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ライブドアに物申す!書籍化決定! ライブドアに物申す!
書籍化担当者の編集日記 企画主旨・条件について livedoorメディアとしての考え方

2006年02月16日

浅羽 通明さんより

評論家の浅羽 通明さんよりご意見をいただきました。

以下、全文を掲載いたします。



・ 企業としての「ライブドア」について
・ 「ライブドア事件」について
・ 「堀江貴文」という人物について
・ その他、ご意見・ご指摘等ありましたら、ご自由にご記入ください。


 浅羽通明と申します。アンケートと寄稿のご依頼、ありがとうございました。
ご質問にある「ライブドア事件」ですが、この年明けに世を騒がせた堀江貴文氏逮捕につづく一連の騒動のみをさすのでしたら、当方はほとんど申し上げることはありません。裏社会との関係など事件の真相、全貌ともにまだまだわからない部分が多すぎますし、また違法行為のあれこれについての関心も当方にないからです。
しかし、「ライブドア事件」が、一昨年秋のプロ野球球団買収をめぐる騒ぎから、昨年初めのフジテレビ乗っ取り騒動、著作ほかメディアを通しての堀江氏のさまざまな挑発的発言、その波紋としての「勝ち組」論議に素人のネット株取引の過熱、そして今回の逮捕へ到る一連の騒ぎをさすのでしたら、お答えできる見解はあります。
以下、そうした「拡大解釈」をさせていただいた上で、回答いたします。そのなかで、企業としての「ライブドア」について、「堀江貴文」という人物についての回答も、自然、含まれると存じます。

ライブドア事件は、社会的な祝祭として、小泉純一郎首相が実現した「祝祭民主主義」につづいて来るべき、「祝祭資本主義」の時代を予告する特筆すべき社会現象だったと考えております。
ライブドア、および堀江貴文氏については、このところ厳しいバッシングが諸方面から加えられてます。攻撃する諸氏の論旨の中心となっているものとして、「虚業性」への糾弾があります。いわく、堀江貴文は実質的にIT長者ですらなくM&Aによる株価釣り上げ、売り抜けという要するに投機師でありライブドアはマネーゲームすなわち投機の会社である、それが時代の寵児、日本経済の希望の星、牽引車であるかのごとく騒がれ、素人にまで株投機熱を蔓延させたのは、額に汗してこつこつ働く「実業」の美徳をはなはだしく害するものであるというわけです。
私も、ライブドアは少なくとも一連の騒動から知れた限り、虚業であり、堀江氏も虚業家だったと考えます。ちなみにこれは今回の逮捕を待たず、昨年初め以来、私が抱いていた感想で、講師を務める大学の授業などでもそう語ってきました。大多数の人々は、地道に働くのをよしとし、仕事とはなんらかのかたちで人様のお役に立つことであり、その証として報酬があるべきだとする古風な勤労道徳にもまた、基本的に好感を覚えます。
しかし・・・・・、です。
そうした価値観に好感を覚えはしても、私はライブドアと堀江貴文氏を断罪する世間の大合唱に加わる気には毛頭、なれません。
それは、メディア、政財界、若い世代の相当な部分が、堀江貴文氏とライブドアへ投げた熱いまなざしには、けっして、虚業家に踊らされたとか、莫大な金が動くマネーゲームの華やかさに目がくらんだといっただけで片づけられない必然性がそれはそれであると考えるからです。それはまた、そうした時代の要求を引き受けた堀江氏とライブドアにも、虚業ゆえの大きな社会的価値、社会的存在意義がはっきりとあったと認められるという意味でもあります。

なぜ私はそう考えるのか。
それをわかっていただくには、私が資本制の世の中を人類社会のながい歴史のなかでどう把握しているのか、また資本制の現状をどう捉えているのかを知っていただく必要があります。結論をいえば、私は投資を限りなく繰り返して拡大再生産を続け無限に成長してゆくという資本制の世の中は、人類史上、きわめて特異な形態だったと考えます。そして、日本を含む世界の資本制は、きわめて長期的に眺めての話ですが、そのピークを過ぎ、臨界点、飽和点を過ぎて、古くはJ・S・ミル、近年では広井良典氏やハーマン・F・デイリーのいう「定常化社会」へとランディングしてゆく過程にあると思っております。思えば、投資による拡大再生産を中心におく社会のシステムには、西ヨーロッパにおけるその発生からせいぜい数百年の歴史しかありません。それ以前においては、単純再生産による定常化状態、基本的に拡大発展しない世の中こそが普通だったのです。もっとも当時においても、生産の余剰は生じました。人類は、そうした余剰を、生産性の対極にある活動へ浪費蕩尽して、定常化を維持してきた。ジュルジュ・バタイユ、ロジェ・カイヨワらがそう指摘してきました。
ここにいう非生産的な浪費的活動とは、すなわち、祝祭であり宗教であり文化芸術の活動であります。
ところが、近代資本制が台頭して以来、生産活動が生み出した余剰は、浪費蕩尽されることなく、さらなる生産活動へと投資され、そこから生まれたさらなる余剰は、またまた投資され・・・・、やがてすべての人類社会は拡大と発展の方向へと巻きこまれていったのでした。
こうした無限拡大の運動が臨界点に達している。少なくとも明治以来、殊に戦後の高度成長期に、この拡大と発展の過程をひたすら駆け上ってきたわが国においては、それが顕著に感じられます。バブル崩壊後、長きにわたる不況の要因については、さまざまな見解があります。不良債権、日本的経済構造の弊害・・・・。しかし私は、そうした諸問題も実は枝葉に過ぎないのではないか。そうした疑問を、十数年来抱いてまいりました。
日本人は実はもはや経済成長を望んでいない。意識の上では、景気回復を、失業率低下を、成長率上昇を期待しても、たとえば消費において、もはや本当に欲しいものがなくなってしまっている。それゆえに、コミュニケーションなどをめぐる隙間的需要は生まれても(それは携帯電話とPCメールが供給しました)、市場開拓の余地は根本的に閉ざされつつあるのではないだろうか。それはすなわち、投資先がなくなってしまった、資金があってもそれをもてあまさざるをえない時代が来てしまったことを意味します。昨今いわれる景気回復の状況も、実はこうした観測を覆すには足りません。なぜなら、景気を回復させた需要とは、チャイナ・バブルと呼ばれる輸出であり、さまざまな不安定要因を抱える外在的なものだからです。日本の世の中自体は、需要を生み出す欲望=投資先を失っている、すなわち、成長拡大と発展へのモチベーションを喪失しつつあるのではないか。
思えば、さらなる成長拡大と発展の夢として、最後に人々を誘おうとしたのが、IT革命でした。それはたちまちITバブルと呼び名がいれかわってしまった。昨今のライブドア事件報道をみる限り、ITバブルの勝ち組ともてはやされたライブドアでさえ、2003年には「実業」部門であるIT事業は左前となっていたようです。そして、ITの次の投資先はついに見つからなかったのではなかったか。M&Aという「虚業」がいつしか本業にとってかわって高転びに転んでいったライブドアの軌跡が暴いてくれた最大のものが、このもはや資本の投資先はないのだ、日本にはもはや資本によって変革され成長発展拡大してゆくべき領域は存在しないのだというおそろしい事実ではなかったでしょうか。一連のライブドア事件の最初の花火だった球団買収も、あらたなスポーツへの投資とか、球界大再編とかの方向へライブドアの資金が向けられたのではなく、むしろ旧来の2リーグを維持するメンテナンス的、保守的方向へ投じられようとしていたのです。もはや、資本制にフロンティアはなく、定常化社会が来つつあると私が考えるゆえんです。

投資先がなくなった世の中。消費への欲求が乏しくなった世の中。定常化して地道に働いて日々の生活と喜びを紡いでゆくのが基本となる世の中・・・・。来つつあるかもしれないそんな新時代においても、しかし生産が順調に行われる限り、余剰は生じます。いまよりはるかに生産力が低かった古代でも中世でも生じたのですから。そしてまた、額に汗して働き、ささやかな喜びを味わうだけでは、とても堪えきれない人々の欲動もまた、失われないでしょう。右肩上がりの時代ならば、豊かさへの飛翔を実感させてくれる消費ー三種の神器(とくにテレビ)、3C,庭付き一戸建ては、海外旅行、各種ブランドもの高級品などなどーや、拡大発展を実家させてくれる昇給、出世、事業拡大の夢、日本の軍事的(戦前)経済的(経済的)膨張による満足などが、こうしたロマン的な自己肯定の欲動に応えてきました。しかし、そんな右肩上がりが終わってしまったら・・・・。
いまはるかに思われるのは、基本的に定常的だった近代以前の世の中です。そこでは、余剰は投資されずにどうされたかです。成長発展拡大ではなく、何によって人々は日常を超えたロマン的な充実、実感を求める欲動を満足させたかです。それは非生産的な浪費蕩尽でした。その末裔が祝祭や宗教、文化芸術でした。その系譜は、いわば「虚業」の系譜として、歴史のなかで続いてきました。
衣食住をはじめとする日常の現実をささえる「実業」なくしては人は生きられませんが、同時にまた生きてゆく自らをどこかで意味づけあるいは実感しなければ生きる充実は得られない。そこでそうした意味や実感を供給する「虚業」が必要となるのです。
近代以降も、そうした「虚業」、たとえば芸術や文化はあります。祭や宗教もあります。しかし、それらは、資本制の経済、それと直結した政治、軍事といった領域が具える圧倒的な支配力に比べれば、マスメディアほかの文化資本の、または教育とつながる文化行政の管理下に組みこまれて、かろうじて趣味娯楽の領域で生き延びているに過ぎません。祭は観光資源として続けられる場合がほとんどでしょう。宗教は風化したあげく道徳や芸術や教育と結びついて存命するか、精神療法的なマイナー・カルトのかたちをとるほか、世俗化した世の中において生き延びる道ないでしょう。
それはかつて偉大だった虚業の失墜した姿であります。あらたな定常化社会で、成長発展拡大の代わりに人々の欲動を満たすべき「虚業」の重任を、これらが果たせるとはとても思えません。

それでは、近代以前、経済や政治をも凌駕する力を持ち、世界全体に意味とロマンを与え得た祝祭や宗教が、資本制が成長発展拡大を終え、定常化してゆくこれからの時代に復活するとしたら、どんなかたちをとるでしょうか。
ここ一年間のライブドアの活躍が若い世代を惹きつけた事情を、ジャーナリスト武田徹氏は、産経新聞上で、オウム真理教と比較していましたし、社会学者宮台真司氏は、朝日新聞上で、堀江氏逮捕を最終ステージとする祭りだったと総括していました。
そうです。ライブドアが虚業性ゆえに放った魅力は、祝祭や宗教が本来はらんでいた魅力とごく近かったのではないか。ライブドアと堀江貴文とは、こうした視点からこそ評価されるべきではないか。
ライブドアと堀江貴文の殊に若者を惹きつけた魅力は、Tシャツ姿で、プロ野球やテレビ局の既成の経営陣へ新しいアイディアを駆使して挑戦してゆく改革者のイメージゆえとするのが一般的です。
新しい時代を切り拓く先駆者、日本経済社会の若き牽引者というわけです。しかし、もし、もはや世の中の成長発展拡大がありえなかったらどうでしょう。異形の風体で、権威をからかい、既存の体制をふりまわして、静かな秩序を一瞬、沸騰させ、退場してゆく存在。実業振興の呼び水となる改革者や牽引者ではないが、「虚業」の任ならば立派に果たすトリックスター、スサノオやハヌマン=孫悟空、ロキ、オイゲンシュピーゲルなど祝祭の主人公と接近しないでしょうか。
これとごく似ている例を私たちはもう一つ知っています。そう、昨年のいわゆる小泉劇場をクライマックスとするパフォーマンスとスローガンに満ちた小泉純一郎政権です。
政治や政治家への関心がおおいに高まり、それは時には投票率上昇をももたらすが、その関心は、ドラマとしての政治をワイドショー的に、週刊誌的に享受、消費しているばかりで、自分の問題としてとか自分たちが国の未来を決めるという自覚には乏しい事態を、十年ほどまえから「観客民主主義」と呼ぶようになりました。だが、小泉政権とそれを熱く支持する有権者の状況は、もはや「ドラマの観客」を超えて、スタンディングで手をうち声をあげてノリまくるライブの観客でしょう。それはむしろ、人々が観衆となるのではなく、あくまで一体化する参加者であった本来の祝祭へ近づきます。観るだけでなく支持する。国会でいったん死にかけた郵政民営化法案の運命を皆さんに委ねますと呼びかけられ、勇んで小泉自民党へ投票した多くの若者を含む有権者は、まさしく参加してこそなんぼな祝祭の陶酔のなかにいた。小泉劇場といわれましたが、私はむしろ小泉祭というべきと考えます。
ライブドア事件も、これと同様の興奮を一昨年以来、わが国にもたらしました。投票こそありませんが、一気にひろまったネット上の株取引ブームは、ライブドア株を買う買わないにかかわらず、自分もホリエモン的な世界へ参入して、興奮と陶酔を共有しようという祝祭参加行動だったのではないか。
ここにおいて、民主主義に次いで資本主義もまた、観客資本主義を経て祝祭資本主義となる可能性をかいま見せたのでした。
政権担当や企業活動が、祝祭。こうした評価を、あるいは不謹慎と思われる方もおられるかもしれません。
しかし、政治はもとより「まつりごと」だったのです。企業はどうか。経済が世の中の中心を占めるような資本制の下で生きて久しい我々には、想像するのが困難かもしれませんが、近代以前、中世や古代においては、商人、とくに投機商人は、額に汗してこつこつ地道に働く堅気の人とはいえませんでした。それは、芸能者、武芸者、遊女、巫女や占い師、拝み屋、修行僧、賭博者といった非日常的な領域で生きる人々の一種でした。すなわち「実業」ならぬ「虚業」、日々の生活ではなく時折の祝祭をこそ支える職業、スーツにネクタイよりも、かぶいたTシャツ姿こそがふさわしい虚業でした。遠くは、船乗りシンドバッドやほら吹きマルコポーロのように世界の外からロマンを運ぶ神話的存在だったのも商人、徳川時代には、農工という「実業」よりもより低い身分が与えられたのも商人でした。ギリシャ神話のトリックスター、ヘルメスは商業の神にほかなりません。
丸山真男は、『日本政治思想史研究』のなかで、こう書いています。

「(江戸の商人階級は)新しい生産方法をつくり出す力を欠いた商業=高利貸資本でありその利潤獲得は決して正常的とはいひ難くむしろ暴利資本主義の性格を濃厚に帯びてゐた。彼等は封建的権力に寄生し、それが農民より収取する貢租を直接間接に吸取ることによってのみ生存しえたから、一旦権力の怒りに触れるやもろくも費えるはかない存在にすぎなかった。
かの淀屋辰五郎の運命こそ一般の商業資本の立ってゐる地盤の脆弱性の典型的な証示であった。従って彼等が蓄積した富は忽ち快楽的な蕩尽に泡の如く消えて行った。紀文・奈良茂の数々の馬鹿げた逸話はそこに誇張があるにしても町人的生活態度の一面を語るものではあろう」。

蓄えた富を、次代へと投資することなく、一代で蕩尽してしまう大商人。紀文こと紀伊国屋文左衛門は、危険を冒して荒海を渡りミカンを江戸へ運び財をなした伝説がありますが、史実は江戸の大火災に際して材木買占めで儲けた投機家らしい。そして吉原総揚げなどの伝説をふりまき江戸庶民に祝祭的夢をもたらしたのです。近代主義者丸山真男は、こうした非日常的な存在、すなわち一代の「虚業」にとどまったため、マックス・ウェーバーのいう資本主義の精神、すなわち儲けを投じんせず投資へ向けてこつこつ増やしてゆく「実業」の精神が日本には育たなかったと、批判するためこの文章を書いたのです。しかし、現在、読みなおすと、これは成長発展拡大がありえない定常化社会における非合法すれすれの祝祭的事業家の雄姿として、逆にどこか新鮮な魅力すら感じられないでしょうか。士農工から成るかたぎの宇宙、現実を日常を、額に汗してこつこつ地道に支える生産者たちの世間と平行して、花火のような事業を打ち上げ、夢を繰り広げて、太く短く生きる人々が生きる非日常的領域もたしかに存在しつづけてともにそのその意義を認められている。徳川時代がある程度そうであったかもしれない、そうした重層的世の中こそ、右肩上がりが終焉し、進歩の思想が色褪せ、日常を超えた夢をこれまでのように、成長発展拡大のかなた=「未来」へは託せなくなり、代わりに周期的に繰り返す祝祭として「現在」へ織りこんでゆくほかなくなるかもしれぬこれからの時代にそぐう、成熟したあり方ではないかと思われるのです。

以上のように考えた場合、小泉純一郎とその政権、堀江貴文とライブドアのような、「祝祭的虚業」については、政治的評価、経済的評価、また倫理的、法的評価(そうした評価はまたそれはそれで厳正になされなくてならないのは当然です)とはまた別に、一種の芸術的文化的立場からの重層的評価が必要なのではないか。幾度もの心中未遂への非難とは別次元で太宰治作品の文学的価値があるようにです。
ただし、背徳的な作家や芸術家とちょっと異なるのは、祝祭的政治家や経営者の場合は、その祝祭創造活動そのものが社会的国家的規模で多くの人々を巻きこんでしまわざるをえないところでしょう。すなわち巻き添え、犠牲の可能性と、文化的価値とを分離しがたいのです。そこでやや参考になるのが、犯罪についての文化的芸術的評価ですね。もう四十年近くまえの事件ですが府中市での現金輸送車から三億円を強奪し、ついに迷宮入りとなった事件は、相当の人気がありました。まったく人を死傷することなく、当時の貨幣価値ではとてつもない大金を、実にあざやかに奪ったからです。オウム真理教事件には、それなりにキッチュな祝祭的魅力がありましたが、教団内でも、無関係な一般人にも多くの犠牲者を出しました。これはやはり文化的芸術的評価においても大失点とみなされるべきでしょうね。
小泉政権、ライブドアはどうでしょうか。小泉劇場では、直接の犠牲者はでていないといえないでしょうか。そしてドラマのおもしろさと参加できる祝祭の盛り上がりは充分に評価できるでしょう。いったん死んだ郵政民営化法案を皆の投票でよみがえらせるなど、バリーのピーターパンが観客たる子供たちの拍手で死んだチンクをよみがえらせたに等しい創作力でした。自民党大勝後も、憲法改正をごり押しするなど決してせず、祝祭の充実のみでとどめておくあたりも見事です。ついでにいえば、格差拡大などの問題を小泉改革と結びつけ批判する人が多いですが、私は、仮にそうだとしても、先に申しました日本の資本制の状況、また対米関係の現状にあって、他の結果を出せた政治勢力がありえたとはとても思えません。
さて、ではライブドアはどうでしょうか。
沖縄で自殺か他殺かよくわからない死者がでたのは残念でした。しかし、一般人では株主の多少の損失以上の犠牲はでなかったのではないか。そのうえで球団買収からテレビ局乗っ取りへかけてのデッドヒートするドラマを繰り広げてみせたのはこれまたお見事というべきでしょう。ただし欲をいえば、定常化社会を活性化する祝祭としては、まだまだ規模が小さいうちにエンディングを迎えてしまったらしいのがとても残念です。
球団も、テレビ局も、結局買い取れず、自分の支配下にそれらを置いた後のパフォーマンスは見せてもらえませんでした。これではただ話題をふりまいて虚名を挙げ株価上昇の追い風をふかせただけでしょう。その先です。
私たちが見たかったのは・・・・。堀江貴文氏の発言中、彼とライブドアへ新時代の祝祭を期待した私からみてもっとも興味深かったのは、宇宙ビジネスへの進出でした。これには、メディア革新などよりはるかに、実利を、生産を超越した「虚業」らしいロマンが香ったからです。これが端緒についてでもいたならば、たとえ祭の幕引きが今回のごとき逮捕であっても、祝祭としてかなりの高評価ができたのですが。たとえばモデル飛行用の巨大な有人ロケットへ乗り込もうとする矢先に逮捕されるなどすれば、まるでD・ボウイーの「地球に落ちてきた男」みたいじゃないですか。そこまでゆけば、堀江貴文は、平成の紀文、奈良茂たりえたかもしれません。

ちょっと繰り返しになりますが、そろそろ結論めいたまとめをいたしましょう・・・・。
目新しいもの=新時代の先駆けであるという固定観念にいまだ捕われてる人々は、小泉純一郎も、堀江貴文も、改革者と捉えて、評価したり批判したりしているようです。しかし、そうした固定観念を支えていた無限に成長発展する資本制社会という大前提はもはや崩れていないだろうか。そうだとすれば、新時代を拓く改革者と見えたのはこれまでのパラダイムに捕われた頭が生んだ錯覚で、じつは、双方とも、もはや成長も発展もなき世の中へ、時折、出現しては虚業の花火をうちあげ人々を活性化して、退場してゆく「祝祭者」として捉えたほうが、それこそ来るべき時代が見えては来ないでしょうか。祝祭政権と祝祭企業として出現した未完成なひながた。やがて、定常化社会が自明の前提となる日が到来したとき、我々はその完成品、本物を見ることになるやもしれません。
「次は火だ」「一度目は喜劇、二度目こそ悲劇」かどうかは存じませんが。

長くなりましたが、以上が、一年余にわたるライブドア事件で私が感じた大いなる予兆なのです。



浅羽 通明(あさば みちあき)

1959年生まれ。
評論家。

教養としてのロースクール小論文―講義録

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