2010年11月10日

ミスをすること気づくこと

仕事の上でも生活の上でも、
自分の犯すミスというものが目につくようになった。
とても思惑とは逆のことをしてしまうのである。
 
何かでブレーキが利かない、ということもある。
従来は理性で思いとどまっていたと思うほどのことが
どうも感情が先に出たり、判断を誤ったりするのだ。
 
年齢のせいであるかもしれない。
何かしら、記憶による歯止めが利かないのだろうか。
歯車が摩耗しているかのようだ。
 
だがまた、もっと恐ろしいことも考えた。
実は私が私であるかぎり
ずっとこうしたミスばかりだった、ということだ。
単に、これまで自分がミスを犯していることに
気づいていなかっただけの愚かな奴だった、ということだ。
 
これはもう過去のことだから救いようがない。
とんでもない迷惑を多くの人にかけて、
それでいて気づいていない、という愚かさである。
 
その意味では、気づくようになっただけ、
今はまだましなのかもしれない。
人はしょせん、自分を正義として生きていくのでなければ、
とうてい生きていくことができるものではない。
ただそうした哀れな存在であるということに、
せめて気づきさえするならば、
なおそれが神の恩恵であるのだろう。
 
などと、都合の良い解釈をするところが、
すでに狡い大人の計算ということになるかもしれない。
私の自己嫌悪回路がショートしそうだ。
この際限のない愚かさから守ってくれるというのが、
クリスチャンの信仰する神であろうか。

lc1baku at 00:07│Comments(0)TrackBack(0)こころ | 精神

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