2010年12月29日

つぶやき1

私はずいぶん前から「つぶやき」コーナーを続け、
ほぼ毎日呟いている。
だから、ツイッターが現れたときには驚いた。
まさに「つぶやき」という意訳で紹介されたからだ。
 
だが、私はツイッターをしたことはない。
そんな時間があったら、違うことをしたい。
私の、自称「元祖」つぶやきは独り言だが、
このツイッターは、疑似仲間が発生する。
 
非常に少ない語で限られた発言では、
考えを深めるというような意味合いはまるでない。
何の論拠もないままに
言いたいことをぶつけるしかない。
 
論理的であるとか、
根拠をもつとか、
そうした発想は最初からないのであろう。
 
言い放ったことで、
何かしらのつながりが生じる。
重要なのはそのことであり、
また、沢山の人が追随したという、
どこか人気投票のような価値が出てくるのかもしれない。
 
元来、
身近な人に、自分の意見を言うのが
私たちの生活のあり方であったが、
目の前の人に思い切ったことを言うと、
人間関係そのものに支障が生じるのか、
自分の生活現場からは離れた
一種架空の空間で、発言をしていくことになる。
 
目の前の人間関係ではなく、
離れたところの、ある種バーチャルな関係を結びたがる。
その方が、傷つかない。
スイッチを切れば、もう聞かなくて済む。
 
街の中で、ケータイをいじりながら歩いて、
他の歩行者に迷惑をかける。
車を運転しながらケータイ電話をかけて(メールすらあるのだが)、
現実の目の前の出会いというものは
殆ど無視しているような生活が、身に付いていく。
 
もしも、電子書籍というものが、
効率などの点ばかりでなく、
活字や写真などを
どこか離れたものをバーチャルに受け流すために
便利なものだからという感覚で歓迎するのであれば、
何らかのメリットよりも、何か副産物が大きくなるかもしれない。
 
(続く)


lc1baku at 00:13│Comments(0)TrackBack(0)IT | 精神

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