畑じまい

 村のあちこちで野火。
 畑作を終えた畑の片隅で、作物の残物を燃やす作業。
 畑作の終わりを告げる畑じまいの季節。
 一年の収穫を感謝しつつ、また来年の春まで畑の作業はこれでおしまいになる。
 毎年やってることだから、その手際のいいこと。


神社氏子総代会

 近隣神社の氏子代表が集まって、年一回慰労会を行う。
 どうも神主の指示ではなく、自主的な物らしい。
 年一回だけ集まっても顔も分からず名も知れない人たち。
 私にとっては全くつまらない飲み会なのだが、他の人たちはそうでもないらしい。
 近隣の村だから、同級生がどうの、あんたの村にはこんな名の人がいるはずだが元気か?などと、想像もつかなかった質問が次々。
 同級生の何とかという娘があんたの村へ嫁に行ってる、と言っても数十年前の話。
 ある村で村おこし事業として大根の新種を作ってみているなどと言う話もあり、結構話題は事欠かない。
 もうそろそろ廃止になるんじゃないかなどというわが村の見解は大外れ、来年もまた会いましょうと老人達は元気に帰っていった。
 やめませんかと提案しに行ったはずのわが村は、なんと来年開催の幹事役を仰せつかり、私がその代表。
 いやはや。



墓じまい

 東京に暮らし、田舎へ帰るのはまれ。
 年に一度とはいうけれど、帰郷は決まって大混雑。
 やむを得ず墓じまい。東京近郊にまた新たな墓所を求める人が増えているそうだ。
 墓がある、ただそのために繋がっている故郷と任地。
 仕事は終えてももはや遠い田舎の村落へ帰る人はいない。
 妻が嫌がり、子供が嫌がる。
 第一子供には学校があり、やがて就職。
 家族が何代も暮らし続ける家などもはや昔話。
 
 寺が廃業すれば寺じまい。
 墓を移せば墓じまい。
 それじゃ墓に埋めたお骨は?。
 本来土に帰るはずのお骨。
 今は骨壺に収めたまま保管されている。
 いつまで経っても土には帰らない。
 死んだら故郷の土に帰る、なんてのは夢物語。
 なんと、死んだ後まで寺の坊主の収入源として利用され続けている。
 これ、おかしくないだろうか。

 死んだら骨にしてさっさと土に返し、魂はご本山で祈祷し続けます、これならなんとなく理屈は通っているが、いつまでも寺が保管しております、と言われるのは結構迷惑な話。
 寺との縁は切れず、田畑を売ろうにも片隅に残された先祖の墓、ホックり返せば人骨がゴロゴロ。
 宅地として再利用できないからどんどん山を削り、山の獣が人里に降りてくる。
 熊が出て困っております、などとニュースは言うが、熊の領域を荒らしているのは人間の方。
 お墓の始末、もっと簡略できませんか、などと、誰も言い出さないけれど。