張った形が最終形!!

全日本麻雀協会所属の平澤による麻雀の話とか。

先日のMリーグで、錯チー(本来チーできない形でチー)がありました。

この裁定は結構難しく、TLでも話題になってたのでちょっと思うところを書いてみたいと思います。

まず、麻雀のルールというのは基本的にはその場の決めがすべてであり、決めが無い場合は裁定権を持つ人の判断がすべてです。

そしてMリーグはまだ1年目。
なので今回の出来事に対してどうするべきだった、という話ではなく、こうする方がより理想的なMリーグになるんじゃないか、という私の考えということで受け取っていただければ幸いです。


この問題については多くの論点があります。

1.打牌完了前の晒し間違えと見せ牌の違い(定義)はどこにあるのか?
2.晒し間違えであるとした場合、チーを成立とみなすか不成立とみなすか
3.その場合のプレイヤーに対するペナルティは?

実際に今回とられた裁定は
1.牌を倒した時点で打牌完了前であっても晒し間違えとする
2.晒し間違えた時点でチーは成立とみなす(間違った晒し形で鳴いたものとして続行)
3.和了放棄

それぞれ語りたいことはあるんですがTLを見てると主に皆さん違和感を感じているのは2のようですね。

確かに間違った晒し形でチーが「成立する」ものだと考えると、どんな牌を切られても適当な牌を2枚消費することで一発を消したり海底をズラしたりできるということになります。

もちろんそんなことする人はいません。
それはわかります。

ただ「そういうことが考えられるルールはどうなんだ」ということですね。
例えば
【画像】優勝者5000万円の麻雀大会でとんでもない反則技するやつが現れるwwwwww

こちらの掲示板だと「こんな裏技があるのか」みたいに言う人も結構いるわけです。
もちろんこういうこと言う人は普段麻雀の放送なんて見てない人たちだと思います。

けれど、そういうあまり麻雀をやらない人や、普段放送を見ない人にこのコンテンツを届けるのも、Mリーグの重要なテーマの1つだと(運営されてる方々も選手の皆さんもおそらくそう考えていると)思うんです。

この問題に限らず、麻雀というのはモラルや倫理的な観点に任せ、ルールに明記されていない事象がよくあります。

けれど、モラルとか、倫理観というのはその人の持つバックグラウンド、すなわち環境や文化によって多様の捉え方をされるものです。

競技によっては「ルールの中で最大限できることをやる」のがむしろ「かっこいい」「さすがプロだ」と言われる世界もある。

逆に「もろひっかけリーチは汚い」とか「オーラスにアガラスするなんて素人か」なんてのも、そう言ってる人たちにとってはモラルです。

結局モラルや倫理観というのは人それぞれ微妙に線引きが違う。

ましてやMリーグはオリンピックを目指しているんですよね。

オリンピック競技にするというのはすなわち

あらゆる環境、文化、宗教の中で育った多様な倫理観を持つ選手同士が公正に戦える競技にする

ということではないでしょうか。
そう考えたときに「ルールで明文化しなくてもモラル的にそんなことはしない」という理屈は、少しお粗末だと思います。

じゃあMリーグのルールがダメなのかというと、それも違うんですよね。

Mリーグには「審判制度」があります。

先ほども書いた通り、麻雀のルールの中には明文化するのが困難である程度モラルに任されている部分が存在します。
そして実際問題としてすべてを厳密に明文化するのが難しい側面もあるでしょう。

例えば「故意の晒し間違えは認めない」と明文化したら「どうやって故意かどうかを定義するんだ」という話になります。

そこで「審判が故意と認めたものは故意だ」と定義することによって、ルールとして成立させるわけで、これはいたって合理的だと思います。

Mリーグでは審判制度があるので、審判が自らの責任の下で「これは故意とは認められないため、規定に則ってチーは成立したうえで和了放棄とする」と表明するプロセスを踏む(省略してもいいけどそのプロセスがあることが周知されている)のならば問題ないと思います。

したがって今回の件は(煮え切らない説明とかに不満は感じるものの)、起きた事実としては特に問題ないかな~というのが私の感想です。

ただこの理屈が成立するのは審判制度がしっかり機能しているという前提の話です。
見せ牌や強打など、TLでは「当初発表されたルール内容と逸脱するのではないか」と話題になっている場面が散見されます。
判断はどちらでも良いので、審判が自らの責任によってこれはこっちです、と裁定しているところを見せれば、今後も起こりうる各種の問題にも対応しやすくなると思うんですけどどうですかね。

ある意味で「審判の判断に委ねる」というのは最強の明文化(もちろん誤審問題など責任がつきまとうけど)とも言えるので、その理は生かせる方が良いと思います。

晒し間違えにせよ少牌にせよ、ずっと続けてれば必ず起きる事象じゃないですか。
今回朝倉プロはTwitterですごく謝られていて、少し気の毒にも感じてしまいます。

細かく明文化されたルールというのはねちねちと選手を縛り付けるものではなく、むしろ
「ルールに則ってペナルティを受けたのだから選手にそれ以上の責任はないぞ」
と言って、選手を守ってくれる存在だと思っています。



昨年の10月くらいからブログの更新を頑張ろうと思い立ち、12月には一応の目標であった1万pv/月を達成しました。

この調子で頑張るぜ、となればよかったものの気が抜けて1月はほとんど更新せず、たぶん3000pv/月とかそんな感じに(確認すらしてない)。

そもそも戦術論はnoteに投稿することにしたし、Mリーグの観戦記や戦術本のレビューはYoutubeでやってるのでブログに書くことがあまり無いんだよね・・・

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noteとYoutubeもよろしくお願いします
押し引き講座など戦術論を主に執筆してます。
平澤元気/note

手作り講座などの戦術論や、戦術本のレビューなどをしてます。
Youtubeチャンネル

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ということで、戦術論ではないけどもしかしたら誰かの役にたつかもしれないもの、かつシリーズもので投稿数を稼げる記事をブログでやってみようと思います。

題して「強者のロードマップ」

私の成績が強者と呼べるものであるかどうかはさておき、麻雀初心者だった私が今の実力になるまでに、どんなところにつまづいて、どんな学習をしてきたか、という話をしてみたいと思います。

人それぞれ持っている背景も、能力も、環境も違うので、これがそのまま当てはまる人は少ないかもしれませんが、戦術論そのものではなく「強くなり方」「勉強の仕方」として少しでもヒントになれば幸いです。

私が麻雀をはじめたのは高校3年生のころ。
今ではラーメンの食べ過ぎで全身チャーシューみたいになっていますが、当時は陸上部(短距離)で部活ガチ勢でした。

けれど夏になると部活も引退。
時間を持て余すようになります。

受験勉強というものに興味が持てなかったのでなんか新しい遊びはないものか、と考えていたところ友人数人と「麻雀を覚えてみよう」となったわけです。素人だけの集まりだったので、みんなでガラケーを片手に、麻雀のwikipediaを見ながら点数計算なんかをしていました。

もともとカードゲームが好きだったこともあって、ボードゲームや頭を使うゲームは得意で、当時はあまり負けなかったように記憶しています。

初心者同士の対戦なので、それまで積み上げた努力の量はみな同じ。純粋にセンスの勝負です。
(と書きつつ、大した対戦数ではなかったので、単にツイてただけかもなとも思っていますがw)

先天的な麻雀の能力というとまず思い当たるのは形に対する理解です。
いわゆる牌効率とか牌理とか呼ばれるものの初歩の部分、パズルゲーム的な要素でまずその人のセンスが出てしまいます。

当時の私は「待ちがわからない」といったことはほとんどありませんでしたが、一方で中ぶくれ形が優秀な形であるということは、自分では気づくことができなかったりしたので「牌効率は自力ですぐに覚えたぜ」という感じでもなかった。
なのでまあ私の先天的な麻雀センスは「普通」「平凡」という評価がちょうど良いんじゃないかなと思います。

そういえば天鳳七段になるくらいまで
一萬:麻雀王国五萬:麻雀王国八萬:麻雀王国

と孤立牌を持っているときに八萬:麻雀王国を切っていた覚えがあります。
自分の力で新しいゲームを攻略していく能力は全然無いんですよね。
一方で本などから学んだ知見を整理してつかいこなすことは得意だったので、本を読むことが雀力の向上にダイレクトにつながっていきました。

話を戻しましょう。
そうやって友人たちと手積みの麻雀を打ち(もしくは学校帰りにPSPの麻雀格闘倶楽部で通信対戦をして)高校生のうちに点数計算もある程度できるようになりました。

大学に入ってからはリアルの麻雀もやりまくった一方で、天鳳とも出会いました。
ただ天鳳は三段まではストレートに進んだもののいいくら打っても特上卓に行けません。
やっとの思いで四段に昇段できたときにはレートが足りず、そこで一旦天鳳はやめました。
成長が実感できないゲームはおもしろくないものです。

逆に言えば、ゲーム性がどうとかというのとは別の次元で、自分の成長が実感できればおもしろい。
仕事もゲームもそうですよね。

私の麻雀人生にとって、その最初の「成功体験」を得られたのが次の2冊の本を読んだときでした。




特上卓に行けなかったころの私というのは、まっすぐに手を進めてなんでもリーチを打っていたので(もちろん複雑な牌理など全然できてない部分はあったにせよ)、攻撃面はまあ特上卓にいける最低限の水準はあったと思います。

一方で守備はダメダメ。
というか守備とか押し引きという概念がありませんでしたね。スジっていう言葉を知っていたかどうかも怪しいw
不完全な牌理の知識=最速の手順を必ずしも踏めるわけではない、にも関わらず、棒テンを目指し、ベタオリはできない。そんな感じだったのだと思います。

それが上記の2冊を読んだことで「1シャンテンで相手のリーチを食らったらベタオリする」という原始的な押し引き基準を身に着けることができました。

新しい天鳳アカウントを作り、ベタオリを徹底しただけで、あれだけ苦労した三段坂を簡単に上り、あれよあれよと天鳳五段までいくことができました。
一般的にベタオリは、攻撃にくらべて「つまらないこと」とされています。
初心者にベタオリを教えてもつまらないから、まずは自分が和了ることだけを考えよう、そっちの方が麻雀が好きになるよ、なんて言う人もいますよね。

もちろんそれはそれで一理あると思うんですが、このころの私はベタオリを楽しいと感じていました。
相手のリーチを受けて、メンツから中抜きすること、それ自体に快感を覚えていたように思います。

だって、その行為によって間違いなく自分は「勝利」に近づいている。そしてそれが明確に数字として表れている。この牌を中抜きすることによって、あれほど憧れた「特上民」でいられる。
それが楽しくないわけがないんですよ。

和了るのが楽しい。
きれいな手役を作ることが楽しい。

麻雀の楽しみ方は様々ありますし、それらは他人が否定できるものではありません。
しかし何を楽しいと感じるか、その感性そのものが環境によって構築されるのが人間という生き物です。

その行為によって勝利が手に入るということを脳が認識すればどんなことでも楽しい、という側面も間違いなくある。
勉強が楽しい、仕事が楽しい、という人がいるのはそういうことでしょう。
毎日何時間も勉強して、それなのにテストの点数は全く変わらない。そんな状況で「勉強を好きになれ」っていうのは無理があります。


そういえば、その直後くらいに場末っぽいゲーム代が600円するタイプの雀荘に行きはじめるんですが、相手のリーチを受けたときに「俺はここでこの牌を中抜きできるからあんたらに負けねーんだよ」と思ってた覚えがありますw

事実そのお店では平均順位2.3台の成績を出せていたのですが、今思えば「そこでシャンテン押しができないことがそのあとの自分の停滞につながるんだぞ」という感じですねwまぁ、それについてはまた次回。

最近、みーにんさん、nisiさん、とつげき東北さんという著名な麻雀研究者3人による研究組織、麻雀数理研究会が発足されました。

麻雀数理研究会

詳細については上記リンクからどうぞ。

書籍等で広く使われ、一般の方の目に特に触れる機会の多い研究、という意味においてもっとも多くの麻雀研究をされている3人が会員となることで、主にマネタイズの部分等を組織的に管理するための会、ということですね。

私自身、書籍においても、また1人のプレイヤーとしても、この3人の研究には非常に助けられておりますし、またプライベートにおいても交流を持たせていただき、大変お世話になっています。
麻雀研究をさらに発展させるという意味でも、やはり相応のリターンを受け取ってほしいなと思います。
(私は何度も無償でデータを使わせていただいているのでそんな立場で何を言ってるんだという感じもしますが、それもふまえてこれからはしっかりと報酬をお支払いした上でお互いの利益になる関係を築けたら良いなと思ってます。)

で、代表を務められるみーにんさんのnoteでこんな話題が


麻雀数理研究会への入会条件に関する私見



この質問への回答で、簡単に言うと「麻雀数理研究会に入会できるのは数理的麻雀研究ができる人であるのが条件」ということでした。

そりゃそうだ、っていう話ではあるのですが、質問者の方の考えもわからんでもないので私の所見をブログにしてみようと思います。


記事内で麻雀数理研究会の目的は

麻雀について数理的観点から調査・研究し、その結果を公開することで、麻雀文化の発展・向上を図ること

とされています。
この目的を達成するためには、実際の研究者の他にも

・プレイヤーの視点からデータに関するディベートができる人材
・生まれたデータを一般のプレイヤーが使えるように分析するアナリスト
・そうして生まれたデータや戦術論を広く発信するクリエイターやインフルエンサー

といった役割が必要であると考えることできます。

現状は御三方がこれらの役割もこなしているような状態ですが、それぞれの役割をより専門的にやっている人と手を組んだ方がより目的を達成しやすいんじゃないの?

ってのがこの質問者の方の考えだと感じました。

この考え自体は同意できますし、またその役割の中に私の名前を挙げていただいているのは大変光栄です。

しかしながら

それら全ての役割を麻雀数理研究会という1つの組織だけで賄おうっていうのは違うんじゃないの?

ってのが私の考えで、みーにんさんの回答もそういうことだと理解しています。

麻雀数理研究会はあくまで研究者の組織。
そこに対して、プロの方々や天鳳のトッププレーヤーが(価値のある)疑問を投げかけディベートをする。
私や福地先生のようなクリエイターが、戦術論として世に広げる。


これいいんじゃないのかなって。
一つの会社で全部賄うより、それぞれ専門分野をもつ会社やフリーランスが業務提携して1つのサービスを作るようなイメージ。

ちょっとわかりづらいかもしれないんですが

「麻雀数理研究会の中にプレイヤーもクリエイターも必要でしょ」

って考えは

「数理研究会の外側の僕らは研究の中身には興味ない(結論として出てくる戦術論には興味ある人もいる)よ」

って言ってるような感じがして、それは問題だな、って私は感じるんですよ。

もちろん、興味ない人は興味ないで良い(そもそも麻雀は娯楽だからね)んですけど、「本気で強くなりたい人」とか、「仕事として麻雀を扱ってる人」とかは、数理研究会に属してなくてもある程度のリテラシーを持っておくべきでしょ、ってのが私の考えです。

例えば「場況によるって回答は逃げだ」っていう主張があります。
もちろん言いたいことはわかるし一理あるとも思うんですが

一方で場況を加味した判断に対して「データがあるから」って答えは答えになってないとも思うんです。

例えばピンフドラ1を場況や点数状況判断からダマにした局面があったとしましょう。

平面的にリーチが得だなんてことは百も承知でダマにしてるわけです。

これはすなわち

「この状況というのはデータの前提となっている状況とは大きく乖離するんじゃないですか?」

という質問です。

それを否決したいのであれば答え方は

「いや前提となる状況以上にダマ有利となる要素は見当たらない」



「確かにダマ有利となる要素はあるが判断が覆るほどの大きな影響はない」

のどちらかであるべきでしょ。

日本人は米が主食です、というデータがある。

それに対して「この町は外国人が多いからパン食べてる人も多いんじゃないの?」って聞いてるのに

「いやいや日本人は米が主食ですってデータあるんだよ」って答えたら

会話成立してないでしょ。

そこは

「確かにそうかもしれないね」

とか

「そうはいっても半分以上は日本人が住んでるんだから結局米食べてる人の方が多いでしょ。外国人だって日本の生活長かったら米食べるだろうしさ」

みたいな。それが会話のキャッチボールじゃないですか。
データを出すことはできなくてもデータを使った会話のキャッチボールはできるべきだろうと思うし、それって雀力の問題も多少はあるけど基本的に理科のリテラシーの話だと思うんですよね。

私が実家に帰るとおばあちゃんがよく

「魚を食べると頭がよくなるんだぞ!仕事できるようになるぞ!」

って言ってきます。
私のことを思っていってくれるありがたくて微笑ましい言葉ではあるんですが、さすがにそれはドコサヘキサエン酸の力を過信しすぎだよおばあちゃん。

ドコサヘキサエン酸(DHA)という青魚に多く含まれる必須脂肪酸は、認知症の予防等に効果があるというデータがでている一方で「そんな意味なくね?」って論文もあり、評価は定まっていない、というのが一般的な理解のようです。

「認知症に効果がある」「効果はない」「リーチが良い」「ダマが良い」。データを使っても両方の知見が生まれうるものにおいて、メディアが片方だけを取り上げることはよくあります。
それをみて、その片方だけを真実だと思い込む。果ては「頭が良くなる」という拡大解釈まで生まれる。

なんだかなーという気がしてしまいます。

まあ青魚は食べて悪いことはないんで、このおばあちゃんの言葉なんてのはなんの問題もないわけで、ありがたくうけとって私はサンマやイワシを口に運ぶわけですが、麻雀は、本気で強くなりたいと思ってる人にとっての麻雀は、そういうことじゃないんじゃないかなーと思ってしまいます。

社会ってのはそういうもんだよって言われたらそういうもんなのかもしれませんが

私は「麻雀数理研究会に属していない」「数理的な研究者ではない」人間という立場を活かしながら「麻雀文化の発展・向上を図ること」という目的に寄与できるコンテンツを作っていけたら良いなと思っています。

偉そうに言ってはいますが私だって理解していないことだらけなので、日々勉強しながら、それをコンテンツ作成に活かしていきたいですね。


先日とある麻雀コミュニティの勉強会に講師としてお呼びいただきました。



報酬をいただいてこういったことをするのがはじめてだったので、できるだけちゃんと準備をしていきたいなと思って事前に特に聞きたいテーマをうかがって、それに合わせて資料を作成していきました。

勉強会関係なく読むだけでも完結するコンテンツとして公開しているのでご興味あればよろしくお願いします。


副露の技術/平澤元気note


ダマテン警戒の技術/平澤元気note


メンタル管理のロジック


これにあわせてその場で牌を用いた応用的な説明や質疑応答をして、最後に実戦という流れでした。

今回は、こういった講師を招いた勉強会(セミナー)というコンテンツについて感じたことを書いてみようと思います。
私自身にそれほどこの手の需要があるかはともかく、例えばMリーガーが講師を務めるセミナー、みたいなものはコンテンツとして成立するのかな?という話です。


まず最大のメリットは、聞きたいことをクリティカルに聞けるということだと思います。

昨今は素晴らしい戦術書がたくさん出ていて、基本的な問題や一般化できるセオリーならば大抵はそれらの本の「どこか」に書いてあります。
けれど普通に仕事をしていて、余暇の時間には麻雀を実際に打って楽しみたい、という人がそういった本を片っ端から読むというリソースを割くのは(その特定の内容を探すために、という意味では)無駄が大きい。

であれば、だれか信用できる講師を呼んで聞いてしまうほうが、リソースコスト(時間、手間)を含めたトータルコストではお得になることもあるかも?

あとは麻雀特有のものとしてルール対応の問題がありますよね。

今回の勉強では「普段赤6東風戦を打っているんですが」というお話があったので、そういった場合普通の戦術書なんかで書かれている押し引きがどのように変わるか、という話をしました。

一般的に配信されるコンテンツというのは有料のものも無料のものも「より広い範囲の消費者に届くように」という思想で作られるのが基本です。したがって、ニッチなルールや戦術論は扱いにくい部分がある。

例えば「自分はプロ団体が主催するプロアマの大会を勝ち進んでタイトルがとりたい」とか「自分はプロ連盟公式ルール(一発裏無し)の競技会に参加するのが趣味で、そこで勝ちたい」という人ならば、私や天鳳系の著者が書いた本を読むよりもその団体で結果を出しているプロを講師として招いた方が、よりそのルールにアジャストした戦術を学ぶことができるでしょう。

また、お互いにコミュニケーションをとりながら説明をしているので、一方的に発信するコンテンツに比べて、より的確に相手の疑問に回答できるというのも、普段本を書いている身としては新鮮でよかったですね。


デメリットとしては金額と需要ですかね。

私はともかくトッププロを呼ぶとなったら、普通に考えたらその人を雀荘に呼ぶゲスト料と同程度の金額を払うことになると思います。
それを参加者だけで支払うとなったらなんとなく良いお値段になるような印象はあります(実際のゲストの相場をあまり知らないので想像で言ってますがw)。

さらに、そういう金額を支払って麻雀の勉強をしたい人、というのも、あまり多くないでしょうね。
というわけで今この瞬間は需要はなさそうですが、Mリーグの盛り上がりもあるし数年後にはまったく可能性がないとも言えないのでは?

どこかのプロ団体とかが主導して、しっかりとクオリティや料金体系を整えたコンテンツとして完成させれば、おもしろいような気がします。


あけましておめでとうございます。

新年なので、今年の目標というか少し自分語りをしてみようかなと思います。

昨年、2018年のはじめに、3年くらい勤めていた会社を辞めました。麻雀で生きていきたいなと思いまして。
もともとは、会社員を定時までやって、あまり残業はせず余暇の時間で麻雀に関する活動ができればいいなという考えだったんですよ。
実際に、定時で仕事を終われる良い会社で、余暇の時間で天鳳を打ち込んだことで段位が上がって本まで出版させていただきました。ほぼ当初の目標通りです。

ただ社会人を何年かやってると、やっぱり仕事でも「勝負」したいなと思うようになりました。

私は著書でも書いてますし、こちらの記事


「魅せる麻雀」に魅せられる人と魅せられない人

にも書いている通り「競争」が好きなんです。
勝ったり負けたりするのが楽しいし、勝てるようになったらもっと楽しい。

でも勝つには努力しないとですよね。リソースを割かなきゃ勝てない。
サラリーマンという土俵で勝負して勝ってる人は、やっぱり定時で帰ってないんですよ。少なくとも自分の周りでは。

じゃあ自分もそっち側にいくかといったら、麻雀を捨てられるわけもない。

そしたらどうすんの、っていったら「自分がいくらでもリソースを割きたいと思える土俵で勝負する」ってのが合理的な選択に思えました。

自分にとってその土俵はなんだ、ってなったらやっぱり麻雀と、あとは文章を書くことでした。

平日に22時まで残業したらしんどいなあって思うけど、朝9時から22時まで麻雀したってなんにもしんどくないんですよ。

来週までに資料作らなきゃ!ってのは憂鬱でも、それが麻雀本の原稿ならどんどんアイデアが湧いてきて楽しいんです。

働き方改革とかブラック企業とかってワードをよく目にしますが、自分自身の意志でブラックに働きたいと思える仕事だったら楽しいし結果もでやすいし、それが一番でしょ、っていう。


ということで2018年はじめに独立し、まずは比較的収益を見込みやすい文筆業の方に力を入れました。
最近だと




この本の制作に携わらせてもらいました。せっかくなので宣伝ですw
よかったらリンク先ちらっとでも見ていただけると嬉しいです。

今年も出版系の仕事はたくさんさせていただく予定で、ライター以外にも編集系の仕事など、いろいろチャレンジしていけたらと思っています。

一方でひとまず出版系で生計も立てられるようになったので、もう1つの土俵であるところの「麻雀」も今年は本格的にやっていきたいなと。

といっても、プレイヤーとしての研鑽やリーグ戦、天鳳などの活動は今までもやっていたので、力を入れるのはマネタイズの方ですね。
しっかりと皆さんに価値を提供した上で、上手に対価を受け取る仕組みを作っていけたらなと思います。

と言っても有料のnoteなんかをバンバン書いていくかというととりあえずはそんなこともなく、ひとまずは無料コンテンツを充実させていく予定です。



私は、麻雀の基礎的な戦術論ってある意味で「インフラ」だと思うんです。

例えば愚形でも先制ならリーチ、というセオリーを知らない人がMリーグを見たら「こんな愚形リーチ打って全然手役も狙ってないしこいつ本当にプロかよ」みたいな感想を持っちゃうわけじゃないですか。

ドリブンズの園田プロの麻雀なんて、めちゃくちゃ面白いし事実天鳳民のようなヘビーユーザーからはめちゃくちゃ評価されてるように見えますが、はじめたばっかりの初心者にあの鳴き判断のおもしろさが伝わるかって言ったら難しい側面もある。

「戦術論」ってガチ勢が勝つためのツールであるだけではなく、ライト勢を含めた全ての麻雀ファンがMリーグをはじめとした様々なコンテンツを楽しむためのツールでもあるんじゃないかなと。

だとしたら、その戦術論の中でも初心者が覚えるべき基礎的な部分っていうのは麻雀界におけるインフラとして必要なものということになる。

もちろん、Mリーグでは解説だけでなく観戦記や公式twitterなど様々なところでそれをカバーする仕組みが動いてるので素晴らしいなと感じる日々ですが、Mリーグ以外の部分まで含めて麻雀界全体で考えるとまだ十分とは言えないかなと。

なので、そういったインフラを整備する意味で、無料コンテンツをガンガン作っていきたいなと。
その中で私の作るものに価値があるなと感じてくれる人が増えたならば、その中の何割かがより上級者向けの有料コンテンツ(戦術本やnoteなど)を買ってくれたらいいなと考えています。

とりあえず今やっているのは

noteでの押し引き講座
押し引き講座はじめました

スマホアプリでの牌理問題



あとは今週末あたりからYoutubeでの手作り講座もはじめようと思っています。

平澤元気麻雀ch.from雀劇tv



というわけで、今年はこれまで以上に麻雀にコミットして活動していきたいと思っているのでよろしくお願いします!!!


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