2010年10月31日

宗教改革記念日

宗教改革。
私もプロテスタントのグループに属しているから、
これを神の導きだと理解している。
 
だが、中学生向けの歴史の本では頼りない。
かちかち山が、幼児向けの単純な絵本で
仲直りの話になど書き換えられていることを
笑うことはできない。
 
諸侯や王族などの利害の絡んだ関係。
罵り合う憎しみの暴徒。
血で血を洗う応酬。
相手を獣呼ばわりする中で自分を神とするような言明。
いわゆるカトリック側からも
当然非難されるようなことが多々あるわけで、
事は白い天使と黒い悪魔の戦いなどではなかった。
 
我が国の国会論戦を見ていても
ひどいなあと思うことがあるとすれば、
そこに無法の暴力や殺人が加わったものは、
この世の地獄のように見えても仕方がないであろう。
 
それでも。
聖書はようやくそれぞれの国の言葉で読まれ、
それぞれに聖書の中の神に出会う道が拓かれた。
キリストと出会うチャンスが広がっていった。
 
聖書というものをどう受け止めるのか、は
人により様々であろう。
だが、これだけの内容の本が、
肉なる人間のアイディアだけでできた、というほうが
むしろ奇蹟であるように私は感じる。
 
ある必然を以て、歴史はここまで来た。
奇妙な必然である。
人間の自由がそこに関係していたにも拘わらず、
神の計画に則った必然があるのである。
誰か特定の人間に過大な責任を負わせるのではなく、
重荷も苦痛もすべて、仕える主人となったイエスに負わせた、
まことに解しがたい不思議さで以て、
今ここに、私が置かれた。
あなたが、置かれた。
 
宗教改革の、醜い現実を思うとき、
歴史のそうした意味を感じ取る機会にもしたいものだ。
宗教改革記念日も、そうしたひとときでありうることだろう。
 
でないと、
たとえばプロテスタント側から見れば、
「宗教改革という正義が勝ったのだ」と誇らしげに考えがちになる。
これは、イエスから見たファリサイ派と同じなのである。


lc1baku at 00:04│Comments(0)TrackBack(0)聖書 | そもそも

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