HIMAJINN日記

問わず語り。 思い出、日常、その他もろもろ…

2015年02月

思い出話

 私の子供のころ、およそ60年ほど前。
 町に子供社会の親分が居た。
 どの町でも同じことで、早い話が子供会。
 それが町の中で遊んでいる。
 親分の指示は徹底しており、そして子供の扱いは平等だった。
 草野球はそんな子供社会の遊びで覚え、日が暮れるまで子供社会の付き合いは続いた。
 それが壊れたのはテレビ。
 テレビを買った家の子は外遊びをやめ、次第に人数が減って子供社会が消えていった。
 あのころの子供社会の親分は社会秩序そのものであり、年齢の違う人との付き合い方も、そんな子供社会が教えてくれていたんだろうと思う。
 テレビが家庭に入ったころから、子供の頃に社会的な知恵を得る機会が無くなってしまった。



中1生徒殺人事件

 年上の子供から誘われてグループに入れられ、万引きを強要される。
 反社会的なグループしか無い今の子供たち。
 小さいころから勉強、塾を強要され、有名大学を目指して外遊びなどしない子供たち。
 私の子供のころの遊びほうけた時代と、勉強漬けの今の時代と、どちらがいいとも言えないけれど、なにかがゆがんでいる、そんな思いがしてならない。
 みんな貧しかった、私の子供のころは。
 今はそれなりにみんなが豊。
 それでいてより上を目指すために、社会の一員であることを教育しない、そんな子供がやがて社会のリーダーになっていくと思うとぞっとする。
 大韓航空の副社長、リターンナッツは英才教育、外国大学を卒業し、親の経営する会社の副社長へ。
 無論下積みの社員の苦労など知りもせず、自分の持っている特権を誇示しようとすればするほど、住みずらい会社が出来上がってゆく。




大昔話

 江戸時代。
 漁村。
 女は家庭での技術を高めるため女宿、男は共同で漁をするための若し宿。
 それぞれ村単位で若者同士がトップを決め、共同して生活して知恵を高め、技術を伝えあった。
 農村なら田植え時期、草刈、共同で作業し、特定の一部に天災その他の被害が及ばないよう知恵を絞った。
 それが人の知恵。
 並外れた馬鹿を産まないために、絞るべき知恵。
 今の社会にはそれが欠けているんじゃないか、そんな気がする。
 馬鹿にだって生きる権利くらいある。
 他人が三できるところを一つしかできない、それでも生きていける場所だけは与える。
 それが社会の知恵。
 トップになろうとする競争ばかりで、馬鹿を生かす社会を造る人がいない。

福島県

 核廃棄物埋設処理を県知事が了承。
 そんな記事が出ていた。
 田舎の新聞のこと。
 ネットニュースを見てもさっぱり出ていない。
 もはや話題にもならない、そんなわけはないけど。
 福島県の原発処理は現在も進行中。
 高濃度汚染水が海へ流出していた、などというニュースはもはや「またかい」程度。
 作業員の日当がピンハネされ、東電の支払いは一日10万円だそうだが作業員に手渡されるのはわずか。
 それも、作業開始から延々と続いていてさっぱり直されたとの話は聞かない。
 自分は安全な場所にいて利益は吸い取る、そんなシステムが出来上がってしまっている日本。
 誰が考えても出てくるはずの、福島県への核廃棄物埋設案、「今頃ようやく」だから話題にならないのか、あえて取り上げようとしていないのか、多少不気味。



国会

 農林大臣辞任の影響で新年度予算が期間中に成立しない可能性が出てきたそうだ。
 「鬼の首を取った」、意気軒昂な野党。
 そのおかげでまた期間延長。ろくな審議もせずに無駄な予算が消えて行く。
 米価を盾にTPPに対し強硬姿勢を貫いた農林大臣。
 TPP合意に向けた暗黙の準備が出来上がった、というのは多少うがちすぎかな?。



春の味

 ある人から、「フキノトウはもう出てるかい?」と聞かれた。
 春といえばフキノトウ。タラの芽。
 ほろ苦い春の香りが味わえる。
 田舎のいいところはそんなおいしい春の恵みが豊富にあるところ。
 田の畔を散歩してみようかな。
 冬眠した熊も春の草を大量に食べ、腹の中にたまったフンを排出する。
 春の香りは健康の源。
 減額される年金に反抗して、精いっぱい長生きしてやろう。
 じじい、早く死ね!。そういわんばかりの政治には、長生きこそ無言の抵抗です。

一応政治論議だけど

 政治などということさえ値しない。
 農林大臣辞任で国会空転。
 いっそ総理もやめろとでもいうつもりか、ともかく審議するつもりはないらしい。
 野党らしい野党になる、それがこのざま。
 野党というのはヤジを飛ばし、政府の足を引っ張り、アジ演説をぶっていればそれで済む、そんな程度の認識しかないから間違って政権を取った途端ぼろが出る。
 何をやっていいかわからず、結局やることなすこと穴だらけ。
 ぼろぼろになって野に下った経験はすっかり忘れてしまったらしい。
 景気は多少回復気味。大企業の賃上げはできそう。
 次は低所得者への対策が、といったところで空転国会。
 TPP交渉だのなんだの、結局は国会は何の役にも立っていない。
 肝心のところで空回り。その原因が野党のサボタージュ。
 一応理由はつけてはいるものの、結局何をしていいかわからないので存在感を示すだけ。
 小沢さんが野党代表みたいな立場にあった自分とやってることは同じ。
 一日でも大金が消費される国会開会、議員報酬、無駄にしないことこそ仕事。
 人の無駄はとがめるけれど、自分の無駄には気が付かない。
 ま、馬鹿の見本、とまでは言いませんが。

子供のころ

 田舎の道を歩くと、必ず肥溜めの臭いが漂ってきた。
 百姓の子供の家へ遊びに行けば、悪臭ふんぷんとしたトイレに閉口した。
 田畑へは人糞が巻かれ、周囲は糞尿の臭いに満ちていた。
 それでも、農家は元気、子供たちも元気。
 山道も農道も、雨が降れば泥沼。
 道端の流れ水に蝶や昆虫が水飲みをしていた。
 ありとあらゆる生物に乗って、不浄だけれど生きやすい、不思議な環境があった。活気があふれていた。

 今、田舎の暮らしも一遍。
 田畑へは化学肥料、農家のトイレさえ水洗。
 道路は整備され、車で十分以内にコンビニは何軒もある。
 生活用品のそろったスーパー。昔は村の万事屋が一軒だけ。
 何もかもが綺麗になり、便利になった。
 三ちゃん農業などといったのは昔の話。
 今はじいちゃんとばあちゃんだけ。
 それもかなりの高齢になり、老々介護状態。
 整備された道路は車が行かい、無論水たまりなど全くない。
 蝶の水飲み場はどこへいったんだろう、昔昆虫少年はそんな想いにかられる。
 そういえばあの蝶は。子供のころ追い掛け回したヒメギフチョウ。
 阪神タイガースみたいな黄色に黒のストライプ。
 縦縞の派手な衣装は私の憧れの対象だった。
 化石の時代から進化しないままのウスバシロチョウ。
 高い梢からひらひらと舞い降りてくる美しさ。
 今も思い出すことができる。
 あの蝶は、どうしているんだろう。
 という前に、昆虫採集少年なんて子供そのものが絶滅してしまったんじゃないか。

 暇さえあれば歩き続けたふるさとの山。
 魚釣りに興じたふるさとの川。
 山河は変わらず。人同じからず。
 進化してるんだか何なんだか。

 このままじゃ蝶、昆虫採集少年、百姓、やがて死語になっちゃうんじゃなかろうか。

若者の政治参加

 結構ですねえ。若者の政治参加。
 これでいくらか若者のための政治が行われる可能性が出てくる。
 若者の主張は将来への主張。現状維持、権利維持だけではない。
 正直思うんだけど、94歳にもなる我が家の祖母。
 本人は投票する意思はあるんだけど、何を基準に判断しようとしているのかさっぱりわからない。
 毎日欠かさず見る新聞、新聞を読もうとする意欲は大変結構なことだけど、実を言うと目も悪い。
 懸命にみているのは三面記事。
 地方版に載っているお悔やみ欄。
 知人がなくなっているのではないか、失礼があっては、そればかりが気がかりな日常。
 やがては自分も乗ることになるお悔やみ欄。少なくとも政治判断には何のかかわりもない。
 若者への投票権付与、逆に、老人達からの選挙権停止。
 言い出せば非難ごうごうは覚悟の上で、これも必要と思うけどどうだろう。


実を言えば、たとえ判断能力が十分であったとしても、歩行さえもおぼつかない年寄のこと、投票所へ連れて行くのも一苦労、家族の手間は少なくはない。
 義理人情一点張りの老耄の一票が、果たして政治参画といえるのかどうか。
 理屈はわかりますよ、いくつになろうが判断能力抜群だとうそぶく年寄りもいる。
 しかし、今の日本、どう考えても老害が目立つ。
 若手社員が発案しても、大概の案件は頭の固い年寄が寄ってたかって握り潰し、従来の延長線上の施策しかしようとしない企業。
 どうみても爺さんどもが集まって世間話しているだけの何とか組合。
 企業年金の管理をすることになっていた組合の職員が、誰にも気付かれずに大金をねこばば。長年にわたってキャバクラへ投資してしまい、発覚しても返済などとてもできない大穴をあけてしまった事件。
 監査するはずの役員も年寄。「私は名前だけなもので」などという言い訳でおしまい。結局は組合傘下の社員の年金が減額されるだけになってしまった事件など、結局のところ老害としか言いようもない。
 最初から企業内のチェック体制が完備していれば防げたはずの犯罪だった。
 管理監督が緩いから人は悪心を起こす、言ってみればそれがすべての原因。
 すべてが緩い日本。若者よ立ち上がれ!が一番正解なんでしょう。

診療所

 もう90を超えているんだからどこか体の具合の悪いところがあって当たり前。
 腰は曲がるし目は見えなくなる。
 足は衰え動きもままならない。
 そうあって当たり前なのに本人はそう思っていない。
 医者に診てもらえさえすれば若いころのように戻れる、そんな夢を見続けて診療所へ行く。
 長いこと待合室に座っていて、顔見知りから病をうつされてしまったらしい。
 病名は結核。
 遠い療養所へ隔離される羽目になり、三か月。
 今の結核予防のことだからまさに至れり尽くせり。
 三度の食事はおいしく、病室は清潔そのもの。
 見舞いに通う家族の大変さなど理解の他。
 結構快適な療養生活だったらしい。
 療養生活を終え、ようやく帰宅できたものの、本人は診療所へ足しげく通うことが危険なんだという現実を理解していない。
 どこか具合が悪いというと診療所へ連れて行けと騒ぎ立てる。
 まあ、下の始末が自分でできている分だけいいかな、そう考えて毎日同じやりとりを繰り返す毎日。
 「診療所へ連れてけ」。「ダメ!」。
 子が親を殺す、それも老々介護の結果。
 そんな悲惨なニュースに触れることが多くなたが、無理からぬことと同情を禁じ得ない。

 

遺体引き取り

 イスラム国を名乗る武装テロ集団に殺害された二人の日本人。
 首相の発言に、遺体引き取りの意思が無いことへの批判記事が載っていた。
 相手が国家なら敵対していようといるまいと、遺体引き取り交渉は当然できる。
 しかし、まともな国家とは言えず、だれが責任者なのかさっぱりわからない、ビデオでも覆面をしたまま話しているだけの相手に対して、果たして国家として交渉することが可能なのか疑問がある。
 国境まで死刑囚を連れてこい!、そう要求はしても長大な国境のどこなのかも示さず、要求している時間もあいまい。
 どうも交渉している最中に殺害してしまったらしいいい加減な連中のやること。
 まともに交渉しても多分埒はあかない。

 とかく、こんな事件が起こると叩かれるのは政府。
 交渉の手段が悪い、発言内容が不適当、そりゃ後から考えればいくらでも不満はでてくるだろうが、一番肝心な敵対すべき手段を持たない国のこと、いくら非難の声を荒げたところで聞いているほうがしらけるだけ。
 そうまで言うなら自衛隊の海外派遣、認めるつもりですか?。




隣の国のこと

 日本の通信社社長だったか、報道内容に問題があるとのことで出国禁止措置になった人がいた。
 いくらなんでももう解放されたんだろうなあと思っていたら、なんと数回の期間延長をくらったままいまだに日本に帰れないでいるらしい。
 日本政府から抗議しているらしいが、ともかくいい加減な感情てんこ盛りで判断を下す韓国司法のこと、こと日本に対する処置は厳しい。
 いつだったか対馬で盗まれた仏像のこと、戦争中に日本が勝手に持ち帰ったものかどうか疑わしいとのことで、日本に贈与された証拠をもってこいとの判決が下された。
 数百年も前のこと、いまさら証明しろと要求する方がどだい無理。
 この仏像についてもいまだに返還する予定はないらしい。
 イスラム国というのもいい加減なしろものだが、実を言うと隣国もかなりいい加減なもの。
 
 明治の話。
 ロシア皇太子暴行事件の裁判で、大国ロシアを怒らせないように、犯人に対して厳刑を要求する国民の声を聴きながら、外国皇族に対する加害への特別法令が無いことを理由に、一般と同じ判決を下した裁判官がいた。無論判事への批判はすさまじく、家の窓が割られるなんてのはザラだったらしい。
 それでも信念を曲げない頑固さこそ裁判官のまさに手本。
 時の感情で左右されてはならないものこそ法律。
 隣国の裁判官殿へ、爪の垢でも進呈したい気分。

養母

 妻方の母。
 九十を超している。
 私には、ここまで生きてきたことそのものがすでに感謝すべき時なのだろうと思う。
 長寿を得た。それだけで喜ぶべきこと。
 そう思うのだが本人はそうではないらしい。
 目が見えにくい、話ずらい、毎日そんな苦情を言い続ける。
 医者に掛かりさえすれば治る、そんな空想にかられ、診てもらっても治らなければ藪医者となじる。
 そうではなく、もはや手の打ちようがない年齢であるとは全く思わない。
 わがまま、正直そう思うのだが、老いということはそういうものだとも思う。
 こんなにも悩み、苦しまなくとも、安寧な日々はありそうに思えるのだけれど。

 古典を読むと、年老いてなお国王であり続けると、決まって晩年国の乱れが現れ、大乱が起こる、そんな事例が出てくる。空想の物語ではなく、中国の昔起こった現実の話。
 年老いた事実を忘れ、不老長寿を願い、体調の悪化は誰かの呪詛と勘違いし、治せない医者は殺され、現実を語り続ける賢臣は殺され、邪教がはびこる。
 老耄に達した者に大きな権力が残されれば、そんな恐怖政治が行われることになる。
 家の婆さんには幸い何の権限も残ってはいないけれど、それでもわずかにな資産の配分に悩み、自分の健康回復を求めてあがく毎日。
 かくありたくはない、自分はそう思うのだけれど、そうなるかもしれない遠くもない未来を考えると気が重くなる。
 いかに死すべきか。終活というのは、けっこう難しそう。


 ねがわくば 花散る春に 我逝かん そのきさらぎの 望月のころ

 
 なんと見事な終活のうた。いや、辞世かな。
 北面の武士であった西行。
 死に臨んで見上げる空に、散り落ちるのはやはり桜。
 貴族が愛した梅ではなく、散る姿はやはり桜がふさわしい。
 かくありたし。かなわぬ夢とは知りながら。

なぜ?

 こんなのは信州の風習にはなかった。
 たしか、西日本のどこかの地方で行われていた宗教行事。
 一定の方角に向かい、海苔巻の長いのを無言で食べ続けるというもの。
 それがいつのまにやら全国に広がり、コンビニはもとよりスーパーでさえも特設売り場までもうけるようになった。
 それも、中身に工夫を凝らしすぎ、とても無言で食べきることなどできそうもない巨大なものまで売られている。
 豊作に感謝とか、神に祈るという宗教性など皆無。
 何のための恵方なのか、多分理解して食べている人などいないんだろうなあ、信州では。

 アラブの世界だけでなく、世界は一神教。
 日本だけは神とされるものが無数にあり、中には象まで神になっている神社がある。
 インドのヒンズーではたしかクジャクも神であり、カースト制度によれば象やクジャク以下の序列とされている民族もいるそうだから、日本的宗教感覚というのはインドくらいが共通性があるだけなのかもしれない。
 インド発祥の仏教。その仏教徒であるはずの日本人。無数にある神社仏閣。イスラム国の主張など、しょせん日本人感覚では理解はできない。ま、とりあえず私には理解できませんねえ。
 だからといってアメリカの主張は理解できるのかと聞かれれば、これも実は理解できていない。
 アフリカの国境にしろ、イスラエル建国のいきさつにしろ、所詮西欧諸国の勝手によるもの。
 第二次世界大戦の軍資金提供をユダヤ資本に求め、戦後約束によりイスラエル建国を認めざるを得なくなってできたのがイスラエルであり、同時に発生したのがイスラエルと周辺諸国との争い。
 回遊する遊牧民族の国土に勝手に自然の形状など無視したまま国境を作り、石油が取れて裕福になる国と極貧にあえぐ国を作り出したのも西欧諸国の勝手な判断。
 そんな過去の経緯からすれば、日本が西欧の主張に同意するというのも実を言えば無理がある。
 一方的に守ってもらっているという現実から、アメリカの主張に同意し続けてはいるものの、本音は別。
 日本人まで敵視され、今後も日本人捕虜事件が起きると考えればどうすればいいのか。意味も分からず恵方巻をくわえている場合じゃ無いような、ま少々考えすぎではあるが。
 








イスラム国の犯罪

 正確にはまだ国家ではない。
 イスラム国と名乗るだけの武装集団。
 日本人ジャーナリストを誘拐し、国家を脅迫した挙句に殺害。
 今後も日本人に対するテロは続くとのメッセージまで放送した。
 腹が立つとかなんとかいう問題ではなく、戦後日本が悩み続けた国の在り方そのものが問われている。
 殴られても殴り返さない、「甚だ遺憾に存じます」だけの国家なんてありうるのか。そう問われている、そんな思いがする。
 自分自身が昔から感じ続けてきた疑問に、もう答えを出さなければいけない。
 こんなことを言い出せば、必ずこんな反論が返ってくる。「あんたは戦争になったら死にに行くのか?」。
 正直に言えば「行きたくはないさ」と答えるしかない。しかし、行きたくないからと言って襲われない限り抵抗しないでいるだけが正しい姿だとはどう考えても思えない。
 たとえ勝てなくとも、殺されそうになれば牙をむく。窮鼠猫を噛む、というのはどんな生き物だって行う当然の行動。
 戦争には行きたくない。しかし、家族を襲おうとする犯罪者が目の前にいれば、老いの一徹と言われようと包丁一つで抵抗する。その程度の覚悟はしているつもりだ。
 国家としての覚悟。
 もう、その答えを出さなければいけない。
 「平和憲法を守ろう」。
 かつて社会党共産党がことあるごとに叫び続けた矛盾だらけの憲法。
 国家とはなにか、本気でそれを考えなければならない。





若造ども、投票に行け!

 「私は戦争に行きたくない」。そういうなら投票しろ。
 「もっと若い人の生きやすい国にしてくれ」。そう思うなら投票しろ。
 年金生活者重視の国の在り方に不満があるなら投票しろ。
 眠れるサイレントマジョリティーが立ち上がらなければ、いつまでたってもこの国の曖昧な姿は直らない。


 長い間ブログを休んだ。
 別に理由はない。
 書く種もない、というのが正直なところ。
 田舎へ引っ込み、雑用でますます機会が減った。
 それが、とんでもない大事件が発生し、胸の箏糸がはじけ飛んだ。
 言いたいことぐらい言わなきゃ。そんな程度の動機でまた書き始めた。

 ニュース番組。インタビューされた爺さん。「もっと国がしっかりやってくれなきゃねえ」。おい冗談じゃねえぞ。どうしろって言うんだい。
 昔居ましたよこういう人。何かというと国のせいにする。
 政治の不備は政治家の手抜かり。
 そういうものもあるんだろうが、こと外交問題国際犯罪といったら手抜かりは法律。
 手も足も出せない法律にしておいて、しっかりやれというほうが無理。
 真剣に憲法論議をしようものならすぐ「平和憲法を守れ!」の大合唱。
 平和とは何なのかという疑問に答えようとする政治家そのものがさっぱり出てこない。

 支持者が多かろうと少なかろうと、いいたいことを言ってのける政治家があってこそ議論が成り立つ。
 過去の反省をしすぎ、自衛隊は軍隊ではないなどという姑息な言い訳に終始し続けた日本の政治。
 いっそ極右政党でも出てこないか。
 あまりに理不尽な要求を突き付けられれば牙をむく、あたりまえの国とはそういうもの。
 日本の極右政党の支持者急増。そんなニュースが世界を駆け巡れば、なにが一番危険なのかを誰もが知ることになる。
 追い詰めすぎれば噛みつくネズミになりかねない、それが日本。
 一端狂ったネズミになれば、絶滅寸前まで戦い続ける、それが日本。
 とんでもないことを書く爺だと思うかもしれないけれど、多分多くの人が考えている本当の本音。

 

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