イイタイコト!

冬はほとんどスキーの話題。そのほかはなんてことない日常のざれごと。

こどもが卒業した

 雪国で4年間5年間を過ごした娘が、いよいよ卒業しました。
あれは、去年のことでした。国家試験がいよいよ1週間にせまった頃、娘より電話。1教科、追試で2点足りず卒業ができないと。国試の1週間前ですよ!? 何故今???????完全に寝込みましたね。鬱状態ですよ。もっとも、あとから聞いたら本人も鬱状態だったらしいですが。国試受験条件は「卒業見込み」なので、いくら所定の単位を取っていてもぶっぶー。みごと、留年となりました。そう・・・なので、4年が5年に変わったのですよ。はぁ。1教科でも、留年となれば授業料はふつうに1年分。大概のことは、人に喋ったりブログに書いたりすることで発散する私ですが、こればかりは誰にも言えなかったですね。ただ、ただ、寝込みました。いろいろとストレスの多い数年のとどめでもありましたね。このあとすぐ、今の病気発症ですw
 しかし、取らなきゃいけない単位はひとつだけ。夏休み前に、無事単位も取得し卒業も決定。なので、夏休みには雪国のアパートも引き払い、こちらに帰って来て予備校の講習を受けつつ国家試験に臨みました。そうそう、夏には就職先も内定しました。ちなみに、国試の合格発表は今月末ですが、とりあえず自己採点でマークシートミスなどなければ、ふつうに合格できる点数なので一安心。
 冬は雪深くただでさ生活が大変なのに(良い若いものが皆ふつうに長靴で登校w)、どういうわけか冬になると実習で忙しいというへんな学校で、実は成人式やってません。そういう余裕なかったみたいです。「べつにいいや」って感じらしく。でも、若い時は一瞬。着物とかって、着付けとか趣味でやってる人以外はなかなか着る機会ってない。卒業式といえば袴。袴なんてさらに着る機会がない。着ておけ!写真撮っとけ!と猛プッシュ。無事写真も撮影してもらいました。昔ながらの写真屋さんで、今時みたいに何枚もバシバシ撮るのではなく、もう1枚撮るのにそこまで調整しますか?ってくらい价碓未猟汗阿如見てて笑っちゃいました。できあがりが非常に楽しみです。

 













 





 

 そして、ここからが本題なのですが、(前おき長すぎw)うちはこどもが1人です。オンギャアと生まれて小・中・高・専門と高等教育?まで全て終了し、無事に就職も決まりました。仕事は私と同じ。きっとこれから大変だと思うけど、悪い仕事ではないと思う。食いっぱぐれもないし、真面目にコツコツやっていけば、もうこれで私がいなくなっても、彼女は生きていけるわけです。今の私のこの開放感は、なんなんだろう。「肩の荷が下りた」とはまさにこのこと。まあ、この先結婚とか出産とかあるのかもしれないけど、そういうのははっきりいってあまり親が干渉するものでもないと思う。よっぽどへんなの連れてきたら文句言うけどw この時期になるとフェイスブックに「卒業しました」といろいろな写真やコメントがあがるけど、それが小学校、中学校、高校だったりするのをみつつ、「いやいやみなさん、まだまだ先がありますから〜」と。「自分は違うんです」というものすごい優越感に満ちあふれています。大学卒業とかでも、まだ下の子が高校生とかだったりとかね。1番下のこどもが、最終学歴卒業、これが開放感マックスのポイントのようですw 
 思えば長かった。人の子が成長するまでって実に長いですね。25歳で出産をした私も50歳がすぐそこですよ。そう考えるとやっぱり高齢出産って大変です。産む時はなんとかなってもその後の長い長い子育てが自分の老いとの並列になる。と、いいつつものすごい人が身近にいました。いわずとしれたうちの母親。私を産んだのはなんと45歳。ふたりめの出産。この時すでにひとりめは大学生。45歳で出産をして、48歳で私を保育園にあずけて就職。大正13年生まれ。洋裁学校をでただけでなんの資格も経験もなし。保険会社に就職し、企業相手のセールスでめきめきと頭角を現し収入はうなぎ登り。よくよく考えればここから死ぬ90歳までに、彼女は家を4軒買っている。ふらふらと好き放題のどら娘が40になり、いよいよ看護学校に行こうか、と言えば「今いけ、すぐ行け」と、ポンとお金を出してくれる。思えば、ここから3年でずいぶん老化が進んだように思います。私の看護学校卒業時は、目も悪くなっていてかなりおばあさん化。その時はそんなもんだ、くらいにしか思わなかったけど、あの時、外出もけっこう辛いのに「行くよ」と言って卒業式に来たばあちゃん。これで自分が死んでもこの子はなんとかなる・・と、今の私と同じ気もちだったの「かも」しれない。当時88歳くらいか?おそろしい。25歳〜48歳までかけて、ひいひい言ってる私の経験を、45歳から88歳まで、独走したばあちゃん。もはやオリンピック選手なみだと、今の私は思ってしまう。(父親はそんな母親のおかげで、のほほんと暮らしほとんど役立たず。残念なことに私と父親はそっくり。くるくるとコマネズミのようなばあちゃんの横で、キリギリスのような父親と娘という最悪な構図ですw)
 ばあちゃんは、身体が弱くわりとよく入院していた。だから、よく言っていた。「せめてお前が高校を出るまでは」と。それが意外と長生きしてだんだん「○子(孫)が 小学校をでるまでは」「中学をでるまでは」と。最後は、「○子が、看護学校出るまで生きていられるかなあ」と言っていたけど、それはちょっと無理だったみたい。なんせ5年もかかったしw うちの娘もばあちゃんの恩恵をかなり受けているので、やっぱりこれまたキリギリスより。でもなんとかふたりとも手に職を得たので、ばあちゃんいるときほど優雅ではないにしろ、とりあえず食べていける。「なんとかやってるから、心配しないでね」と、心配性のばあちゃんに心でつぶやく、そんなお彼岸。
 5年前、地元のレンタル衣装屋さん&写真屋で、袴を借りて自分の卒業に臨んだ私。ばっちりと写真も撮ってもらいました。(二度と袴なんて着ないと思われるので!)どれどれ、と物珍しそうについてきた娘は当時高校生。同じお店で今度は娘の袴を借りました。まだまだ雪深い中での卒業式に袴はなかなか大変。そして、写真を撮ってもらいどこで、着物を脱ぐか?となり、思いついたのは近くの温泉。袴とスーツ姿でドヤドヤと入り、温泉入って楽ちんな恰好にもどり、ご飯を食べて東京まで帰宅したのでした。ちなみに、平日のご近所温泉はお年寄りの社交場。袴すがたの娘が入ってきたのをみて、「ありゃりゃりゃ、かわい〜のが来た」「成人式かい?」とみんなに声をかけられていましたとさ。南魚沼、最高です。ちなみに、帰りは吹雪でした。

頭ぼけたか

 脳が萎縮してるんじゃないか・・と、本気で思い始めた。いや、たぶん萎縮してるね。絶対に。最近ひどい。先週のスキーでは、このボケ具合が散々だった。朝ホテルに着いてすぐ、受付をした。その時に夕食券、朝食券、リフト券をもらった。確かにもらった。なくしちゃいけないと思ってバックの外ポケットの中に。その後、更衣室で着替えたりブーツを履いたり・・もうその時点で汗だくでへろへろで。ようやくゲレンデにでて、一段?滑りおりるような形で集合場所へ。時間的にはかなりはやく着いたので人もまばら。その中のひとりが、「リフト券もらってないんですけど」。それを聞いて「!」「そうだ、私達ももらってないよね」と、同行したH君に言うと、「え、さっきもらったよね。受付の時」と。「・・・・・・」記憶をまさぐる。リフト券を手渡された映像と、それをバックの外ポケットにつっこむ映像と、クロークでそれらを預ける映像が頭の中をかけめぐり、瞬時にがっくりする。また、あのクロークまで行かなきゃいけない。しかも、さっき滑り降りたところ、登らなきゃいけない・・・・。最悪。板を脱いで、ストックを杖にまたまた汗抱くでホテルを往復。この時点で体力は赤ランプビッコンビッコン状態。まだ一本も滑っていないのに。
 夕食の時間になりました。横になが〜〜〜い、グリーンプラザ。レストランもお風呂も遠い遠い。へろへろになって、レストランへ到着すると「夕食券をちょうだいします」と。「・・・・」忘れた。後でいいか?と聞くと、今ほしいとぬかす。(ごめんなさい、やつあたりです)なが〜い廊下を往復して券を取りに行きました。
 さて、最近近所のスポーツセンターで泳いでいるのですが、仕事が終わって軽くごはんを食べてから水着に着替えて家をでます。到着してプールへの階段を上ったところで張り紙に気付く。そうだった、3/1,2は工事するからプール休みだったんだ。その張り紙はずっと見ていたんだけど、その日が3/1という認識がまったくなかったのだ。水着きてるのに・・・しかたないから家に帰りました。
 翌日、帰宅時間が遅くなりどうしようかと思ったけど、少しでも泳ごうと再び水着に着替える。家をでようとして、小銭がないことに気付く。ロッカーで100円必要なのだ。100円、どっかにあるはず・・・とさんざん捜してばたばたと家をでる。スポーツセンターに到着して車を降りるとき、財布をだそうとすると・・・・・財布忘れた。財布の中にはプールの券も入ってる。もとより、少しでも泳ごうという時間だったので、そこから家に帰ってまた来て泳ぐ時間はなし。はい・・泳がずに帰りました。そして、昨日。軽くご飯を食べて、再び着替えてプールにでかけると、駐車場真っ暗。え?なに???と思って気付きました。土日祝日は閉館時間がはやいこと。仕事だったので、その日が土曜日だということまったく忘れてました。着替えて行ったのに、またもや泳がずに帰宅。これはもう、泳ぐなということか。っていうか・・・大丈夫か私の脳。本気で不安だだけど、CTとかおそろしくて撮れないわ。現実知るのはこわすぎる。

久し振りのクラクション

 今日、車で職場に行った。朝の新青梅街道は渋滞前とはいえ結構な交通量だ。場所によって、3車線だったり2車線だったり。新宿方面に向かうこの道は殺伐としている印象。ところで私は車間距離は広めが好き。とはいっても、朝の混雑時にそれをすると横入りされたり、後ろの車がいらつくのでまあ、いわゆる流れに乗った運転を心がけてはいる。で・・・今日3車線の1番左を走っていたら、横から車が前に入ってきたんですよ。いきなり。1台入るのがやっとくらいの車間距離ですよ。しかも前の車とはほぼ等速で走っており、決してダラダラと、どんどん車間距離があいていくような走り方は断じてしていません。「え、ここに入るわけ?」と軽くイラっとしました。ブレーキ踏ませやがって・・・と、クツクツクツ・・とたぎっていると、なんとそのバカ車、いきなりハザード出して止まるじゃありませんか。渋滞はしていないけど、けっこうみっちり詰まった状態で、そこそこ流れている3車線で!
 「はぁ??????????」と、瞬時に右後ろを確認するも、だめですよ。となり車線にはいけません。しかたなくブレーキ。はい、右に入れません。当然、私の後ろもその後ろもその後ろも・・・
「ふざけんなよ、ばかやろー!」と、車内でどなっていると、まあ、どの車もそう思うのでしょう。おそらく私の数台後ろの車がばんばんクラクションをならしはじめました。そもそも、こっちもむかついているところに、後ろのほうからバンバンクラクション鳴らされて、こちらも怒りマックス。「あたしじゃねーよ!」という気持ちと、「そもそもてめーが悪いんだよばかやろう」と、クラクションブーーーーーーーーー!後ろからならされるたびに、こっちもぶーーーーーーーーー!後ろからぶーぶー鳴らされるので、もう、それにあわせてぶーぶーぶーーーーーー!wwww 前の車、動き出しましたwそして10mほど先の細い道を左折しました。もう、そいつおいぬきがしらに、ブーーーーーー!
 よく考えたら、今の車でクラクションならすの、たぶん初めてです。昔はありがとうの「ぷっ」があったので、時々「ぷっ」っとクラクションを鳴らしていたけれど、ホンダ車からヴィータになった時、ヴィータのクラクションがなかなか調節が難しくて、ありがとね、「フォン♪」って、鳴らしたいのに
気持ちはありがとう♪なのに、「ブーーー」って鳴っちゃうことが多くてw なんとなく使うのをやめてしまった。その頃から、ありがとねはふつうに手を上げたり、頭動かしたり、夜ならライトぱちんが日常になった。
 ところで、こちらが車を譲ったとき、前から来る車の運転手がとってもとっても丁寧に頭を下げて、そのおかげでなかなかすれ違ってくれないときはイライラする。挨拶なんてどうでもいいから、さっさと通ってくれ・・と心から思う。挨拶をすることで、運転がおざなりになる人は挨拶なんてしないで下さい。本気で思います。
 クラクションってたしかむやみにならしちゃいけないんですよね。でも、それで捕まる人実際いるんですかね?今日久し振りにクラクションブーブー鳴らして、正直ちょっと・・・気持ちよかったwww
これに気を良くしてこれからも・・・ってことは、しませんよ。自分から鳴らすことはこれからもたぶんないです。鳴らした相手がへんな人だったらこわいしね。でもまあ・・・今日はなんだかすっきりしましたw

デモのデモンストレーションはやっぱりすごかった

デモレッスンを受けて心から思った。デモンストレーションの大切さ。デモは指導員の頂点だと思っている。だから、自分がレッスンをする時は、できる限りそれを目指してきた。もちろん、同じようにできるわけはない。でも、努力は怠らなかった。出来うる限りの、わかりやすい説明。相手に伝える努力。そして、自分の説明したことをできるだけ忠実に、わかりやすく滑って見せること。ろくに上手くない自分が、人様に教えてお金をもらう以上、そこのところは、常に努力をしてきたつもり。昨日より今日、今日より明日。今回デモレッスンを受けて、本当にすごいと思ったことは、説明したことを忠実に滑って見せること。説明を聞き、滑りをみると、「ああ、なるほど」と大きく頷きたくなる。デモ、さすがです。普通の研修会じゃこうはいかない。本当に、今回参加できてよかった。

研修で思ったこと

ここ数年、内足内足と大騒ぎ。山側に立てとか、スキーの山まわりなんかないとか、スキーは踏むなとか、シュテムターンからパラレルにはならないとか、プルークボーゲンはいらないとか、もう謎ばかりの教えに本気でムカついていました。しかし、その団体に属する以上、それらを真向から否定することはできません。だったら、そんな団体やめりゃいいんです。でも私、頑固なので自分がおかしいと思っていることなんかやりたくもないし、ましてや人に教えることなんてできません。思えば、だからこそあの時スキーの運動の原理をたくさんたくさん考えたんだと思います。デモのDVDでも、最新の技術物の詰め合わせではなく、オーソドックスなことをわかりやすく説明してくれているようなものを何度も見ました。ただシルエットを真似するのではなく、何故そのシルエットが現れるのかを考えました。そういうふうに考える仲間、また、考えたことにアドバイスをくれるような仲間、滑りを見てくれる仲間、いるにはいたけど、ほぼ皆無に近い。
幸い、校長がレーシングで、私自身もかつてはなんちゃってレーサーだったこともあり、迷った時は常にレーシングエクササイズに立ち返ると、全ての動作がすっきりと収まるという、所謂、帰るべき場所を持っていたことは幸運でした。
2年前の研修では、随分以前のメソッドに戻りつつあるな、とは思ったけれど、それでもまだ山側に立て、は言われました。見せてくれる滑りもそんな感じで、本当に、ろくに滑ってもおらず下手くそな自分がそんなことを言うのは悪いけど、「え、そんな滑り絶対したくないし」と思っていました。ところがどうでしょう。今回の研修ときたら!シュテムあり、プルークあり、スキーをたわませるために押せ押せ押せ!山まわりを途中で止めるな、などなど、、ここ数年否定されてきたことのオンパレード。本当に、自分を貫いていてよかった、と心から思うのと同時に、随分ひどい話だなあと思いましたよ。デモとか上手い人は、どんな操作でもできるんです。外足ね、と言われれば外足に。内足ね、と言われれば内足に。私はパンピー時代が長く、ろくに運動センスもないので、人が陥る負の要素はほぼ全て体験済み。そして、それをなおすことが、いかに大変かも、実体験を持ってわかっている。この10年くらいの間、あまり上手くない状態から、一生懸命スキーをやってきた人、心から同情します。ただし、やってきたことは決して無駄にはならないと思います。色々な雪質、状況を滑ることにおいて、これはやっちゃだめだなんてないのです。引き出しは多ければ多いほど良いのです。一生懸命やってきたことは決して無駄にはなりません。外足だって内足だってどちらも大事。だって内足って次のターンでは外足なんだから!
ただね、団体の受け売りで流行りをおいかける人たちがたくさんいることも事実。散々あんな滑りをしておいて(どんな滑りかはご想像におまかせ)教程かわったら、手のひらかえしたように、「基本は外足でしょ」なんて偉そうに言っているのを見ると、本気で腹が立ちます。

スキー大学に行ってきた

 指導員は2年に一度講習を受けなければならない・・・ということはもうなくなってしまった。受けなくても、あとでお金払えばなんとかしてくれるらしい。やったぁ、と思わないわけでもないが、結局2年に一度でも受けようと思わないときっとそのままずるずると、スキーをしなくなるような気がする。そして、そうなるとお金ももったいなくて払いたくなくなるような気がする。おとなしく、2年に一度は講習を受けておいたほうが良いような気がする。・・・というのが私の見解。もう、教えることもないだろうから、指導員の資格は返上してもいいのかな、と、思わないでもない。が・・まあ、返そうと思えばいつでも返せるので、これはもう少し持っていようと思う。なんだかんだいって、指導員まで取ったことで私のスキーはとても上手くなったと思うし、なによりも、運動を学ぶ考え方が培われた。指導員返したら、それらがなくなるというわけでもないが・・・いろいろな意味で苦労して取った資格だし、もう少し所持していようと思う。
 しかしながら、この指導員研修会出るたびに出てくるのは不満ばかり。毎回その不満はぶちまけているので、省略するけど、今年スキー大学に行かない?と友人から誘われた。デモが講習してくれて、理論もクリニックもやってくれて、1泊2日で宿代もリフト代も全てこみ。かなりお得なやつ。研修会、ではないけれどこれに出ると、ちゃんと研修会を受けたことになる。というわけで、今回初めてスキー大学とやらに参加したのだが・・感想は、すばらしかった、のひとこと。いやぁ・・・デモってすばらしい。口で説明したことを、見事に表現できる。(まあ、だからデモンストレーターなんだけど)そして、その滑りが本当になめらか。自分の滑りを棚にあげて言うのもなんだけど、研修会は、そもそもそんそ説明にも疑惑があるばかりか、見本の滑りをみても心のなかで、「えぇ〜、あれでいいわけ?」とか、「えぇ〜やだ〜〜〜、あんな滑りしたくない」と、毎回思いながら滑っていたわけですよ。当然不完全燃焼。やたら休憩ばかりするし、こんな時間におわるの?ってくらいはやく終わるし、ほんとに毎回毎回、出るたびにストレスがたまるのが研修会。それにくらべて、スキー大学は午前午後みっちりデモレッスン。基本動作はもとより、長い距離、大回り小回りと、丁寧に講習してくれる。ステロイドのおかげで、すっかり身体がダメダメな私には、かなり過酷なくらいの2日間。でも、こんなものがあると知った日には、もう二度とふつうの研修会には行かない。そんなふうに思ったスキー大学でございました。

主人ということば

もう関係ないからあまり考えることがなかったけど、
最近結婚した知り合いから「主人が」という言葉を聞いて
ひさしぶりにへぇ、、と思った。
私は、「主人が」という言葉には、かなり強い違和感を
覚えてしまい結婚当時から使うことはなかった。
ともだちには、「うちのだんな」オフィシャル?な
場面では、そもそも「主人が」と使うような場面はそうそう
ないけれど、どうしても呼ばなければいけないような
時は「夫」を使用していたような。

別に意味など考えなくて、単純にそういうふうに
呼ぶものなんだ、と思えばなんてことないんだろうけど、
自分は気になってしまうのだからしかたがない。
ひとりの人間とひとりの人間が結婚して、
なんでそこに主従関係がうまれるのさ!
と、強く考えてしまうのは、
やっぱり年代的なものなのかな。
思春期あたりの頃に、ウーマンリブとか習った世代。

世帯主、と言う意味で「主人」だから、仕方がないといえば
それまでだけど。だったら、私が世帯主になりますから
かわりにこども産んでくれます?  と、言いたくもなる。
本当に性格がひねてますねw

学校のおたよりに、保護者のサイン欄があって
そこにサインをするとき、なんのためらいもなく
いつも自分のサインをしていたけれど
ある日、けっこう多くのママたちが、自分の
ダンナの名前を書いているという事実に
けっこうな衝撃をうけた。
読んで、理解して、サインするのに、
なんで他人の(まあ、他人じゃないけど)名前書くんじゃ。
基本的に、サインって本人がするもんじゃねーのかよ、と。
だったら、それダンナに読ませてダンナにサインさせるか、
お便りの内容を、ダンナにはなして、
わかったら、あんたのサインそこにして、と。
まあ、そんなこといちいち面倒くさいし(お互いに)
基本的に、読んで理解したほうが自分の名前かいて
提出して、その内容についてはふつうに夫婦の会話の
中ではなしていればよろし・・と思うけど、
意外とそういうひとは少なかった。(ひとりしか同意えられずw)

今はひとりものなので、
主人もくそもなく、あまり考えることがなかったけど、
結婚したとたん「主人が」という若い人をみて
へぇ・・・と、久し振りに思った感じです。

怒濤の毎日

忙しすぎる・・・
まあ、暇よりはよいことなんだろうけど、それにしても
忙しすぎた。5日勤、1日休んで5日勤がようやくおわって
昨日は一歩も布団からでなかった。
今日こそははやおきしてって思ったけど、結局もう1時過ぎ。
明日からまた仕事・・・明日からもまた忙しい。
いやはや・・・

昨日、夢をみた。
夢とうつつのはざまって感じで、
目がさめたら、そこは以前の家だった。
家は薄暗かったけど、あれ?なんでここにいるんだろうと
思った。階段を上がった。
今の新しい家よりも、急な階段で、足を上げる高さの違いも
妙にリアル。階段をあがりきると、父親の部屋。
父親の部屋の独特の匂いがする。
暗くてだれもいない。1番奥の四畳半の和室が、
昔は母と私が、その後は母が布団を敷いて寝ていた部屋だ。
(足が悪くなってからは、1階で寝ていたけど・・・)
迷わず、奥の部屋に行くと薄暗い部屋に見覚えのある布団が
敷いたままになっている。だれもいない。
あれ? っと思いながら目がうっすら冷めた。
あそこに行けば、おかあさんがいるかもしれない、と
むりやり目をつむって、もう一度夢の中へ。
なんせ、ゆめうつつだから、そういうことができる。
もういっかいやりなおし。
1階から急な階段を上がって、誰もいない父親の部屋を横目でみて
奥の和室へとびこむ。
でもそこはやっぱりおんなじで、
うすぐらい部屋に、母親の布団だけがある。
やっぱりいないのかな。
やっぱりあえないのかな。
そう思いながら目がさめたら、
目から涙が滝のように流れていた。

久し振り。

やっぱり疲れているのかな。

新年あけましておめでとうございます。




とりあえず、朝もはよから駅の富士見テラスへ行ってきました。
同じこと考える人が多く、狭いテラスはごったがえしてました。
富士山かなり大きく見えるのだけれど、スマホや、ましてや携帯では
なかなか撮れないことを私は知っています。(経験者)
位置的な関係から、夕日がおちるときダイヤモンド富士になりますが、
朝の光はいまひとつインパクトに欠けます。
なかなか、うまくいきませんが、
写真は、その時その瞬間。元旦の早朝、東久留米から見える富士山の
ありのまま、ということで。

そういえば、去年は年女だったんだけど、
今年は鳥さんにバトンタッチです。
さあ、次の年女はアラカンじゃないか。(涙)
元気でやってるかしら・・未来の私。
その日まで、毎日をコツコツと積み重ねていきましょう。

本年もよろしくお願い致します。

家飲みラテが美味すぎる


もともと、コーヒーの味などたいしたわからない。
家ではもっぱらネスカフェ一本やり。
だったんだけど、福袋に入っていたコーヒーをドリップしたら、やっぱりインスタントよりおいしいかも?
と思い始め。また、ひいたコーヒーでも買ってみようかな、何て思ったら、fbのお友達が、多少安くてもひきたてが1番美味しいなんて言うものだから、コンパクトタイプのコーヒーミルを買ってみた。さらに、ペーパーがなくなったので、一杯分ペーパーなしでドリップできるやつを買ってみた。

これがとても使い勝手がよい。ミルを調節して粗挽き?くらいにすると目詰まりもなくほどよく落ちる。コーヒーオイルとやらも楽しめる。一杯分の豆をゴリゴリするのは大したてまじゃないばかりか、コーヒーの良い香りでとても癒される。しばらく、そんなドリップライフを楽しんでいたら、ふと思い出した。うちに、直火エスプレッソメーカー?があることを!昔何度か使ったもののイマイチ良さがわからず、そのまま食器棚の下に埋もれていた。〔調理器具あるある〕
引っ張り出して見ると、made in Italy と書いてある。検索して、使い方をチェック。挽き方は、細かいほうがよいらしい。そして、こなは、パンパンに詰めるが良いらしいなどなど。何度か試してみたところ、家のラテがスタバばりになった。😂 ま、あくまで私の味覚レベルの話ですが。
これまた昔スタバの福袋?に入っていたミルクフォーマーがあったんだけど、あっという間に壊れて、今はIKEAでなんと198円で買ったフォーマーを使ってる。メッチャ頑丈。
最初は、コーヒーの上に泡だてたミルクをのせてたんだけど
〔ふつうそうだもんね〕だんだん面倒臭くなってきたので、コーヒーをエスプレッソメーカーで入れてる間に、これから飲むマグカップに牛乳半分入れてチン。それを、フォーマーでウィーンとやってるうちにすぐエスプレッソはできるので、ウィーンとやりながらそこにコーヒーを混ぜていくスタイル。泡立ったミルクはコーヒー色になっちゃうけど、いやいやいやいや、コレが予想外のおいしさで。最初ビックリして、おかわりしちゃったくらい。
家で自分が美味しいなぁと思えるコーヒーが飲めるって
なかなかよいものですね。
そうそう、ちなみにこのウィーンとやるときにココナツオイルを少し混ぜてあげるとこれまたとーーってもよい香りのフレーバーコーヒーになります。これぞ、うちカフェ(^ν^)
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