2010年10月18日

そこに身を置く政治家

普天間基地の移転問題。
報道されている以上のことを知ることはできないが、
現地の人々は、
これまで重ねられた半世紀以上の歴史の中にあり、
そうした重みはどれほど考慮されているか、疑わしく見える。
 
アメリカとの外交関係と、
経済的その他政治的判断ばかりで
甚だしくは選挙対策として扱われているかのように。
 
現実的ではないが、
一つ案を出してみよう。
 
国会議員とその家族が、
米軍基地に隣接して住むきまりにするのだ。
 
国会議員となったら、
米軍基地の横に住まなければならない。
こうして、基地と共に日々を暮らすとはどういうことか、
知る環境に浸るのだ。
どうすればよいのか、そこから何か見えてくるのではないか。
 
もちろん、名義だけそうやって
実質他に住む、などの逃げは許されない。
少しでも現実味を帯びさせるならば、
そんなことをしたら、直ちに国会議員の資格を剥奪するのだ。
痛みを覚えることから逃げるような人は、
法律を決める資格などないと見なされるのだ。
 
同じ痛みを味わうということで
その問題を解決しようとするのが、
基本的なスタートであると理解できる。
ナイチンゲールが現場に行くことを求めたのも
本能的に、使命的に、そうしたのかもしれない。
田中正造議員は、その意味でも立派な人だった。
 
私の案は、くり返すが、現実的ではない。
浅はかな考えである。
だが、苦しみ虐げられる人の身になって
そこから人を助けるというのは、
古来、庶民の憧れであったのではないか。
日本人がそれを好きなことは明らかである。
時代劇の多くが、そういう形式をとっているではないか。
 
水戸黄門だの、遠山の金さんだの、暴れん坊将軍だの、
人気の時代劇が思い出されたとき、
そのような代表の極みである、
キリスト・イエスのことが、
伝わらないはずがない、と私は思う。
 
福音を感じる地盤が、
日本にはない、などと言う必要はないであろう。


lc1baku at 00:14│Comments(0)TrackBack(0)パブリック | 聖書

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