目には目を

 北朝鮮の人工衛星らしき飛翔物体が太平洋上に落下したニュースから、日本国内で核議論が増えているらしい。
 それも、自民党議員の「核所有、国連脱退」などという暴言に端を発したネット上の書き込みは「同感」。
 目には目を。それがネットを中心に生活している若者達(無論例外は居るが)の意見になりつつあることに注目するべきだろう。


危険な挑発

 日本は島国。
 日本が開国する必要を感じ始めたのはロシア南下の脅威を感じたためであり、自国から積極的に大陸への野心を燃やしたためではなかった。
 太平洋戦争にしても、もとを糺せば「経済制裁」状態で軍備無力化を恐れた軍部が暴走して引きづりこまれたものと、私は理解している。
 北朝鮮のミサイル発射実験が、北朝鮮にとって必要不可欠なものだったという主張が妥当なものかどうかはともかく、関わる周辺国への配慮を著しく喪失し、かつ日本に対し挑発的な発言を繰り返している状態が、核所有を容認するネチズンの増加を誘発していることは明らかである。
 本来、東南アジアと同じ農耕民族で、きわめて温厚な人種に過ぎない日本人でも、逃れることのできない小さな島に住んでいるという恐怖感から、一端決意すればとんでもない方向に走り出す特性を持っていることを忘れてはいけない。


窮鼠猫をかむ

 追い詰められ、窮した鼠は、かなうはずの無い猫に対して必死の挑戦を試みる。
 日露戦争も、太平洋戦争も、同じ窮鼠の心理が起こしたものだったのであれば、日本を窮地に追い込もうとすることは全く危険な挑発という他無い。

 戦前、統制され続けたマスコミは、戦後の自由を表現する意味も込め、一斉に政府批判を続け、今に至っている。
 駆け出しのニュースキャスターさえ、「ほんとに政府はショーが無いですね」っと結ぶことを忘れない。
 それがマスコミだと勘違いしている報道が多すぎる。


「盾の会」、今ありせば

 三島由紀夫という作家が思い描いた現実は、少々浮世離れしていた。
 起こした行動は芸術的妄想の結果、というのが今の結論。
 でも、あの当時の三島の行動は目を見張らせるものだった。
 ミリタリールックという言葉が流行さえした。
 ナチスドイツを連想させる軍服を着用し、鍛え上げたスリムな長身で演壇に立つ。
 作家だけに言葉は見事。演説も洗練されている。
 演説の中身を同感できるかどうかではなく、あの姿に心酔する若者は多かった。
 過激なゲームになじみ、現実とゲームの境目さえなくなりつつある今の時代に、あのような「盾の会」が出現すればどうなるのか。
 
 混迷するだけの国会。自党の利益しか考えない議員諸氏。
 政府批判で金を稼ぐほか脳の無いマスコミ。
 国民の意識が、その両者から離れたところへ、テレビうつりを配慮した、かっこいい制服に身を包んだリーダーを擁した極右政党が立ち上がったらどうなるのか。
 若者達が一挙に極右に走り出したら、その暴走を止めうるものはどこにも無い。

 日本の本当の危機はそんな現実そのものではないのか。
 もはや核に対するアレルギーは無い。
 すべての中心は老人達が支配し、マスコミさえ信じられない社会。
 国会が決めることは将来この社会を担うはずの若者達に強いる負担を増やすことばかり。
 暴走の危険は、高まるばかりにしか見えない。