早速 咲-Saki-まとめアンテナ 様に掲載して頂けました。ありがとうございます!
あまりの反響の大きさに少々ビビっております・・・。
いきなりこの記事に飛んで来られた方は、まず前回の記事をご覧下さい。

「姉帯さんが九戸村出身である」という、ひとつの仮説①


さてさて、前回の記事で宮守からあねたい村への帰路を見つけるのが難しい・・・という話をしましたが、具体的にどれほど困難なのか、実例を出して検証してみる事にします。


宮守から旧姉帯村へのルートを検証

ここで検証してみるのは、現在最も有力とされている旧姉帯村へのルートです。
単純に考えて最も早そうなルートは以下の通り。

 宮守 → 新花巻 (JR釜石線)
 新花巻
盛岡二戸 (東北新幹線)
 二戸
→姉帯バス停 (バス)

姉帯バス停へ辿りつくバスは一戸駅や小鳥谷駅からも乗れますが、新幹線が停車する二戸駅から乗ったほうが早いだろうと判断しました。

試しに、乗換案内サイト ジョルダン で「出発:宮守」「到着:二戸」「日時:19:00出発」で検索してみると・・・
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これは明らかにおかしいですね・・・。
まず第一、午後7時台の電車に乗る必要がないです。
仮に、学校を午後8時半に出るとしても、軽くもう一半荘打てるくらいの余裕がありますね・・・。

「いやいや、きっと新幹線を使わずに普通列車のみで帰ったんでしょう、お金もったいないし。」
そう考える方もいらっしゃると思うので、新幹線を使わないバージョンの検索結果も貼ってみます。
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確かに、午後7時に出発で辻褄は合います。
だがしかし、新幹線を使おうと使うまいが二戸到着は午後10時55分というちょー遅い時間ですよ・・・。

念のため、二戸駅発着のバスの時刻表を調べてみたのですが完全にアウトな状況です。
もっとも遅いバスでも、久慈駅行きのバス「スワロー号」で、二戸駅発が午後8時5分・・・。
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こんな感じです。
ちなみにこの「スワロー号」、二戸駅から九戸村を経由して久慈駅まで向かうルートを通っています。

ん?

九戸村??

実はこの九戸村、私が前々からあねたい村候補地として気になっていた場所だったのです。


九戸村に私が拘る理由
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上図の赤丸のあたりが旧姉帯村地区、九戸村とは隣接しています。

歴史的な背景を調べると、九戸と姉帯は密接な繋がりがありますし(詳細は「姉帯氏」で検索すると出てきます)、何よりも現在でも岩手県内で「村」の名前を冠している、数少ない自治体でもあります。
岩手県内には、現在5つの「村」がありますが、山奥の村・・・となると滝沢村とここ九戸村しかありません。
※ そう思ってたんですが、滝沢村は2014年1月に「滝沢市」へ昇格になったそうです。元々「日本一人口の多い村」として有名な村だったようですし・・・。

そうなると、いよいよ「村」という名称に拘るのなら九戸村しか残っておりません。


時代考証、という概念

そうは言っても、現実的に考えれば九戸村に行く最終のバスに乗るのは不可能。
何たって新花巻から二戸まで20分足らずで移動しなければ間に合わない計算です・・・。

かと言って、旧姉帯村説や九戸村説を諦めて別の場所を探しても、それらしき場所は見つからず。
とにかく、新花巻での新幹線の乗り継ぎがネックなんです・・・。

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釜石線で新花巻に到着するのが19:41。乗り換え時間を考慮すると19:41発の新幹線に乗るのは不可能。
狙っているかのような乗り継ぎの不便さです。いやがらせか

なるほど、道理で先人の皆様が苦労されている訳だ。私のようなニワカに簡単に解ける問題ではありません。
そりゃあ約2年もの間、解決されていない問題ですものね・・・。

  約2年もの間・・・

・・・ちょっとタンマ。

そもそも、これはいつの話なんだ?
約2年も前に出てきた話じゃないのか??


今まで行ってきた検証は現在の時刻表に基づいたもの、2014年時点でのデータでした。
しかし2年前、2012年の時点からすれば状況が変わっているのではないか?
更に言えば、
この設定(午後7時頃に出発しないと最後のバスに間に合わない)を立先生が作ったのはいつ?
下手をすれば、姉帯さんが初登場した2010年頃には既に出来上がっていたのではないか?

・・・どうやら私の検証方法は間違っていたようです。
ダイヤグラムという横の時間軸に加え、時代考証という縦の時間軸も考えなくてはならなくなりました。


電子の海を遡る

作中の時間軸ですが、姉帯さんの台詞が出てきた2012年2月よりは確実に前でしょう。
そして姉帯さんが初登場した2010年、この辺りも匂います。
まずは、この2つの時代(2010年、2012年)について、当時の列車・バスのダイヤを調べてみることにしました。
特に2010年のダイヤについては東北新幹線がまだ八戸終点だった時代で、結構な変更があったかも・・・と予想。

こういう時に便利なのが Webアーカイブ ですよ。
Webサイトの過去の記録をタイムマシンのように遡ることができる、まさに秘密兵器・・・。
ここに時刻表が載っているページのURLをぶち込むと、ある程度過去の時刻表を参照することができます。

その結果・・・
新幹線に関しては、それほど大きな変化はありませんでした。
強いて言えば、盛岡発で二戸駅停車の列車が増えたため、二戸着が午後9時24分まで早まったくらいです。
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2010年のデータ。釜石線の新花巻到着は19:42・・・。
これまた絶妙ないやがらせです。

しかし・・・
バスに関しては、非常に重要な情報が見つかりました!
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二戸駅発の最終バスの時間が、午後8時5分から午後9時へと変わっています!
不可能と思われていた新花巻~二戸間の移動時間が20分弱から70分にまで余裕ができました!!

・・・この時点で「あねたい村=九戸村」説は十分に有り得ると判断し、九戸村決め打ちで調査を続ける事にしました。

そうなれば、後は二戸までの移動手段の証明だけです。
引き続き、Webアーカイブで時刻表を調べまくりましたが2010年時点、2012年時点では到達不可能という結論でした・・・。
あと5分早ければ・・・、とか惜しいルートは見つかったのですがやはり納得はできません。

では、その間の2011年のデータではどうだろうか・・・。
そう思ってWebアーカイブで調べてみたのですが、どうも様子がおかしいんです。
データが不自然に欠落していたり、駅間でデータの整合性が取れなかったり・・・。

 ・・・そうか、あの震災か

言うまでも無いかとは思われますが、2011年3月11日に発生した東日本大震災の事です。
当時のニュースを追ってみると、全線復旧までの期間は不通区間があったり速度規制区間があったり、しかも復旧作業の進捗によってダイヤは数日単位で目まぐるしく変化していた模様です・・・。

そういえば、私もこの年の7月に出張で仙台に行っていました・・・。
移動はもちろん新幹線だったのですが、通常よりも30分以上時間がかかっていたのと、沿線にある民家の至る所にブルーのビニールシートがかけられていたのが印象的でした。

恐らく、震災発生から完全復旧までの間は通常とは大きく異なるダイヤだったものと思われます。
だがしかし、Webアーカイブだけではそれらの情報を網羅するのは非常に困難です。

はてさて、どうしたものか・・・

(次回、「姉帯さんが九戸村出身である」という、ひとつの仮説③ に続きます)