期待していたことと違う形で、プレゼントがあることもある。


突然ですが、私は桃太郎のお話が大好きです。

いろいろな学びがあるなぁと思います。

その中で、今日の切り口は、おばあさんは、桃が流れてこないかなぁ…と毎日、期待していただろうか、ということです。

おじいさんとおばあさんは、子どもがほしくて、赤ちゃんができないかなぁと毎日、思っていたかもしれません。

もしくは、毎日の生活を楽にするためにも、お金が食べ物かが溢れないかなぁと思っていたかもしれません。

まぁ、おばあさんがよほどの桃好きで、桃のことばかりを考えていたのかもしれないけれど、普通に考えると、桃が流れてくることを日々、期待していたとは思えません。

そんな中、川で、日常のことをしていた時に、とてつもなく大きい桃が流れてきたわけです。

よくそれを拾ってきたなぁと思います。
私だったら、クルマが欲しいと思っていた時に、街で桃が置いてあっても、拾うどころか、気づきもしないでしょう。

そう思った時に、私たちの欲しいものは、欲しいもの、そのものの形を取らずに現れることもあるのかなぁと思うようになりました。

例えば、私は現役の小学校教師ではありますが、ここ2年ほど、担任から離れています。

担任もせず、授業はほんのちょっとで、先生をしているというのは、けっこう寂しいものです。

が、それも実は、「桃」なのかもしれません。

担任をしていない分、私のところに来る子とは、全体の公平性をあまり考えずに、じっくり、ゆっくり話をできます。

そういう時間って、本当に豊かだなぁ、と感じるのです。

これは、バリバリと担任をして感じる充実感とは違うけれど、十分に魅力のある感覚です。

お母さんにとって、お子さんの今は満足できないこともあるでしょうし、ご自身に対して不甲斐なく思ったりすることもあるかもしれません。

が、実は、今、与えられた何か、状況は、「桃」かもしれません。

今日は、あんなに腹の立つあのこと、あの子が与えられたプレゼントではないかと考えてみませんか?

ということで、私は今日、私のところに来てくれる子が(大人が?)いたら、来てくれてありがとう、と伝えてみることにします。