2005年03月27日

・知られざる北方領土の戦い 〜北海道を守った人々〜

最近は韓国の話題がずっと続いたので今日はちょっと話題を変えて。北方領土の話です。北方領土のソ連軍占領の裏には、我々の教えられない歴史があります。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
終戦後の日ソ激戦より引用

■1.北海道北半分をソ連に■

1945(昭和20)年8月16日、終戦の日の翌日、スターリンは米大統領トルーマンに対して、釧路市と留萌市を結ぶ線以北の北海道の北半分に対して、ソ連側の占領を認めるよう要求を送った。

同年2月11日に、米英ソの指導者が結んだヤルタ協定では、樺太の南半分と千島列島がソ連に引き渡されるよう決められていたが、これをさらに北海道北半分にまで拡げよというのがスターリンの新たな要求だった。樺太、千島列島、北海道北半分をソ連圏内に収めてしまえば、オホーツク海はソ連の内海となり、太平洋への出口も自由になる。

このスターリンの野望により、終戦後も激しい日ソ間の戦いが樺太と千島で展開されることになった。


■6.さようなら、これが最後です。■

この時の悲話の一つとして伝えられているのが、真岡電話局に残って、通信維持の使命に殉じた9人の乙女たちである。9人は引き揚げの指示を断って、ソ連軍の砲撃開始後一時間半に渡って、市街の惨状を報告し続けた。今も詩吟「氷雪の門」で伝えられる最後の放送は次のようであった。

内地の皆さん、稚内電話局のお友だちに申し上げます。只今ソ連軍がわが真岡電話局に侵入いたしました。これが樺太から日本に送る最後の通話となるでありましょう。私たち9人は最後まで、この交換台を守りました。そして間もなく、9人そろってあの世に旅立ちます。

ソ連軍が近づいております。足音が近づいております。稚内の皆さん、さようなら、これが最後です。内地の皆さん、さようなら、さようなら、、、

9人の乙女は青酸カリを飲んで自決した。戦後建てられた稚内市の「乙女の碑」を昭和43年に訪れられた昭和天皇と香淳皇后は深く頭を垂れて、冥福を祈られ、次の御製、お歌を残された。

樺太に命をすてしをたやめの心を思えばむねせまりくる
からふとに露と消えたる乙女らの御霊安かれとただいのるぬる


■10.終戦後の戦死者と民間人犠牲者■

 樺太および、千島の戦いでは、日本軍将兵約3千名、民間人約3700名の命が奪われた。このほとんど が8月15日の終戦以降のソ連軍侵攻によるものである。さらに捕虜にされた樺太約1万8千名、千島約5万名の日本軍将兵は本土に帰ると騙されて、シベリアなどに送られた。

 スターリンは14日の時点では捕虜のソ連領移送は行わないと言っていたのだが、北海道占領を断念したとトルーマンに回答した21日の翌日、日本軍捕虜50万人のシベリア移送の極秘命令を出している。ロシアの研究者の多くが、これは北海道占領断念の代償だったとしている。

 もし、樺太、千島での日本軍の頑強な抵抗がなければ、北海道北部はソ連に占領されていた可能性がある。そうであれば満州や樺太で起きた民間人虐殺が北海道でも繰り返されただろう。

 そして、北海道北部は北朝鮮や東ドイツのように共産主義独裁政権が支配していたであろう。 樺太と千島の防衛に一命を捧げた日本軍将兵3700人と、その後のシベリア抑留に苦しんだ約7万の将兵に心からの追悼と感謝を意を捧げたい。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで

 ソ連軍は戦後北海道の占領まで計画し、終戦8月15日以降になって北方領土へ攻撃をしてきたのです。そこで勇敢に防衛をしてくれた日本軍と民間人の皆様。彼らのおかげで北海道は守られたのかもしれません。
 私も心からの追悼と感謝の意を捧げたいと思います。英霊の皆様、安らかにお眠り下さい。

 そして不当に奪われた土地が一日も早く祖国に戻ることを祈っています。その時期が来れば、今度は我々が出来る限りの努力をしようではありませんか。

参考書籍:
「北方領土」上陸記
上坂 冬子




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この記事へのコメント

1. Posted by puhaha   2005年03月27日 00:40
このような勇者により今の日本が作られたのです。
このような勇者を歴史から抹殺しようとする者と戦うのも
今に生きてる私たちの責務では
2. Posted by すかー   2005年03月27日 00:51
これまでは北方四島が無くても別に困らないとおもっていました。
でも北海道が未だにソ連領だったらどうか?
俺は領土を回復したいと思います。
領土の広い狭いだけで区別してよいのでしょうか。
いつか北方領土も返還されることを祈ります。

ただ、我が国全体の国益に適う形であればなんらかの取引があってもよいとは思います。
3. Posted by 一虎   2005年03月27日 00:52
>1946(昭和20)年8月16日、終戦の日の翌日、
1945年の入力ミスですよね。

子供への歴史教育は、こういう話をまず初めに教えるべきですね。
それによって、子供達の大人やお年寄りに対する意識も変わってくるでしょう。



4. Posted by 日本を愛する一人   2005年03月27日 01:02
今日は涙が出ました。このような戦争が終わっているのにスターリンと言う人間の皮を被った鬼のようで許せないです。知覧から飛び立った若い兵士といい本当に日本の為に尊い命を捧げたのですね。このような今の平和の日本しか知らない子ども達に、ぜひともこの話をしてあげたいですね。私は今年もまた追悼と感謝を捧げる為に靖国神社へ行きたいと思います。
5. Posted by ネコ七   2005年03月27日 01:11
私の祖父は千島列島の北東端 占守島で、上陸しようとしたソ連軍と交戦。その後シベリアへ抑留されいろいろありましたが無事に帰国しました。
以前はあまりそのことについて触れたがらない様子でしたが、最近妙に饒舌になりソ連軍と戦ったときのこと、抑留体験などさまざまなことを話してくれます。祖父はすでに80歳を越え今話さなければ自分の体験が失われてしまうという気持ちがあるのかもしれません・・・
6. Posted by 枇杷   2005年03月27日 01:46
ネコ七さま>
私の祖父は旧満州国で終戦を迎え、シベリア抑留をされました。
抑留中はひどい扱いを受け、自殺のために脱走したところを本当に親切なロシアのおばあさんに助けてもらったんだそうです。
辛いことは誰も言いたがらない。私がそれを詳細に知ったのは、祖母が老人性痴呆になり、私を自分の母親と認識してしまい…泣きながら話したのです。ボケ老人の戯言と思いつつ、あまりに話が具体的なので、メモって親族に確かめたところ事実と確認できました。呆けるまで何も言わなかった、今は亡き祖母の苦衷を思うと…なぜそういった先人をいたわり、敬意をはらってくれないのかと反日日本人に言いたくなります。
7. Posted by lancer1   2005年03月27日 01:48
>一虎さん
 ご指摘ありがとうございます。本文修正しました。

>puhahaさん
>日本を愛する一人さん
>すかーさん
>ネコ七さん
>枇杷さん
 その通りですね。こういった話を知る日本人は少ないでしょう。教科書に載ることもありません。太平洋戦争は確かに全てが正しい戦争ではなかったのかもしれません。しかし、こういった祖国を守る為に散っていった人々までも歴史から抹殺するのはいいことだと思いません。韓国の教科書のように思想統一を図る題材に使えとは言いません。日本の歴史の片隅にでも永遠に残して欲しいと切に願います。
8. Posted by 記憶   2005年03月27日 02:11
こういった記事を読むと、自分達の国の領土がいかに大切なのかが分かりますね。
まさか列島だけではなく北海道本土までが危険に晒されていたとは・・・。
9. Posted by 千一   2005年03月27日 03:03
感動しました。
竹島も小島とは言え大事な日本の領土ですね。私の領土に対する考え方は浅かったかも知れません。今年は靖国へ行こうと思います。
10. Posted by 七誌   2005年03月27日 04:04
映画「氷雪の門」をちゃんとテレビか何かで放映汁
11. Posted by ぽてとぱい   2005年03月27日 05:42
 こういっちゃなんですが
北方4島が防御の為の従深として、効果的に機能した
という事の証拠でもありますね。故に、4島を失った戦後は
、ソ連の北海道上陸という影におびえながら暮らさねばなら
なくなったわけです。海を挟んですら、冷戦中、あれほどの
脅威を感じねばならなかった。

 今、日本と、その敵性国家の間に韓国が盾として存在する
訳ですが、どうやら陣営を鞍替えする可能性が出てきました。
日本の対応がどうというより、かの国の国民性や、構造的な
欠陥による自爆というか、金の切れ目が縁の切れ目というか、
何ともあれな訳ですが。(つづく)

12. Posted by ぽてとぱい   2005年03月27日 05:44
 で、仮に韓国が赤化統一なりしちゃったときに、日本が気を
つけないといけない事は、北海道方面と、九州方面を同時に問
題化させない事かと。逆に言えば相手はそれを狙ってロシアと
画策してくる可能性がある。

 なんか非常に皮肉な結論なんですが、ロシアとはかなり親密な
関係になっておいた方がいいような気がします。今日の家主様の
テーマに相反する結論になりそうなのですが、北方領土は二島返
還で妥結するのが吉じゃないかなぁ。2正面どころか尖閣諸島を
考えれば3正面を抱え込む程、日本に余裕はないですよ。

13. Posted by あつかん   2005年03月27日 07:45
 樺太からの引き揚げ船は小樽に向かう途中、留萌沖で国籍不明の潜水艦に攻撃を受けています。第2新興丸は、辛くも留萌へ帰港、泰東丸沈没、小笠原丸沈没。
 船が沈没し、助けを求める人々に対して、潜水艦は浮上し、さらに機銃掃射で惨殺しまくったと言います。終戦直後の混乱時とはいえ、全く人道上許されることではありません。当該潜水艦は、ソ連であることに間違いないようです。
http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~museum/19450822ogasawara/ogasawara.htm
http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~museum/19450822taitou/taitou.htm
http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~museum/19460000dai2sinkou/dai2sinkou.htm
14. Posted by かん   2005年03月27日 10:00
私の知識は池上司「八月十五日の開戦」を読んだ程度でした。でもあの小説では民間人の犠牲にまでは詳しく触れていなかったので、こういった悲劇ははじめて耳にしまして、胸に迫るものがあります。
日本という国はつくづく、ろくでもない国に囲まれているのだなと実感しますね。
15. Posted by ぽちょむきん   2005年03月27日 10:16
『激動の樺太より生きて祖国に帰還して』
(著者:飯田和夫 出版社:鳥影社 1,575円)
著者の体験による、樺太での日本人の生活、終戦直後のソ連占領下の生活、帰国までの苦労などが読みやすく綴られています。写真も多数。おすすめです。
16. Posted by mhotoo   2005年03月27日 10:26
中ソは「竹島」の動向を注意深く見ていると思います。例えばここで、国際舞台に「竹島」を引き擦り出せば、日本領になる公算は大きいと思います。
ただし、このまま実効支配(不法占拠)を続けさせれば、「中」は教科書とセットで尖閣の話を拡声器を使って騒ぎ出すでしょう。
「ソ」は東京宣言何処吹く風で、知らぬ存ぜぬ、援助はしろと言って来るでしょう。
17. Posted by mhotoo   2005年03月27日 10:27
先般の「中」へ五輪まで援助で切り札を1つ使いましたが、経済・「観光」のカードを使えば、竹島は簡単に戻せると思います。それは「中」「ソ」とって、日本との付き合いを、考え直すよい機会になると思います。 大統領が思い切った事を言ってくれました。それを受けて、「冷静な対応」は認めた事になります。過去にチャンスはあったが、冷静に先送りした結果が今の状況です。
9人の乙女のレリーフ?像に関して、確かに納得できない点が多くあります。
南樺太が白なっている、世界地図が存在しますが、その意味を私は尊重したいと思います。
   無論その為に、「かに」・「タラコ」を暫らく我慢する事は覚悟します。
18. Posted by とおりすがり   2005年03月27日 11:03
このような記事があります。

ひと:アレクサンドル・チェチューリンさん=北方四島返還を求める市民運動家
http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2005/03/19/20050319ddm002070068000c.html
19. Posted by kits   2005年03月27日 13:46
こんなことがあったなんて知りませんでした。
私の祖父も終戦後にソ連兵に殺されそうになったのですが、それは日本兵の祖父とソ連兵の個人的なトラブルかと思っていました。祖父は10年以上も前に亡くなりましたが、生前、その時のことを酔った時に語るくらいで、私は「また年寄りの昔話が始まった」としか思えず、真面目に聞きませんでした。今日、こちらのエントリを読ませていただき、当時の日本の状況も祖父たちの苦労も何も知らずに祖父の話を安易に聞き流していた自分が情けなくて涙が出ました。
20. Posted by たつ   2005年03月27日 15:09
こんなに素晴らしい話を紹介してくれて有難うございます。
でもこういう話を教科書で教えない今の日本の現状に呆れ果てます。

うちの祖父も終戦のあとの部隊解散後、ソ連軍の捕虜になり、掖河の原隊兵舎という所で、飢饉と極寒の中、過酷な重労働を強いられたと言っていました。
でも恨みがましく言ったり、ソ連を罵ったりはしませんでした。

今度、戦時中の事など、ゆっくり話を聞いてみようと思います。
21. Posted by ダイワ   2005年03月27日 16:36
>mhotooさん
NHKなんかはテレビで言うときには「サハリン」としか呼称しません。
領土問題として存在している事を知らせるためにも「樺太」と言って欲しい。
22. Posted by wowow   2005年03月27日 17:58
我々の先輩方に顔向けが出来ませんね。このままでは。

といって私に出来ることは細々とくだらないブログを続けることだけなのですが…
23. Posted by ぽてとぱい   2005年03月27日 20:57
 佐藤大輔の征途の元ネタだなぁという感想が先に立つ私はオタクです^^;。脇ネタ失礼。
 北方領土返還となると、現在住んでる人たちを追い出す事になる可能性が高いわけですが、それって日本人のメンタリティと、あいいれない事なんですよね。なんというか、入植を許してから、少々時がたちすぎた気がするわけです。2000年前?の事を持ち出して、パレスティナの人々をおいだしたイスラエル程の悪行には及ばないものの、大きな摩擦がおきそうに思います。北方領土返還を求める人たちって、どういう形を希望してるんでしょうね?
 当事者の感情をまったく無視していうならば、シベリアだか、サハリンだかの石油100年分を代金に北方2島(4じゃないよ)をうっぱらっちまったほうがいっそすっきりせんだろうか?油代で当時の島民の経済的補償も行えばいいし。・・・暴論かな?   
24. Posted by 初めて   2005年03月27日 23:33
日本人の多くは、八月十五日をもって降伏したという錯覚を起こてしまった。
このため、九月二日までの「空白の十八日」が生じた。
この間には、多くの深刻な事態が引き起こされたが、
その最大の事件は、ソ連による千島列島の占領であろう。
(途中略)
ポツダム宣言受諾から降伏文書署名までの "誤解"に基づく
日本側の無為無策ぶりを、ソ連は巧妙に利用した。
すなわち八月十五日以降もソ連は戦争が未だ終結していないとの
認識の下に、南樺太、千島列島に侵攻し続けた。
"北方領土の悲劇"は、このとき起き、未だに日露間外交上の
重要課題として存在している。

日本人はなぜ終戦の日付をまちがえたのか 色摩力夫 默出版
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4900682535/qid=1111932701/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/250-1134954-6141033

ぜひ一度お読みください。





25. Posted by 解封印種人   2005年03月28日 00:01
はじめまして。自分も昭和43年、夏の酪農バイトで北海道に「北帰行」し、受け入れ先のビート畑で地震に遭遇し、帰途の列車内で海岸沿いの台風を受けて、どうにか青函連絡船で[内地]にたどり着きました。最近でも年賀のやり取りしています。当時、牧場一家に見送られ、近場だったので納沙布岬から望遠鏡を覗いたのを、記憶してます。でも、未だ{北方領土の火}は消えてません。その同じ年に昭和天皇と香淳皇后が『氷雪の門』を行幸されたのですね。先年ネットで、稚内大火の前あたりから、[エマオ福音伝道所]があるのを知り、とても気が楽になりました。
26. Posted by mhotoo   2005年03月28日 00:53
少々古い話ですが、日本人が世界地図に残した、地名に「間宮海峡」林蔵さん命名、
「大和雪原」白瀬 矗さん命名があります。特に間宮さん抜きにして、ロシア領であっても
樺太の歴史は語る事は出来ないと思います。
私が20年ほど昔、会社の大先輩から聞いた話ですが、当時の樺太「豊原市?町」は大きな町で
色々な人種が一緒に住む、平和的な町だったと聞いています。さすがに引き上げ時の様子は聞けませんでしたけど・・・。比較して、大陸から来た人は「酷かった・辛かった」と殆どの方が言います。だから私は、あの国の事は信じられません。関東軍・大陸?人の酷さを感じました。
27. Posted by mhotoo   2005年03月28日 00:55
その時代を生きた生の声です。脚色もあるかもしれません、でも実際の口から出る歴史は
本当の歴史です。一緒にそんな人とお酒を飲む機会も今はもうありません、時間が消すでしょう。
「冷静に・冷静に」で誤魔化して、良いわけが無いと思います。
島に関して、基本的にはロシア系日本人が居ても良いと思います。ただし、後々強制連行だの言われても困るので、現状生活基盤のある人にはそれ相応の補助が必要かな、基本的には、戦前の「南樺太モデル」を参考に住民・元住民主体で決めれば良いのですが、歴史上悪名高い「アヘン戦争」で接収された、香港が戻ったような形でも構わないと思います。
28. Posted by mhotoo   2005年03月28日 00:55
悲しい思いをした人は、日記がある程度です。ホームページも出来ない人が殆どだと思います。
「ニッテイ」がと言う誇張した記録はいりませんが、埋もれていく生の声が少し悲しい。
今のマスコミは変な力が働いています、「フジ」の一件も有りますが、あまり鵜呑みにせず「おゃ」
と思ったら、ウェブ検索か本屋に直行する事をお勧めします。 あとは年配者の貴重な話。
お隣は、現在「博物館建設ラッシュ」らしいですが、正しい検証後に作られている事を願うが?
まぁ、無理だろうなぁ。 知れば知るほど「やくざな国」に囲まれて困った物です。
29. Posted by まんちゅりあ   2005年03月28日 08:15
竹島と独島 これを「友情島」に…の夢想
http://www.asahi.com/column/wakayama/TKY200503270067.html
いっそのこと島を譲ってしまったら、と夢想する。


日本を代表するオピニオン紙の論説主幹がこれですから…
戦後民主主義のせいなのか、四方を海に囲まれてるせいなのか、生来温厚なのか…日本人は領土問題について鈍感にすぎますな。
30. Posted by     2005年03月28日 11:20
朝日はマトモな新聞ではありません。
31. Posted by 猫   2005年03月28日 14:07
日本軍の最大の敗北『ノモハン事変』も崩壊後のソ連から出て来た極秘資料と最近の研究によると日本軍の勝利であった事がわかりました。
対ドイツ戦で勝利を治めたある将軍は戦後、一番辛かった戦場は?と聞かれ「ノモハンだ」と答えています。スターリンはノモハン事変の結果日本恐怖症になり(日本にもソ連恐怖症はあった)なかなか対日戦に踏み切れなかったといいます。終戦後の侵略行為に対しても、大半の兵器を処分し、援軍の望みもない占守島の日本軍にソ連軍は多大な損害を受け、アメリカの圧力もありますが北海道上陸作戦を中止しました。

彼等の勝利がなければ日本は南北に分断されていたことでしょう。

詳しい本が最近出て読んだのですがタイトルを忘れてしまいました。
32. Posted by ネコ七   2005年03月28日 22:33
祖父の場合は、シベリア抑留はそれほどきつくなかったように話していた印象があります。
祖父の部隊を担当した軍人たちは、ほとんどが少数民族できちんとした教育を受けておらずノルマの管理を日本人にさせていたそうです。で、ノルマの手加減をしてあげるかわりに待遇がじゃっかんよくなったとか。

またソ連人たちは、日本軍が降伏し戦闘が終わると意外とあっけらからんとして「あの時は大変だったなあ」と話しかけてきたそうです。

こういう待遇というのは抑留された場所によって違うのかもしれませんね。
33. Posted by lancer1   2005年03月28日 23:46
家族に実体験をした人がいる方が何人かいて驚きました。そういった体験を語りにくくしてしまったのも戦後日本の責任です。
 そういう方が家族にいる方は、是非その話に耳を傾けて下さい。そして後生に伝えましょう。原爆の話や沖縄戦の悲惨さの話はよく聞きますが、こういった話はあまり聞くことはありません。戦争の悲惨さを伝えるのも大事ですが、国を守った我々の方々の話を伝えていくのも同じくらい大事なことだと私は思っています。
34. Posted by ネコ七   2005年04月10日 19:16
祖父の体験をはてなで公開いたします。

「いち兵士の記録」
http://d.hatena.ne.jp/kitanosakimori/
北千島占守島での戦闘記

いまはとりあえず以前書きためた文書を公開するだけですが、いずれ祖父の体験を2・3日に1回程度気が向いたときに手書きで書いてもらい、私が入力するという形式で掲載していきたいと考えています。
興味のある方はごらんになってください。
よろしくお願いします。
35. Posted by 大三州   2005年04月18日 18:27
しょうもない指摘で恐縮ですが、昭和天皇御製の「をたやめ」は「たをやめ」なのではありませんか?
36. Posted by クマゼミ   2005年08月20日 11:17
引用方法が不適当だと思います。(引用が「従」でなく「主」になっています)
37. Posted by ナポレオン・ソロ   2005年09月27日 16:01
 現在の日本が措かれている国際情況を正しく理解し、捏造や欺瞞に対してキチンとした反論が出きる日本人を育てる為には、日本の近代史はとても重要でしょう、それを戦後してこなかった文部省と教育現場で更に偏向を加えた日教組は共犯でしょう、関係者全員、国の根幹を揺るがした罪は万死に値しよう。

 きちんと史実を教えて行けば、日本國民がオカシナ方向に向く事は無い筈です、何故なら、我々の先人は、天に愧じる様な事はしてこなかったからです、国際コミンテルンの陰謀が、過去のモノの様に思っていれば恐ろしい結果となると思います、彼等は方法を変更したに過ぎないのです、即ち民衆からの革命を、経済からの侵略に。
38. Posted by ナポレオン・ソロ   2005年09月27日 16:10
               (承前)
 日本占領は途半ばと言う所でしょうか、反日という陽動のウラには、必ず、経済侵略が隠されていると思います、皮相的に右翼だ左翼だの判断では、きっと間違います、ソ連がロシアに代わっても中身は以前として全体主義国家である様に、中共の名前が如何に変った所で、シナ人の拝金主義が変る訳ではありません。

 日本人は、自前で国を護れる軍事力と、国益と国民の財産を護れる独自の経済戦略を持った、独立自尊の国を打建てねばならない、その為には、小国民の愛国心を育てる教育を目指さす上で、国が個人に誇りと思われる様で無ければならないと思います、従って、我々大人の一人一人が襟を糺し、社会全体で子供を育てる意識を持たねばならないと思います。
39. Posted by 1   2005年11月24日 17:37
返すきがないので
・ロシアへの援助をすべてうちきればいい。
・4島から買い出しにくる船の入港を禁止すること
・4島で日本のTVがうつらないように海岸で電波だすこと

返せ返せでは話にならない。
最低これくらいすぐに実施して欲しい。

ついでに韓国が占領している領土もおなじ、
韓国への技術支援をやめればいい。

不法に占拠されたまま、へらへらわらってなにかんがえてんだ

米がつくった憲法にいつまでもぎゃーぎゃーいっても話にならない
日本をまもるために駐留しているわけでもないし
なんかあってもまもてくれないことを認識していないといけない。
そしてその経費は税金でまかなわれていることも認識しないといけない。以外といらないひとがおおい。
 なんかあったとき自国でまもれないと話にならない。
将来の日本のために憲法改正して自衛隊はやめて軍を早くもどさないとね
40. Posted by 道民   2007年01月02日 15:00
こんにちは。返還運動にいささか関わっています。
現在の旧島民の返還運動は、おそらく日本の多くの方が考えているものとは大きく方向性が違っています。
1、島々から追い出された旧島民の半分以上が高齢のため島への帰還を実際は望んでいない。
2、ソ連時代からつづく交流で、旧島民と現島民の間の友情は固いものになっている。
3、北方領土の返還後、旧島民側は現島民との共存を望んでいる。
4、旧島民の居住は北方領土の南部に比較的集中しており、現島民の居住は比較的北部に集中しているので、不動産などの私権に関して共存は可能。
5、現島民の多くは実はロシア人とは限らない。そのため現島民の国籍が問題となっており、返還後、複数国で現島民の帰属や私権の保護に関して話し合わなければならない。(ウクライナ国籍、アルメニア国籍、無国籍などがある。ソ連時代に入植し、ソ連崩壊後にロシア国籍を選ばなかった人達。)
41. Posted by 道民   2007年01月02日 15:01
(続き)
6、旧島民の子弟にとって現島民とのトラブルはほとんど全部が漁業問題。
7、実は正当な入漁料を支払えば、現在でも北方領土水域での漁は可能であり、問題となっている漁業問題は日ロ間の協定を守らない双方の密猟者たちのこと。
8、旧千島住民の代表組織の返還要求運動は、日本政府には返還を求める気がないと看做しており、ロシア政府あるいは国際法廷での運動にシフトしようとしている。
9、4の事情から旧島民の間では二島先行返還論・二島返還論が有力(イトルップ島・クナシル島の旧住民の間では返還への意欲が比較的弱い。)
10、すでに若い現島民が旧島民の斡旋で道内企業に就職したり、両者の子孫同士のカップリングが行われている段階なので、武力の行使など物騒なことを言う方々には関わって欲しくない。

以上、お知りおき下さい。
42. Posted by 道民   2007年01月02日 15:25
それから、真岡郵便局の件ですけど、実は事実と少し違っています。
真岡郵便局にそのときいたのは8人ではなく12人。服毒したのは9人ではなく7人。艦砲射撃でパニックになったためです。
その直後、服毒しなかった2と男性職員が白旗を揚げてソ連兵を招き入れました。服毒した7人を助けるためだったそうです。
最後の通信の会話は全て元局長による創作で、最後の通話をしていた人物も伝えられている方とは別人です。
旧局長さんに記憶違いがあったため、このような誤解が生じたことが分かっています。
これらの件は真岡郵便局で服毒しなかった方々の証言から明らかになりました。
生き残った方の一名の方が今も健在で、サハリンと北海道の交流事業に時々参加されています。

これもまたお知りおき下さい。
43. Posted by トリーバーチ 靴   2012年09月29日 14:51
震災から丸1年のこの日、学生らは「他大学の学生とネ
44. Posted by トリーバーチ 靴   2012年09月29日 14:51
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45. Posted by モンクレール 新作   2012年10月29日 16:12
韓国マッコリの対日輸出28%減 外交問題が原因か聯合ニュース1

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