May 23, 2012
訳すということ(12)演奏通訳
La vie a table。19世紀の食の文化史の本。
詩やシャンソンに出てくる食卓も引用されて楽しいの。
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演奏は通訳を担う部分が大きいと考えて、
繰り返し其ういったおしゃべりをしてた。
私たちが演奏するのはおおよそは過去の時代の曲たちで、
作曲家さんご本人に聴いて頂く機会は少ない。
メンデルスゾーンもドビュッシーも残念ながらこの世に居ない。
彼らがもし生きてて下さったらって仮定は空想に過ぎなかった。
存命する作曲家が演奏者を通した描写に当たった。
《彼は、胸を締めつけられるような思いで、待っていた。楽長の指揮棒が高く上げられて、音楽の大河が沈黙のうちにあふれ、今にも堰を切ろうとする瞬間に、すべての作曲家が感ずるあの胸苦しさだった。》
作曲家の胸の震えは守られるべきものだと感じる文だった。
《自分の夢みていた生きものが、どんなふうに生きるであろう? 彼らはどんな声をだすだろう? その声が自分のうちで唸っているように感じた。そして、音の深淵にかがみこんで、そこから出てくるものを、ふるえながら待っていた。》
音楽が表す世界観が如何ように形になるかは
奏者の思弁に寄っている。
まさに通訳者という単語に当たった。
《出てきたものは、なんともいいようのない、形もそなわらぬ曖昧なものだった。和音は、建物の破風をささえるしっかりした円柱になるどころか、まるで廃墟の建築のように、次から次とくずれていった。漆喰の粉以外にはなにも認められなかった。クリストフは、自分の作品が演奏されているのだと信ずるまでには、ずいぶんためらった。
彼は自分の思想の線とリズムとを探し求めた。
だが、それはもう見わけられなかった。
その思想は、壁につかまりながら歩く酔いどれのように、
なにやらわけのわからぬことをしゃべりながら、
千鳥足で進んで行った。
彼はそうした状態にある自分の姿を見られているかのように、
恥ずかしさに打ちのめされた。
自分が作曲したものはそんなものではない、
と知っていてもだめだった。
愚かな通訳者によって自分の言葉がゆがめられたとき、
人は一瞬疑い、こうした愚劣さにはたして自分は
責任を持たねばならないのかと、びっくりしながら考える。
だが、聴衆のほうはけっして不審には思わない。
聞き慣れている通訳者を、歌手を、オーケストラを、
ちょうど読み慣れている新聞を信ずるように信じている。
彼らが間違っているはずかない、
彼らがばかげたことを言うとすれば、
作曲者がばかだからだ、と信じている。》
(ジャン・クリストフ 4巻より
新庄嘉章様訳)
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作曲家さんの立場で書かれる此の箇所は
まだ若くよくわからないまま読んだ昔に
一等印象に残ったところだった。
クリストフは演奏の瞬間存命してて
演奏者に怒り、結果に恥じることができたけど
もはや反論することもならない作曲家の思想を
敬愛する人たちの大切な思想を
奏者の自分が歪めていないか
歪めたまま聞く人々に伝えていないか
どれほど検証しても、し過ぎることはないのだと思う。
*訳すということ(1)野鳩
* (2)椿姫の白
* (3)マノン・レスコー
* (4)カフェオレのボウル
* (5)マカロン
* (6)マリア様のお顔
* (7)クロモスとお友達
* (8)伴奏
* (9)エコルセ
* (10)メープルクッキー
* (11)スタンダール
lasalledeconcert at 06:52││ パリの生活5