2010年12月12日

情報と教育1

インターネットを使うことで、
多くの新聞の記事や意見を
見ることができるようになった。
 
知識人は以前、
主要五紙を配達してもらい、
その社説を切り抜いて保存するということで、
世の中の意見をまとめ、批評するなどしていたものだったが、
その一紙を購入するだけの費用で
インターネットをつないでおくと、
数分で、それだけの社説を読み、
あるいは保存することができるようになった。
 
情報が溢れているというのは、
よく聞く話である。
 
たとえば江戸時代、
公的な立て札があるにしても
噂話や瓦版で、
自分の手の届かないところで起こったことを、
好奇心いっぱいの思いで
知ろうとした様子が想像される。
実際はどうだったか分からないが。
 
人をだますデマもあったかもしれないが、
概ねそれなりに信頼のおける情報だとされたことだろう。
 
あるいはまた、
バナナの叩き売りや物売りの大道芸のように、
それが嘘と分かっていながら
ある意味でだまされることを楽しみつつ、
金を支払うということもあったことだろう。
 
情報の真偽や信用性について、
的確な判断ができるような背景であったように思われる。
 
しかし、
天下を揺るがす大事件を引き起こすきっかけとなる情報が、
一武士の囁きだけで伝わっていく様子が
よく時代物のドラマで描かれているが、
果たしてどうなのだろう。
殿の仰せである、と文書を見せることがあるが、
それが贋物でないというふうには考えなかったのだろうか。
 
そもそもあの水戸黄門の、葵の紋の印籠だけで
一同がひれ伏すというのは、本当にありうることなのだろうか。

(続く)


lc1baku at 00:09│Comments(0)TrackBack(0)教育 | IT

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