間」は内省的だ。彼女の音符と音符の「間」の取り方は全く必然的・自然的であるように聴こえながら、しかしその「間」が聴き手の内省意識のようなものを触発し続ける。意識のベクトルを内側に向けさせ、聴き手に何か自らの生(せい)を顧みることを強いるのである。しかし、それはおそらく「彼女自身が観念的な何かを自分に言い聞かせるように演奏していること」の結果に過ぎない。
このような「間」を持つ演奏家は決して多くはないと思う。ジネット・ヌヴー、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、グレン・グールド・・・・
「間」は演奏者の強い想い(観念)が込められ、それがコントロールされて聴き手に届けられる。それをもし聴き手が恣意的に感じ、必然的・自然的に感じられなかったら、それでその演奏は一巻の終わりである。そして、その「間」に込められたその弾き手の観念(想念)が深ければ深いほど多分その想いは個人的なものから普遍的なものへと上昇するのだろう。individualからuniversalに昇華されていくのである。そこまで行ってこそ初めて作品は「永遠性」を手に入れるのではないのだろうか。
我々が聴きとらなければならないのは正にこれなのだろう。聴くべきは演奏者の「音」だけではなくその「間」即ち音と音の間の刹那の無音(沈黙)なのだ。
それこそが「言語にとって美とは何か」に書かれている芸術の核心=「自己表出」そのものなのではないだろうか・・・。

イダ・ヘンデルは生涯独身、孤独であったけれども、ずっとdeccaという名のかわいい室内犬(チワワ?)を飼っていた。二十歳前に最初に専属契約ができたのが嬉しかったのでそのレコード会社のレーベル名をとって愛犬にずっとdeccaという名をつけていたそうである。その愛犬deccaは飼い主のいない今どうしているのだろう・・・。
そんなことを想いながら、今夜は久しぶりに70年以上前に彼女が初めて契約しリリースされたであろうそのdeccaのSPレコード(チャイコフスキーのV協)を聴きながらビール片手に冥福を祈ろう・・・
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
にほんブログ村 PC家電ブログ ピュアオーディオへ
にほんブログ村

バッハ シャコンヌ 1955年頃 モスクワでの録音

先日(2020年6月30日)私の大好きだったポーランド出身の女流ヴァイオリニスト イダ・ヘンデルが亡くなった。享年92歳、生涯独身の孤独な死であった。
父は画家で母は歌の上手なユダヤ人という家庭に育った彼女は3歳半の時すでに姉の使っていたヴァイオリンで母の歌の伴奏をしていたそうである。
その後ワルシャワからロンドンに渡り、1935年の第一回のヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールに僅か7歳で出場し7位に入賞している。
このコンクールは15歳のジネット・ヌヴーが優勝、2位は23歳の後の大巨匠ダヴィド・オイストラフで、そのダヴィド・オイストラフが15歳のジネット・ヌヴーの「情熱」に完敗したことを自ら認めたという有名なコンクールである。それから彼女はヌヴーと同じようにカール・フレッシュのみならずジョルジュ・エネスコにも師事することになる。(ちなみにこのコンクールではその後精神病を患い夭折する11歳の同じポーランド出身で同じカール・フレッシュ門下の悲劇の天才ヨーゼフ・ハシッドが名誉ディプロマを受賞している)
5年ほど前来日した時、年齢からいってもおそらくこれが最後の来日だろうと思った私は妻と二人分のチケットを買い遠路東京は汐留の朝日新聞のホールへでかけた。そのコンサートは主催者の不手際で散々待たされた挙句中止になってしまったのだけれど、ホールの最前列や通路で実物の彼女を見ることができたのはせめてもの救いであった。

イダ・ヘンデルが出すあの「音」は何によって作られたのだろうか?ユダヤ系のポーランド人の家庭の第二次世界大戦における運命を考えた時、幼少期にその才能によってロンドンへ(結果的に)逃れることができた彼女の戦争体験や、身近で見た姉弟子であるジネット・ヌヴーの影響等が大きいと思われるけれど、後年は何といっても指揮者セルジュ・チェリビダッケとの「音楽的恋愛」とでも言っていい出会いに因るところが大きいのだろう。チェリビダッケとのブラームスのV協の演奏は霊感と生(せい)のエネルギーに満ちた素晴らしい演奏である。彼女の告白によるとチェリビダッケとは音楽を超えて本当の恋愛に近いものがあったらしいけれども・・・

彼女は「芸術とはテクニックではなくそのテクニック使ってする<何か>なのだ」と言っている。テクニックさえあれば食べていけると思っている数多くの「演奏家」はこの言葉を噛み締めていただきたいと切に思う。
<他の追随を許さない>という言い方がある。私もそのように評価される演奏が大好きなのだが、<何によって>他の追随を許さないのかが大問題である。ヤッシャ・ハイフェッツが<テクニックの完璧さ>において他の追随を許さないというのは多分衆目の一致するところだが、イダ・ヘンデルは「演奏家」の真の目的=<深い精神性を感じさせる解釈と驚異的な集中力による情熱的・確信的な表現>において他の追随を許さないのである。コレルリの「ラ・フォーリア」もバッハの「シャコンヌ」もタルティーニの「悪魔のトリル」も大戦後から今世紀までの色々な演奏家の録音を聴いたけれども彼女以上の演奏には私は未だ出会っていない。全くもって他の追随を許さないのである。
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
にほんブログ村 PC家電ブログ ピュアオーディオへ
にほんブログ村

IMG_0025

ヤフオクで安く落札したEL34PP全段差動平衡型アンプの改良がついに終わりました。
重複もあるけど、主な改良点は
1.信号経路の配線をカップリングコンデンサまではwestern Electricの22GAの単線に交換
(エナメル線でスズメッキはされてないものというのがポイントです。スズメッキがされているとちょっと音がギラっとするような気がします)
2.入力のボリュームを省略し固定とし、信号経路の抵抗をすべてVAR(Z201naked)に交換
(高域・低域の伸びとしなやかさが全然違いますが、たかが抵抗なのにメチャ高いです。8本でン万円!)
3.カップリングコンデンサを0.22μfのフィルムコンからデル・リトモの0.39μfオイルペーパコンに交換
(ビックリの効果!ヴァイオリンの弓がはり金から馬の毛に変わりました)
4.カップリングコンデンサ以降OPTまでのケーブルをsound geekのブラックエナメル絹2重巻き撚線に交換
(この線材は優れものですが処理が大変です、半泣きで頑張りました)
5.スピーカー端子を純銅非メッキに、XLR入力端子もテフロン絶縁金メッキに交換
(ヤフオク、ebayで安く手に入れました)
6.今回のハイライト、OPTをISO(タンゴ)のFC-25-8からアンディクス・オーディオのファインメットトランスFT-40P(1次側5KΩなので4Ωに繋いで10kΩとして使用)に交換
(大正解でした。HiFiなのにしなやか、低域は聴感上はアンプジラのような制動力、音量を上げてもうるさくない。平衡型なので正帰還にならないように気をつけてNFBは配線しました)
駄耳による主観ですが、マジで聴こえていなかった音が聴こえます。ゾクゾクするような生々しさ、もうこれで十分、これ以上何が要るのか?というような音になりました。
普遍的(ユニバーサル)な良い音というのはやはりあるような気がします。
オーディオにおける理想の音とは、主観(好み)とHiFi(情報量)の間に咲く「あだ花(幻想)」に過ぎないのでしょう。
この音を聴いて、25年以上前に、後にケーブルのブランド「ACdesign」を立ち上げることになる今は亡きK君の「情報量は主観(好き嫌い)を超越するよ」という言葉に反発して「HiFiなんかクソくらえ!オレはオレの好きな音を出す!」と息巻いた自分が少し恥ずかしい気持ちになりました。
出力は3結A級なので13Wくらいだろうけど何も問題なしです。
全段差動平衡型という素晴らしい回路に思い切って高級なパーツを使えばここまで出るんだ・・・と思いました。
にほんブログ村 PC家電ブログ ピュアオーディオへ
にほんブログ村

オーディオランキング

IMG_0024

この本は2年ほど前から歴史研究所の思想史ゼミでずっと読み合わせをしていました。
それが偶然講談社のモーニングという漫画雑誌でもこの日記の連載が始まりまったのです。ビックリしました。
風太郎は東京医専(東京医科大学)の医学生でずっと日記を書いており、この大学の疎開先で終戦を迎えます。その疎開先が長野県飯田市でした。
風太郎は早熟な文学青年であり、年齢(当時23歳)を考えればその見識、思惟の深さ鋭さは恐ろしいほどです。後に忍法帖シリーズ等で大売れっ子作家になるわけですが、この日記は終戦前後の飯田市も含めた社会の様子が多感だった青年風太郎の眼を通してリアルに生々しく書かれています。
「この戦争が何であったのか」を考える時、この日記は今でも傑出した歴史の証言の一つでもあります。
当時の風太郎の同級生でもあり、疎開先である病院の一つでもあったT病院のT先生は5年前に死んだ私の父のポン友でもあり、まだ元気に御存命です。
先日講談社の担当の部長の方が取材に来られ、私がT先生のご自宅へ案内し、一緒に当時のお話を聞き貴重な写真等も複写させていただきました。漫画の単行本の飯田編は10月に発売されるそうで、それも楽しみです。私も少しだけそのお手伝いができたかなあと思っています。
写真の右端はその時講談社の担当の部長から頂いた第1巻の単行本です。

#ブックカバーチャレンジ
#bookcoverchallenge
#7days #7bookcovers
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

IMG_0020

初めてスペイン旅行へ行った30年前、旅行前にこの国がどういう国か勉強しようとして選んだ本が堀田善衛著「スペイン断章」でそれが堀田との出会いであった。その後は「ゴヤ」「ミシェル 城館の人」等たくさん読んでいるけれども、今回は堀田が日本の平安末期を描いた本の中から「方丈記私記」を選ばせてもらった。
堀田の原点はやはり戦争体験である。その中でも強烈なのは3月10日の東京大空襲の後の描写だ。大空襲の何日か後、堀田は知り合いの女性を心配し隅田川方面へ行き、ある光景に出会う。それは、革長靴を履いてベンツから降りてくる小柄な男の大空襲惨禍の視察の光景であった。焼け野原を、隅田川の累々たる死体を平然と眺める革長靴を履いた小柄な男の前に、かろうじて生き残り焼け出された人たちが集まってきて跪き「陛下、申し訳ありません。私たちの力不足でこのようなことになってしまいました」とオデコを地面に擦り付けてあやまっている光景である。それを見て堀田は日本と日本人に絶望する。なぜこの大惨禍の原因を作った側の首謀者の男に被害者である民衆が謝らなければならないのかと・・・。
そしてこの焼け野原の光景が堀田の内面で平安末期の鴨長明の描写「古都は荒れ果て、新都いまだならず。人はみな浮雲の思いをなせり」とシンクロするのである。この本で鴨長明の見方を通して乱世の無常観というようなものを堀田は私に判り易く教えてくれている。
私の大好きな、方丈記の中でも有名な言葉を紹介させていただく。
「世にしたがへば身くるし。したがはねば狂せるに似たり。いづれの所をしめて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身をやどし、玉ゆらも心をやすむべき」
時代を冷静に見る力(人)を堀田は評価する。フランスのモンテーニュを描いた「ミシェル 城館の人」も素晴らしかった。

#ブックカバーチャレンジ
#bookcoverchallenge
#7days #7bookcovers
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村





IMG_0019

この本は私のゼミ(飯田市歴史研究所・思想史ゼミ)の仲間・先輩たちが中心になって刊行した日記です。私も少しお手伝いさせていただきました。
胡桃沢・盛(くるみざわ・もり)は昭和初期から戦後すぐまで河野村(現豊丘村・河野)の村長であり、戦後間もなく自殺します。その彼の十代後半から自殺直前までのほとんど毎日の日記です。
彼(胡桃沢)は二十歳前にロシア文学を読み感動するような知的で早熟な文学青年であり、その豊かな感受性は左翼運動や宗教(天理本道)への興味や傾倒にも見て取れる。その彼がなぜ自殺しなければならなかったのか・・・
一般には彼が送り出した河野村満蒙開拓団の全滅の知らせを聞き、責任を取っての自殺と思われているけれども・・・。
確かに河野村の開拓団の最後は本当に悲惨でした。若い人が中心になって村人を皆順々に殺していったのです・・・。そして最後に生き残った(殺しつくした)人間が一人生還し、その人が今も語り部となってその様子をアチコチで伝えています・・。
言っておくけれども、その語り部の方本人はもちろん一番多くの村民を殺した殺人者であり、本人も含めた殺人行為を自分なりに正当化・美化(誰も知らないのだから当然そうなるのは止むをえないが)し、それで生きているのを私は許せない。自らの殺人を語って生きる?そんなことが道義的にも許されるのか?自らの殺人というネタを「踊り」にして<おヒネリ>をもらうなどというのは前代未聞史上最低の男芸者ではないのか?

アツくなってしまった、閑話休題
胡桃沢村長は決して開拓団の全滅の責任をとって自殺したのではない。日記を読むと全滅の知らせを本当に受け取っていたかどうかも微妙であるし、何よりその半年以上前から精神状態が不安定になっているのが判る。感性が鋭く若いころから「死」を意識してきたまじめな彼が、左翼的意識と宗教的な葛藤を内側に持ちながらも自身の決断として、村長として、その精一杯を「皇国」に尽したあげく、その「皇国」は無残にも惨めにも滅びるのである。そしてコロンと手のひらを返したように「民主主義の時代」が始まるのである。一見、思想的に深く皇国主義(天皇陛下バンザイ)を信じ、あの軍部と関係していい思いをしていた輩も平気でコロンと民主主義の旗を振ることをしたその時代の中で(その変わり身の早さ、厚顔無恥ぐあいの典型の典型はだれなのか?岸信介か?)自身の内側から純粋に皇国を、国体を信じてきた胡桃沢は一種の「燃え尽き症候群」ともいえる状態になり、精神に異常をきたすようになるのである。それが自死の主な原因である。ちゃんと日記を読めば判る。
しかしながら、歴史研究所の主な人達も取材にきた信濃毎日新聞の記者も、死因は村長として開拓団の全滅の責任をとったのだと短絡的に書く。そう書くのがストーリーとして<左翼的に>説明・納得しやすいのでそう書きたいのだろう。(イヤな人達だ)
人間は皆単純ではない、それぞれが重層性や背反性の中を生きている。胡桃沢 盛についても解釈しやすい(都合の良い)単純な一つの理由だけで死んだなどと言える訳はあるまい。
ちゃんと読もうよ!自分の脳内の都合の良いストーリーに合わせて事実(真実)を曲げるなよ!

#ブックカバーチャレンジ
#bookcoverchallenge
#7days #7bookcovers
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

IMG_0018
先輩の樽沢さんに手をあげてブックカバーチャレンジに挑戦しようと思ったのだけれど一冊も紹介しないうちにすでに後悔し始めている。
本を紹介するというのは自分自身の内面を晒すのに等しく、見る人が見れば、その人の問題意識のあり方や知性の低さがそのまま判ってしまうのである。だから常に「申し訳ありません、恥ずかしながら未だこんな本しか読んでいないのです・・・」という卑下した意識も少しは持たなければならないのだ。
いずれにしてもこういうものはカッコつけていてもすぐにバレるので、正直に読めた(理解できた)本も、頑張ったが読めなかった(理解できなかった)本も紹介させていただくことにした。
思春期に読んで感動した太宰や宮沢賢治等は除外して、30代前後から好奇心を以て接してきた何人かの作家の本を紹介したいと思う。

最初は何といっても「吉本隆明全著作集」である。若い人たちも含め1980年代以降の語りを中心にした吉本さんしか知らない方は吉本さんといえば「好々爺」のイメージがあるかもしれないけれども、仕事のし盛りだった頃の吉本さんの凄味は恐ろしいほどのものである。
人によって<何所から>吉本隆明に入っていったのかは違うだろうし、「共同幻想論」から入ったという人も多いのだろうけれども私には「転向論」が一番強烈であった。
「転向論」・・・戦争前の共産党幹部の転向を「日本封建主義の良性因子」との出会いの結果と看破し、返す刀で転向しなかったという宮本百合子らを「時代の認識・流れと関係ないところで念仏のように共産主義唱える」だけの「非転向の転向」に過ぎぬと言い切った鋭さに戦慄したのを思い出す。

この大全集は未だすべて読み切ったわけではないけれど、この頃は何故か吉本さんの初期の詩集を読むことが多い。
吉本隆明は結局「詩集」が一番凄いのかもしれないと思いながら・・・。
吉本さんはいくつもの鋭い「言葉」を残していて「日本のナショナリズム」という文の中で「井の中の蛙は,井の外に虚像をもつかぎりは,井の中にあるが,井の外に虚像をもたなければ,井の中にあること自体が,井の外とつながっている,という方法を私は択びたいと思う」と書いている。難解だが素晴らしい言葉だと思う。
吉本さんは有名な「言語にとって美とは何か」等、私には難かしい文章も多いのだけれど、その思惟の骨の太さ、射程の深さは戦後の日本人の知性の最高到達点だと個人的に確信している。
#ブックカバーチャレンジ
#bookcoverchallenge
#7days #7bookcovers

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

↑このページのトップヘ