ライカとタンノイの日々

私の好きなライカ(モノクロ写真)とタンノイ(オーディオ)を中心に、愛車(アルファロメオALFASUD 1.5ti)や椅子(ハンス ウェグナー)やスペイン旅行(バルセロナ)のことについて徒然なるままに書き綴ります。

昨晩のブログは古谷経衡の見識の話から書き出したけれど、そうしたら私が一応批判していたS君からlineでその古谷さんが今月17日に豊丘村で講演されるという連絡をもらった。びっくりした。ありがとうございます。S君のこういうところは感心する。個人的な意見の対立とは別にちゃんと大人の付き合いをしてくれるのである。S君は良い漢である。選択したことに対して異常なこだわりを持ち、反省、撤回ができないと昨晩は批判したけれど、方言を使うべきではないと異常なこだわりを持ち、反省、撤回しない私も同じ穴のムジナであるからまあお互い五分五分かもしれない。
古谷経衡の話で昨晩は書かなかった「人々の知性が底抜けしていること」という話だけれど、この傾向と状態は今の日本では酷く、youtubeで簡単に手早く情報を選択し一瞬で判断しその価値判断に陶酔し流れ込む・・・都知事選で石丸がyoutubeを使い票を得ることができたのは若年から中年のこの今の日本の傾向を見事に利用していると古谷さんは解説してくれていた。この傾向の本質は「人々の知性の底抜け」だと鋭く言う、そしてそれは即ち「己の虚無性に対する無自覚」だと私は思う。Youtubeから自らの選択で知識を得ることができていると感じている今の大勢の人は、じっくり時間をかけて中身を感じる(知性を得る)ことができなくなっており、文学を読んだり、90分ほどの映画見ることさえもうまともにできなくなっていると古谷さんは言う。それが「知性が底抜け」の現象だというのである。確かにこの私でさえその傾向はある。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」もワグナーの「ニーベルングの指輪」ももう私には無理に思える。私にとって最高の音楽であるベートーヴェンの9番さえ今の私にはもう聴き終えることができないのかもしれない。
日本人のこれは、いつから、どこから、来ているのだろうか? 古谷さんは、あの戦争、日本のすべてをご破算にしたあの時代、を体験した人たちが消えていった90年代から始まったと言う。それを聞いて私も納得した。日本で、生き方が、発言が「虚ろ」の傾向を持ち始めたのはこのころからである。(その顕著な表れは安倍晋三という馬鹿の「美しい国ニッポン」だけれど・・・)
そう、私個人が今も文学を読み歴史研究所に通い、あの時代のことを知りたいと思う理由は「己の虚無性に対する自覚」なのである。本を読んで戦後を含むあの時代を追体験することで「日本とは何か」「天皇制とは何か」を知りたいと思い「知性の底抜け」を避けたいと考えるのである。そのためにリテラシーを持ち続けたいと思うのである。
私と同年代の人たちもこの「知性の底抜け」の傾向は当然強い。失礼ながら50周年の実行委員会の会合でも私が感じるのは「虚無性に対する無自覚」である。
でもS君は恵まれている。今回の古谷さんの講演の件もそうであるけれど、私が少し制作のお手伝いをした戦争の意味とリアルに向き合わざるを得ない本「胡桃沢 盛 日記」は彼の村そのものの歴史の一部であるし、あの天皇が訪れた満蒙開拓記念館で天皇の前で話をされた生き残り開拓民の1人、河野村開拓団の集団自決で村人を虐殺し唯一生き残った男はS君の村の人間であった。彼の周りには「知性の底抜け」を避けるための身近な材料がたくさんあるのである。
S君、頑張ってね〜(笑)

東京都知事選の石丸という候補者について若い批評家の古谷経衡はよく勉強、観察していると思う。
そして古谷は石丸に投票した人たちの問題点として
1.人々の知性が底抜けしていること、
2.選択したことに対して異常なこだわりを持ち、反省、撤回ができないこと。
この2点を強調している。
今回高校卒業50周年のイベントについて過去からずっと中心になって世話をしてくれているS君がいる。彼は今回もがんばって文章を書いてくれ、同級生の連絡の通知がほぼ完成した。S君のいつもの努力はもちろん認める。いつも感謝もしている。
ただ彼は今回の通知のハガキの中で「是非参加をお願いします」と書くべきまじめな案内文のところを地方の砕けた方言「おいでなんしょ」という言葉にしたのである。私は強い違和感を感じた。そしてそのあらゆる違和感の要素を羅列して彼に反対意見を申し出た。
正式の通知は口語体ではなく文語体にすべきであること、一部の方は砕けた方言に親和性を持たない可能性があること、私の友人が「やはりちょっと違和感がある」とか「それは仲間内だけで通用する言い回し」とか言っていて少しイヤな気分をもっているということ、ローカリズムの印象が強すぎて都会に多く生活しているインターナショナリスト感覚ややコスモポリタン感覚の人に嫌味を言うような印象を持つ可能性があるかもしれないということ、
それらを説明し私自身も彼に「その言葉、方言好きには反吐がでる」とまで書いた。
しかし、彼は反省も撤回もしないで、一方的に自分の選択を貫いた。それはそれで良いかもしれぬ。ただ、彼の良識・常識は私の仲間たちとの良識・常識とは違うのだ。私や私の友人たちも自分の選択には責任をもって生きている。しかし、私たちは論理的、感覚的な否定や納得せざるを得ない指摘があれば反省、撤回はやむを得ないし、それをすることはあるのだ。ずっと50年以上の付き合いの私の友人たちは間違いなくそれをする。だからこそ私たちは今まで付き合ってきているのだ。
S君にはそれがないのである。しかし驚いた。友人たちが不快感を持つかもしれないとS君に伝えたが、その私の友人たちは欠席でも構わないと言って言わば同級生の私たちを捨てた(切った)のである。
もちろん私から友人たちに連絡して欠席を勧めることはしないし、してはいけない。その通知を見て出るか出ないかは各人が個人で判断するはずである。
私は乗りかかった船、今回の実行委員として、ゴルフや阿智村のオプションの件も、良かれと思って作った50周年のブログの件も、BGMの件もある。
故に今回は手伝う。しかし、もういい。一部の同級生を切っても平気なその感覚を私は受け入れることができない。反省や撤回をする回路を持たない人とは私は適度な距離を持つしかないのである。
彼らは彼らで月に一回某居酒屋で彼らのマスターベーションの「風夢の会」を続ければ良い。どうぞご自由に。
私の仲間の誰かが呟いた言葉、私たち=「the other 風夢の会」を私たちは続けていくだけである。
この私たちの仲間は皆それぞれ自分にとって大切な趣味を持っていて思慮深いし懐が深い。頭が下がる。皆ほんとうに良い人たちばかり。私は彼らが友達でいてくれることが幸せである。

昨日北海道のかわうそ商店からモノクロフィルムが届いた。agfaのISO50ともう一種類はISO6だという。ISO6というのは信じられない低感度だけれど、慣れれば一段増感してISO12くらいで常用できるかもしれない。ピーカンの日ならまだ良いけれど、くもりの日だとF2開放で15分の1秒から30分の1秒のシャッター速度になる。
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私はヨーロッパでカルチェ・ブレッソンのような写真「人間の生活の1コマ」を撮ってきたけれど、ずっとISO25のフィルムを使っていた。
ピーカンでF4くらいで125分の1くらいのシャッターが切れた。それでもライカのレンズは絞りたくなかったのでF5.6以上に絞ることはしなかった。
ISO6は恐ろしい。どんな状況でもほとんどF2開放でなければならないのだ。ズミクロンの良い所はF2開放でも画面中心付近の質は変わらないところだと思う。ズミルクスの1.4の開放は35mmはもちろん50mmでも独特の軟らかさと甘さがあるので開放だと全く違う描写になるのだけれど、ズミクロンはその点は安心感がある。ただISO6ともなればなんとなく50mmより35mmを使うことが多くなると思う。
ISO6のフィルムはお奨めの現像液があるようだけれど使い慣れているミクロファインとどの程度の微粒子の違いがでるだろうか・・・?
昔ずっと使っていたMACOのISO25より微粒子だったら感心するけれど、果たして・・・・
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前にも書いたと思うけれど私の35mm8枚玉は多分最初期のウェツラー製のです。製造番号がこれ(#1671002)より若い8枚玉はあるにはあるのだけれど・・・。端正さは後のカナダ製のほうが良いともいえるけれど、このズマロンに近い厚みのある描写の初期のドイツ製は捨てがたい。このレンズのF2開放はどんなことになるのか楽しみでもある。
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最近は休みの日は愛車のアルファスッドをいじっている。ステアリングはパワステではないので直径38僂詫澆靴い里世韻譴鼻∈まで使ってきたナルディのウッドに変えて純正の革製のステアリングとナルディの革製のステアリングを手に入れて取り付けてみた。
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おしゃれ度は革のナルディが一番良いのだが他と比べてちょっとだけ太くて柔らかい。
長距離の移動がメインのGT(グタン・ツーリスモ)ならこれが一番合っているかもしれないけれど、この車はクイックでシャープな感じに作られているのでナルディの革だとまろやかで若干にぶい感じがしてしまう。それに比べて純正の革製はナルディより硬くウッドに近い細身で直径37cmだけれど納得もできる。でも結局使い込んだナルディのウッドに戻した。
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現在の車体はアチコチに塗装の割れやサビがあるのでお金を出して修理しようかとずっと迷ってきた。でも私の歳を考えるともう10年はとてもじゃないが乗り続けることは不可能に思える。このままヤレた外観でもそれはそれで良いのじゃないかとも思うのだ。
それでも昨日、純正のサイドミラー(vitaloni)を自分で黒の艶消しに塗装したり、シートベルトの立ち上がりのプラスチックカバーの割れを修理したり、エアーフィルターの清掃とその後の油のスプレーをしたり、キャブレタークリーナーでweberのダンドラIDFのクリーニングをしたり、と自分でできることはやっている。
今のキャブの状態は5年以上ノータッチで吹き上がりも始動も満足でいつも90点以上と思えるのだけれど、特に気温25℃以下の湿気のある日が一番良い状態に感じる。2速でも息をつくことなく一気に6000回転以上まで吹き上がる。何故か真夏や真冬の晴れた日はほんの少しのもたつき感があるのが何とも不思議なのだ。
先週はオイル交換で安い20W/50の鉱物油を入れたのだけど、その後丸山モリブデンを少量追加したらエンジン音は静かになり、回転も滑らかでちょっとモーターぽくなったのには再びビックリでした。
昨日のドライブは素晴らしかった。すべてが気持ちよかった。私は「旧車のノスタルジー」が好きでこの車に乗っているわけではない。それだけが目的なら、昔乗っていたロータリーエンジンのカペラや18RGのDOHCにSOLEXのツインキャブがついていたコロナ2000GTを探して出して乗っているのだと思う。私は今の私の「ドライビングの快感」を求めてこの車に乗っているのだ。主観的な個人のマスターベーションでこの車を選んでいるのだ。最近の車でこの車の「快感」に匹敵する車は今のところ経験がない。友人の女史の近頃の2種類の水冷911、2種類のフェラーリの助手席には乗ってみたけれど・・・
Alfasud 1.5 tiは・・・860kgの車重、水平対向(boxer)エンジン、weberのダンドラキャブ、etc・・・たまんないですよ・・・・
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下伊那や阿智村の満蒙開拓の当時のlocalな実情を知ることは大変意味のあることです。しかし、そこに思考がとどまっているのではなく、当時の日本国の状況、即ち旧憲法下の軍国主義・国家主義・植民地主義や経済的な閉塞状況等がどのようなものであったのかを想像・確認すると同時に、日中戦争・太平洋戦争で310万人もの犠牲者がでたという結果とその責任も想像・確認する必要があります。
大衆の多くは、明治維新以降のわずかな期間で植え付けられたその精神構造としての天皇制からくる「天皇に対する畏敬・崇拝」と、それ故受け入れざるを得ない「国家からの指示」=「国家主義による抑圧」、これらとは別に経済的な閉塞からくる「社会生活に於ける抒情的で個人的家族的地域的な野心」、それらを大衆は皆重層的に心に抱えその日その日を生きているわけです。その一つの典型として満蒙開拓があったのです。これらの事実をミクロ的に拾い、そしてマクロ的に理解する視点が必要と思うのです。
7年程前、今の上皇夫妻がこの満蒙開拓平和記念館を訪れ、生き残った開拓団員の話を聞かれ、歌を残されました。「戦の 終りし後の 難き日々を 面おだやかに 開拓者語る」という歌です。私個人はこの歌に二つほど違和感を感じました。
一つはそのよそよそしさです。
「終わりし後の難き日々」を語る生き残りの開拓者の表情が「面おだやか」であったという冷静で他人事のように観察した感想を記した歌だと理解ができます。しかし、ここ満蒙開拓平和記念館の展示は戦いの最中の出来事がメインのテーマです。終わりし後の 難き日々がテーマではないのです。その悲劇の戦い太平洋戦争・日中戦争の張本人(最大の責任者)は誰なのか?形式上・憲法上は昭和天皇ではないのか?それを知りながらこの悲劇に向き合うのではなく、戦いの後の引揚者のその後の忸怩がプライオリティーの上位なのか?さらにそれを他人事のように受け取るのか?そのような心理は現代の独裁者のプーチンやネタニヤフと通底しているではないか?満蒙開拓平和記念館はテーマとは違うナナメ上のこの歌をありがたさのあまり碑にまでして恥ずかしくはないのか?と言うような疑問を私が持つのも必然のことのように思います。
もう一つは開拓者の語りが「面おだやか」であったという事実です。
語った開拓者久保田さんは河野村(豊丘村河野)の開拓団の集団自決の生き残りであったということです。久保田さんは殺人者です。唯一の生き残りですからおそらく最も多くの村民を殺した殺人者です。4年前のブログで私はこう書いています。<<言っておくけれども、その語り部の方本人はもちろん一番多くの村民を殺した殺人者であり、本人も含めた殺人行為を自分なりに正当化・美化(誰も知らないのだから当然そうなるのは止むをえないが)し、それで生きているのを私は許せない。自らの殺人を語って生きる?そんなことが道義的にも許されるのか?自らの殺人というネタを「踊り」にして「おヒネリ」をもらうなどというのは前代未聞史上最低の男芸者ではないのか?>>久保田さんは当然懺悔の気持ちはあったのでしょうが、それを「面おだやか」に語れるということに私は病的な異常性を感じざるをえません。彼の語りはそれをする事でその罪を自意識の内部から疎外し解消しようとする行為であり確信犯として実行していたのではないでしょうか?(開拓当時の村長 胡桃沢盛さんは河野村で自殺しています)

満蒙開拓平和記念館は、天皇陛下の歌も生き残った久保田さんの語りも「美談」にしたいのでしょうか?「真実」は決して「美談」ではないでしょう。
先日リンゴ並木について書かせていただきましたが、当日天皇陛下が同時に見学した「リンゴ並木」も真実の「美談」ではなく、作られた虚偽の「美談」だと思っています。

飯田歴史研究所で「下伊那における満州」や「胡桃沢盛日記」等で勉強している私の個人の意見です。


ここまできて最高の指揮者フルトヴェングラーの名前が出てきていないのは不思議と思われる方もいると思います。そうです一番はフルトヴェングラーです。では私はフルトヴェングラーの何をチョイスしたのでしょうか?ベートーヴェンの3番?5番?9番?シューベルトのグレイト?皆大好きで最高だと思っていますが、私が選んだのは戦時中(1944年)のライブ録音のウェーバー「魔弾の射手序曲」です。我が店の店内で真っ先にブルートゥースを使って聴きたかったのはこの曲です。もう何十回も聴いていますがいつも鳥肌が立ちます。青松明のレコードは存在せずmelodiyaから1968年に最初のレコード出たのですが一連の戦時中のドイツのマグネトフォン録音の中でもあまり良い音とは言えません。音だけでいうならこの曲のは最後の年(1954年)の録音(モノラル)が一番良いように言われています。ただそれは戦後復職した後の演奏であり、丸山真男に言わせれば<伸びたうどん>です。
この戦時中(1944年)のライブ録音はあの時代のあの瞬間を見事に表している恐るべき演奏の録音です。


私もいい歳になりました。友人や同級生と比べると多すぎるバラバラの趣味と少々エキセントリックなキャラでここまでやってきました。冷静に見れば私の感受性も経験値も大したことはありません。もっと凄い方はいくらでもいます。ただこれからはここまでやっとのことでたどり着いた私の「今」を淡々と表現していくことにしていきます。
・銀塩写真・ライカのこと
・車・アルファロメオのこと
・オーディオ・クラシック音楽のこと
・何回も行ったスペイン・ヨーロッパのこと
・良いと思った文学(吉本隆明・堀田善衛)のこと
・飯田市歴史研究所での思想史のこと

それではまた徐々に書いていきます。

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 私の店でも長い間タンノイのレクタンギュラーヨーク(HPD)や真空管アンプで音楽が聴くことができるようにしてあったのだけれど、この頃youtube musicにはまり、ブルートゥースで聴くことができるようにしようと考えた。アンプやスピーカーはそのままでも良かったのだけれど、この際私の現像した写真も飾りたくて全体にスッキリさせたかったのでアンプも内蔵したEDIFIREの小型スピーカーにすることにした。
音そのものは小型スピーカーなので問題はあるけど、ここで手軽に好きな楽曲をいつでも聴くことができるので文句はない。
それでこのシステムを早速鳴らすためにipadのyoutube musicのライブラリに今どうしても聴きたい曲を順番に集めるようにした。その順番をこれから書いていくけれども、演奏のレベルや評価も重要だけれど選択は「今現在聴きたくてどうしようもない」というその時の感覚を結果的に順番することとなった。この順番は恥ずかしい話が、<これは私自身の音楽の聴き方の浅さ・薄っぺらさ>の証左に他ならないかもしれない。
 一番はさておき二番から書くが、二番はイダ・ヘンデルのモスクワでのモノラル録音コレルリの「ラ・フォーリア」、このレコードは高価なmelodiyaの青松明レコードを持っているけれどyoutube musicにある音もレコードの音に結構近く、感動するには十分な音だと思いました。
 三番は有名なグレン・グールドのバッハ・ゴールドベルグ変奏曲、モノラルとステレオ、2回録音しているけど後のステレオ録音の方です。精神のピュアさからいって好みは逆の方もいると思いますが、まあこちらにしておきました。
 四番はブラームスのバイオリン・コンチェルト、ジネット・ヌヴーのイッセルシュテット指揮の録音です。ドブロウエン指揮の演奏と比べると断然集中力も緊張感もこちらの方が上です。オリジナルはSPレコードしかない1940年代の録音ですが、音質はともかく演奏は素晴らしすぎる・・・。
 五番目はまたしてもグレン・グールド、ベートーヴェンのピアノ・コンチェルト5番「皇帝」指揮はストコフスキーです。この第二楽章のグールドは繊細で私の心のヒダを撫でてくれ、そして私を天国に連れて行ってくれる、そんな気がする名演です。バーンスタインとのレコードもあるようですが、聴いてもいないし聴きたくもない。私はバーンスタインもカラヤンも大嫌いです。この二人は時代に合わせて「真の芸術」を「サブカル・エンタメ」に変えてしまったその主犯だと思うからです。この二人の自称弟子を名乗るあの日本人のO指揮者も嫌いです。30年近く前、この田舎に名チェリスト ロストロ ポービッチと一緒に来たのは良い思い出ですけど・・・・。
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次回の歴研ニュースで私が参加している 思想史ワークショップの内容を紹介する文章を書くように言われました。
以下の紹介文にする予定です。

思想史ワークショップでは引き続き「日本近代文学評論選」についての読み合わせを行っています。戦前から戦争直後までの文学者の書いた評論の文章を集めた岩波書店の本です。
戦前から戦争直後の歴史に於いて小説家をはじめインテリの人々の思想はどのようなものであったのか?という興味は、史実の確認と解釈という一般の歴史の勉強方法とは違い、その時代の文学者一人一人の自意識の在り様という観念の世界への想像的な理解を必要とします。その過程で知識人の「近代的な個の確立」と「その個が持っている日本ならではの精神構造としての天皇制の容認と服従」、このアンビバレントをどのように消化しアウフヘーベンしようとしてきたのかを見ていくことが我々の目的だと思っています。
知識人でありながら、国家主義に傾倒しているのが明らかな人、スターリニズム(マルクシズム)をお経のように唱えている人、そしてその困難な止揚の道を探し続けている人、それらを見極めることが重要だと思います。
一方、大衆の多くは、明治維新以降のわずかな期間で植え付けられたその精神構造としての天皇制からくる「天皇に対する畏敬・崇拝」とそれ故受け入れざるを得ない「国家主義による抑圧」、これらとは別に「社会生活に於ける抒情的で個人的家族的地域的な野心」、それらを大衆は皆重層的に心に抱えその日その日を生きているわけです。
これらの事実をすべてミクロ的に拾い、そしてマクロ的に理解する視点が必要と考え私は思想史ワークショップに参加しています。

某村副村長のS君の進行で概ね各委員会の中身が煮詰まってきて良かったと思います。
それでも気になったことがあったので正直に書きます。これから書くことは個人の生々しい意見ですのでこのブログにアップすることは良い事かどうかはわかりません。私を「態度がでかい」「口が悪い」と思っておられる方も当然いると理解しています。そのような方はこれからの文章をスルーでお願いします。

実行委員会の式典部会のK君(と言っておこう)が、乾杯の後のアトラクションでサックスとバイオリンの生演奏を提案しました。その演奏者はM君が言うには素晴らしいプロの演奏家だそうです。
当たり前に想像できるように乾杯の後は50年ぶりの同級生も含めてアチコチで会話が弾み、ザワザワしてるわけです。そのような場でプロの演奏家に生で演奏していただくのは非常識に決まっています。そして皆が敬意をもって真剣に聴くことになると結果的に50年ぶりの会話や雑談の時間が少なくなってしまいます。(因みに友人のMさんはそういう雑談の場であるのは明白なのだからスピーカーから小音量のBGMが流れているだけでいいじゃないと言っていました)
演奏家は真剣に情熱的に演奏することで生きています。それなのに飲食中の雑談の花が咲いている中でBGM的に演奏させるのは全く失礼な話です。演奏家の表現の仕方やその気持ちを考えることができない情けない考え方、恥ずべき提案です。

K君はもう一つのアトラクションで(私の盟友)島岡君にギターの演奏を頼めばいいや・・・と軽々しく言っていたけど、冗談じゃない!去年の同窓会総会で余興的に島岡君に歌ってもらい、島岡君と一緒にステージに上がった私もその雰囲気、状況にちょっとイヤな思いをしたのだ。その時そこにいたオマエはあの雰囲気、状況に何も感じなかったのか?島岡君だってギターを持ったら自ら精一杯情熱を込めて歌を唄うのだ。また今回も乾杯の後の飲酒・雑談中にBGM的に歌ってもらおうって平気で提案するなんて・・・。
歌う側の立場になって考えることができないのか?オマエは何てアホなんだ!

このように相手の立場になって物事や心情を理解することができないK君は、当然のことながら観念も形而上の世界も全く理解できなく、文学や芸術とは無縁だと言わざるをえません。文学では間違いなく、例えば芥川も太宰も読み込んで感動などできないはずです。
K君はソコソコ官僚的なキャリアがある「社会人合格」であっても、他人の心や熱情を理解できぬ「人間失格」と言っていいと思います。

この人のこの考え方が50周年という式典においてはダメだというのは私の譲れないラインです。どうしてもこれをやるということが決定したなら、私は個人として実行委員の立場も降ろさせていただき、そうはならないと思いますが50周年式典も参加しないかもしれません。
私には実行委員会にこそは参加していない20人近い同学年の仲間「連れ」がいます。皆に正直に今回のこのことを話します。
そして、強要などはもちろんするつもりはありませんが・・・
友人達はそれぞれ各自が卒業50周年式典の出欠を判断することになるでしょう。

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正面の真ん中にピカソの「ゲルニカ」を持ってきました。イスラエルのあのキチガイヤローのネタニヤフのガザへの爆撃をニュースでたびたび見ます。
90年近く前、スペインのゲルニカで起きたことと同じなのです。許せない・・・
他にピカソの「ゲルニカ」で私が連想してしまうのは、ガリシア地方のスペイン内戦初期を描いた映画「蝶の舌」、ジョージ・オーウェルの「カタロニア賛歌」、スペイン共産党女性党首ドロレス・イバルリがフランコ軍に対して絶叫した言葉「NO PASARAN」です。
本物の「ゲルニカ」はマドリーで2回見ていますが,、メチャクチャ大きい絵で2回とも両側に機関銃を持った警備(警察)がいました。
これで正面には左上からベートーヴェンのハイリゲンシュタットの遺書、ガウディーのサグラダ・ファミーリア、フルトヴェングラーの小さな写真、そしてゲルニカです。
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レコードプレーヤーのトーレンス101リミテッドの上に照明を付けました。
目が悪くなってきているのでレコードの文字をよく見るためです。
足元にも1帖のホットカーペットを置きましたのでこれからの真冬でも音楽をゆったり聴くことができると思っています。
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