史上最小の抗癌剤、シスプラチン
 1970年代後半、夢の新薬・シスプラチンが登場した(日本では 1983年に認可)。この薬は 3つの特徴があり、まず、々慨盧泙涼罎琶子量が極小なこと(Pt に 2個のアンモニア基と 2個の Clだけ)。骨髄毒性が少なく、腎毒性が主な用量制限因子であること。そして、史上最強と称される催吐作用。
 白血病など血液のがんは「治癒率」が高いが、固まりを作る固形癌では(睾丸腫瘍や絨毛癌などを除いて)転移がある場合、治癒は望めず、多剤併用化学療法(単剤はありえない)をもってして、大腸癌や小細胞性肺癌でせいぜい、中央生存期間で 2〜3ヶ月の延命効果しかない(最終的な生存期間に差はない)。
 試験管の中では、抗癌剤は癌細胞を絶滅できるのに、ヒトで効かないのは、腫瘍血管によるのです。癌は腫瘍血管から栄養と酸素の供給を受けているが、血管を奥に行けば行くほど酸素濃度(分圧)が低くなる。たいていの抗癌剤は、細胞を殺すには酸素が必要なのです。もう一つは、腫瘍血管を介し、抗癌剤を癌組織に送り込むわけだが、十分な濃さの薬剤が末梢の癌組織に到達できないのです。それは、癌組織の奥に行けば行くほど間質内圧が高くなり、分子量の大きな薬剤ほど到達しにくくなるため。昨今、ヒト型モノクロナール抗体が癌治療の切り札ともてはやされていますが、すぐに廃れるでしょう。分子量が巨大すぎるからです。
 シスプラチンの登場で睾丸腫瘍と絨毛癌の治癒率が向上したのは「小さな分子量」で説明できる。分子量が小さいので癌組織の奥まで染み込む、だから、一回の投与で駆逐できる細胞の割合が多くなったのです。シスプラチンは、かかる固形癌に対する標準治療の一角をなす。シスプラチンを模して、Ptを核にした、カーボプラチンとオザリプラチン(oxaliplatin)が世にでたが、分子量が大きく、シスプラチンほど効かない。オザリプラチンは何故か大腸癌に「少し」効く。巨大製薬会社は、新薬の特許が切れると、効果が劣っても新薬を宣伝する。治る癌に、カーボプラチンやオザリプラチンを使うのは、犯罪である。
◆抗癌剤の使い方
 使い方の基本は 3つ、注射か点滴で投与すること、死ぬか重篤な後遺症を残す一歩手前まで(最大耐量を)投与すること、そして複数の薬を組み合わせること(多剤併用)である。
 抗癌剤の抗腫瘍効果は「用量依存性」といって、薬の量が多ければ多いほど効果が高まる。大抵の抗癌剤の「副作用のため、これ以上増量できない」用量制限因子は骨髄毒性。骨髄では活発に白血球や血小板が作られ、また酸素も豊富、だから抗癌剤の影響を受けやすい。この最大量を投与しても殆どの固形癌では延命効果ゼロか最長でも 3ヶ月。飲む抗癌剤には、蓄積毒に由来する「短命効果」はあると思うが、日本列島固有の医療なので、例により検証されていない。
 一方、治癒する可能性がある癌に対しては、この原則を守らないと、助かるものも助からない。主治医の思い込みで投与量を減らしたり、副作用が少ないとされる「日本固有」の(薬剤)に変更してはならないのです。
 シスプラチンは骨髄毒性が少ないので、他の抗癌剤と組み合わせやすい。睾丸腫瘍に対しては、例えば「シスプラチン(腎毒性) + ブレオマイシン(肺毒性)+ ビンクリスチン(骨髄毒性)」を組み合わせた、標準治療が確立されている。ちなみに、シスプラチン登場により、睾丸腫瘍や絨毛癌の治癒率は改善されたが、他の癌には、僅かな効果か効果ゼロだった。
☆ワンちゃんとイタチ(ferret)と人間の特技
 生物界で、この 3者だけがゲロできるのですよ(四半世紀前の総説では)。シスプラチンは史上最強の催吐作用で知られていたが、当時、患者が嘔吐するのは当たり前、それを抑制することに、癌を専門とするお医者様は、誰も興味を示さなかった。前に記したが、シスプラチンの物凄い催吐作用を目の当たりにして、英文論文を検索すると「その対策」が記されているではないか。僕は 1883年、医師 2年半目に「シスプラチンによる嘔吐を抑制する方法」を日本で始めて論文にした*。
 時が経ち、最新の総説**によると、魚から広範な動物は嘔吐することが分かった。ちなみに、ビーグル犬やイタチを用いた実験で、シスプラチンは中枢神経にある「化学物質による催吐中枢」を介して、嘔吐をもたらすことが解明され、優れた制吐剤が開発された。シスプラチンによる嘔吐は過去のものと化した。精巣腫瘍や絨毛癌患者には朗報である。

*李漢栄・他 抗癌剤化学療法時におけるMPLの併用:その制吐作用 癌と化学療法、10:1466, 1883
**Chemotherapy-Induced Nausea and Vomiting. N Engl J Med 358:23 2482-2494 June, 2008
リー湘南クリニック leeshonan@gmail.com  拙著「癌患者を救いたい PSA検診のウソ」(正誤表) (2007年7月の記事、統合、校正)