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みつかれでもしたのだろうか。ギルマンは褐色の血痕や染みはないかと、部屋の隅ずみを探してみたが、どこにも見あたらなかった。ドアの外だけではなく、部屋のなかにも小麦粉をまいたほうがよさそうだった――もっとも夢中歩行のこれ以上の証拠はもう必要ではなかった。ギルマンにも自分が眠りながら歩いていることはもうわかっていた――いまなすべきことは、それをくいとめることなのだ。フランク・エルウッドに助力を求めなければならなかった。今朝は空にひきよせられる力が弱まったようだったが、それにかわってさらに不可解な感じをうけていた。目下の状況から飛びだしたいという、漠然としていながらも強烈な衝動だったが、具体的にどの方向に飛びたいのかについては、まるでわからなかった。テーブルにある先のとがった風変わりな小像をとりあげたとき、以前の北方へひきよせる力がすこし強まったように思ったが、そうであっても、わけのわからない新たな衝動のほうが圧倒的だった。
 一階から涌きおこる、織機修理人の聞くにたえない祈りを無視して、ギルマンは先のとがった小像をエルウッドの部屋にもっていった。ありがたいことにエルウッドは部屋にいて、もう起きているようだった。朝食をとって大学へ行くまでに、すこし話をする時間はあるだろうと思い、ギルマンは最近の夢と恐ろしい出来事について口早にまくしたてた。エルウッドはひどく同情して、何かなすべきだという意見に同意した。訪問者の憔悴《しょうすい》した様子にショックをうけ、ほかの者たちが指摘していた異常な感じの妙な日焼けにも気づいた。しかし口にできることはたいしてなかった。眠りながら歩いているギルマンを実際に目撃したことはなく、奇妙な小像が何であるかについてはまったくわからないのだから。しかしギルマンの部屋の真下に下宿しているフランス系カナダ人が、ある夜マズレヴィッチと話しているのを小耳にはさんだことがあった。その二人は数日先に迫っているヴァルプルギスの夜をどれほど恐れているかについて話しあい、不幸な運命にみまわれた気の毒な若い旦那のことで、同情の言葉をかわしあっていたのだ。ギルマンの部屋の真下にいるデロシェは、靴をはいているときもあれば裸足《はだし》のときもある、夜に聞こえる足音と、ある夜鍵穴からのぞきこもうとして、ギルマンの部屋におそるおそる近づいたときに見た、菫色の光について話した。ドアのまわりの隙間《すきま》からその光がもれるのを見たあとでは、とても鍵穴からのぞくことなどできなかったと、デロシェはマズレヴイッチにいった。ほかにも声をひそめて話されたこともあった――デロシェの声が話しているうちに小さくなって、ほとんど聞きとれない囁《ささや》きになってしまったのだ。
 何が原因でこの迷信深い二人が無駄話をするのか、エルウッドは想像することもできず、ギルマンが深夜眠りながら歩いたりしゃべったりすること、そして昔から恐れられる五月祭前夜が間近に迫っていることで、二人の想像力がかきたてられたのだろうと思った。ギルマンが眠りながらしゃべることは紛れもない事実であり、恐ろしい菫色の夢の光というありもしないものが広まったのは、デロシェが鍵穴から盗み聞きしたことによるものなのだろう。この単純な二人の男は、奇妙なものを耳にすると、たちまちそれを目にもしたと思いこんでしまうのだ。これからの行動については、ギルマンはエルウッドの部屋に移って、一人で寝るのを避けたほうがいい。ギルマンが眠りながら歩きだしたりしゃべりだしたりしたときは、エルウッドがいれば起こしてやることにする。ギルマンはすぐにも専門医に診てもらう必要もある。そうするあいだにも、先のとがった小像をもって、さまざまな博物館や一部の教授を訪れ、ごみすて場で見つけたとでもいって、鑑定してもらえばいいだろう。壁の鼠を毒殺するには、ドンブロフスキにも立ちあってもらわなければならない。
 エルウッドが協力してくれたことで元気を奮い起こし、ギルマンはその日の授業に出席した。妙な衝動になおもひきよせられていたが、かなりうまくかわすことができた。休み時間に奇妙な小像を何人かの教授に見せてみると、誰もが強い関心を示したものの、その性質や起原について光明を投げかけられる者はいなかった。その夜ギDPM床褥ルマンは、エルウッドが家主にいって二階に運ばせた寝椅子で眠り、ここ数週間ではじめて不安な夢から完全に解放された。しかし熱っぽさはまだ残っていて、織機修理人の哀れな祈りがやけに神経にさわった。
 つづく二、三日のあいだ、ギルマンは病的な顕現とほぼ無縁になったことをたのしんだ。エルウッドにいわせれば、眠りながら話したり起きあがったりすることもなく、一方家主のほうはいたるところに殺鼠《さっそ》剤を