2010年10月08日

唱歌を遺したい2

生物も、滅亡が囁かれているものが数多い。
これだけ都市部ではまともな生き物の棲む場がなくなるのだ。
生物が減らないほうがおかしい。
動物園でおなじみの動物にしても、
実のところ絶滅が避けられないという悲観的な状況のものもある。
このサイトで目立たせているパンダはもちろんのこと、
カエルですら、かなり危ない。
いや、全身の皮膚でも呼吸のできるカエルだからこそ、
環境の影響をまともに受けてしまうのであろう。
 
歌もまた、いつしか絶滅が危惧されるものとなる。
その時だけの商売的な流行り歌ではなく、
歌い継いでいきたい、芸術的でもある、唱歌。
作者の名前を時に隠してしまう公的な意味も含ませて、
今となっては誰が真の作者か分からない事態も生んだ。
聞いたこともない子どもがやがて成人し、
いよいよ誰もその曲を知らないようになっていく。
 
悲観的に見ればそういうことだ。
しかし、種としての役割を担った生物ならば理由があるだろうが、
明治大正の唱歌なるものが、
それほどにどうしても残さなければならないものなのだろうか。
 
このラジオのリスナーは、若い人も少なくないが、
そこそこの年齢の方が多い。
ラジオ深夜便よりは若いかもしれないが、
ベテランの部類の人がけっこういることだろう。
この人たちにとって、唱歌が懐かしいのは事実である。
だから、自分が子どものときに聞き、また歌った歌を、
自分の子や孫に伝えたい、と思うのも自然である。
ただ、残したい理由が、自分のノスタルジアにあるのみだとすれば、
本当に残さなければならないか、という疑問も生じてくる。
 
読書という文化もまた、絶滅の危惧の中に置かれている。
マンガも本だし、ひとつの文化であるが、
マンガは読書のもつ世界とはまた違うところを泳いでいる。
著者のもつイメージを客観的なものであるかのように
定着させようとする働きがマンガにはあるから、
マンガだけでは、読書の広く深い愉しみは
残念ながら十分に伝えられないであろうと思われる。
 
(続く)


lc1baku at 00:08│Comments(0)TrackBack(0)趣味 | 思い出

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