毎日ゴミと格闘しています。

「断舎離」は整理、処分を通じて自分の深い部分を見つめることなのだと
思い至りました。

家の中を整理し、ゴミを分別しながら
色んな事を思います。
ゴミとして捨てるものも、元は自分が買ったものなのだということ。
中には頂いたものもありますがほとんどは自分が欲したものたち。

何故それが欲しかったのか。
一度も活用しなかったものもたくさんありました。
なのに何故その時欲しいと思ったのか。
自問自答を繰り返しようやく答えが見つかりそうです。
いや、もう見つかっています。

私は小さい頃からいろんな事、物を我慢する子供でした。
それでも、母には認めてもらえていないという思いがあり
どんどん自分を消すことを覚え、新たに自分を作り上げたような気がします。

要は、分離ですね。

自分が傷つかない為に見えない鎧をまとって、
その鎧が自分であるふりをしているうちにその姿が自分なのだと
錯覚をしてしまったようです。

自分を抑え込んでいると苦しくなります。
その苦しさは時間がたって忘れてしまったとしても
無くなったりはしない。

その感覚がわからず更に鎧を重ね、
自分をがんじがらめにしてしまいました。

唯一の救いは誰にも素の自分を見せていない安心感でした。
親にさえ認められていない自分が、誰かに認めてもらえるはずなんてない。
そう思っていましたから。
素の自分を出さず、鎧をまとった自分であれば認めてもらえる。
なんとなく、そう信じ込んでいた。

自分にはプライドなんてないって思っていたし、
誇れるものなどなかった。
割と器用に何でもこなすことは出来たので
ものすごく努力した記憶もないし、自分は平凡に生きたいとも思ってました。

でも、そうじゃなかった。
人から見た私は、他人を寄せ付けない気難しさを持っていたようですし
ものすごくプライドが高かったようです。

私のプライドは誇りではなく、意地であり、エゴだったのだと
ようやっと認める事が出来た。
その事に気付けたのは「断舎離」効果なんでしょうね。

今までの、すべての場面に於いて
自分が優位に立ちたいと思っていたことにも気付き、
穴があったら入りたい気持ちです。
あぁ恥ずかしい。

昔の私は、平気で人を攻撃していました。
攻撃というよりは、糾弾なのかな・・・。

自分を認められないからこそ
人をも認められなかったのかもしれません。
なんでも人の所為にしては口だけの反省をして
なんの学びにも繋げられていなかった。

掃除をしながらずっと自分を見つめていると
不思議と色んな事を受け入れられるようになっていきます。
捨てる=手放す
自分の中のこだわりやしがらみを手放す作業。
かなり年季の入ったものだから簡単には着手できなかったのだと思います。

これまで何度も同じ作業をしていて、
気がつけばまた、元の、物のある状態に戻っている。
その繰り返しでしたが、
今回は今までの作業とは全く違う気がしています。

捨てられない物たちの事を以前書きましたが、
色んなことが吹っ切れた今日はものすごい勢いでゴミ袋の山を築きました。
まぁ、呆れるほど色んなものがゴミになっていく。
そのゴミ達は過去の自分の姿ですね。

もう私には必要が無くなってしまったもの。
でも、私の元に来た時にはその意味があったものなので
感謝をしてお別れしました。

まだ、もう少し作業は残っています。

すべてがきれいになった時、
自分がどうなっているのか、楽しみです。
お掃除が楽しいなんて、人生初かもしれません。

そして、今がそれに着手するタイミングだったのでしょう。
退職が前倒しになったのもそういう事なんだと
うすぼんやり考えながら、
この後に起こることがどういうことなのかに想いを馳せています。


今が一番楽しい。そして幸せ。
でも、明日はもっと楽しいことがあると思えるし
未来はさらに幸せなのだと
根拠はないけれど、そう思っています。

ありがとう。
今、一番言いたい言葉。
すべての人に、自然(宇宙)に対し、自分にも・・です。