2010年11月11日

アニメのタイトル

テレビの子ども向け番組、
たとえばアニメ番組で、
物語のはじめに、その日のタイトルが出てくる。
 
たとえば(ダサイが)「意外な事件」だとする。
それが読み上げられる。
よくある光景だ。
 
私はここでよく、違和感を覚える。
このタイトルを読み上げる声が、
アニメの主役の声であったときだ。
 
この主役は、この物語が始まるそのとき、
「意外な事件」が起こることは知らないはずだ。
だが、物語の始まりの時点ですでに、
「意外な事件」だとその声が告げている。
 
アニメが始まったとき、
この主人公は、そんなことが起こることを知らずに
のほほんとやっているわけだから、
ここで嘘っぽい白々しさを私は感じてしまうのだ。
 
いい大人がなにを、と仰るだろうか。
いや、子どものときからそれを感じている。
声が出ず、文字だけの場合は、それは感じない。
感じるのは、登場人物の声が読み上げたときだ。
 
子どもにとり、アニメは絵空事ではない。
時に自分がヒーローになり、
また感情移入もしてしまう、
一つのリアルな時間空間である。
 
そのリアルさの中に、
矛盾がいきなり入り込んでしまうと感じるのである。
いかにも、
これは演技ですよ、芝居ですよ、と
宣言してしまうようなやり方を突きつけられると、
子どもはもうそこから距離をとってしまうのではないか。
 
小説の中には、
主人公がストーリーテラーとして登場し、
思い出を語り聞かせるという手法がある。
作家の中には、リアリティを失うので避けたがる人もいる。
一つの手法としては面白いし、味わいもある。
落ち着いて話が聞けるかもしれない。
 
だが、子どもはおじいさんから昔話を聞こうとして
アニメの物語を見ようとはしていない。
少なくとも私はそうだった。
主人公がタイトルを読み上げると、
自分の体験として物語に入りたいときに、
いきなり壁を設けられるような気がして、
一歩引いてしまうのだ。
 
こんなことを感じた人は、
ほかにもいらっしゃるのではないだろうか。


lc1baku at 00:23│Comments(0)TrackBack(0) 趣味 | 思い出

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔