2010年10月16日

ベンチのつながり1

駅や公園のベンチ、
いつからか、デザインが大きく変わっている。
一続きの長椅子状ではなくなり、
ひとつひとつ個々に座る椅子となっている。
 
昔はこのスタイルは殆ど見なかったが、
今はこれが圧倒的に多い。
 
隣りに座る人とくっつきたくない、
距離を置きたいということだろうか。
たしかに女性にとっては、
男性と隣りに座っても、これだと接触しなくても済む。
椅子と椅子との間には、荷物置きの台があるなど、
かなりの距離があるからだ。
 
袖すり合うも多生の縁、とやらに、
ベンチに並んで座った人と会話が弾む、
などといった風景は、もはや幻想に過ぎないのだろうか。
 
他人にはまるで関わらない。
それは、電車内でも同じだ。
いちいち例は挙げないが、今日も不愉快な思いを私は覚えた。
どうしてそれほどに、
他人に無関心で想像すらしようとしないのか、と。
 
ベンチであるから、実は下部はつながっている。
ただ、椅子だけが独立している。
このために、隣りにいる人は自分の埒外に完全に置かれる。
それで、私はこういう体験をした。
 
駅で電車を待っているとき、そうしたベンチに座っていた。
こういうとき、私はまず例外なく本を読んでいる。
と、地震かと思う揺れがあった。
二つ隣りに、背広を着たおじさんがいた。
この人が、扇子を、力一杯振り回している。
猛暑の時季ではない。今月、秋めいた頃だ。
ばたばた扇子を動かすと、ベンチ全体が揺れまくる。
本が読めない。
 
もちろん、ここが問題だ。
そのおじさん、
横のほうの私ががしゃがしゃ揺れていることに、
全く気づいていない。
 
女子高生などは、
足をぶらんぶらんさせて楽しくお喋りすることが多い。
同様に私は大揺れして、本の字がぶれて読めない。
 
本が読めないことを咎めているわけではない。
他人を揺らしていることに、
本人が気づいていないし、
気づこうともしていない点が問題なのだ。

(続く)


lc1baku at 00:11│Comments(0)TrackBack(0)哲学 | 精神

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