2010年11月30日

裁判員と少年

裁判員裁判で、
死刑がいったん選ばれた例が出ると、
次々と死刑の判断が下されるようになった。
ひとつの実例によって、
堰を切るかのように
大きな流れとなっていくことは、世の常である。
 
それは、
死刑を下すべきだという
潜在的な思いの現れであるかもしれない。
 
ただ、いわば心の準備のできていない
素人の裁判官にとって、
それはあまりにも重い責任となる。
この点は、いくら強調しても足りないほどの事実である。
 
先日の、仙台における少年に対する死刑判決は、
その一つの極致でもあったことだろう。
 
基準は「法」というものであるから、
曖昧や恣意的であってはならない。
いわゆる「線引き」が必要なのであるが、
ここでいう「少年」というものも、
どこから線を引くのか、が問題となる。
だが、
誕生日基準の「○歳」だけで、死刑の適用の有無が決定されてよいのか。
裁判員の方々は、そこでは比較的はっきりしていたらしい。
生活年齢の○歳だけでは決めていない、
犯行の残忍さと更正の可能性とを見ていた、と。
 
賢明な判断であるとしなければならないだろう。
しかも、
この結果を、判断を下した一人として
一生背負っていくだろうというコメントも聞いた。
職業人ではない立場からの、真摯な思いと感じた。
 
陰ながらではあるが、
精一杯応援させて戴こうと思う。

lc1baku at 00:24│Comments(0)TrackBack(0)パブリック | ニュース

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