2010年10月11日

時間的なことば・空間的なことば

ことばなるものは、考えてみれば、
同時に二つのものを示すことができない。
 
そもそも、ある瞬間その時だけを考えてみると、
その瞬間には、一つの音しかそこにはない。
ゼノンの飛ばない矢ではないが、
瞬間において、ことばは成立しにくいのだ。
 
もし、その一語だけでことばとして成立し、
何かを伝えたとしよう。
「き」と言えば、木のことかと分かるように。
しかし、それでも、一語である。
二つの情報はとても盛り込めない。
 
ことばは、時間の軸に沿って流れる。
その流れの中で、次々と意味が伝えられていく。
そのため、ことばを送る順序というものが大きな役割をもつ。
一つの文があるとする。
その最初の言葉は、けっこう重要な役割ではないだろうか。
また、余韻を残すという理由なのか、
最後の言葉というものも、重要なものと見なされないだろうか。
 
聖書のギリシア語を見ていると、
文頭に何が来ているか、文末は何か、
よく注意してみると、面白い。
何を筆者が強調しているか、分かる。
残念ながら、多くの日本語訳では、これが分からない。
文頭が何であるか、日本語で流暢に記すと、
原文のそれとは一致しないのだ。
 
ところが、手話は違う。
もちろん、時間の中で動いていくのは確かなのだが、
結果的に音の言語とは違う性質を確かにもっている。
空間を利用して示すのが手話であるから、
右手と左手の位置や向きにより、
一瞬の中で、複数の内容、あるいはまた、
複数の人の立場を同時に表すことも可能なのだ。
 
これを伝え会う言語としての手話を使っていると、
言葉としての日本語とは
きっと違う発想が生まれてくる。
というより、考え方のパラダイム自体が異なるであろう。
 
日本語を英単語だけで英語に置き換えることが無理なように、
手話もまた、単純に単語置き換えでは済まされない世界である。
ろう文化というものが認められるようになってきたが、
それがいったい何であるのか、
まだ明らかになったとも言えないし、十分調べられているわけでもない。
ようやく両者の梯ができようとしているこの時代、
互いの理解が進むことを願わないではおれない。


lc1baku at 00:11│Comments(0)TrackBack(0) ことば | 福祉

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔