2010年10月03日

常識で分からない1

どちらに曲がるのか、
歩行者として私は、ぬっと出てきた車の
ウィンカーを確かめる。
だが、
ウィンカーを出さずに曲がる車がある。
 
車どうしでも怖いが、
最も怖いのは、やはり歩行者である。
なにしろ、相撲を取れば確実に負ける。
死ぬ可能性もかなり多い。
 
止まったほうがいいのか、
先に出たほうがいいのか、
一瞬のうちに、歩行者は考えている。
ただし、ウィンカーを示した車に対してだ。
出さない車は、どう出てくるか分からないから、
立ち止まるし、大きなストレスがかかる。
 
「どったに曲がるか、見たら分かるだろう」と
ハンドルを切った運転手は言いたいかもしれない。
たしかに、確率としてこちらに曲がる可能性が高い、というのは分かる。
だが、あくまでも可能性の問題であって、
車がどちらに曲がるかについては、分からないと言ったほうがいい。
 
「常識的にこっちと分かるんじゃないか」と
運転手側は呆れるかもしれない。
だが、である。
 
目の前のその運転手が、
間違いなく、常識に従って運転する、ということを、
歩行者はどのようにして知ったらよいのだろうか。
運転手たるあなたは、分かり切っているかもしれないが、
歩行者たる私は、
あなたが非常識なことをしないドライバーだということを、
まだ知らないのである。
 
同じことは、今度は私が運転手であるとき、
脇道をこちらの主線に向けてやってくる車についても言える。
スススッと走ってくるその車を見て、
私はクラクションを鳴らす。
あるいは、すぐに止まれるようにブレーキをかけ始める。
 
「飛びだしてくるはずなんか、ないでしょう」と
その車の運転手は、言いたいかもしれない。
たしかに、かなりの確率でそうだろう。
しかし、あなたがそのスピードでいるにも拘わらず
主線であるこちらの前でピタッと停止するということを、
私はまだ知ることができないのである。

(続く)


lc1baku at 00:10│Comments(0)TrackBack(0)パブリック | 精神

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