February 05, 2014
夫とジャム、猿とルソー
クレマンティーヌで作ったジャム発見。
拙宅でお初に出すジャムに決めた。
以前ジャムを嫌いと夫に聞いてたから、
これまで拙宅にはジャムを置かなかったのだ。
振り返れば夫の過去の偏食・小食の始まりは結局は味覚故じゃあなかった。食物を口にした場が気分に合わなかっただけが理由の、随分変わった偏食だった。
若い時期に良い思い出がなかった曲は後年演奏することになっても苦手意識をもったりする風な具合だ。だからクレマンティーヌのジャムなら過去に食べていなさそうと踏んで決めたのだ。昔に体験がない食物なら苦手意識も少ないかも。
其うして記憶の中の感覚を消してしまえば、新しく口にする食物として好きになるかもって期待した。
果たしてジャムは、美味しいって言葉と共に
夫の胃の中へ吸い込まれていった。
馬鹿馬鹿しいほど多かった偏食は
馬鹿馬鹿しいほど簡単に治ってく。
夫はトーストしたパンを3種類塗り分けて色め良く出されるのが好きだ。
ある日はクレマンティーヌジャムと、ピーナッツバターと、シナモンシュガー。別の日はメイプルシロップと、ブルーベリージャムと、チーズ。
此の朝もどれから食べようカナって上機嫌で席についた。
なんてことはない、ジャムもまた他のものと同じで
イマージュに左右されてただけの偏食だった。
人はどれくらいの部分が純粋な味覚で、どれくらいの割合をイマージュに頼ってお味と感じてるんだろう。
丁度読んでたルソー著 "人間不平等起源論" の一文が興味深く映った。
《一匹の猿がためらわず、一つの胡桃からもう一つの胡桃へと移るとき、猿がこの種の果実について一般的な観念をもっていて、その原型をこの二つの個体と比較しているのだと考えられるだろうか。疑いもなくそうではない。しかしそれらの胡桃の一つを見たために、彼がもう一つの胡桃から受けた感覚をその記憶に呼び起こし、そして彼の目はいくらか変えられて、これから受け取ろうとする変化を、彼の味覚に告げ知らせるのである。
すべて一般的な観念は純粋に知的なものである。だがほんの少しでもこれに想像がまじると、すぐにその観念は個別的なものとなる。》
(平岡昇様責任編集 "ルソー" より)
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lasalledeconcert at 06:23││ 美味しいテーブル7