2008年07月09日

「風評被害」についてのメディア・リテラシー=岩手・宮城内陸地震を事例に(上)

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(写真説明)
大規模な災害があったとされる栗駒山山中を通る国道398号線。通行止めの区間のほとんどはこんな感じだった。ところどころちょっとした地割れがある。これでは「インパクト」が無いためにニュース価値が低く、報道写真にならない。(撮影:小田光康、6月21日)

岩手・宮城内陸地震の被災地周辺で「風評被害」が広がっている。8日付の毎日新聞電子版は、鳴子温泉郷などの観光地を抱える宮城県大崎市の伊藤康志市長が同日、この地震に付けられた名称について、両県の広範囲で被害が出た印象を与え、温泉宿泊の大量キャンセルなど風評被害を生んでいるため、局地的名称に変更するよう気象庁に求める考えを表明した。同紙によると、7月末までの宿泊予約のうち5196人がキャンセル。経済損失額は5億2000万円と見込まれる。

 わたしはこの地震発生1週間後、被災地の中心部にあたる栗駒山に登頂した。被害はこの山の南側斜面に広がっていたものの、山の北側に位置する岩手県の須川温泉や秋田県の大湯温泉での被害はほとんど無かった。この様子に関しては連載「被災地報道、もう一つの事実」(上)、(中)、(下)を参照していただきたい。

 大崎市長は風評被害の一義的な原因を気象庁に求めるが、わたしはこれと異なった考えを持っている。風評被害の原因をよくよく観察するとマスメディアの局地的、集中的、そして短期的な災害報道の手法にあるといえる。この手法の背景に、ジャーナリズムの世界で共有される価値観として「ニュースバリュー(価値)」と呼ばれるものがある。

 ニュース価値の是非は別にして話を進めよう。定義は各国で若干の差異があるが、代表するものとして米コロンビア大学ジャーナリズム大学院で利用されているジャーナリズムの教科書に準拠したもので説明したい。岩手・宮城内陸地震の災害報道に関していえば、ニュース価値を決めた要因として、「インパクト」「異常性・非日常性」そして「近接性」が挙げられよう。

 まず「インパクト」について。これはより多くの人々に対して、より大きな影響を与える出来事ほど、ニュース価値が高くなり、つまり読者・視聴者にとって関連性が高く、有用な情報であればあるほど、大きく報道されるということである。岩手・宮城内陸地震の最大震度は6強、宮城・岩手・秋田の3県にまたがる被害が発生し、死者・行方不明者は20人以上を数えた。しかも、大規模な土石流もあり、人々に与えた感覚的・視覚的なインパクトは大きく報道するに十分であった。

 また「異常性・非日常性」に関しては、最大震度6強の大地震は「異常性・非日常性」が高く、大きく報道する条件が揃っていたといえよう。「近接性」は地理的な要因と、心理的な要因に分けられるが、岩手・宮城内陸地震は日本国民にとっては四川大地震よりも地理的に近接性が高いし、国内での震災被害が相次いでいることから心理的にも近接性が高いと言えた。だから報道機関はこの地震を大きく取り上げたのだ。

 これらのニュース価値も時間的な経過によって変化する。岩手・宮城内陸地震から時間がたち、そのニュースを繰り返し報道していれば「インパクト」や「異常性・非日常性」といったニュース価値は薄れてくる。被災地の困難な状況が継続しているのにもかかわらず、マスメディア報道が少なくなるのはこのためだ。

 また、ニュース価値は絶対的なものでなく、相対的なものであるという点にも注意が必要だ。新聞やテレビは、それぞれ紙面という物理的な制約と放映枠という時間的な制約がある。これを前提として、すべての出来事から相対的に大きなニュース価値があるものを選別して報道しているのである。別の場所で新たな大きな事件が起こると、これまでの事件の報道が紙面やテレビ画面から消えてしまうのはこのためだ。岩手・宮城内陸地震後、四川大地震の報道が極端に減ったのが一例である。【つづく】



ldpj at 16:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 災害報道 | メディア・クリティーク

「放送と通信の融合」はメディアの階級化を促すのか(8)

livedoor ニュース
掲載記事

(7)からのつづき。情報通信法(仮称)が目指すレイヤー法型制では、記者クラブ制度といった周辺にあるメディア制度と連動して、既存メディアの既得権益を保護すると同時に、言論の幅を狭めていくのではないかという点が危惧(きぐ)される。

 果たして、この階層化を促す法制が情報収集特権を持つメディアと持たぬメディアとを区別し、持たぬ周縁メディアを報道界から排除することにつながる危険性は皆無であろうか。果たして、公権力がメディアの階層化・階級化を強化し、市民社会にとって無益な情報統制が広がる危険性は無いのであろうか。果たして、情報通信法(仮称)が目指すレイヤー型法制が、情報の自由な流通や公正強制促進といった機能を果たすことが可能であるのだろうか。果たして、パブリック・ジャーナリズムといった参加型民主主義の基盤となる可能性があるコンテンツを発信するパブリック・メディアの発展に障害は生じないのだろうか。

 情報通信法(仮称)では、既存の地上テレビ放送といった報道機関を特別メディアサービスと捉え、規制を強化すると同時に特権を与えるようである。このことがメディア界のダイナミックな発展を削(そ)ぐどころか、沈滞を促す危険性すらあるのだ。【了】


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2008年07月03日

「放送と通信の融合」はメディアの階級化を促すのか(7)

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掲載記事

ネット界のジャーナリズム状況を見渡すと、ポータルサイトや検索サイトがネット上の報道言論の中心地となっている 。そこでは提供元の新聞・雑誌メディアやパブリック・メディアからのコンテンツがメディアによる序列なく、並べられていることは周知である。他方、情報通信法(仮称)では、特別メディアサービス、一般メディアサービス、そしてオープンメディアコンテンツと、メディアの階層化によるメディア規制を敷く方針である。ネット上ではメディアそのものよりも、コンテンツ自体による影響力のほうがある場合が多く、メディアをひとくくりにして規制することが実態に即しているか否かは議論の余地がある。

 また、ネットメディアは状況によってテキスト媒体から動画媒体へと臨機応変にその表現形態を変換することが可能であるため、動画配信を主軸にしたメディアの階層化が有効であるか否かにも議論の余地がある。これまで、マスメディアはメディアとジャーナリズムが外形的には一体化されて、その受け手側もそう認識されていたと思われる。ネット時代を迎えた現在、「ヤフーニュースで事件を知った」という例を挙げるべくもなく、情報の受け手側である人々はヤフーというポータルサイトを報道メディアとして認識していることが多々ある。

 実際、ヤフーは自前の報道コンテンツは持たず、これらはすべて外部から提供されたものである。ネット世界ではジャーナリズムのコンテンツを伝えるのはポータルサイトというプラットフォームであり、情報提供元のマスメディアは情報ベンダーとしての認識が広がっている。ネット上では報道言論というソフトウエアが報道メディアというハードウエアが分離されて人々に認識されているのである。

 情報通信法(仮称)では通信と放送といったこれまでの縦割り型法体系を改め、実際のメディア状況に即したとされるレイヤー(階層)型法体系を作り、その階層別の規制を加えようとするものである。このメディアの階層化がメディアの階級化として機能し、パブリック・メディアを含めた新たなメディアが報道言論の舞台から排除され、ジャーナリズム全体の硬直化につながるのではないかという懸念がある。

 問題は情報通信法制そのものというよりも、記者クラブといった周辺にあるジャーナリズムの制度と結びついたときに起こりえる。例えば、記者クラブの加盟条件が特別メディアサービスといった特定階層のメディアに限定されるといった事態である。つまりは公権力が指定したメディア以外は記者クラブに加盟できない、あるいは記者クラブ既存加盟のメディアがそれを盾に新規参入希望メディアを排除するという事態が発生してしまう危険性があるのである。

 メディアの階層化が、その法制以外の制度と連動した際にはメディアが「階級化」することを意味し、また、公権力が暴走しメディアがそのジャーナリズム機能を失うきっかけになることは歴史が証明している。戦前の日本政府が一県一紙体制を敷き、同時に記者クラブを特権化させたことでマスメディアを階層化・階級化させつつ、言論統制を強めていった構図が、いままさに進められている情報通信法策定の過程と重なり合って見える。

 戦前の日本を振り返るべくもなく、これまで日本国内のジャーナリズムのあり方として記者クラブ制度による、制度外部にあるメディアやジャーナリストへの差別がことあるごとに問題化してきた。国内において記者クラブに加盟しているか否かで、取材報道の幅や奥行きに大きな差が付いてしまうのが実情である。記者クラブという特権組織がその外部にあるメディアやジャーナリストの取材報道の自由を奪い、一般市民の知る権利を阻害してきたという議論は今なお続いているのである。

 記者クラブへの加入条件というと、報道実績や所属メディアといったものがあるが、実際の運用は属人的でかなりあいまいなものであり、定式化された条件というのは存在しない。すなわち、情報通信法(仮称)が他の制度と結びついたとき、この法制自体が掲げる「情報の自由な流通」という基本理念や「公正競争促進・利用者保護」「事業、業務運営の適正性の確保」といった保護法益が毀損してしまう危険性が無いとは言えない。【つづく】

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2008年07月02日

「放送と通信の融合」はメディアの階級化を促すのか(6)

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掲載記事

(5)からのつづき。ここで日本におけるメディア階層化による情報統制の歴史を振り返っておこう。満州事変以降、日本のマスメディアが表向きには右傾化し、その裏では商業主義化して、公権力と迎合して社会の木鐸としての機能を失っていったことは周知の通りである。この時代、政府とそれを監視すべきマスメディア業界とそれぞれの思惑が一致し、その被害が市民社会に広がってしまったことは、国内のジャーナリズム史上、特筆すべき出来事である。

 公権力側にとってはメディアの絶対数を減らし、階層化することで情報統制を容易にするといった意図があったのに対し、新聞社側には競合他社を統廃合することで業界内の競争圧力を弱め、自社の利益を増大させる意図があった。メディアの階層化とそれに続くメディア規制は当初、内務省による行政指導という形で新聞の統廃合が進められた。そして、結果的に新聞事業令というマスメディア業界の統制が法制化されて、現在日本国内にある全国紙・ブロック紙、地方紙といったメディアが階層化された「一県一紙体制」ができあがったのであった。

 新聞メディアの階層化と規制は段階的に粛々と進められた。それはまず、1938年から1940年春までの間、「悪徳不良紙の整理」という反体制的な新聞紙の廃刊という形で現れた。「悪徳不良」という極めて公権力の主観的な価値判断でメディアを階層化したうえで、規制を加えたのであった。そして1940年から1941年秋までの間は、「弱小紙整理」という名目で反権力的であったり、権力に荷担するメディアの競合相手を廃刊に追い込んだのであった。

 この間、政府の言論統制部局である内閣情報局が主導して新聞業界の個別の利害を調整させるために社団法人日本新聞連盟が結成され、「新聞報国」「新聞の公共性」の名のもとに、新聞の生産・流通の合理化というメディアの階層化が進んだ。

 こうしてメディアを階層化し、公権力の意にそぐわぬメディアを抹消していった結果、公権力に迎合するメディアだけが生き延びる構図が出来上がってしまった。最終的に新聞事業令が法制化された後の1941年秋以降には、統制団体日本新聞会が組織され、「一県一紙体制」が築かれたと同時に、記者クラブを原則、個人加盟か組織加盟に改めた。

 これは、公権力が記者クラブ加入社に対しての情報収集の特権的な立場を与えると共に、情報統制をより一層厳しくする意味が込められていた。つまり、公権力はメディアの階層化と情報収集の特権化を一体化させることによって、メディアを弱体化させるとともに、情報統制を徹底していったのであった。【つづく】



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「放送と通信の融合」はメディアの階級化を促すのか(5)

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掲載記事

日本国内のパブリック・メディア状況とポータルサイトにおけるコンテンツ表現の特徴(4)からのつづき。日本国内において、討議・参加型民主主義の基盤となり得ることが期待される市民参加型(パブリック)ジャーナリズムやそれを伝えるネットサイトであるパブリック・メディアが2000年以降、芽生え始めた。こうした新しい形態のジャーナリズムを表現するパブリック・メディアが情報通信法(仮称)下でどのように扱われるのか注目される。

 市民ジャーナリズムの国内発展状況はというと、日本インターネット新聞社が市民参加型メディアの「JANJAN 」を2002年にネット上で創刊したのを皮切りに、2004年にはポータルサイトのライブドアが「PJニュース 」を開始、2006年には韓国の「オーマイニュース 」が日本進出を果たし、2008年5月現在、これらに参加する市民記者・パブリックジャーナリストの数は全体で1万人弱となった。

 いわずもがな、取材報道の自由は一部の職業ジャーナリストのみに与えられた基本的な人権ではない。表現の自由や知る権利といった観点からも、一般市民においても取材報道の自由が担保され、これを行使することは自明なのである 。

 日本国内においては市民参加型ジャーナリズムであるパブリック・ジャーナリズムを実践するメディアがあるほか、一般市民が自由に参加し投稿する掲示板やソーシャルネットワークサービス(SNS)、そして個人のホームページやブログなどさまざまなソーシャル・メディアあるいはパーソナル・メディアと呼称されるメディアが存在する。

 2004年時点でのブログのサイト数は335万件であったのに対し、2007年には2062万件に、そして2011年には5110万件に達すると予想されている。また、SNSの登録者数は2004年に111万人だったのに対して、2007年には1536万人、そして2011年には1813万人に達すると予想されている。このようにパブリック・メディアがメディア界に台頭し、そこから発信される情報がマスメディアに取り上げられたり、ネット上の他のサイトで話題になったりと、パブリック・メディア自体の影響力が強まっている状況である 。

 ネット上で従来の新聞記事や市民ジャーナリズム的なコンテンツなどを閲覧する場合、これらメディア自前のサイトよりも、ヤフーやライブドアのポータルサイトを利用する場合が多い。これは情報がポータルサイトに集中され、ある出来事に関連する情報も多く入手できるという特徴があるからである。ポータルサイトはいわばネット上の情報中心地といえよう。これらポータルサイトでのジャーナリズム的コンテンツの特徴がいくつかある。

 第一の特徴は情報を提供するメディアにかかわらず、大手新聞社の記事や雑誌記事、そして市民記者の記事などジャーナリズム的コンテンツがすべて並列されて表記されることである。つまり、コンテンツの内容により優先度が決められ、それを提供するメディアによる序列が無いのが最大の特徴といえよう。また、記事にはバイラインが添えられるなど実名・署名主義が見られる。これはポータルサイトやパブリック・メディアへのメディア自体への訴訟回避策という側面があるが、むしろ、記事の責任の所在が不明確な既存のマスメディアによる組織ジャーナリズムへの反省として、社会参加する個人によるジャーナリズムを強調する面があるからだと言われる。

 また、記事に対してのコメント欄が設けられ、また、関連情報へのリンクが張られている場合が多く、記事などコンテンツ一つだけでなく、周辺情報と組み合わせてそのコンテンツの主題を客観化させていこうという考え方がある。

 このようにネット界、特にポータルサイトでは、高度に産業化されたマスメディアとそれ以外といったようなコンテンツの階級的な色分けを否定し、より開かれた自由な集合知を用いてテーマの客観化を図るという特徴がある。また、ネット上のコンテンツ表現の特徴として、内容によってテキスト、静止画、動画、あるいはこれらの組み合わせで掲載されることがある。つまり、ネット・メディアは場合によって、テキスト媒体、静止画媒体、動画媒体、その組み合わせ媒体にと臨機応変にその姿を変えることが可能であることが大きな特徴である。【つづく】



ldpj at 10:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) パブリック・ジャーナリズム | メディア・クリティーク

2008年06月25日

被災地報道、もう一つの事実=岩手宮城内陸地震の被災地を歩いて(下)

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(中)からのつづき。21日午前5時半、私たちは大湯温泉を後にし、須川温泉経由で栗駒山山頂を目指した。片道6時間、往復12時間の長距離コースである。梅雨入りしたもののこの日は晴天の夏日。地震さえなければ絶好のハイキング日和であった。国道398号線は大湯温泉から宮城県栗原市内まで通行止めとなっているのだが、秋田県側は被害が少なく復旧工事が急ピッチで進められていた。秋田・岩手・宮城の3県にまたがる栗駒山周辺への観光にはいまが良い時期。高所湿原のイワカガミやワタスゲが見ごろだ。

 大湯温泉からアスファルトの道を歩くこと4時間。須川温泉に到着した。途中、路面の地割れが多少あったものの、危険というほどの状態ではなかった。時折、工事車両が走っているのを見ると、一定の安全は確認されたらしい。20日付の秋田魁新報によると、栗駒山観光道路になっている国道398号線とこの国道と須川温泉を結ぶ剣道仁郷大湯線は重点的に復旧工事を進めており、6月中にも開通するという。

 第三セクター・秋田栗駒リゾートが運営する瀟洒(しょうしゃ)なホテル「栗駒山荘」は須川温泉のランドマークになっている。外から見る限りは被害があまりなさそうだった。21日現在は道路が通行止めのため、広い駐車場に1台の車もないのが印象的だった。この日は栗駒山荘を中心に道路の補修作業が続いていた。

 須川温泉から栗駒山山頂まではハイキング道となる。ゆっくり歩いて2時間の行程だ。ハイキング道は階段や木道が整備され、ハイキング初心者でも楽しめる。湯治場として1000年以上の歴史を持つ須川温泉は標高1200メートルあり、通り抜ける風がすがすがしい。須川温泉周辺は温度が100度近くある硫黄泉がそこら中で沸き上がり、ハイキング道脇には蒸し風呂がいくつもあった。

 温泉地帯を抜けると、名残ヶ原という広大な湿原に出る。いまの季節は白いワタスゲ、薄紫のイワイチョウ、ピンクのイワカガミなど、色とりどりで可憐な高山植物の花が咲き乱れている。少し登ると青い池、昭和湖がある。硫黄分が多いため、水中には魚や植物は見当たらなかった。正面の北斜面には雪渓が残っていた。こんな景色を眺めていると、つい1週間前にここで大地震があったことなど忘れてしまいそうだった。

 昭和湖を過ぎて、あたりの景色を見ると、緯度の高い東北地方ということを実感した。標高1500メートルあたりで森林限界に達し、ハイマツなどの灌木(かんぼく)が多くなる。北アルプス周辺では標高が2500メートルを超えないと森林限界にはならない。30分ほどで稜線(りょうせん)に出た。栗駒山南斜面側はガスがかかっており、見通しがきかなかった。この南斜面側に地震の被害が集中している。

 稜線に出て10分ほどで栗駒山山頂に到着した。須川温泉から山頂まで、登山道に軽微な地割れがあるだけで、さしたる地震の被害は無かった。登山道に地割れが走るのは、植物が無いので周囲より路面が弱いからだろう。

 「軽トラックを見ませんでしたか」。須川温泉に下山してきた際、警官に聞かれた。栗駒山山中で2人が軽トラックで出掛けたまま、行方不明になっているという。確かに栗駒山南麓(なんろく)の駒ノ湯温泉や湯浜温泉などの観光地は甚大な被害があった。この日も被災地周辺を多くのパトカーが見回っていた。これらは残念だのだが、それを差し引いても栗駒山周辺の自然や温泉はすばらしい。一刻も早い復旧を願いたい。東京から距離があるため、わたしにとって岩手や秋田の山々は縁遠いのだが、秋の紅葉のころ、この地をもう一度訪れようと思う。【了】

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2008年06月24日

被災地報道、もう一つの事実=岩手宮城内陸地震の被災地を歩いて(中)

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掲載記事

(上)からのつづき。よく、報道の写真や映像は事実を切り取ったものだといわれる。わたしはこの表現は正確性に欠けると感じている。切り取った「部分」で「全体」を表すのは非常に難しいからだ。確かにその報道写真・映像は事実なのだが、それを撮影したジャーナリスト、さらにいえばそれを伝えるメディアの何かしらの意図が隠されている。

 全体像を表現するのではなく、なぜその部分を、そのアングルで切り取ったのか。写真や映像を通じた切り取ったその事実が脚色されていたり、強調されていたりすることはままある。被害の甚大であった被災地の悲惨な部分を強調して伝えることによって、あたかも被災地全体が壊滅状況にあるという印象を読者・視聴者に与えてしまう場合などが典型的である。

 告白すれば、わたしはこれまで、このような報道写真を国内外の通信社で何千枚、何万枚と撮ってきた。衝撃的で、絵になる、ビビッドな「部分」を追い求めてきたし、それを会社から求められてもきた。この習慣はPJニュースの編集長になっても抜けきれずにいる。そうでないと読者の興味を引かない、大きなニュースにならないと自分自身で勝手に解釈し、そう信じているからだ。報道写真や映像は客観報道というより、むしろ撮影者の意志が強力に働いた主観報道である場合が多い。

 さて、話を岩手宮城内陸地震の現場に戻そう。20日午後、栗原市役所から一関、横手を通り、秋田・小安温泉郷の最奥部にある大湯温泉に向かった。途中、秋田道では路面にひびが入るなどで片側通行になっていた箇所があったが、それ以外は地震による被害は見当たらなかった。国道398号線、通称小安街道を秋田・湯沢市方面から大湯温泉を目指すと、あたりはのどかな田園風景が続き、「稲庭うどん」の本家本元、秋田県稲庭地区を通過した

 渓流に沿って走ると、小安峡温泉にたどり着く。ふだんは週末、県内外からの観光客でにぎわう小安峡の観光名所、大噴湯の駐車場はがらんとしていた。ここを通り過ぎると道路脇の山の斜面が迫り、噴煙が立つのが見えてくる。栗駒山西麓、皆瀬川最上流に位置する大湯温泉だ。ここには民宿1軒と旅館1軒の2軒がある。私たちは日本秘湯を守る会会員の宿、阿部旅館に宿泊することにした。

 あたりは地面から温泉の噴煙が巻き上がり、いかにも山奥の秘湯という情緒がある。この旅館には内湯と川沿いの露天風呂があり、旅人の疲れを癒やしてくれる。単純硫黄泉で湯温は98度もある。脱衣所から露天風呂まではだしで歩くと、足の裏が熱くてやけどしそうになった。あたり一帯が地熱で熱くなっているのだ。

 露天風呂下に流れる渓流に目を落とすと、オタマジャクシがうようよしていた。なぜだろう。そう思って、その川に入ってみたが生ぬるい。というか温かかった。渓流が天然川風呂になっているのだ。楽しみの夕飯はというと、ワラビやネマガリタケ、イワナやカジカと山菜・川魚づくしだった。これに地元産のみなせ牛ステーキが付く。もちろん、客室に地震の被害など無い。ぜひお薦めしたい山あいの温泉宿だ。

 被災地の中にはこの地震の被害が軽かった、無かったという「事実」も存在するのだ。そして、復旧しつつあるそのほかの被災地が「風評被害」に遭うということもある。この一例がこの小安温泉郷であろう。大湯温泉の阿部旅館の館主は「地震の被害はほとんどありませんでした。強いていうなら水道水が少し濁ったことと、温泉の沸出量が少し減ったことです」と話してくれた。

 震源地に近い栗駒山周辺で甚大な被害があったことは事実だ。しかしながら、悲惨な被災地の「部分」を被災地「全体」として印象づける報道で、この旅館の客足が減ってしまったのもまた事実なのである。20日は宿泊客は私たちを含めて3組あったが、良い方だという。震災後はというと、地震の工事関係者が日帰り入浴で立ち寄る程度だ。

 そして「風評被害」以外にも意図的な「報道被害」もあった。「新聞記者が取材しに来て、地震による被害は少ないことを事細かに説明した後、風評被害が怖いと答えたのですが、ちょっとした地震による被害の部分だけが強調され、報道されてしまいました」と打ち明けてくれた。【

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2008年06月23日

被災地報道、もう一つの事実=岩手宮城内陸地震の被災地を歩いて(上)

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土石流で押し流され倒壊した家屋、大規模ながけ崩れや地割れ、必死に捜索活動を続ける自衛官、そして、悲壮な表情を浮かべる被災者。死者12人、行方不明10人、そして重軽傷340人の人的被害が出ている岩手宮城内陸地震の被災報道が、新聞やテレビで連日繰り広げられている。写真や映像に現れる被災地の表情はこの地震の「事実」そのものだ。わたしはこれを全面否定する気持ちはない。ただ、こんな気持ちもあった。新聞やテレビに繰り返し映し出される災害現場以外の被災地はどうなっているのだろう。わたしが先週末見てきた被災地の様子は、新聞テレビ報道のそれとは少し違っていた。誤解を恐れず、わたしが被災現場で見てきた「もう一つの事実」を報告したい。

 岩手宮城内陸地震が発生してちょうど1週間が過ぎた21日正午ごろ、わたしは栗駒山に登頂した。今回の地震の被害は、この山を中心に広がっている。わたしが知る限り、震災後のこの山の表情を映し出した報道は無かった。標高1627メートルのコニーデ型の火山で、宮城・岩手・秋田の三県にまたがる。岩手県側の山腹にある須川温泉は登山基地として知られ、高山植物のお花畑や湿原に囲まれた風光明媚(ふうこうめいび)な東北地方有数の観光地である。土石流に飲み込まれた駒の湯温泉や土砂崩れ被害があった湯浜温泉など、特に大きな被害があった被災地は、火山灰が多く堆積(たいせき)した栗駒山の南側斜面に位置する。

 山菜採りに出掛けた2人がこの山中で、いまなお行方不明のままだ。単独行は危険なので、登山経験豊富な外科医の先輩に同行してもらった。栗駒山登頂の前日、私たちは東京から栗駒山の北側に位置する秋田県の大湯温泉に投宿した。秋田県側は地震による被害は幸い少なく、この大湯温泉や近くの小安峡温泉の宿は通常通り営業している。栗駒山周辺は崩落や土砂災害などで国道398号線や342号線、そして栗駒道路など周辺道路が通行止めとなっており、徒歩での栗駒山登山では大湯温泉からが最短距離となる。

 20日は東京から東北自動車道に乗り、築館インターで降りて、被災地の取材拠点になっている宮城県の栗原市役所にまず向かった。関東地方を抜け、仙台を過ぎたあたりから梅雨空は無くなり、日が射(さ)してきた。道中、余震を感じることもなく、地震による被害が目視できた個所は無かった。この日、市役所の中はマスコミ関係者の姿もまばらで、地震対策の臨時部署や報道関係車両が無ければ、ここが被災地であることに気付かぬ人も多いだろう。市役所でこの日入手した報道資料によると、20日午前10時までの震度1以上の余震は392回、震度4以上を観測した余震は3回で、余震の数は全体的に少なくなってきていた。

 市役所周辺も表面上は平穏で、商店も通常通り営業していた。立ち寄った回転ずしの従業員は「皿やコップが落ちたりしましたが、その日に片付きました。回転ずしのベルトは大丈夫でした。地震の翌日から通常通り営業しています。いまでは宮城の近海物の魚も入っていますよ」と話していた。また、隣にあった書店の従業員は「書棚から書籍が落ちたりしましたが、店舗が崩れることはありませんでした。自宅や近所も大丈夫でした」と教えてくれた。

 コンビニで買った地元紙「河北新報」の一面には「岩手宮城内陸地震あす1週間」「梅雨入り 被災地に雨 197人避難所生活続く」「土砂ダム新たに4カ所」「3県被害905億円 宮城の土木復旧未算出」の大見出しが並んでいた。さらに社会面には「恐れていた雨 ついに 土砂ダムの不安増大」「体調不良 入院者も 避難所生活 疲労の色濃く」「何もできぬ 祈るだけ 不明者家族の心痛極限」とあった。

 この紙面を眺めながら、わたしはコンビニの従業員に話しかけた。「被災地はこの辺ではないのですか」「新聞に出ている被災地はここから秋田に抜ける国道398号線沿いの山の中です。ここからはちょっと離れています。通行止めになっていて、車では行けませんよ」と教えてくれた。東北の幹線道、国道4号線から左に折れて秋田県横手方面に向かう国道398号線に入るとすぐに「この先、通行止め」という掲示板があった。

 秋田の放送局に勤める先輩に連絡を取ると、栗原市内から被災地の駒ノ湯温泉に続く国道457号線や一関市内から須川温泉に至る国道342号線も土砂崩れなどで寸断され、栗駒山登頂には秋田県側からしか入るすべが無いことが分かった。そこで急きょ、栗駒山に登るには、東北道をさらに北上し、秋田道で横手まで行き、秋田県湯沢市側から国道398号線を南下して大湯温泉に入るルートに変更した。【つづく】

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2008年06月20日

「放送と通信の融合」はメディアの階級化を促すのか(4)

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メディアのレイヤー化とは階級化、すなわち「メディアの身分制度」なのか
今回は総務省が掲げるメディアのレイヤー(階層)について見ていくことにしよう。総務省が主導する「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会(座長:堀部政男・中央大学大学院法務研究科教授)」が2007年12月に公表したの最終報告書に、「特別メディアサービス」「一般メディアサービス」、そして「オープンメディアコンテンツ」の3層に分けられた映像メディアの分類法の詳細が記されている。

「特別メディアサービス」
 「特別メディアサービス」は、言論報道機関として健全な民主主義の発達に最も重要な強い世論形成機能を有し、地域住民の生活に必要不可欠な情報を総合的にあまねく提供する一方、災害など非常時における主要な情報伝達手段としての機能など特別な公共的役割を担うコンテンツ配信として位置づけられるとした。

 そのうえで、このような基軸的メディアとしての役割は、現在は主として地上テレビ放送が担っているとし、現在の地上テレビ放送により提供されるコンテンツ配信サービスを基本として、「基幹放送の概念の維持を前提に早急に検討」とした政府与党合意の趣旨も踏まえ、「特別メディアサービス」の具体的範囲や規律内容の構成を検討することが適切であるとした。

 その際、「特別メディアサービス」に適用されるコンテンツ規律は、コンテンツが持つ特に強い「特別な社会的影響力」と特別な公共的役割にかんがみ、放送の多元性・多様性・地域性の確保を目的とするマスメディア集中排除原則を含め、現在の地上テレビ放送に対する規律を原則として維持することが適当であると結論づけた。

 なお、「特別メディアサービス」の具体的範囲については、今後の具体的制度設計の際に、非常時の情報伝達、地域情報の提供の確保など、「特別メディアサービス」として求められる社会的機能が何かを決定した上で現行メディアについて具体的な当てはめを行うこととすべきであると述べるにとどめた。

「一般メディアサービス」
 「一般メディアサービス」の範囲については、現在のCS放送などとともに、インターネット上で提供される映像配信サービスの中にも、専用端末を用いテレビと同様に容易なアクセスを実現するなど、視聴者からみて現在の放送と同等の機能・品質を有するものが将来的には現れ得ることなどを踏まえ、現在の放送に類比可能なコンテンツ配信サービスのうち、事業性があり、かつ一定以上の社会的影響力を有するものについて対象とする方向で検討すべきである、とした。

 規律内容については、原則として現行の放送規制を緩和する方向で検討すべきであり、具体的には、例えば災害放送など特別な公共的役割に係る義務の適用を緩和・撤廃し、「マスメディア集中排除原則」についても最小限度のものにすべきであると回答した。

 さらに、「一般メディアサービス」でも一律に同じ規律を適用するのではなく、判断指標に基づき社会的影響力を評価し、さらに類型化した上で、現在のCS放送及びこれに相当すると認められるコンテンツ配信サービスには、番組編集準則や広告識別など適正内容の確保に関する規律を適用する一方、その他については、より緩やかな規律の適用にとどめることを検討すべきである、とした。

 その際、音声・データについては、「オープンメディアコンテンツ」とその社会的影響力において大きな違いはない場合には、制度上の扱いについて「オープンメディアコンテンツ」とすることも検討すべきであると付け加えた。なお、自らのサービスの信用が保証されることを望む事業者が規律を選択できる仕組みについて、利用者保護の観点から有用との意見がある一方、ニーズの有無や運用上の問題があるとの指摘もあり、引き続き議論することが適当であるとした。

オープンメディアコンテンツ
 「メディアサービス」ほどの社会的影響力を有しない「オープンメディアコンテンツ」に関しては、表現の自由が最大限保障される必要があるし、情報通信法体系の基本理念に「情報の自由な流通」を掲げていることから「オープンメディアコンテンツ」に対して放送法における番組編集準則、いわゆる放送コード等の「メディアサービス」と同等の規律を課すべきではないが、例外的な措置として、「オープンメディアコンテンツ」の内容が他者の権利を侵害したり、公共の安全や青少年の健全な成長を損なったりすることのないよう、表現の自由と公共の福祉を調整する最低限の規律を検討する必要があるとした。

 その際、「オープンメディアコンテンツ」の具体的定義・範囲は、これが規律の対象となる以上、可能な限り明確化する必要があるのだが、定義としては、「不特定の者によって受信されることを目的とする電気通信の送信 」と捉(とら)えるのが適当であるとした。特定性の有無についてのメルクマールとしては、送信者と受信者の間の紐帯(ちゅうたい)関係や受信者の属性の程度を中心として、広告の有無等の要素も総合的に勘案して、送信者が不特定の者に情報発信しようとしているかを判断するのが適当であるとした。

 「オープンメディアコンテンツ」に対する具体的な規律の在り方については、特に「違法な情報」と「有害な情報」を指摘した。法令に違反したり、法律上保護される利益を含む他人の権利を侵害したりする情報は「違法な情報」とし、一方、違法な情報とは必ずしも言い難いが、公共の安全や秩序に対する危険を生じさせるおそれのある情報や特定の者の権利や福祉にとって有害と受け止められる情報である「有害な情報」として区分した 。

 ここに見られるように情報通信法(仮称)ではメディアそのものが持つ特性によってレイヤー(階層)分けし、その階層に従って規制することを掲げている。地上テレビ放送と同等の影響力を持つネットメディアについて、現行の放送法の枠組みをそのまま継承しようとしている点や、人々のモラルに関する範ちゅうの問題についても法律で規制しようとしている点にこの法制の特徴があるといえよう。

 付け加えるならば、この報告書では現行の地上波放送局が「言論報道機関として健全な民主主義の発達に最も重要な強い世論形成機能を有し、地域住民の生活に必要不可欠な情報を総合的にあまねく提供する一方、災害など非常時における主要な情報伝達手段としての機能」を担っているとしたが、ねつ造放送やお笑い番組があふれる民放各局の番組内容を眺める限り、そうとも思えない。仮にこのレイヤー法制が施行されるのであれば、「特別メディアサービス」としての現行の地上波放送局の資質が問われてしかるるべきである。【つづく】



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2008年06月19日

【書評】『五輪ボイコット 幻のモスクワ、28年目の証言』松瀬学著

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掲載記事

28年前のモスクワ五輪、日本はボイコットした。ソ連によるアフガニスタン侵攻への抗議というのがその理由だという。その裏には再選を目指すジミー・カーター米大統領からの強い圧力があったという。大統領がオリンピックを政治に利用したというわけだ。金メダルが確実視されていた柔道の山下泰裕選手やマラソンの瀬古利彦選手はこのボイコットをどんな思いでかみしめていたのだろう。選手や競技団体役員、そして政府関係者らボイコットで喜怒哀楽を味わった17人のいまだからこそ話せる証言がこの本には満載されている。

 2008年4月、北京五輪の聖火リレーを取材するため、わたしは雨天の長野市内で自転車をこいでいた。JR長野駅前でこの本の著者、松瀬学さんに偶然会った。「またオリンピック取材かよ、小田さんも好きだね」。わたしは内心、(よく言うよ、オリンピック取材狂いは松瀬さんご本人でしょ)と反発していた。語弊があるかも知れないが、松瀬さんは日本を代表するオリンピック・パパラッチなのである。

 フリーの立場でこれほどのオリンピック取材ができるジャーナリストは、世界を見回しても数少ない。わたしが知る限り、「アラウンド・ザ・リングス」のエド・フーラさんと松瀬さんくらいだろう。松瀬さんは今夏開かれる北京五輪も何年も前から取材を重ねている。わたしがオリンピック取材のおもしろさを教わったのもこの人からである。

 よく思い出せないが、1−2年前、松瀬さんから「モスクワ五輪ボイコットを総括するような本を出したい」と話しかけられた。「それ、PJニュースでもうやってしまいましたよ。100回以上の連載で」とその場でわたしは答えた。連載記事を書いた元JOC職員でオリンピック評論家、そしてPJでもある伊藤公さんとわたしの出会いや、連載のいきさつを松瀬さんに話した。モスクワ五輪ボイコットの縦の糸を綴(つづ)ったのが伊藤さんの連載だとすると、それよより克明に肉付けする横の糸が松瀬さんの著書だとわたしは考えている。

 本著はモスクワ五輪ボイコット事件を通して、オリンピックへの政治介入を阻止することの難しさを表現している。そこで、松瀬さんは選手や競技団体、そしてJOCの自立と自律を訴える。役所みたいなマスコミ組織から飛び出したこの人らしい。いま、石原慎太郎都知事や森喜朗JOC委員ら、日本のオリンピック界には名誉やカネに目がくらんだ薄汚れた政治家がまん延しつつある。モスクワの轍(てつ)を踏まないためにも、松瀬さんには批判的なオリンピック取材を続けて欲しい。【了】


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「放送と通信の融合」はメディアの階級化を促すのか(3)

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掲載記事

通信と放送の融合へ。情報通信法(仮称)の特徴
放送と通信の融合がうたわれる以前の1990年代前半、いわゆるICT革命前の日本国内においては、通信分野では家族や企業といった共通の社会的背景に基づく関係者間の情報活動として通信の秘密保護が求められ、現行法制のインターネットについての規制は、一部の違法情報に対する削除対応などにとどまる。一方、概念的には通信の「部分概念」と位置づけられる放送に関しては、公衆を対象とした情報受信者を個別に認識しない情報活動だとして、「放送法」をはじめとする放送法制において包括的に規律されている。

 しかしながら、従来の通信・放送の垣根を越えてコンテンツビジネスや情報伝送ビジネスが発展し、通信法規と放送法規が混合的に適用され得るようなサービスが増加している中で、双方の規制を峻別したままでは、新たなサービスの拡大・発展に支障が生じかねないとして、総務省は2004年、通信と放送を融合させ、包括的に規制を加える法体系が必要との考えを打ち出したのであった。

 総務省は、インターネットを介した情報流通が社会に与えるインパクトは、情報が公然性を有するのであれば、放送と通信では本質的な違いはなく、ユビキタスネット社会では、情報通信ネットワークでの情報流通を担う当事者は、放送・通信の区別なく、等しく「安全・安心なネットワーク社会」を構築するための責任を果たすべきであるとの立場を取っている。そのための規律の在り方についても、一元的に検討することが適切であるとした。

 その法制である情報通信法(仮称)の基本理念には、1)情報の自由な流通、2)情報通信技術のあまねく享受するユニバーサルサービスの保障、3)情報通信ネットワークの安全性・信頼性の確保−の3点を掲げた。この基本理念を体現するための保護法益として「公正競争促進・利用者保護」「事業、業務運営の適正性の確保」「ICTイノベーションの促進」を位置づけた。

 「通信と放送の総合的な法体系に関する研究会」では法体系構築に当たってレイヤー型法体系への転換を主張した。すなわち、1)他者間の通信を疎通させることを業とするのか、自己の作成した情報を送信することを業とするのかという事業者の果たす機能による区分と、2)伝送される情報が秘匿性を有するのか、公然性を有するものかという区分の2つを基本にした。

 そのうえで、自己作成のコンテンツを送信する地上テレビ放送といったコンテンツレイヤーに属する産業に対しては、表現の自由を保障すると共に、伝送される情報が公然性を有するが故に公共の福祉との適合の観点から規律されることが検討されるべきとした。一方、他者間の情報を疎通させる電話会社などの伝送インフラレイヤーに属する産業については、その情報内容については秘匿性を有するべきものであるが故に、通信の秘密確保の観点から規律の適用が検討されるべきとした。

 また、コンテンツを効率的・効果的に伝送インフラで配信する機能を持つポータルサイトなどのプラットフォームについては、今後の法体系のあり方を検討する上で無視できない存在であるが、これら2つのレイヤーにも当てはまらないことから、いったん独立したレイヤーとして捉え、情報の自由な流通の観点からあり方について検討すべしとした。その際、規制緩和と集約化と包括的な利用者規定の整備を念頭に置くこととした。

メディアを階級化する意図とは・・・
 研究会報告では、情報通信ネットワークを流通するコンテンツについて、コンテンツが公然性を有するものと公然性を有しないものに区分した。まず、公然性を有するコンテンツに関して、1)現行の放送及び今後登場することが期待される放送に類比可能なコンテンツ配信サービス(「メディアサービス(仮称)」)については、「特別な社会的影響力」の程度によって、「特別メディアサービス」と「一般メディアサービス」に細分するとした。

 これらの区分については判断指標として、1)映像/音声/データといったコンテンツの種別、2)画面の精細度といった当該サービスの品質、3)端末によるアクセスの容易性、4)視聴者数、5)有料・無料の区別――などを示した。その際、恣意的な運用を排除するため、指標は可能な限り外形的に判断可能なものとする必要があると補足した。

 いずれの「メディアサービス」については放送法制の「必要最低限のルールを自律原則とともに整備し表現の自由を確保する」という理念を堅持しつつ、情報の自由な流通を確保する観点から、技術中立的・一元的にコンテンツ規律を適用することが適当であるとした。さらに、特別メディアサービスに関しては、既存の放送法制を踏襲することとした。一方、「メディアサービス」以外の公然性を有する情報通信コンテンツ(「オープンメディアコンテンツ(仮称)」)については、表現の自由の保障を最大限確保することとした。その上で、表現の自由と公共の福祉を調整する規律として、「違法コンテンツ」の最低限の流通対策を講ずるとともに、「有害コンテンツ」についても規律の可能性について検討すべきであると回答した。

 また、公然性を有しないコンテンツについては、引き続き通信の秘密を最大限保障することとするとした。さて、情報通信法(仮称)の理念については、もっともであり、異論を挟む余地は無いように思える。一方、この理念を実現させるためのレイヤー化法制についてはどうだろうか。これらメディアのレイヤー(階層)化は階級化、つまりメディアの身分制度につながるのではないか。次回では各階層について見ていくことにしよう。【つづく】

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2008年06月16日

「生ゴミ堆肥」づくりに挑戦! 地球温暖化対策にも(2) 用意するのは「土のう袋」と落ち葉など

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かれこれ5年以上の失敗から学んだ生ゴミ堆肥化法の要点は、水分量、温度、通気性、そして炭素率の4つです。これらさえ気をつければ、うまくいくでしょう。PJ小田が最近試してうまくいった「生ゴミ堆肥(たいひ)」づくりの一方法は、土のう袋を利用する方法です。この方法は『別冊現代農業−堆肥とことん活用読本(2006年3月号)』(農文協)で紹介されていた門田幸代さんの「土のう袋で堆肥づくり」を踏襲したものです。これを発明した門田さんはお見事というほかありません。PJ小田にとってはそれだけ画期的でした。このほか『現代農業 2006年10月号』(農文協)と岩田進午・松崎敏英著『生ごみ、堆肥、リサイクル』(家の光協会)、そしてチャーリー・ライリー著『ナチュラルなほんものの土と堆肥』(産調出版)を参考にしました。

 用意するものは、土のう袋2枚(1枚20-30円程度)、70リットル程度の蓋(ふた)付きバケツ(2000円程度)、植木鉢(100円程度)、土2キロ程度、落ち葉・剪定(せんてい)枝・乾燥させた雑草のいずれかを3つかみ程度、米ぬか2つかみ程度。

 土のう袋は中に土や砂利を入れて災害時などの堤防などに利用する、ナイロン製の丈夫な袋です(写真1)。通気性がよく、酸素が必要な好気性発酵をたすけます。ホームセンターなどで入手できます。大きさはいろいろありますが、30リットルくらいの容量のものが使い勝手がよろしいかと思います。
 
 土は自宅近くのものがよろしいでしょう。これには理由があります。土には多種多様な微生物が住んでおり、その構成は土地によって異なります。その土地に一番合った微生物たちは、その土地に住んでいる微生物たちだといわれます。PJ小田の場合、市販の堆肥化促進剤として市販されているEM菌と、自宅の土で作った床と堆肥化のぐあいを実際に比較すると、自宅の土のほうが堆肥化しやすい結果がでました。

 都会人には米ぬかはなじみの薄いものかも知れません。近くのお米屋さんで分けてもらうなどして入手してください。ちなみに、PJ小田は玄米を買ってきて家で精米しています。その際に出る米ぬかを使用しています。白米は精米したてのものが絶対的においしいです。家庭用の精米器は1万円程度ですので、飲み会を2−3回ガマンすれば、毎日うまい米が食べられるようになること請け合いです。

 バケツは蓋付きのものにしてください。土のう袋に入れた生ゴミをこの中に入れて発酵させます。土のう袋を屋外にそのまま放置して発酵させる方がいいのですが、においが気になったり、どら猫に袋をかじられたり、雨にやられたりします。バケツの容量は土のう袋2つ入れて、空気が通り抜けられるだけの十分すき間ができるものにしてください。PJ小田が使っているのは70リットルサイズですが、ちょうどいい大きさです。

 植木鉢は素焼きのものにしてください。土のう袋がバケツの底について通気性が悪くなるのを防ぐと同時に、素焼きの植木鉢のぬれ具合で土のう袋の中身の水分量を推定します。落ち葉や雑草は必ず乾燥させてください。このほうが早く堆肥化します。落ち葉や雑草は家の近くに落ちている・生えているもので十分です。これらを片付ければ、ご近所さんからもありがたがられるのではないでしょうか。

 次回はぬか漬けの「ぬか床」ならぬ「生ゴミ堆肥床」の作り方をご紹介します。【つづく】

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2008年06月15日

「生ゴミ堆肥」づくりに挑戦! 地球温暖化対策にも(1) なかなかうまくいかないのが現実

99368cc7.jpg洞爺湖サミットを目前にして、火力発電で使う重油や、自動車のガソリンといった化石燃料の消費を抑えることなどの地球温暖化対策が新聞やテレビでさかんに報道されています。「なんとかせにゃあかん」と思うのですが、PJ小田には「では、どうすればいいの」と自問自答を繰り返すだけで、これといった解決策は見えてきません。これまで、バイクではなく自転車で移動するとか、早寝早起きで夜間の消費電力量を減らすことはしてきましたが、実際、これらはわたしの個人的な生活習慣の話です。生ゴミを燃やす費用もさることながら、生ゴミを収集するのに自動車が使われています。生ゴミ処理には地球温暖化を促してしまう多くのエネルギーが使われているのです。

 国民生活センターの調べによると、ゴミの排出量は国民一人あたり一日約1.1キロ、ゴミの処理費用は一人あたり年間約1万8000円にも上ります。生ゴミは通常、化石燃料を使って焼却処理されますので、当然、二酸化炭素が排出されます。オカネを払って処理している生ゴミが、地球温暖化に悪影響を及ぼしているなど、やはり考え直さねばならないかと思います。

 そこで、家庭から出る生ゴミを使って家庭内で堆肥をつくり、それを利用すれば、多少なりとも地球温暖化対策の一つになるのではないでしょうか。皆さんの中にも「生ゴミ堆肥(たいひ)」や「生ゴミコンポスト」という言葉を聞いたことがある方は少なくないでしょう。

 自治体などではこれを奨励し、新聞や雑誌などでもよく紹介されています。生ゴミ堆肥作りコーナーが設けられているホームセンターもあります。実はこれまで、PJ小田は生ゴミを使った堆肥づくりを何年も試してきました。結果はいつも失敗。失敗し続けて5年以上になります。生ゴミ堆肥は簡単にできるというと、そうでもなく、やはり工夫が必要です。

 失敗はというと、生ゴミ堆肥用のバケツ(写真1)とEM菌とやらを使っても、(1)いっこうに生ゴミが堆肥にならない、(2)生ゴミが発酵するどころか、腐敗して異臭を放つ、(3)生ゴミにウジ虫やハエがわき不衛生になる、といったことです。

 最近、ある雑誌で生ゴミ堆肥の作り方を読みました。PJ小田が長い間、失敗し続けていたある「生ゴミの堆肥化作戦」に一筋の光が見えてきたので、この場を借りて紹介します。ただし、この方法は小さな庭やベランダなどある程度のスペースがあり、落ち葉や雑草、剪定(せんてい)枝などが入手できることが前提です。家の中でやるのは難しいかも知れません。【つづく】

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2008年06月13日

「放送と通信の融合」はメディアの階級化を促すのか(2)

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情報インフラはどう変化してきたのか 情報通信法制化への背景
1993年のアル・ゴア米副大統領が打ち出した大規模な情報政策、情報ハイウエー構想や1995年のマイクロソフト社の基本ソフト(OS)「ウィンドウズ95」発売などをきっかけに、1990年代中ごろからパソコンやインターネットなどのICT技術の活用が欧米や日本などの社会一般に広がった。総務省の調査による国内のパソコン普及率を見ると、1987年から1995年までは10%前半を推移していたが、ウィンドウズ95が発売後に急速に伸長しだし、1996年に22.3%、2000年には半数を超す50.5%に達した。2002年には71.7%、2005年には80.5%にまで達し、成熟期を迎えたのであった。

 また、インターネットの国内利用率は1996年度末で3.3%であったのが、1998年度末には11.0%に、2001年度末では半数を超える60.5%に、そして2003年度末には88.1%とこれまでのピークに達した。インターネットの利用目的では、メールの送受信や電子掲示板の閲覧・書き込みなど「連絡・情報交換」が最も多く、次いでホームページ閲覧やメールマガジン受信など「情報入手」、音楽や映像、ゲームソフトなど「デジタルコンテンツの入手・聴取」が次いだ 。いわゆるICT革命で、一般市民が電子メディアに慣れ親しみ、コモディティ(日常必需品)として利用している状況を示しているのである。パソコンやインターネットなどメディア技術が現在では大衆化したといっても過言ではないだろう。

 パソコンの高性能化やインターネットの高速化が加速される中、総務省は2004年12月、2010年をめどに日本を世界最先端のICT国家として世界を先導することを目標に掲げた「U-Japan政策」を公表した 。これと並行して、日本国内の地上テレビ放送を2011年までに完全デジタル化する方針である。こうした状況の中、総務省は「誰もが安全で安心して情報通信技術を利用できる」というユビキタス時代に対応する情報通信インフラを2011年までに構築しようとしている。この情報通信インフラが整備されると、通信と放送の共用といった「伝送路の融合」、通信・放送の両方利用可能な端末の出現といった「端末の融合」、そして、通信・放送両分野の兼営・資本提携といった「事業体の融合」が予見される。

 これに対応するため、新たな情報通信に関する法体系の整備が必要だと、政府・総務省は主張している。2006年6月20日の「通信・放送の在り方に関する政府与党合意 」では、「通信と放送に関する総合的な法体系について、基幹放送の概念の維持を前提に早急に検討に着手し、2010年までに結論を得る」ことが決定された。そこで、総務相管轄下に「通信と放送の総合的な法体系に関する研究会 」が設置され、通信・放送の融合・連携に対応する法制度の在り方に関して専門的見地から調査研究を行い、通信・放送の融合・連携に対応した法体系の検討の方向性を探ったのであった。

 同研究会は同年8月30日から計20回の会合を重ね、通信・放送の総合的な法体系の基本的枠組みの骨子を提示した最終報告書を2007年12月6日に取りまとめた 。これをもとに総務省では2010年の通常国会への法案提出に向け、通信・放送の総合的な法体系に関する検討委員会 で審議中である。総務省は、1)情報通信社会の構造変化への対応、2)市場活性化と競争促進、3)利用者保護、4)急速な技術革新への対応−と4点を掲げ、法体系の必要性を訴えたのであった。【つづく】

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北京五輪 長野市内で行われた聖火リレーの様子 



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秋葉原08年6月11日の様子・通り魔殺人事件3日後



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「放送と通信の融合」はメディアの階級化を促すのか(1)

6340b8bd.jpg1990年代中頃からパソコンやインターネットが社会一般に普及し、人々が双方向性を持つネットメディアを日常的な生活必需品として扱うようになった。不特定多数の人々への情報発信を可能にするホームページやブログなどパーソナルな電子メディアが大衆化し、こうした状況下で、ネット上で一般市民が報道し、言論を交わすなど社会参加を促すパブリック・ジャーナリズムといった新たなジャーナリズムの形態も生まれた。ネット社会の特徴として、誰もが平等に扱われ、平等に発言できるフラットな世界が広がっていることが知られる。

 マスメディア・ジャーナリズムの対抗軸として機能しつつあるパブリック・ジャーナリズムはこの思想を受け継いでいる。フラット主義とはリアルな世界に存在する階級社会へのアンチテーゼであり、フラワームーブメント世代といったパソコン黎明期の開発者の想いが込められているといわれる。この背景にあるパソコン・ネット文化は既存のメディア体制へのカウンターカルチャーとして登場したという見方もある 。そして、ネット界で言論が活発になる中、政治的な文脈では“Vote(投票)からVoice(討議)へ”といった先進国における現代社会で、集計型民主主義形態から参加型民主主義形態への転回の兆候が見られるようになった。この現象はリアル世界よりも、むしろバーチャルなネット界で顕著である。

 情報コミュニケーション(ICT)革命で、日本国内では総務省が中心となり、通信と放送の垣根が実質的に取り払われた状況になり、法制度でもこの点についての改革が進められている。ここではレイヤー型法体系への転換と称して、放送やネットメディアといった規制対象であるメディアを、「メディアサービス」や「オープンメディアコンテンツ」として階層化し、それぞれ別個の規制を敷く方針である。

 日本国内では満州事変を境に、メディアの統合・階層化による情報統制が行われた歴史がある。すなわち、メディアを統廃合する法制を敷き、排他的に情報操作を行使することが可能な記者クラブ制度とそれを結びつけ、公権力とマスメディアが持ちつ持たれつ共存する「一県一紙体制」と呼ばれる新聞統合という言論統制が行われたのであった。これは記者クラブという排他的組織にだけ情報を流しつつ、新聞社には私的な利益を確保させるというアメとムチによる情報政策であった。

 そして、その最大の被害を被ったのは公権力とマスメディアが守るべき一般市民であったのはいうまでもない。現在、総務省内で策定中の情報通信法(仮称)におけるメディアの階層化と戦時中の新聞統合とが構図的に類似する点がある。公権力が、既存マスメディアが持つ既得権益をさらに強化すると同時に、批判勢力を弱体化させられることで、社会のチェック・アンド・バランス・システムが劣化することが危惧される。メディアの階級化による情報統制の問題について、この連載で探っていきたい。【つづく】


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2008年06月12日

PJニュースにもコメント欄がつくようになりました

livedoor ニュース


PJニュースにもコメント欄を設けることにしました。いろいろ悩みましたが、PJニュースのレベルも上がり、ネット上のモラルも以前ほど悪くないこと、そしてライブドアのスタッフがちゃんとパトロールしてくれているから、実施することにしました。これがPJニュース始めた4年前だったら・・・。大変だったと思います。

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2007年04月06日

「隠さない風土と安全文化の構築」と北陸電力、志賀原発臨界事故隠しで

【PJ 2007年04月06日】− 北陸電力は6日、志賀原子力発電所1号機(石川県志賀町)で99年に制御棒3本がずれ原子炉が一時稼働して臨界状態になりながら、国に報告しなかった臨界事故隠しの原因と再発防止対策について経済産業大臣に報告したと発表した。臨界事故隠しに関する報告内容は以下の通り。

志賀原子力発電所1号機の臨界事故隠しの経緯
 「原子炉停止機能強化工事機能確認試験」の準備で制御棒駆動機構の弁を順次全閉する操作を行ったが、制御棒駆動系の流量調節弁が開いている状態で操作を始めてしまったため、制御棒駆動系の系統圧力が徐々に高くなり、一つの弁を閉止したことにより制御棒3本が引き抜けたという。原子炉が臨界になり自動スクラム信号が発生したが、制御棒が直ちに挿入されず、15分後に制御棒が全挿入され、原子炉は未臨界状態となった。

 その後、当直長が一連の初期対応を終えた後、所長以下14名が協議したが、2号機着工への影響などを考慮し、最終的には所長が外部に報告しないことを決断した。その後、発電所と本店原子力部などとの間でテレビ会議が行われたが、発電所からの「誤信号」との報告に対し、特に異論は出されず、テレビ会議は終了した。その際、発電所の意思決定に対する本店の関与は認められなかった。一方、発電課長は、引継日誌に事故の記述をしないよう指示。炉心中性子束モニタの記録計チャートには「点検」と記載され、また、切り取られた警報等印字記録は保管されなかった。

臨界事故発生の原因
 北陸電力は臨界事故発生の原因を、1)関係者の連携不足から、制御棒駆動系の流量調節弁を閉じる前に弁の全閉操作を始めた。 2)電気保修課員は作業票に手順を添付しなかったため、運転員は試験の操作内容を理解できなかった。3)電気保修課員との事前打合せが不十分であったため、弁隔離操作が当直長の指揮下で行われなかった。4)制御棒駆動系の系統圧力が高くなった際の警報が、他の試験のために除外されていた。5)工程遵守の意識が強かった。ルールを遵守するという安全文化の浸透が不十分だった、などを挙げた。

臨界事故隠ぺいの原因
 また、臨界事故を隠ぺいした原因について北陸電力は、1)経営層が事故隠しを防げず、その後8年間それを見つけ出すことができなかったとする経営陣の責任意識、2)志賀発電所が2号機建設工程遵守を必達と考え、何よりも優先させる意識があったという工程優先意識。3)未経験の事故への対応の困難さや直前のトラブル対応もあり、虚偽の理屈付けで改ざんしたという真実究明からの逃避意識、4)価値観を共有する発電所関係者のみで決定したという、意思決定での閉鎖性と決定プロセスの不透明性。5)不明確な意思決定ルールと、職員の低い当事者意識。6)「言いたいことを言えない」「言っても無視される」ような議論できない組織風土、などを列挙した。

技術的再発防止対策
 操作手順の改善策については、1)弁離隔手順を臨界防止措置を考慮した手順に改善する。2)教育内容に原子炉停止中の臨界管理を充実させ、すみやかに全所員に教育を実施する。3)運転員らの負担を軽減するため、平成18年導入の作業管理システムを継続的に改善する。4)監視に必要な計器・警報が供用状態にあることを隔離前に確認することを手順に明記する。5)試験時の電力内の具体的役割分担を事前に明確化することを規定する、などと決めた。また、設備対策については、運転員に明確に情報提供するため、冷却水ヘッダ差圧の警報を高側と低側に分離・識別するとした。

 同社は再発防止対策をもとに「隠さない風土と安全文化の構築」に向けて、努力していくとしている。【了】


ldpj at 18:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 事件報道 

【経済】地方紙49社が協力し電子商店街を7日に開店=サイバーコミュニケーションズ

【PJ 2007年04月06日】− サイバー・コミュニケーションズは6日、全国の地方新聞社49社と協力し、無料会員制の電子商店街「JPN 47CLUB」を7日に開業すると発表した。この47CLUBでは、地域の良質で信頼できる品々を厳選して紹介するという。

 47CLUBに参加する地方紙は、北海道新聞社、室蘭民報社、東奥日報社、デーリー東北新聞社、秋田魁新報社、岩手日報社、山形新聞社、新潟日報社、河北新報社、福島民報社、茨城新聞社、下野新聞社、上毛新聞社、埼玉新聞社、千葉日報社、東京新聞、神奈川新聞社、山梨日日新聞社、静岡新聞社、信濃毎日新聞社、新潟日報社、中日新聞社、岐阜新聞社、北日本新聞社、北國新聞社、福井新聞社、京都新聞社、奈良新聞社、伊勢新聞社、産経新聞社、山陽新聞社、中国新聞社、新日本海新聞社、山陰中央新報社、山口新聞社、四国新聞社、愛媛新聞社、徳島新聞社、高知新聞社、西日本新聞社、佐賀新聞社、長崎新聞社、大分合同新聞社、熊本日日新聞社、宮崎日日新聞社、南日本新聞社、沖縄タイムス社、琉球新報社、宮古毎日新聞社、八重山毎日新聞社。【了】



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