2005年01月05日

・アジア各国から見た太平洋戦争2(インドネシア)

引き続きインドネシアから見た太平洋戦争を紹介します

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・インドネシア
「日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。第一に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた。第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。第三に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた。…」
 インドネシア中学3年用歴史教科書
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 日本軍のインドネシア攻略は1942年1月に始まり、3月9日には早くもオランダ軍を全面降伏させました。
これはインドネシアの人々にとっては驚異でした。インドネシアを300年にわたって支配したオランダが、たった1週間で降参させたからです。
 日本軍はクディリ王国(東ジャワ)のジョヨボヨ王(13世紀初め)が残した予言、「北から黄色い人間がやってきて、白い人間を追い払い、しばらくの間支配しその後幸福な時代が始まる」を思い起こさせ、人々は日本軍を紅白旗(国旗)と国歌の大合唱で迎えたのです。

 日本の占領統治は3年5ヶ月に過ぎませんが、日本の統治がインドネシアの社会に与えた影響は大きなものでした。

 日本軍はさっそくスカルノやハッタらを解放し、将来の独立の約束と引き替えに日本軍政への協力を取り付けました。
 「オランダ領東インド」という国名を待望の「インドネシア」に、「バタヴィア」は「ジャカルタ」に改称しました。
 また、オランダ人の代わりにインドネシア人を役所や企業でかなり高い地位につけたので、彼らの社会進出が飛躍的に進みました。
 さらに、公用語をオランダ語からインドネシア語に改めたことは、インドネシアに誇りと自信を取り戻させました。
 その一方、「隣組」「警防団」など様々な団体が作られ、統制の訓練が行われたことは、オランダの分割統治によって消えていた組織原理をインドネシアに人に覚えさせ、刺激を与えました。さらに重要なのは、オランダが決して行わなかった軍事教練も開始したことです。最初は日本軍内の補助兵力「兵補」が養成され、のちにこれは日本敗戦後のオランダとの独立戦争の時の大きな力となったのです。
 このように、日本軍政下のインドネシアでは、後の独立に繋がる大きな力が養われました。

 また、日本の敗戦後、インドネシアに残った約2000人の日本兵がインドネシア人と共にオランダと戦い、1000人が戦死しています。その後インドネシアは勝利し、1949年、念願の独立を手にします。そしてこの1000人の日本兵は、インドネシアの国営英雄墓地に埋葬されており、その中の数名は独立名誉勲章を授与されています。
 こういう経緯があり、インドネシアの独立記念日に国旗を掲揚する際には、二人の男女と日本軍服を着た人の3人で国旗を掲揚するという習慣ができています。そして独立記念塔に奉納されている独立宣言書に記載されている年月は「05年8月17日」 独立に多大な貢献をした日本に敬意を払い、西暦ではなく、「日本皇紀」を使用しているのです。(皇紀2605年)

そして最後に戦後賠償の交渉に当たった国会議長のアルジ=カルタウイナタ氏の言葉を
「独立のお祝いというつもりで賠償金をください。日本が悪いことをしたから賠償をしろというのでありません」

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インドネシアでは今回の津波で恐ろしいほどの被害が出ているといいます。被害にあわれた方には心からお見舞い申し上げます。
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参考書籍
世界から見た大東亜戦争
名越 二荒之助


アジアに生きる大東亜戦争
ASEANセンター



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1. インドネシア、戦後60年目の『独立』  [ 私の「認識台湾」 ]   2005年08月20日 22:27
「日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産で...

この記事へのコメント

1. Posted by Hiro-san   2005年01月12日 05:50
■仕掛けられた「従軍慰安婦」問題に対するインドネシアの毅然とした対応

国際派日本人養成講座 「従軍慰安婦」問題(下) 平成11.10.02  より抜粋
(http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.html)
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 日韓関係と同様、インドネシアとの間でも、慰安婦問題が焚き
つけられた。平成5年に高木健一氏(金学順さんらの日本政府に
対する訴訟の主任)ら、日本の弁護士3人がインドネシアにやっ
てきて、地元紙に「補償のために日本からやってきた。元慰安婦
は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出した。

 兵補協会のラハルジョ会長は、「補償要求のやり方は、東京の
高木健一弁護士の指示を受け」、慰安婦登録を始めた。会長は取
材した中嶋慎三郎ASEANセンター代表に対して、「慰安婦に2百
万円払え」と怒号したというから、名乗りでれば、2百万円もら
えると宣伝している模様であった、と言う。

 インドネシアでの2百万円とは、日本なら2億円にも相当する
金額なので、大騒ぎとなり、2万2千人もが元慰安婦として名乗
りをあげた。ちなみに、当時ジャワにいた日本兵は2万余である。

 この様子を報道した中京テレビ製作のドキュメンタリー「IA
NFU(慰安婦)インドネシアの場合には」に、英字紙「インド
ネシア・タイムス」のジャマル・アリ会長は次のように語った。

『ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦
がいたというのか。どうしてインドネシアのよいところを映さ
ない。こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。我々に
は、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。
「お金をくれ」などとは、360年間、わが国を支配したオラ
ンダにだって要求しない。』

(中略)

 スエノ社会大臣が、すぐにマスコミ関係者を集め、次の見解を
明らかにした。

1) インドネシア政府は、この問題で補償を要求したことはな
い。
2) しかし日本政府(村山首相)が元慰安婦にお詫びをしてお
金を払いたいというので、いただくが、元慰安婦個人には
渡さず、女性の福祉や保健事業のために使う。
3) 日本との補償問題は、1958年の協定により、完結している。

 インドネシア政府の毅然たる姿勢で、高木弁護士らのたくらみ
は頓挫した。
2. Posted by lancer1   2005年01月12日 08:41
>Hiro-san
 村山元首相の民間基金による保障問題ですね。このような話があったのは知りませんでした。紹介ありがとうございます。日本の情けない行動に対してこのインドネシアの毅然たる態度には頭が下がります。
 しかし村山氏や、この高木弁護士みたいな人がまだまだ日本に多数いるのが憂うべき事実ですね。
 この高木弁護士という人について調べていたら、この人の著作について批判しているサイトを見つけましたので紹介させて頂きます。先日韓国への賠償問題でも出ていた個人への保障問題にも触れているみたいです。
http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/E/E28.htm
3. Posted by kakepon   2005年01月22日 02:46
今日はじめてこのブログに来た者です。
すばらしいですね。毎日読むことにしました!

> インドネシアの独立記念日に国旗を掲揚する際には、二人の男女と日本軍服を着た人の3人で国旗を掲揚するという習慣ができています。

読んでいて涙が出そうになりました。
NHKもそろそろ朝日と内ゲバやってないで、こういう話をプロジェクトXで取り上げてくれないでしょうか?
不払いも減るかも!?
4. Posted by lancer1   2005年01月22日 13:13
>kakeponさん
 応援ありがとうございます。
こういうことをマスコミがどんどん報道してくれれば日本も変わってくるのですがね・・・反日マスコミの代表格であるNHKは絶対にしないでしょうね。
5. Posted by 兜木 励悟   2005年02月10日 17:24
 インドネシアは一度行ってみたい地です。
 韓国も中国も、一般民衆は必ずしも反日ではないようです。
そうでなければ韓国人がぞろぞろ留学してはこないでしょう
し、中国では食事の後で人民元が足りない事に気付いて「手
数料や手間もかかるだろうから100ドルか一万日元(日本
円)を貰ってくれと筆談したら、「うちはぼったくりじゃな
い。日本人のあなたはわざとやった訳じゃないから今日はタ
ダでいいよ」と返答された物です。爆撃があったため反日的
と言われる重慶人のお店での事でした。
6. Posted by lancer1   2005年02月12日 00:46
>兜木 励悟さん
 コメントありがとうございます。
中国、韓国はその歴史教育、国策などから、間違いなく反日です。これは疑いようのない事実です。 しかしながら、おっしゃるとおり一般民衆全てがそうであるとは私も思っていません。私も中国を三週間ばかり旅したことがありますが、私が日本人と知りながら、信じられないくらい親切にしてくれた人にも出会いました。
7. Posted by 笹団子   2005年08月19日 01:01
>lancer1様

今晩10時のNHKのニュースで戦後に帰還せずにインドネシアで独立戦争をともに戦った残留日本兵の話が紹介されていましたよ。
あと、残留日本兵の会、インドネシア福祉友の会の理事長もインタビューされたました。

インドネシア福祉友の会
http://www.ywp-jp.org/
8. Posted by 笹団子   2005年08月19日 01:03
訂正です。

今晩→×
昨夜→○

インタビューされたました。→×
インタビューされてました。→○
9. Posted by 染井   2005年08月19日 07:45
インドネシア人の毅然たる態度には思わず涙が出てしまいました。
 いつもいい記事が載っているので欠かさず見ています。頑張ってください。アジアの真実さんへ
10. Posted by 千恵   2005年09月23日 14:02
太平洋戦争後、アメリカに従った日本についての資料を探しています。いいサイトはありませんか?
11. Posted by 真理香   2005年09月23日 14:07
太平洋戦争後、アメリカに従った日本についての資料をさがしています。いいサイトを知っていたら教えて下さい。おねがいします。日本はアメリカに何を禁じられたかなどの資料です。
12. Posted by lancer1   2005年09月23日 14:25
>真理香さん
 http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/50045242.html
ここで紹介している、「抹殺された大東亜戦争」という本にGHQによって行われた検閲の内容等が掲載されており、参考になると思います。
13. Posted by 真理香   2005年09月23日 15:41
お返事ありがとうございました!!早速サイト見ました。新聞にどんな言葉を載せることを禁じられたのか、もう少し詳しく知りたいのですが・・・。例えば、天皇と言う言葉を載せてはいけなかったとか・・・。他に良いサイトはありますか?いろいろ頼んでしまい、申し訳ありません。。。
14. Posted by 真理香   2005年09月23日 15:53
お返事ありがとうございます!!早速サイト見ました。どんな言葉を新聞などに載せてはいけなかったのか、もう少し詳しく知りたいのですが・・・。他にいいサイトはありますか?例えば、「憲法」という言葉を載せてはいけなかったとか・・。いろいろ頼んで申し訳ありません。。。
15. Posted by lancer1   2005年09月23日 16:51
>真理香さん
 ご希望の内容は先ほどの記事で紹介している本に載っています。購入されて読んでみては如何でしょうか?

この本です↓

抹殺された大東亜戦争―米軍占領下の検閲が歪めたもの
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4944219377/aoiumi-22/ref=nosim/
16. Posted by 真理香ヽ(・ω・)ノ   2005年09月23日 17:32
紊離汽ぅ箸魍いてみました。社会のレポート提出日が間近なもので…(汗)だから本は読めないです(;´Λ`)いろいろ迷惑かけて、本当にごめんなさい!!今、社会専門の先生にメールしました(●´∀`●)
17. Posted by 真理香(*´∀`*)ノ   2005年09月24日 23:48
真理香ですッ(●・∀・)ノやっとレポートが作成できそうです!!!!お手数かけました。。。いろいろと本当にありがとうございました(*^∀^*)
18. Posted by S.N.   2006年06月16日 22:04
この映画は見ていませんが、日本兵が戦死したインドネシア独立戦争を描いた映画である「ムルデカ」はインドネシア陸軍全面協力のもとで作られたそうです。
おぼろげな記憶から書き起こします。(DVDの箱から)
1945年8月15日。日本は平和国家として新たなスタートに立とうとしていた。しかしその一方では、遥か南洋に歩兵銃を手に現地人と運命を共に使用としていた日本兵たちがいた。舞台は独立の気運が沸き上がる終戦直後のインドネシア。・・・・・・・。
このインドネシア独立戦争で80万人が命を落としたそうです。日本兵は2000人のうち800人が戦死したそうです。また、話は変わりますが、PETAの教官としてスパルタ式訓練を実施した柳川大尉は、戦後帰国してから、再びインドネシアに来て飲食店を経営していたそうですが、最後はインドネシアで生涯を全うしたということです。
19. Posted by 田中頼明   2011年03月25日 19:41
私は48才の時、ジャカルタのある合弁会社にプレス金型指導で3ケ月間赴任していました。終戦は小3のときなのに、あの時、インドネシアに派兵された日本軍の密林での戦闘がまぶたに浮かびました。現地妻にと紹介された女性は多少日本語が理解できて言葉を知らない私はとても助かりました。年末に出身地スラバヤに現地人専用夜行列車で訪ねました。ポロブドールなど観光地を案内していただき、良い思い出になっています。戦後のインドネシアはどうだったのかと調べ、小説に書きたいと資料集めであなたの文章に出会いました。とても参考になり、感謝申し上げます。今後ともお教えくださいますよう、よろしくお願いいたします。
20. Posted by cheap football shirts   2011年10月27日 12:40
購読して二度と取らないと決意させられました
21. Posted by купить аэрогриль   2011年12月26日 05:53
サイト上のユーザからのフィードバックでスーパースクリーン
22. Posted by さち   2016年04月27日 07:07
かってのアメリカも最近惨めだね。日本が居ないと生きられない。

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