2007年03月07日

ある元死刑囚の遺言

そばの会という死刑廃止を求めるグループのサイトより引用。

当局を責めず法務大臣に抗議を 処刑された死刑囚の遺言

処刑された一人、藤波芳夫さんは「旅立ちを前に」と題した家族宛ての遺書を残していかれました。

 日付の欄が空いているところからすると、以前から準備をしていた遺書のようです。その中で藤波さんは、2人の命を奪ってしまった自らの罪を悔いて洗礼を受けたこと、お世話になった職員へのお礼などを綴りながら、「どうか当局には抗議をしないように申して下さい。その分法相に抗議をお願い致します」と記しています。

 この遺書には、署名・指印の後に、「法相に抗議 被告人は立つ事も出来ず一歩も歩く事が出来ず 病舎処遇だからです」という一文が書き添えられていました。藤波さんは75歳という高齢であり、身体も不自由にされていたのです(同日、やはり東拘で執行された秋山さんは77歳でした)。この部分は、執行当日に添えられたものでしょうか。その筆跡は急いで書き足したもののように見えます。歩くこともままならないお年寄りをいまさら処刑することに何の意味があったのでしょう。そもそも、執行を命じた長勢甚遠法務大臣はそのような状況を知っていたのでしょうか。

1月7日、長勢法務大臣の地元である富山市において、執行に対する抗議行動が取りくまれました。集会では藤波さんの遺書の紹介等がなされ、この時期、富山では珍しいデモでは法務大臣に抗議する声が響きわたりました。地元に帰っていた大臣にもその声は聞こえたようです。そして、大臣の事務所には抗議文とともに藤波さんの遺書が届けられました。大臣は目を通してくれたでしょうか。

藤波さんは、職員を責めないで下さいという遺書を残されました。私たちは、死刑の執行を直接担わされる各拘置所の所長以下、職員の皆さんに対して「二度とこんな仕事はやれない!」と、共に声をあげられるよう呼びかけます。(引用終了)

 

ここでは触れられていませんが、この元死刑囚の犯した行為は、井上薫「死刑の理由」によれば以下の如くです(文庫版P590。なお、原著では固有名詞は使われていません)。

>被告人は、妻の不貞を妄想して暴力を振るうので、妻が離婚して身を隠したところ、執拗に同女を捜し回るのに、同女の兄らが妻の居所を教えなかったことから逆恨みし、その恨みを晴らし、金にも窮していたこともあって、兄らの身内の者を皆殺しにして金品を強取しようと決意し、昭和56年3月29日午後3時30分ころ、栃木県内の兄方へ侵入し、そこにいた兄の妻の姪である2人の少女16歳と10歳の背中をナイフ(刃体の長さ14.2cm)で力一杯突き刺して倒すや、金品を物色して強取した。その後、兄(36歳)が帰宅したため、同ナイフで胸部、背部等を力一杯突き刺し、心臓刺創による心嚢タンポナーデにより即死させて殺害し、さらに金品を強取した。その後、(その殺害された)兄の兄(55歳)が同家に入ったのを認めるや、来客を装って近づき、いきなり同ナイフで胸部、腹部等を力一杯突き刺し、失血死させて殺害した(引用者注:少女2人は重傷)。

死刑囚と言えども同じ人間であり、その命が奪われることは少なくともあまり愉快なことではありません。が、本当に悔いているのであれば「法相に抗議」などできないのではないでしょうか。誰しも自分の命ほど大事なものはない。人の命を一方的に奪ったり重篤な傷害を加えたりしておきながら、「抗議」とは・・・殺された人間には遺書を書くことすらできなかった。ましてや「抗議」など望むべくもない。冷酷且つ感情論だと非難されるかも知れませんが、藤波氏には「抗議」する資格はないと思います。



laoying at 15:53│Comments(1)TrackBack(0)ニュース | ニュース

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この記事へのコメント

1. Posted by manabe   2007年04月25日 04:29
5 「殺人事件の被害者は、誰一人として自己の意思で殺されたわけではない。
 一方、すべての死刑囚は、自己の意思によって死刑となるような、重い犯罪を回避するという選択肢を選べた。」

 岡村 勲 
 全国犯罪被害者の会代表幹事・元日弁連副会長



「死刑になるかもしれないと知っておきながら
 なぜこのテキサスで人殺しなんかしたんだ?」

 ジョージ・W・ブッシュ
 第43代米国大統領・当時テキサス州知事
 (※死刑に反対する人権団体の抗議に対し)

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