January 17, 2006

ブログ移転のお知らせ

いつも『白河夜舟』をお引き立ていただきまして
誠にありがとうございます。




さて、このたび諸般の事情にかんがみ、『白河夜舟』を
「ライブドアブログ」から「GOOブログ」
引越しすることに致しました。




想定の範囲外の事が発生した場合に、
電子情報が消し飛んでしまうことを回避するためです。




また、この機会に合わせて、ブログ名称を変更することと
いたしました。
今後のメインブログはこちらとなります。
Overjoyed Tone
http://blog.goo.ne.jp/lanonymat




リンク、お気に入り登録をされている方は、お手数ですが
リンクの張替えをお願いいたします。



今後ともOverjoyed Toneをご贔屓いただけますよう
お願いいたします。
皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。



                  拝


lanonymat at 21:19|PermalinkComments(5)TrackBack(0)

January 16, 2006

オリジナルレシピ

もてたいあなたのために、便利でかんたんに作れる
万能トマトベースを用いたイタリア料理をお教えしましょう。
ぼくのオリジナルレシピなので、女性はもちろん、
普段あまり料理などしない男性にも簡単に作れるレシピに
なっています。





例えば。
土曜から日曜にかけて、恋人がお泊りに来るとしましょうか。
たまにはゆっくりと恋人の家で二人きりというのもいいですね。
でも、おなかは空きます。
いつものようにお決まりの外食か、ピザの出前ではつまらない。
かといって、あまり料理も出来ないし・・・
そんな悩めるあなたにお薦め。





まずは、土曜の昼。
万能トマトベースを作っておきましょうか。
このトマトベースは、煮込み、パスタ、グラタン、ドリアなど
様々のイタリアンに応用できて非常に便利です。





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<万能トマトベース>



材料:水550cc(蒸発分含む)、コンソメ、
   市販のトマト&バジルのパスタソース(400g)
   ホールトマト缶詰(約500g)


大きめの鍋にお湯を500cc程度沸かし、固形コンソメ等を使い
コンソメスープをやや濃い目の味付けで作る。
そこに、市販のトマト&バジルのパスタソース(400g程度)と
ホールトマト(約500g)を入れ、
強火で煮立たせながら泡立て器などを使って果肉をつぶしていく。
ピューレ状になり、とろみが付き、半分程度に煮詰まったら完成。
だいたい、600〜700gぐらい出来ます。





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さあ、夕方6時。
恋人がやってきました。
今夜は、グラタンにしましょうか。
恋人はおなかが空いているかもしれないので、
3人分つくっておきます。
もし余ったら、冷凍庫にでも保存してレンジでチンすれば
いいのです。





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<ナスと挽肉のトマトグラタン>



材料:上記トマトベース250g、タマネギ(中)1個、ナス(中)2本、
   ひき肉(合挽き)150g、グラタン用チーズ150g、
   ベーコン1〜2枚、オリーブオイル、塩、胡椒、料理酒、
   ローリエの葉1枚


下ごしらえ:タマネギはみじん切りにする。
      ナスは厚さ7ミリ程度に、斜めに切る。
      ベーコンは幅1cm程度に切る。


つくり方は以下のとおり。


フライパンにオリーブオイルを引きタマネギをいれ、
中火で5〜6分、甘みが出るまで炒める。
ここにひき肉を入れて炒め、料理酒を振りいれて臭みを飛ばす。
さらに、ローリエの葉を入れて香りをつけながら炒める。
そぼろ状になったところで、塩・胡椒でしっかりと下味をつける。
炒めあがったら器に移しておく。


次いで、フライパンにやや多めにオリーブオイルをいれ、
ナスを素揚げするようにして焼く(水が飛ぶのでやけどに注意)。
ナスがしんなりとなったら、クッキングペーパーを敷いた
バットに移し、余計な油を吸わせるようにしておく。


直径20センチ、深さ5〜6センチのグラタン用耐熱容器を
準備する。


容器の底にナスを敷き詰め、その上にまんべんなく
ひき肉とタマネギを炒めたものを敷き詰める。
この上に、トマトベースを入れて馴らす。
次いで、クッキングチーズをまんべんなく敷き詰める。
さらにこの順番に、ナス、肉、トマトベース、チーズを
重ねて、8重構造にしよう。
容器からあふれないように、バランスよく重ねること。
最上層のチーズの上に、ベーコンを飾り程度に散らす。


オーブンレンジで200度、20分ほど焼けば出来上がり。





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トーストしたフランスパンに乗せてお召し上がりください。
イタリアやチリやギリシャなど、暑くて乾いた地域の
赤ワインと合わせると最高です。





あたたかなグラタンのチーズのように、ふたりはだんだんと
とろけていってしまうことでしょう。





さて、翌朝。
前夜のほとぼりが冷めないままのふたりはうっかりと
お昼前まで寝てしまいました。
でも、おなかは空きます。
起きたばかりなので、あまり重たいものは食べたくない。
手軽でかんたんなさっぱりパスタでお昼は済ませましょう。





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<簡単なペスカトーレ>



材料:パスタ200g、イカ×1、ベーコン2枚、ナス1本、
   上記トマトベース200g、オリーブオイル、ケチャップ、
   塩、胡椒、料理酒
   剥きアサリなどを入れてもおいしい。


下ごしらえ:ナスは厚さ7ミリ程度に斜めに切り、
それぞれ一片を真ん中で半分ずつに切る。
イカは内臓と背中部分のプラスチック質の骨(?)を
取り、よく水洗いし、胴の部分は7ミリ程度の
輪切りに、げその部分は1〜2本ずつに切り分け、
熱湯に入れてさっと下ゆでする。
この際、イカを入れた直後に料理酒を100cc程度
入れれば、イカ臭さが消し飛ぶ。


つくり方は以下のとおり。



鍋に湯を沸かし(パスタ重量の7〜8倍程度)、塩30〜40gを
入れ、パスタをゆでる。
 

パスタをゆでている間に、パスタソースを作る。
フライパンにオリーブオイルをいれ、ベーコン、ナスの順に炒める。
炒め過ぎないように注意しつつ、イカを入れ、塩、胡椒、料理酒を
入れて下味をつけたあと、トマトベースを入れて軽く煮込む。


パスタが茹で上がったらフライパンに写し、パスタソースと
混ぜ合わせ、ケチャップを30g程度入れて、味を調整する。


盛り付けて出来上がり。





おなかいっぱいになりましたか?
あとはどこかへ出かけるなり、アフタヌーンティーでも
ゆっくりと楽しむなり、ご自由に。





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このほかにも、牛薄切り肉と串切りのタマネギを炒めたものを
トマトベースに入れて煮込めばイタリア風のハッシュドビーフにも
なります。





どうぞ、お試しください。





最近は和食も出来るようになりました。
煮物鍋物焼き物揚げ物和え物椀物。
誰か嫁にもらってくれませんかね。







lanonymat at 17:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日常、思うこと 

January 13, 2006

大阪駅にて

道のまんなかに ぼくの顔した猫が 
車に轢かれて 死んでますねえ




猫が轢かれていることは よくあることで
あれはピカソの絵だと思えばいいんですよ




じぶんの死体ぐらいじぶんで始末しろ、と耳元で怒鳴られて 
驚いて振り返ってみるとまあ




ぼくをののしったものもまた 
ほかならぬぼくの顔をしていることもよくあるんですよ




ぼくはむかし アフリカの子らの餓死体に涙してから
うまいスープを飲み肉を食って まずいものは
残してすててましたんですが




この高架下に 寝泊りをようになってからは
あのアフリカの子がうらやましくもありましてね
ほら 食べ物もらえるじゃないですか




たったひとりの 生まれつき 心臓の何たらかんたら病の赤ん坊には
1億円が たった1週間で集まるんですってねえ
ぼくには たった100円も 集まりませんよ
国ってのも社会ってのも 誰も助けてくれないのは
理不尽じゃないですかねえ




たしかに 服は糞便と垢と埃まみれになっていますし
蚤もシラミもたかっているかもしれませんが
これでも 夢もあったんですよ
音楽か 物書きか 一発当ててやりたかったんですがねえ




人間が人間であるには そこにいるだけでは駄目ということは
よおくわかりましたから
どうか 100円でいいですから ぼくに貸してくださいよ




これでも ピアノが弾けるんですよ
どっかピアノのあるとこ連れてってくださいよ
100円ぐらい稼いで見せますよ




まあもう指が腐っちまってるから だめですけどね
ほら むらさきでしょ
哲学やってたりしたんですよ
芸術ってやつにもけっこう触れましたよ
もう忘れちまいましたけどね




信じてもらえませんか
もう少し 助けてもらえはしませんかねえ




友達には 一流企業とよばれる場所に入ったやつらは、
それなりにたくさんいるんですよ
もう とんと会ってはいませんがね




苦労もしているだろうけど、年収にしてすでにぼくとは
何百万もの差がついて、貯金も何百万とやつらにはあるんでね。
結婚もしたかったけどね
子供も持ってね 酒飲んでね 何事もなくそれなりに評価されて
過ごしたかったもんですよ
だめだねえ こうめぐり合わせが悪いんじゃねえ




いったい 何が違ったのかね。
それも、自己責任ということですかねえ。
ぼくは、自己責任により、失敗し、没落、病み、職に就けず、
この先這い上がる可能性はゼロ、友も去り、愛されもせず、
まったく人間の扱いもされず、
このとおりの無一文なんだけどもね





忘れもしねえよ
あいつらに会ったときのことは




あの二人が結婚するなんてねえ
あいつ ほんとうにバカな女だよねえ
俺のことなんか ただ都合のいいときにつるめるだけの
便利なやつ、くらいにしか思ってなかったんだろうねえ
こっちがどれほどつらかったか 全然お構いなしだもの
見る眼がないというか 打算的というかねえ




そりゃぼくは、ぼろぼろで、糞便と垢と埃に全身まみれて、
しらみも湧いて、よだれのあとがべっとりついて
顔は真っ黒、髪はぼさぼさ、臭いもして眼も死んでいたかも
しれないけどねえ、
あいつら ぼくがぼくだってことに気付いてないわけないよねえ




そこの大丸のとこあるでしょ
あそこで鉢合わせたんだよねえ
そりゃあ こっちも気まずくっておろおろしちまったよ
気にもなるから そりゃあそっちも見るわなあ




そうしたら あの野郎 
無視するようにして足早に通り過ぎていきやがってねえ
こっちをちらちら 汚いもの 見たくないものなら
見なければいいじゃねえかなあ
あの女もあの女だ
なんでもないような振りをしてよ
いっしゅんだけ振り返って、足早に追っかけていきやがった
あいかわらず美人だったよ
なんとも言えねえ顔してさあ
申し訳の悪そうな 困ったような 懇願するような
俺に消えてくれ、というようなね
こどもには こっち見せないようにうまくやるんだよ
母親なんてそういうもんなんだねえ




ある人間の絶望やらに、他人が光を見いだすのは勝手でさ。




なあ、まあ、聞いてくれてありがたいんだけど、
100円、貸してくれねえかなあ。
絶対返すからさあ。




俺 むかしサラリーマンだったときにさ
1000円貸したことがあるんだよ
通りすがりのやつにさあ
何でもさ、急に母親が倒れちまって、今手持ちに万札しかなくて
駐車場の料金の両替もしてられないから 1000円貸してくれとよ
俺 名刺つけて貸したんだよ
二度と戻ってこなかったんだよなあ




あの1000円があればさ
いま 酒も買えたんだろうに
だからさ それと比べりゃ安いだろ?




おい 待ってくださいって
ねえ 待ってくださいよ
なあおい
無視ですか、かっこわるいですよ?
ねえ 何それ本当に? あんたかっこ悪いよ
てめえこの野郎、この腐れ外道が
馬鹿野郎 顔はわれとんじゃ殺すぞぼけえ
どつきまわされたいんかこのくそあま




・・あ、ちょっとねえ
話聞いてもらえませんかねえ





ほら 道のまんなかに ぼくの顔した猫が
車に轢かれて 死んでるんですよ





見えませんか?





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文章の練習。
フィクション(?)。

lanonymat at 00:10|PermalinkComments(1)TrackBack(0)色恋の延長に、思うこと 

January 11, 2006

7年。

近鉄特急、大阪までの道筋、つげ義春「無能の人」読。
わが身を思う。
車窓へふと目をやると、青山高原は一面の雪の白。





つげの速度は、特急には不釣合いで、
歩きつかれてへたりこんで、それでもなお眠れないようで
ゆらゆらとして、例えば高田渡のように歩き響いてみれば
心臓の底がやがてじりじりと焼け付いてくる。
女性は少なからず聖母としてつげを読むふしがあるように思われる。
マグダラのマリアとして。





気がつけば難波。
かつて関係をしたひとと会食。
軽く昼酒、新阪急ホテルで休憩。





次いで、梅田で待ち合わせたマルドロ-ルと逍遥。
茶屋町にて座談。詳細は彼の日記にて。
そんな大したもんじゃないですよ。





夕刻、阪急宝塚線。
僕は知らなかったが、元カノとニアミスしたらしい。





夜、あるサックス吹きと会食。
差し向かいでは、生まれて初めて。





*************************





彼女と知り合ったのは、1999年の4月のことで、
二人とも10代だったのだから、ずいぶんと遠くなった。
初めて明道館という、当時はスラムのようだった建物に
足を踏み入れた日だった。
4月10日だったと思う。
それは軽音楽部ではなく、ピアノサ-クルの部室でのことで、
彼女は、ドビュッシ-の「夢」を弾いていた。
同じ日に、あるトロンボ-ン吹きの女性とも、そのピアノサ-クルの
部室で出会うことになる。
そのひとは、ベ-ト-ヴェンの「月光」の第二楽章を弾いていた。
こうして全く違うサ-クルで、同じ日に出会った3人が、
2年後に、軽音楽部の同じバンドで演奏することになる。





99年5月の学園祭のときには、彼女たち二人は軽音に移籍していた。
僕は誘われて、軽音楽部のライブを観にいくことになる。
サ-クル棟の入り口あたりで、やたら楽器を吹き鳴らしている
集団の存在は知っていたが、どうせ大したことはないだろうと
思って、何の興味も湧いていなかったのだけれど、
新入生特有の不安・焦燥感も手伝ってか、僕は足を運ぶことにした。
今は跡形もないロ号館の一階からサイケデリックな音が漏れ聴こえていた。
ポニ-・エキスプレスというバンドだったと思う。
最後に、NW1999の演奏が始まると、僕はリズムセクションの
一挙手一投足に釘付けになった。
軽音への移籍を決意した瞬間だった。





3年後、僕はそのNW1999のリズムセクションのメンバ-と
トリオを組み演奏をすることにもなるのだが、それはまた、別の話。
軽音移籍後すぐ、僕は生涯忘れないだろうやつとも出会うことになるが、
それもまた、別の話。
紆余曲折、さまざまの軋轢、摩擦、色恋刃傷、いろいろあり。





やがて、こうして全く違うサ-クルで、同じ日に出会った3人が、
2年後に、軽音楽部の同じバンドで演奏することになる。
2001年、サックス吹きの彼女がコンサ-トマスタ-であるバンドに
僕は「カウント・ベイシ-」として、途中参加することになる。
アル・グレイの席には、あのトロンボ-ンの彼女が座っていた。
参加してすぐのころ、僕がモ-メンツ・ノ-ティスを弾いて遊んでいると、
近くにいた二人が、コルトレ-ンとカ-ティス・フラ-をなぞり始めた。
振り返って、笑った。





みんな、それぞれに、ほんとうにさまざまのことを過ぎてきて、
今も、つながっている。
彼女たち2人と出会っていなければ、ぼくはジャズピアノをすることも
なかったかもしれない。
少なくとも、軽音楽部に入ることはなかっただろう。





そして、2006年になった。
僕は26歳になり、サックス吹きの彼女は25歳になった。
綺麗になり、惹きつけられるような女性になっていた。
彼女は、僕にいろいろなことを話してくれた。
いろいろなことを教えてくれた。
卒業してからのこと、プライヴェ-ト、心の内側のこと。
プロとして生きているひとに、音楽の話をするのも失礼で、
彼女の音を聴けば、それはわかることだろうことだけれど、
それでもまあ、音楽のまわりをぐるぐると回りながらのほうが
ものごとについて話しやすいということもあり。





彼女は何もかも、ストレ-トにぶつけてくれた。
それゆえに、僕も正直に話した。
さまざまのことがらについての、自分の思いも。
以前なら、軋轢になったかもしれないことが、
お互いに、そうはならないように話せるようになっていた。
僕は、思わず口にした。

「僕は、あなたに感謝してるんだよ。
照れくさいから言わなかったけど。」

そういうと、彼女は「へへっ」と、笑った。
互いを尊重し気遣いながら、本音を話すことが出来るという
年齢に、なったのかもしれない。
さまざまのことを通り過ぎてきて、初めてうまれるものもある。





さまざまのことを通り過ぎ、経験し、考え、摩擦や軋轢を
繰り返してきた。
時にはおそらく互いに憎みあっていたのかもしれない。
出会ってから、もう7年になろうとしていた。
互いに起こった出来事も、いろいろと知っている。
それなのに、遠かったような気がしていた。
でもそれは、杞憂でしかなかった。
差し向かいで笑いながら飲めたことが、たまらなくうれしかった。





2月5日 伊丹STAGEにて彼女はライブをします。
観にいってください。





亜矢ちゃんへ。またいつか、音楽やりましょう。





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彼女とのお酒は二次会へ続き、数名合流して夜半まで。
彼女と別れたその後、箕面方面へ東進。
その最中、叱る。
修羅場と狂気と暴力を求めるも、瀬川で力尽きた。
後輩に迷惑をかける。





翌日、ホテルチェックアウトの後、インデアンカレ-ル-ダブル。
堂島にて書籍渉猟。
その後淀屋橋から京都へ。つまらぬ会合。
河原町で書籍探索。高橋悠治とつげ義春とバタイユ。
次回以降、書くことになるだろう。





何を思ったか、近鉄京都〜西大寺〜八木から大阪線にて帰着。
以上。




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lanonymat at 10:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日常、思うこと 

January 06, 2006

アテンションプリーズ 3

ここ2日間、電話回線工事。
やっとブロードバンド常時接続導入。
酒井がくれた馬鹿動画を見る。
声優による実写版ドラえもん。





1月8日(日)〜1月9日(月)にかけて、
関西方面に行きます。
地元の親戚の集まりからの脱出なので、
何の予定も入っていません。
次はいついけるか、分からないのですがね。





遊んでくれる人、僕に会いたい人、話したい人がいたら、
MIXIもしくは携帯に連絡をもらえますか?
久しぶりに、だらだらの可能なスケジュールですから
地の果てまでもお付き合いします。
演奏、料理、酒宴、おしゃべりあたりになるのかな。
プロバイダーにもなれるけどね。




よろしく。










lanonymat at 22:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日常、思うこと 

January 04, 2006

クオリア所感

文学、音楽、映画、絵画、舞踏、演劇などの分野において、
表現者はなぜ、話したがる人間と、話したがらない人間に
分かれるのか。





それは、表現をするひと自身が、表現したいものごとを、
自分が行っているメインの活動の分野できちんと、
表現しつくせているかどうかによる、とも言われる。
かといって、表現をしつくせないひとを、無力凡庸と
片付けてしまってはいけないのであって、
もともと表現者など、いつまでたってもどれだけやっても
表現したいものを表現しつくせないから、表現を続けているのだ、
としか、言いようがない。
書けなくなる、演奏が出来なくなる、そういった事情で
悩み苦しみ、自殺したり発狂する表現者も存在するけれど、
そのひとはしかし、その死後も、残された作品に「生きている」。





表現者は誰でも、作品の製作や演奏のプロセスのなかで、
自分が至上の美だと直観し、崇拝すらするところの何者かを、
(いくら言い尽くしても言い尽くせない質感のようなものを)
作品の中から立ち上らせられるように腐心しているはずだ。
絵画や小説、映画、記譜された音楽のように、その創作の過程で
推敲に推敲を重ねて取捨選択を繰り返すとき、
あるいはクラシック音楽のような再現芸術のように、
演奏者が音楽の「再創造」を目指し、解釈、練習、演奏を何度も
積み重ねるように繰り返すとき、
もっといえば、ある種の即興芸術のように、
練習、創造、分析、解釈、演奏、ハプニングを一まとめにして
何もかもさらけ出し、「生きていることそのもののように」
パフォーマンスを試みていくとき、
こうした場面において、芸術家は同時に評論家にもなる。
審美性がそこに発揮され、よりよいものを目指す、という
批判精神が働く。
また、作品やパフォーマンスを完結させるという行為が、
次の創作の開始である、という点において、それぞれに違いはない





むろん、作品に宿る力そのものは、決して人為によって
左右されるものではない。
もちろん人為的な操作、推敲、演出による感興もあるだろうが、
作者自身も意図しなかったような形で、作品が作者を乗り越えて
しまうこと、そしてそれを作者がコントロール出来ないことが
芸術の場所ではしばしば起こる。
作品が、それ自体でいきなり出現したかのように思われるほどの
巨大な力が、時として作品には宿ることがある。
例えばファウストは、それを題材としつつ、作品自体が
題材そのものになりおおせた稀有な例だろう。





モーツァルトは下ネタ・駄洒落を常に口にするような人間だった。
ドストエフスキーは、スイスへの旅行中に賭博で散財してしまった。
この点、かれは浜田幸一とまったく同じパーソナリティを持っている。
しかし、一旦、紙に向かえば、モーツァルトもドストエフスキーも
あのような作品を生み出したのであって、
小林秀雄がモーツアルトを評してヴァレリーの言葉を引いて

「アヒルが白鳥を生み、時に白鳥がアヒルを生んだのだ」

と述べていることと、
埴谷雄高がドストエフスキーを評して

「彼は実生活では人間の2,3枚裏側までしか踏み込めなかったが
 小説を書くと、人間の5,6枚裏側まで踏み込んでいた。
 しかし、どうしてそれが出来るのか、彼自身にもわからかったし
 統御できるようなものでもなかった」

と述べていることが指し示すものは、同じものではないか。





さて、おしゃべりな表現者はいまや、自らの創作に対する自己批評を
的確に行うためのヒントとして、
様々の、ときには専門分野のそとにあるような、ほかの芸術作品や
文学作品、衣装や食事や旅行に触れる。
そして、それらから受けた印象・インスピレーション・霊感を、
多くの場合、自らのこれまでの思索の経過と、それに育まれた精神の
ありかたに添うように、補強的に用いて、自らの活動のために資する。
もしそれが批判的に資される場合でも、芸術家のアイデンティティを
損傷するようなかたちでは、決して資されるようなことはない。





このようにして、おしゃべりな表現者は、自身が、自らの作品への
第二番目の評論家となる。
そして、おしゃべりな表現者は、しばしば自分から発言して、
自分が作った作品に対する、世の中からの鑑賞・受容・評価、
論評のされ方について、あらかじめ規定しようとする。





かれは、さまざまの経験や言説を素材として、自分の作品への解釈を
最初に施してしまおうとする。
それは、自らのアイデンティティの象徴としての作品が、ほかからの
容赦のない批評にさらされることによって、
作者自身が危機にさらされることを回避しようとする心理から
うまれてくるものだろうと思われる。
人間の弱さ、ずるさ、汚さ、狡猾、卑屈を引き受けて初めて
力ある作品や創作が成されるのであれば、
ぼくはそうした表現者の偉大なる脆弱を、支持したいとも思うが、
しかし、そのことに伴うリスクにも、自覚的でなければいけない。





表現者が、自分に対する第一・第二の批評家だとするならば、
いわゆる評論家や観衆は、作品が世界に供された時点で
すでに第三の位置にある。
決して、作品に対して、対等に向かい合いはしない。
これを、「第三者」として簡単にくくりつけてはいけない。
観客や評論家は、その残酷な性質によって、作品そのものや
あるいは作者本人の深奥まで土足で踏み込んできたり、
解剖用のメスを突き立ててきたりもする。
そこで、おしゃべりな表現者は、あらかじめ彼らの侵略から
身を守ろうと試みることになる。





予測される批判をあらかじめ避けようと、作者自らが自作への
解釈・解説、思想を付け加え、発言する。
これは、音楽の分野ではすでに標題音楽の時代に試みられたこと。
そしてその方法は、現代芸術においてもなお用いられ続けていて、
(いわゆるコンセプチュアルアートなど)
作品を、作者自身が規定したレールの上で論じることを、最初から
要請している。





表現者の誕生とは、まさに一人の人間が、何もかもさらけ出して
何かを表現しようと決意した、いわゆる近代的自我の発狂のことで
あったけれども、
西欧文明圏においては理性の優位はゆるぎないものであり続けたから、
すでに発狂してしまった自我を、芸術として民衆へ受けいれさせる
ためには、作品=作者のパーソナリティを、仮象させてでも
見せなければならなかった。
こうした過酷な芸術的状況を生き抜くために、芸術を成すものはもはや
創作だけをしていてはいられなくなった。
表現者が、メイン分野での表現とは別に、サブの活動としてメディアに
登場したり、評論活動を行うようになったのは、こうした背景がある。
市民社会が、表現者のすべてを暴露し、知りたいと思う欲求を
抱いていたことも、これを助長した。





いまは、表現者同士がサロンを作り、賛同と批判と対立と融和を
繰り返すことで、互いに「助け合い」、生き延びようとしている。
そういった意味においては、コンセプチュアルな芸術、
ベルリオーズの表題も、デュシャンのダダも、ケージの偶然も、
現在、その本質的動機にはもはや大差がないのではないだろうか。
いかに、受容者を自分の敷いたレールに乗せるか、という点では
彼らに、それほどの違いはないように思う。





作品をめぐる受け手の「知的遊戯」はすでに副産的なものであって、
問われるべきは、こうした表現活動における相互のベクトルの
向かう先がどこにあるか、ということではないだろうか。
作品の質感よりも先に、芸術には戦略がある。
例えば「音楽のための音楽」や「絵画のための絵画」などの
芸術至上的な言葉の群れには、本来実体もないし、本質においては
不可能ですらある。
しかし、これらの言葉が意味するところのものが、不可能性への挑戦、
賭けとしての芸術へと向かう、表現者の想像力の源泉となってきたことも
一つの事実だろう。





いまや、芸術は資本主義市場の取引に供される。





やがて、こんなことが、起こることになる。
高名で狡猾で拝金主義の評論家、審美性に優れた意地悪い観客、
ミーハーで流されやすく扇動されやすく忘れやすい愚かな大衆、
評論家の意見を受け売りにしてしまう価値判断能力のない群集。
彼らからの「当人にとっては見当違いでいわれのない批判」を避け、
当人を誉めそやし、時には当人の意図した以上の付加価値を
認めてくれさえするような評論家や大衆を、表現者が求める。
おしゃべりの表現者は、彼ら観衆を馬鹿にしつつもそれに媚びたりして、
卑屈なほどにそれに従順になることすらもある。
そして、彼らの多くは、はなっから批評を受ける覚悟もないから、
自分への反論を許さないようにレールを敷こうと試みる。





表現者は、自分への反論をうまくかわす事にずいぶん上手になった。
芸術論をすり抜けて、文明批評、経済批評、社会批判、教育批判。
作品にさまざまの尾ひれ胸ひれをくっつけて、作品自体を
「観照させる」ことを、表現者が受け手に拒み始めた。
それは、自分の作品をお金に換えるための、手段としても使われた。
表現が、何のために消費されるか。
表現行為が神や王権への捧げ物から、人間の心を満たすものへ移り、
表現者が複数の表現を用いて規定し、あるいは評論家が規定した
作品への解釈、受け手の側が強いられるような状況が、
昨今のメディア網の発達と芸術関連の言説、サブカルチャーの
氾濫と称揚のなかで爛熟しつつある。





受け手の側が話す言葉が、他の言説からのコピー・ペーストで
大半を占められるような状況のなかでは、
芸術の受容能力と、言語能力との正比例関係も無視される。
芸術家は観衆の衰微を感じ取り、その想像力に期待してもいないから、
観衆の「貧弱な感性」に訴えようと、だらだらと言葉を述べ立てるに
終始し始める。





こうした状況のなかでは、たとえば、茂木健一郎が提出した
クオリアという言葉は、非常に魅惑的に映る。





「何を以ってしても述べつくせないある種の質感」。
それは、文学・芸術作品に「触れる」側の人間は、
あらゆる叙述の形式を以ってしても、人文学的・審美的・科学的な
あらゆる方法から近づいても、その作品から受ける独特の感興の
正体までは、決して行きつくせないということでもある。
それを大切にせよ、というのであるが、
裏返せばそれは、「クオリア」という言霊に対して、
人間の想像力の営み、感性の営み、それを言葉にしようとする営みを
屈服させようとする、至極神秘主義的な傾向に進みかねない危険を
孕んでいるようにも思う。
茂木の「クオリア降臨」という書名への、僕のなんとも言いがたい
不快の「クオリア」は、そこに端を発している。





それは、自然科学に発するロゴス信仰であって、
ギリシア以降の正統な審美の伝統に根ざしたもののように思われる。
それは、詩の方法と、どこがどう違うのか。
詩は、そうした言い尽くせぬ質感を、人間の「形而上学的皮膚」に
触れ合わせるための技術として、そもそも発展してきたのではないか。





「クオリア」の概念は、殊に芸術の世界では、
表現者の側が権威的なやり方で、芸術作品の受容と解釈についての
一切を、受け手の側に一義的に強制するのには、非常に便利な概念では
なかろうか。
たとえば、あらゆる芸術批評に「クオリア」の概念を導入すると、
反論は、すべて、「クオリア」という言霊に回収されてしまい
成立すらしないことになりはしないだろうか。
批評・批判の類は、作品内奥に迫る前に通行止めにされてしまうのでは
ないだろうか。





小林秀雄が、問題について「自ら立ち止まる」自由を持っていたと
述べたのは、大岡昇平である。
「クオリア」の前には、人間の営みが強制的にとどめられるように
思われてならない。
それはやがて、芸術を支え保持するものでは決してなく、むしろ
芸術を、その生成のメカニズムの内部から自壊させ、完全に葬るものに
しはしまいか。
「批評のダイナミクス」は、芸術の内側の問題ではない。
芸術以前、人間以前の生命の段階に、すでに内蔵されているものだ。





巨大なる不作為による死、運命的な死、因果律、痛切なる刻苦、
白痴、無能、無産、不能、排斥、愚鈍、
これらを顧慮せぬ批評も、表現も、無力である。
そこには、自己しかなく、他者がいないのだ。
それは、危険であり独裁である。
ほんとうに力を有するものと真向かいになったとき、
人間は確かに、言葉を失う。
しかし、そのとき人間は本当に、真向かいになっているのか。
このことに思い当たる人間は少ない。
さも真実に真向かいあっているように錯誤させるように
仕向けることが出来るものこそ、芸術なのではなかったか。





観衆は芸術と真向かおうとするとき、驚くほどに無邪気で
無防備である。
浴槽に心地よく入っていては、頭上に吊るされた剣にも
気付かないだろう。
それを気付かせるダモクレスこそ、真の評論家足りうるだろう。
自らの言説が、他人にどう使われようと知ったことではない、
という科学の態度が、やがてアインシュタインに核の苦悩を
強いたことは、あまりにも有名な話である。





完全なる他者の想像力に期待しない表現など、クズである。
無邪気に陶酔する評論とて、同じことだ。





大衆は物事をすぐに忘れるから、短いキーワードを繰り返し
刷り込めば、それの実体が何を意味するものでもわからないままに
それをさも素晴らしく価値のあることだと信じ込むに至るものだ。
だから、同じ内容を、何度も繰り返して変奏しクライマックスを
築けば、偉大なるものに思えてくるのだ。
こう述べたのは、かのヒトラーである。


lanonymat at 23:35|PermalinkComments(2)TrackBack(0)日常、思うこと 

January 01, 2006

頌春のご挨拶

謹んで新年のお祝いを申し上げます。
本年もご愛顧くださいますれば幸いに存じます。
日本経済崩壊の年とされる2006年となりました。




大晦日は、とある女性への返信メールを打っていました。
ぼくは彼女と一度も会ったことはないけれど、
彼女からの手紙の文面から、おそらく苦しみすぎたせいで
彼女はいま、何も見えなくなっているのだろうということが、
じんじんと響いて来たのです。
僕にもそういう経験があります。
その危うさを知っているからこそ、厳しい言葉を選びました。





彼女が、これからどこへいくのかは、わからない。
僕のしたことが、よかったのかどうかもわからない。
生きることは、賭けの積み重ねなのだろうか。
僕には、くじ運はない。





昨夜は夕食にすき焼き・大吟醸で酩酊のあと、
抹茶を立て、京都虎屋羊羹と、地元名店の百合根の羊羹を食し、
阿部サダヲ・ボビーオロゴンあたりをぼんやり眺め、
山田風太郎の日記に取材した番組を見て新年日付をまたぎ、
しばらくして眠りました。
明けて目覚め、コーヒーをドリップして一服のあと、
三重鈴鹿・椿大神社に初詣。





みくじ。
吉。
自らの生きている、光明と温熱に満ちた平安多幸な生活は
人間の力のみがもたらしたものではなく、神の力であることを
忘れるな、とのこと。
すべて只世は常とは神世なり、人の世代とは思わざらまし。

「願望、かなう。
 待ち人、来る。
 失物、出てくる。
 売買には十二分の利。
 方角は西北がよい。
 争いごとには、勝つだろう。
 家の新築、縁談、旅行に適する。」

それなら、いいんだけれども。
そうあって欲しい、とも思い。
もう十分に、拒まれたもの。





昼はおせち・雑煮。
夜は寿司・茶碗蒸し・ナマコ・新酒。酩酊。
ラヴェルソナチネにて弾き初め。




円楽がテレビに復帰。
杖をつき、ろれつも回らず、視線・反応ともうつろな姿が
痛々しい。




そして、遊び誘うも、つれない感じ。





皆様のご多幸をお祈りいたしまして、
乾杯し、三本締め、酔いつぶれ。





本年もどうぞよろしく、お願い申し上げます。

                拝


lanonymat at 23:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日常、思うこと 

December 31, 2005

うたかた

NHK「映像の世紀」のビデオを五回分鑑賞した後、
車を洗い、買い物し、用を済ませ、あとは
酒飲んで年を越すのみ。



今年は、大変な一年でした。
傷つけ、傷つき、拒まれ、裏切られ、憎しみ、苦しみ、
悩んだり。
悔しさ、虚脱、劣等意識、被害意識、挫折感、無力感にも
苛まれたり。
その代わり、出会い、安らぎ、笑い、触れ、あたたかに
なることもありました。




現実感に乏しい年だったのか。
ピアノと、勉強は、少しずつ進んだような。
一番苦しかったのは、
どんどんと、誰からも、いや、もっと言えば、
すべてから、遠ざけられていく感覚でした。
ショックな出来事も重なりましたから、
ぎりぎりの状態でした。
今も、余韻は響いていますが、
なんとか、やってます。
年も越せそうです。
このことこそ、最大の幸福なのかもしれない。




あなたにとって、今年はどんな一年でしたか?
ぼくは、あなたにありがとう、と言います。
複雑な思いも、あったりしますけど。
それはまた、別の話。




どうせ明日にはあけましておめでとうというのだから
このぐらいで。




このブログは当初、僕の消息を伝えるためのものだったのに、
結局、僕のコミュニケーションの慢性的欠乏を埋めるために
使うことになってしまいました。
来年も、思いつくまま、適当に書き連ねていこうと思います。
いくつかの相談事も受けているので、答えないとな。
返すものは返さないと。




誰か、遊んでくれないかしら。
火遊び・アバンチュールとか。
1人って、さみしいものです。
でも2人というのも、面倒なもので。
適度な距離に、休める場所があるといいのに、という
わがままな幸せを描いてみたりもします。
そんなこと考えてるから、駄目なんでしょうな。




さ、そろそろ締めよう。




読者各位。
本当にありがとうございました。
よいお年をお迎えください。







lanonymat at 19:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日常、思うこと 

December 30, 2005

道端の泥雪、薔薇の痕跡

12月28日、晴。
名古屋にて知的触発物探し。
名駅では三省堂書店、星野書店、タワーレコードを回る。
タワーレコードでデレク・ベイリーの訃報を知る。
名駅でものを買う気になれず、栄へと歩き出す。





メルサ角から錦通りへ出て、栄まで歩く。
中途、伏見のタリーズにてコーヒー・ピースミディアム。
名駅・栄近辺には路上喫煙禁止条例が敷かれているため
社会人としてマナーを守る。
伏見・鶴舞といった条例対象外地域でも路上喫煙・吸殻を
見つけることがないことに驚いた。
大阪でも条例化が検討されているというが、断言するが、
大阪では誰も守らないと思われる。
分煙には賛成である。そして、喫煙は合法である。
健康増進法とかいう悪法に基づいた、禁煙者による喫煙者への
徹底的・過剰な「排煙」と「排斥」には、断固反対だ。
いつだったか、ファミレスに入って、喫煙席に座ったのに、
店員から「匂いのするタバコはご遠慮ください」といわれて
ぶちきれたことがある。





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栄・丸善に至り、書籍渉猟。
昨今の強度偽装問題に絡み、店内の専門書ディスプレイは
建築関係の書籍で埋め尽くされていた。
財力に鑑みて、結局、理科年表と茂木健一郎の書籍を
買い求めたのみ。





他者の痛みを感じることはできるか。
これを論題とする茂木健一郎と高橋悠治との対論の結果が、
まさにさんさんたる結果に終わったらしいということを
茂木のブログで読んだ。
端的に言うと、高橋は、徹底的に茂木との対論、話し合いを
まったく拒絶するような振る舞いを取り、
茂木がさまざまな作家や学者の言説を引用して自説を展開するのを
まったく無視して、
それを語るあなたはどこにいるのか、
質問ということには必ず答えが要求されるのか、
こうした質問になぜあなたは答えるのか、などと
人によっては揚げ足を取って意地悪いと取られても仕方のない質問を
原理論的に浴びせ返し、まったく「建設的な議論」を許さなかったと
いうのである。





茂木自身それにかなりいらだったようで、
自身のブログや、島田雅彦との討論などを通して
高橋を厳しく批判している。
それが極めて感情的なものに由来しているであろうことは言を待たない。
茂木の主張はこうだ。
高橋に対して、常に二項対立的な論考をしていれば、必定、
自己の支持する項への信仰を促してしまうであろうという危険を自覚し、
それを許容するダイナミズム(構造)を認めなければ、
批判者も、自分が否定する対象に依存して生きていくという、
極めて卑劣な状況に陥る可能性があるという「自説」を
「わかってほしかった」のだという。
また、茂木は、芸術の創造において、その作者に批評的精神が
存在していることを、どうして高橋が認めないのかと述べ、
その児戯性・遊戯性を、島田雅彦との対論で揶揄してもいる。





高橋の活動に多く触れてきた僕は、それを知って、
茂木の著作を読んでみようと思い至り、手に取った。
書評は、また別の機会に書こうと思う。
一言するなら、彼の著作は、「素晴らしい」出来だ。
一読の価値がある。
そして、ぼくには、妙な親しさがある。
それゆえに、彼のことばは、ぼくには自明のことに映る。
高橋は、その危険性を見抜いたのだろうとおもう。





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他者の痛みを感じるとはどういうことか。
それは、自分が他者に相対したときに、
どうやっても、かれに何事も伝えることが出来ず、
何事をも、かれになし得ることが出来なかったときに
自分自身が感じる無力感と虚脱感に加えて、
どうやっても、伝わってくれなかった相手、
理解(服従)してくれなかった相手に対して
自分が抱く、激しい憤り、不満、批判、憎しみの類に
自覚的になることが出来るか否か、ということだろうか。





自分に対して全能性を要求しながら、他者に対して
服従を要求するという、「非全能・相対的」な自分。
そのやましさ、きたなさ、意地の悪さ、ずるさ、卑劣さ、
卑屈さ、そういったものを意識したうえでなら、
他者に対する振舞い方、感じ方も、決定されるかもしれない。
こうした、厳しい自己批判に基づいた理想主義的な言い回し。
「真っ赤な」季節に流行したこの言い回しが、70年代のあの
内ゲバの母となったことは言うまでもない。





過去の自分の行いや記憶を、理想論に照らし合わせて反省し
弾劾し、理想論にふさわしい行いを取るべく、自らの行動を
理性のみに集約し服従せしめた結果、
理想の実現のために人を攻撃し、時に無差別に殺しテロを行い
リンチしたり、
あるいは理想の実現に資する自らの能力を悲観し自殺したり、
進んで爆弾を抱えて自爆したりして犠牲となるものが現れた。
自己批判とは、決して誰かに動かされてなされるべき事ではない。
これを、権力の「指導」により一般人を「教化」する手段として
用いれば、大変なことになる。





人間、コミュニケーションをとろうとするときには
必ず、相手に対して優位になろうとする業を持っている。
たしかに、そうした業について自覚していてはじめて、
自分に「言い負かされ、従うことを余儀なくされた」
相手に対して、邪心なく向かい合えるものかもしれない。
しかし、話題となる事柄が個人にとって非常に思い入れの深く、
また、「命を賭けている」とか「一生懸命取り組んでいる」と
個人が信じているものである場合、
その事柄はかれのアイデンティティと不可分の問題となり、
かれには目の前の相手を「敵だから、殺す」以外のことが
出来なくなってしまう。





こうしたリスクもすべてひっくるめて前提として理解していれば、
議論や討論、対論の場所でも、論者は互いにゆとりを持って
「他者」同士として話し合うことが出来るだろう。
自分の意見と反するものや、相手の戦術に臨機応変に応じながら
討論をすすめることも出来るだろう。
なんらかの結論を導いたり、あるいは結果や成果を生み出す必要のある
会議のような性質の討論でない限り、
(冒頭に掲げた問題を論じるような場合、結論などあり得ないだろう)
討論の内容のみではなく、討論の状況や、感情などを敏感に感じ取って
何らかの「考えるヒント」を互いにほのめかしあうことが出来れば
それでいいのではないだろうか、と思う。
だから、あえて「他者」などということを言わずともよいのであって、
誰かとそこにいて話をしていれば、本来それでいいはずなのだ。
それに、人間とはそもそも、自分だけの言説を持ってはいない。
いつの間にか編みあがった自己が、自分にとって肌触りのいい
考え方を適宜サンプリングし、それを組み替え、曲解し、接木し、
鏡写しにし、転覆したり、転写したり盗んだりしながら、
それを自分なりの考え方だと言い張っているだけのことだ。
個人に特有なものは、それらの知的作業の展開のプロセスの
発展のしかた、ただそれだけでしかない(遺伝的因子は無視しよう)。






怒りは理論を越える。
壊れた本能が、理性を錯誤させていることに気付かずに、
理性は自分をなんら疑うことがないままに暴走もする。
高橋が言いたかったことは、茂木には実は他者がいない、
ということだと思う。
あえて、茂木のために「徹底的な他者」となろうとしたのだ。
なぜなら、理解、対立、といったものを前提として想定される
他者というものは、すでにそれを想定する自己の一部であるから。
一般に言えば、他者となんらかの関係を取り結んでしまえば、
それは自己でも他者でもない、「自己かつ他者」というものになるから。
自分が関係を結びたいと願っているにもかかわらず、何を試しても
まったく関係の取り結べない相手こそが「完全なる他者」なのだ。
そんな「完全なる他者」の痛みを感じることは出来るか、という
ことなのである。
茂木が高橋を批判した時点で、終わりなのだ。
それを高橋に試されて、茂木はまんまと術中にはまってしまった。
それが高橋の望んだものでない結果であることはいうまでもない。





高橋のほうが、茂木よりも、ことの本質をわかっていた。
それゆえに、つらかっただろう、とも思う。





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帰途、伏見ヤマハにて楽譜をめくる。
ゴルトベルクの原典を探すも、見当たらず。
家に戻る。





深夜、妹を迎えに車で鶴舞まで走る。





12月29日、晴。
正月の買い物。
車にて奈良・柳生に行き、新酒を購い、帰る。
寒波。静か。


lanonymat at 00:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日常、思うこと 

December 27, 2005

拝啓。

お元気ですか?




一年間、お疲れ様でした。
どんな気持ちで、今、いるのでしょうか。
心残りも、悔しさも、疲れも、苦しみもあるでしょう。
開放感も、開き直りも、うれしさも悲しみもさみしさも
あるでしょう。
そして音楽というもの、互いへの感謝、歓びもあって欲しい。
そう、切に願っています。
お客さんの心からの笑顔と、互いの心からの笑顔が
あなたの心に刻まれていることも、祈っています。





あなたたちのラストライブには、残念ですが、行けません。
予約が一杯だったのです。
見届けることが出来ないことを、申し訳なく思っています。





今年、ぼくは干渉しないことにしていました。
ぼくが出て行くことで、あなたを引っ掻き回すことも
したくなかったし、もう、そんな世代でもなくなっています。
ぼくは、身を引くことにしました。
ただし、求められれば、ぼくが持っているノウハウを
いつでも伝えるつもりでした。
それをあなたが採用するか否かは別としても、決してあなたを
混乱させないようにしながら、様々のヒントを与えるレベルでの
協力は、いくらでもする用意がありました。





結論を言うと、求められることは、ありませんでした。
むろん、僕自身、現役のころにはOBの言うことは
一切無視していましたから、それは何の問題でもない。
コルトレーンチェンジの解説をブログに載せたのは、
あなたたちへの、せめてものはなむけでした。





あなたが頑張ったことは、よく知っています。
そして、重圧や、苦しみのなかにいたことも、
同じ境遇にいたものとして、よくわかります。
だからこそ、あなたには、あのような態度を取りました。
一生憎まれようが、恨まれようがかまわない、という覚悟で
リスクを承知で言葉にしたこともありましたね。





あの言葉が、いま、あなたにどう扱われているかはわからない。
言葉も、場所も、すべては過ぎ去っていくものですから、
それは、仕方のないことです。
ぼくの奥底には、いまもじんじんと疼くものがありますが、
それはまた、別の話です。
ぼくは、あなたからすれば、遠いひとのはずです。
実際、お互いに、そう振舞ってしまっていますね。





あなたたちは、大きな賭けに出ました。
今までの歴史をかなぐり捨てて、マイナスのところから始めて
音楽をつくろうとした決断と、その試みには、敬意を表します。
決断をしたあとも、ずいぶん揺れ動いてきたと思います。
結果として、その試みが成功したかどうかはわかりませんし、
見えていたはずのものも、見失ったことがあったはずです。
数え切れないほどの自己批判もしてきたことでしょう。
苦しんできたと思います。
何かが、ついに足りないままだった、という実感もあるでしょう。
いやになったことも、投げ出したくなったこともあったはずです。
混乱し、音楽が嫌になったこともあったと思います。
無力感と、虚脱にも陥ったことでしょう。
ぼくは、いろいろなところから、いろいろな話を聞いていました。
でも、積極的には、何もしなかった。
あなたたちを、それでも信じてみたかったからです。





だからこそ、思い悩んできた自分たちの姿に同情の拍手を
求めるようなそんな結末は、迎えないはずだと思っています。
どうせなら、最後まで、納得できずに終わってください。
不満なままで終わってください。
そして、互いのかけがえのなさを思いながら、終わってください。
もう一度、この顔ぶれでやりたいと思えるように終わってください。
これから、あなたが生きていくなかで、この経験は絶対に
生きたものになっていくはずです。
きっと、やさしく、ふかくなれるはずです。





一方で、ぼくには、悔しさもあります。
華やかな舞台で、満面の笑みを浮かべさせてあげられなかった
ことについて。
そして、心無いやつらから、陰口、誹謗中傷、嘲笑ばかりを
あなたが受けてしまっている、この現状について。
周囲の対応・視線の変化が、いよいよあからさまになってきた
ことについて。
得られたことの代償として、失われたものについて。





結果としてみれば、ぼくはあなたを助けることも
出来なかったし、何もしてあげることは出来なかった。
それが正しかったか否かは別として、申し訳ない思いをしています。





でも、これらのことについて、何かを語ることはやめておきます。
あなたが、この一年間を通して得たことを後輩達に伝えるとき、
きっと、気付くはずのことですから。
悩み苦しむことのつらさの中で、自分のことだけで精一杯かも
しれなかったけれども、
その結果として周囲に及んだ影響のことも、忘れないでいてください。
きっとそれが、あなたを強くもやさしくもするでしょう。





そして。
あなたたちを取り巻く環境がどんどん悪くなっていることは
あなたたち自身、よく感じていると思います。
練習環境の悪化が招いている弊害もあるかと思います。
人材面での課題というものもあるでしょう。
意識の問題ということもあるでしょう。
しかし、もっともぼくが心配しているのは、
あなたたちに対する、周囲の態度・対応の変化です。
今年の定期演奏会や神戸ジャズストリート、学祭の時にも
なにかあったと聞いています。





過去の栄光も遺産も伝統も、すべてなくなりました。
「あの音」を作るノウハウの継承も、断絶したといっていい。
ずいぶんたくさんのファンが、アンチに変わりました。
聴きに来てくれたり、注目してくれる人間の数が激減したのも、
過去の実績によって周りが準備してくれた場所や待遇が、
なくなりつつあるのも、確かです。
意識やプライドといった事柄については、わかりません。
残っているのは、バンドの名前と、あのハッピだけです。





ただし、毀誉褒貶、賛否両論はあったとはいえ、
狂気と繊細が紙一重のところで重なっていた「あの音」が
再び凄みを伴って発された瞬間、
多くのひとびとが戻ってくるだろう、ということだけは
確実に言えます。
もう、僕の出る幕ではありません。





来年も、バンドを続けるあなたへ。
あなたたちが、自分たちだけで、いい音を作り上げるだけです。
いい音が聴こえてきて、それを聴くひとが、心から「いい音だ」と
思った瞬間に、音楽が生まれます。
そのために、何をするべきか、原点に戻って考えてみてください。
初めて楽器を手にして、演奏して、誰かと共に演奏した日を
あなたは覚えているはずです。





そして、引退するあなたへ。
今後、さまざまな分野に進んでいくことと思います。
ここで得た経験は、きっと生きることでしょう。
いつかどこかで、思い返すときが来ます。
そのとき、あなたはきっと、あたたかくなれるはずです。
あなたの活躍を、心から願っています。
陰ながら、応援しています。





以上、届かぬ、響かぬ言葉かもしれませんが、手紙とします。
ラストライブ、頑張ってください。
体調など崩さぬように、気をつけてくださいね。
それでは。






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