2010年10月25日

日常的な暴力に気づかない

少年の暴力事件が増えたとか、
そもそも世の中で、人が切れやすくなり、
暴力沙汰が増えているとかいう意見がある。
 
そうだ、という共感を呼びやすいものだが、
よく考えてみると奇妙である。
人権の尊重が基底にあり、
暴力が追放されている世の中である。
減っているのではないか。
 
真っ白な布には、一つの黒い点のシミがはてしなく悔しい。
汚れまくった布ならば、多少汚れが増そうが、
どうということはない。
 
犯罪が減ったからこそ、
わずかな凶悪事件が衝撃的に報じられる。
世の中は犯罪だらけだ、と思い込む。
 
あってはならない暴力や殺人だが、
実際のところそれは減少していることだろう。
犯罪検挙だけを以て、増減を決めることはできないが、
昔ならば犯罪にも数えられない暴力も少なくなかったはずだ。
学校で教師に殴られた経験をもつ人はけっこういるらしい。
 
冗談で殺人を話題やクイズにした教師が、
ものすごい大事件を起こしたかのようにニュースに挙げられる。
気の毒だと思う。
昔の暴力は批判されず、今の冗談が大事件とされる。
校長の謝罪のみならず、夜中の緊急保護者会とか。
 
如何に平和であるか、の象徴であるのではないか。
こうして冗談が糾弾されている背後で、
子どもも視聴するアニメやドラマでは、
毎日数え切れないほどの人が殺されている。
 
お笑いという名のもとに、
他人を言葉で殺すようなことを言って
笑い飛ばしている。
実際に暴力を振るう芸人は有名人も含めて数知れない。
 
品格のない冗談ではある。
褒められたものではないことは確かだ。
だが、たとえば警察署内で
容疑者とされた人に対して日常的になされている脅しや暴言に比べれば、
そしてまた、法的に熟知した者が法的な偽装をすることに比べれば、
いったい何をそんなに寄ってたかって、と不思議に思う。
(もちろん、教育のプロとして、決定的にまずいとは思うし、
私もそのような冗談は、公的なところで言うことはないだろう)
 
親が子どもに毎日毎日浴びせている暴言のほうが、
どれほど子どもを傷つけているか、
そんなことは何の問題もならないというのに。
 
罪なき者石を擲て。
自分に罪のない者がまず石を投げて人を殺してみよ、という
イエスの有名な場面である。
私たちはいつの間にか、
人を殺すことに対して、無感覚になってしまっているようだ。
せめて、私には罪がある、ということに
気づいたら、どうだろうか、と切に思う。

lc1baku at 00:10│Comments(0)TrackBack(0)パブリック | 精神

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