昨晩のメンバーです。行きつけの飲み屋さん「かわむら」のママ・河村さんと常連さんたち、そしてヴァイオリニストの穴澤さんです。入院中は、大変にご心配頂き、お世話になりました。
快気祝いまでに「常食」の予定でしたが、固形物はまだ飲み込めません。
思えば、発症(嚥下障害を自覚)から 6ヶ月、しぶとい病ですわ。
これまでの経緯
事の顛末 去年の11月中旬、突然に肉を飲み込めなくなりましたが、しばらく時間をおくと飲み込めたりの繰り返しでした。食道に強い酸がみられなかったので「アカラシア」と診断し、経過をみていましたが、本年 2月初めからは、固形物を受け付けなくなりました。で、ビールを主食に頑張っていたのですが、次第に体調が悪くなっていきました。
入院当日 午前の診療終了後、異様な倦怠感のため帰宅できず、ソファーに横たわっていました。目を開けると、友人らが取り囲みしきりに入院を勧めます(後日、知ったがスタッフが知人らを集めた)。 入院だけはしたくないと抵抗しましたが、観念し急遽入院することになりました。咳きや痰が出ないので看過していましたが、肺炎が体調不良の原因でした。
救命救急外来で、家族への「病状、処置説明書」。
#1 食道癌疑い
#2 リンパ節転移疑い(頚部中心、腹部リンパ節も一部腫大)
#3 誤嚥性肺炎(#1、2によると思われる)
#4 血小板減少症
まず、#3から加療して行き、症状改善したら#1、2の診断を行っていく方針。
#4など(=播種性血管内凝固症候群の予兆)全身状態が不安定になる要素あり、急変の可能性ある。⇒急変時は機械的延命(心マッサージ、人工呼吸器)はしないことで家族は了解された。
3月7日、放射線医(非常勤)による病状処置説明 「初め、予防的照射を含め、広範囲に 40 Gy(グレー;放射線量の単位)を照射し、残り 20 Gyを原発巣を中心に照射します。肺炎を併発することがありますがステロイドで治ります」。はて、一臓器 40Gyが原則で(原発巣を中心に 60Gyの方が有効という説もある)、予防的照射の意味が分からないので、原発巣へのみの照射を希望した。一般の方は知る由もないが、無駄な広範囲・高用量照射を受ければ合併症が増えるだけ。退院後「放射性肺炎」で、仕事を休んで再入院、たまったものではない。(3月23日の日記)
化学・放射線療法 ここでいう(抗がん剤)化学療法は、殺細胞効果を期待したものではなく、放射線療法の効果増強(増感作用)を目的に用いられる。
3月11日から、FP-Radiを受けることになった。Fは 5-FUのことで、その誘導体を含め古くから、消化器がん治療の要であったが、今だかつて有効性(腫瘍縮小効果はあるものの延命効果)は一度も示されていない。5-FUは 5日間持続点滴で、少量なので副作用は考えられない。
Pはシスプラチンで、比較的高用量(体表面積あたり 70mg)を 2時間で投与する。制吐剤なしにこの量を投与すると、すざましい悪心・嘔吐をひきおこす。シスプラチンは、他の殺細胞性抗がん剤と異なり、骨髄への毒性が低く、腎毒性が主な用量制限因子である。腎毒性は、尿細管内の Clイオン濃度が高く保たれていれば予防できるので、シスプラチン投与前後の輸液が重要となる。さて、市民病院のプロトコールに目を通すと、投与前日の意味不明の点滴(時間指定なしに 1000mlを 4時間で点滴)、そしてシスプラチン投与前の補液量が少なく放射線照射と同期していない(同期させたほうが効果が高まる)。早速これらは、改めていただいた。
いざ、シスプラチン投与を受けてみると、全く嘔吐はなく、悪心すら感じなかった。制吐剤の進歩のおかげである。(3月24日の日記)
藤沢市民病院 意識朦朧の中、藤沢市民病院救命救急部に搬送されたが、ラッキーだったのは、当日の担当医が優秀で(岩瀬Dr)、適切な処置と検査をスムースにやっていただいたことである。どこかで聞いた名前と思ったのですが、この先生、尿路結石患者をなぜか、市民病院の泌尿器科ではなく、リー湘南クリニックへ紹介いただくのですよ。
病院は古いせいか、内装は汚らしく、トイレはまめに清掃しているのだが、運が悪いと足を踏み入れられない。
訳のわからないのは「除菌」と称し、午前と午後にベッドの手すりやらを拭きに来る。全く無駄な行為、人件費の無駄である。
看護師は、驚くほど基礎的医学知識にうとく、例外なく、これでいいのかと呆れる毎日です。
医師は、ごく一部しか知らないが、横文字を読んでいないので知識が薄っぺら。波風立てないように、この場合こうしたほうが良いですよとアドバイスしている。
仔細なことだが、検査技師が採決するさい「チクッ」としますよと言う。穿刺時そこに神経が集中するので痛みを感じる。アメリカ時代に習った小技だが、穿刺時に息を強く吐かせると痛みを感じない。以前に記したが、消毒と称し酒精綿で無駄な消毒(?)をしている。
昨日は、穴澤さんが慰問に来てくれました。病室でヴァイオリンを聴く機会はそうないでしょう。(3月 21日の日記)
最近の日課 4時頃、自然に起床。6時頃から、胃漏から栄養液を注入。8時半にタクシーで職場へ、9時から12時半まで診療し、帰院(診療がない日は、鵠沼海岸あたりで時間をつぶす)。
1時頃から栄養液を注入、そして 7時頃に夕ご飯(栄養液を注入)。暇な時間は、DVD鑑賞、読書三昧、テレビ、そして時に瞑想。(3月23日の日記)
4月 2日に仮退院するまで、これまでに劇場を含め 3回以上鑑賞した映画を 100本近く DVDで再鑑賞した。その中で、ベスト 7は 1.アマデウス、2.ゴッド・ファーザー、3.ダンスウィズウルウス、4. English Patients、5.恋愛小説家、6.グラディエーター、7.アメリカンギャングスターなどであった。
英語を忘れない目的もあり、映画を DVDで再鑑賞するが、3回以上鑑賞に堪える映画はそう多くない。例えば、Star Warsは 2回までしか鑑賞できなかった。(4月7日)
アルコール性肝障害や血圧 ここ二十数年、毎日仕事が終わるとすぐに欠かさず飲んできた、特に休みの日は、朝から飲むのが楽しみであった。そんな飲べいが緊急入院。入院時の GOT、GPTそして LDHは正常(肝機能正常)。γGTPはやや上昇していたが、断酒後も数値は変わらず。いつか記したが、γGTPが上昇していると必ず「アルコール性肝障害とか脂肪肝」とか烙印を押される。一つ前の内科書(Harrison's)には「γGTPの意味は不明」と記されていたが、最新版には γGTPの索引すらない。根拠のない「休肝日」やら「アルコール性肝障害とか脂肪肝」とほざく医師はよっぽどの勉強不足、避けたほうが無難。
普段の血圧は 160/100前後ときわめて健康的であった。入院中は、朝晩血圧を測定するのだが、低いときは 106/80、高いときは 130/100くらい。毎日一定の摂取内容(胃漏からの注入)、運動量、環境にもかかわらず血圧はこれほど変動する。一体どれが僕の血圧を表わすのか。降圧薬の宣伝をみると、血圧が 2mmHg低下などと謳っているが、そこには「血圧村」のにおいがする。(3月25日)
腎前性腎不全 腎不全の原因は、腎前性、腎性、そして腎後性に分けられる。腎前性は脱水症によるもの、腎後性は両側尿管の通過障害とほぼ同義。腎性と違い、早めに診断すれば、適切な処置により予防あるいは治癒する。
3月 17日未明から下痢が始まり止らない。翌日には、激しい口渇(symtom=自覚症状)、そして乏尿と頻脈(sighn=他覚的症状)があらわれ、明らかに脱水症である。放置すると、腎血流が遮断し急性腎不全に陥る。どのくらい放置すると腎不全になるのかは定かではないが、嘔吐後に 2日間昏睡に陥り、3日目受診時には透析が必要な腎不全になっていた症例(若い男性)をだいぶ前に経験した。診断には、尿比重が役に立つ。
たまたま、担当医は手を離せないので代理の医師に、脱水症であることを伝え、すぐにスポーツ飲料あるいはソリタ T3号(500ml)(維持輸液の定番、何とか 3号を冠したジェネリックが多くある)の胃瘻からの注入をお願いしたが埒があかない。スポーツ飲料は鼻から論外のようで、ようやく、ソリタの原末ならあるというので注入をお願いしたら、何と 100ccの水に溶くという、これでは脱水を助長する(高張液なので)。看護師に 600ccの水に溶いてもらって事なきをえた。代理の女医は捕液のイロハを知らないことを知った。
脱水症が治ってから、異様な倦怠感にみまわれた。これは、脱水というストレスで Vit B1と B12が消耗され、その欠乏による症状である。担当医に B1とB12の欠乏症なので注入をお願いしたが、注入液中に十分に含まれているので…とのこと。婉曲的に内科書(Harrison's)に記されていることを伝えると注入の指示をいただいた。無論、倦怠感はすぐに消失し、元気満々になった。
仔細なことだが、看護師は胃瘻からの注入量が多いと下痢を助長すると信じていた(注入量が少ないと、医原性急性腎不全になる)。担当医は、胃瘻が確保されているのにもかかわらず、しきりに点滴をすすめた。(3月27日)
グレリン攻撃 グレリンは、胃が空虚な状態が続くと、胃から分泌されるホルモンでダイエットを行う上で大敵である。史上最強のホルモンと称され、息を止めて自殺できないと同様に、このホルモンが分泌されると摂食せずにいられなくなる。ダイエットが順調にすすみ、摂食量が減少すると、突然猛烈な食欲に襲われることがある。対策は、胃を膨らませるもの、例えば豆腐やこんにゃくを食べ 5分間ほど我慢すること。すると、あれだけあった食欲がウソのように消退する。
さて、2月 24日に緊急入院してから 1週間ほどは末梢からの点滴(500Kcal前後/2,400ml前後/日)のみ、その後は、経管(胃瘻)栄養(1,200Kcal/日、水分は 1,400〜1,800ml/日)、低カロリーで、胃はしぼんだ状態。グレリン攻撃にさい悩まされるかと思いきや、全く食思が沸かない。遺伝子は変わらず、その機能が変化(Epigenetics*)したのかもしれない。
*What Is Epigenetics Science 330: 611-632 OCTOBER 2010 (4月9日)
放射線照射追加 食道癌原発巣への放射線照射は、20回(40Gy)での終了を希望したが、担当医は熱心に 30回(60Gy)照射を勧めるので間をとって、計 28回(56Gy)照射することになった。20回(4月 9日)まで、前後 2門照射であったが、放射性脊髄炎の可能性を考慮し、21回目から左右斜めから照射している。担当医が強く勧める 30回(60Gy)照射の根拠を問うてみると、「これが、日本の標準ですので…、アメリカでは 51Gyが標準ですが」と煮えきらない。照射後に化学療法を勧めてきたが、担当医には申し訳ないが、これには爆笑してしまった。
昨日から、唾液を飲み込めるようになったが、誤嚥性肺炎が怖くて、飲食は自重している。もっとも、ビールを飲んでみたが、食道にしみて美味しくない。照射野から、反回神経がはずれたせいか、声がでるようになってきた。あと 10日間くらいの辛抱と踏んでいる。(4月15日)
胃瘻を抜去しました 緊急入院から約 2ヶ月、体重は 10Kg強減り、54Kg台(170cm)、Gパンがゆるゆるです。嚥下痛は強いものの、何とか飲み込めるようになったので、先ほど、一月半お世話になった胃瘻を抜去しました(自分で抜去できる)。入院中は期せずして、多くの方のお見舞いや激励の文を賜り、感謝に耐えません。
左のお写真は、神戸の横幕さんからお送り頂いた「昨年の沖縄ダイビング合宿」のエッセンスです。癒されました。
その右は、その横幕さんが来月 5月 16日(木)に神戸でが主催されるライブのポスターです。出演は、穴澤さん(ヴァイオリン)と野田さん(ピアノ)、今から楽しみです。(4月17日)
退院後の日記
4月4日 3月下旬、北海道の後藤さんが来訪されたとのこと。美味しそうなおみやげは、もったいないことをしました。
4月20日 昨日、19日で放射線照射が終了した、この 20数年の中で最も嬉しい!
4月17日に胃瘻を抜去したものの、固形物はほとんど飲み込めず、水分も突然に飲み込めなくなることがあり、干からびてしまうのではと一瞬不安がよぎる。ここ 4日間の摂取カロリーは一日せいぜい 500Kcal、水分量は多くて 1L。しかし、口渇はあるものの、空腹感はなく体調も良い。
4月21日 昨日の午後から喉がスカスカ通るようになった。喉の渇きが癒えるまで、冷水を 1.5Lついでに美味しくはないもののビールを 500ml飲んだ。昨日までの心配がウソのようで、身体の隅々までが潤おった。固形物も桜餅を一個食せた。さて、今日は何を食らうか、焼きソバか、レトルトカレーwithフランスパンか、ねぎ・チャーシュー・メンマ入りインスタントラーメンか、嬉しい悩みである。二ヵ月半ぶりの食事となる。
4月23日 一昨日、カレーうどんをこさえた。一口すすってみると、放射線で炎症(=発赤、疼痛、浮腫)状態にある食道粘膜を刺激したため、丸半日水分も飲みこめんなくなってしまった。
4月25日 毎晩、ビール、正確には発泡酒にチャレンジするのだが美味しくないので残してしまう。気の抜けたビールが 1.5Lになったので、21〜22日にかけて豚三枚肉のビール煮をこさえた。香辛料を加えていくうちに、ポトフとボルシチの中間みたいな料理に仕上がった、味は上々である。ただ、半端ではない量になってしまったので、4人前ほどスタッフにおすそ分けした。
昨晩、食してみたが、まだ固形物は喉を通らない、あと数日だろう。嚥下痛は軽くなり、声も出るようになった。入院中、3月25日に原因不明の痙攣に見舞われ、以来、体動動時左上半身に激痛が走り、退院まで車椅子のお世話になった。退院後も左上半身に痺れと疼痛が続き、寝返りを打てなかったが、昨晩は仰向けで就寝できた。あと一歩。
4月27日 昨日、湘南テラスモールで映画「リンカーン」を鑑賞した。鑑賞後、テラス内の「佐野実」出店の店でワンタンメンを食した。スープは上品な鶏がらで絶品、美味いの一言につきた。メンマも美味い、そして調子に乗ってワンタンを食らったら、これが喉を通らず、以来何も喉を通らなくなってしまった。口渇は強いものの、今のところうがいで我慢するしかない。毎度のことながら、脱水症の恐怖が脳裏をかすめる。
5月4日 一週間前、キャベツとなめこを具に味噌汁をこさえた。二口ほどすすったら、嚥下障害をきたした。再び水分を摂取できるようになるまで 27〜30時間を要し、その間「口渇」はうがいでしのいだ。思えばこの一週間その繰り返しである。目下、嚥下障害発生後 24時間目で、喉の開通を待っている。
味噌汁の方はといえば、悪くなるともったいないので、一日に一回火を通す。水や味噌を足し、賞味期限が過ぎた納豆も加えた。今朝味をみたら、味噌の風味はないものの、味噌煮込みそのもの、非常に美味い。喉が開通したら、具を避け汁だけ飲もう。
胃瘻抜去後、命をつないでいるのは、抹茶ラテとハーゲンダッツ・アイスクリームそしてカルピスである。スタッフが栄養が偏らないか心配していたが、完全栄養食である、だって、赤ちゃんは、ミルクだけですくすく育つから。ちなみに、ヒトの乳と牛乳の組成は殆ど同じだが、人乳の方が糖分が高い。
5月10日 転移性食道癌になって良かったこと 皆さんのご厚情を知ったこと。酒代が減ったこと、罹る前は一日ビール 4Lは飲んでいましたが、今では 1Lも飲めません。そして、食道癌にまた罹らない科学的根拠を知ったこと。
快気祝いまでに「常食」の予定でしたが、固形物はまだ飲み込めません。
思えば、発症(嚥下障害を自覚)から 6ヶ月、しぶとい病ですわ。
これまでの経緯
事の顛末 去年の11月中旬、突然に肉を飲み込めなくなりましたが、しばらく時間をおくと飲み込めたりの繰り返しでした。食道に強い酸がみられなかったので「アカラシア」と診断し、経過をみていましたが、本年 2月初めからは、固形物を受け付けなくなりました。で、ビールを主食に頑張っていたのですが、次第に体調が悪くなっていきました。
入院当日 午前の診療終了後、異様な倦怠感のため帰宅できず、ソファーに横たわっていました。目を開けると、友人らが取り囲みしきりに入院を勧めます(後日、知ったがスタッフが知人らを集めた)。 入院だけはしたくないと抵抗しましたが、観念し急遽入院することになりました。咳きや痰が出ないので看過していましたが、肺炎が体調不良の原因でした。
救命救急外来で、家族への「病状、処置説明書」。
#1 食道癌疑い
#2 リンパ節転移疑い(頚部中心、腹部リンパ節も一部腫大)
#3 誤嚥性肺炎(#1、2によると思われる)
#4 血小板減少症
まず、#3から加療して行き、症状改善したら#1、2の診断を行っていく方針。
#4など(=播種性血管内凝固症候群の予兆)全身状態が不安定になる要素あり、急変の可能性ある。⇒急変時は機械的延命(心マッサージ、人工呼吸器)はしないことで家族は了解された。
3月7日、放射線医(非常勤)による病状処置説明 「初め、予防的照射を含め、広範囲に 40 Gy(グレー;放射線量の単位)を照射し、残り 20 Gyを原発巣を中心に照射します。肺炎を併発することがありますがステロイドで治ります」。はて、一臓器 40Gyが原則で(原発巣を中心に 60Gyの方が有効という説もある)、予防的照射の意味が分からないので、原発巣へのみの照射を希望した。一般の方は知る由もないが、無駄な広範囲・高用量照射を受ければ合併症が増えるだけ。退院後「放射性肺炎」で、仕事を休んで再入院、たまったものではない。(3月23日の日記)
化学・放射線療法 ここでいう(抗がん剤)化学療法は、殺細胞効果を期待したものではなく、放射線療法の効果増強(増感作用)を目的に用いられる。
3月11日から、FP-Radiを受けることになった。Fは 5-FUのことで、その誘導体を含め古くから、消化器がん治療の要であったが、今だかつて有効性(腫瘍縮小効果はあるものの延命効果)は一度も示されていない。5-FUは 5日間持続点滴で、少量なので副作用は考えられない。
Pはシスプラチンで、比較的高用量(体表面積あたり 70mg)を 2時間で投与する。制吐剤なしにこの量を投与すると、すざましい悪心・嘔吐をひきおこす。シスプラチンは、他の殺細胞性抗がん剤と異なり、骨髄への毒性が低く、腎毒性が主な用量制限因子である。腎毒性は、尿細管内の Clイオン濃度が高く保たれていれば予防できるので、シスプラチン投与前後の輸液が重要となる。さて、市民病院のプロトコールに目を通すと、投与前日の意味不明の点滴(時間指定なしに 1000mlを 4時間で点滴)、そしてシスプラチン投与前の補液量が少なく放射線照射と同期していない(同期させたほうが効果が高まる)。早速これらは、改めていただいた。
いざ、シスプラチン投与を受けてみると、全く嘔吐はなく、悪心すら感じなかった。制吐剤の進歩のおかげである。(3月24日の日記)
藤沢市民病院 意識朦朧の中、藤沢市民病院救命救急部に搬送されたが、ラッキーだったのは、当日の担当医が優秀で(岩瀬Dr)、適切な処置と検査をスムースにやっていただいたことである。どこかで聞いた名前と思ったのですが、この先生、尿路結石患者をなぜか、市民病院の泌尿器科ではなく、リー湘南クリニックへ紹介いただくのですよ。
病院は古いせいか、内装は汚らしく、トイレはまめに清掃しているのだが、運が悪いと足を踏み入れられない。
訳のわからないのは「除菌」と称し、午前と午後にベッドの手すりやらを拭きに来る。全く無駄な行為、人件費の無駄である。
看護師は、驚くほど基礎的医学知識にうとく、例外なく、これでいいのかと呆れる毎日です。
医師は、ごく一部しか知らないが、横文字を読んでいないので知識が薄っぺら。波風立てないように、この場合こうしたほうが良いですよとアドバイスしている。
仔細なことだが、検査技師が採決するさい「チクッ」としますよと言う。穿刺時そこに神経が集中するので痛みを感じる。アメリカ時代に習った小技だが、穿刺時に息を強く吐かせると痛みを感じない。以前に記したが、消毒と称し酒精綿で無駄な消毒(?)をしている。
昨日は、穴澤さんが慰問に来てくれました。病室でヴァイオリンを聴く機会はそうないでしょう。(3月 21日の日記)
最近の日課 4時頃、自然に起床。6時頃から、胃漏から栄養液を注入。8時半にタクシーで職場へ、9時から12時半まで診療し、帰院(診療がない日は、鵠沼海岸あたりで時間をつぶす)。
1時頃から栄養液を注入、そして 7時頃に夕ご飯(栄養液を注入)。暇な時間は、DVD鑑賞、読書三昧、テレビ、そして時に瞑想。(3月23日の日記)
4月 2日に仮退院するまで、これまでに劇場を含め 3回以上鑑賞した映画を 100本近く DVDで再鑑賞した。その中で、ベスト 7は 1.アマデウス、2.ゴッド・ファーザー、3.ダンスウィズウルウス、4. English Patients、5.恋愛小説家、6.グラディエーター、7.アメリカンギャングスターなどであった。
英語を忘れない目的もあり、映画を DVDで再鑑賞するが、3回以上鑑賞に堪える映画はそう多くない。例えば、Star Warsは 2回までしか鑑賞できなかった。(4月7日)
アルコール性肝障害や血圧 ここ二十数年、毎日仕事が終わるとすぐに欠かさず飲んできた、特に休みの日は、朝から飲むのが楽しみであった。そんな飲べいが緊急入院。入院時の GOT、GPTそして LDHは正常(肝機能正常)。γGTPはやや上昇していたが、断酒後も数値は変わらず。いつか記したが、γGTPが上昇していると必ず「アルコール性肝障害とか脂肪肝」とか烙印を押される。一つ前の内科書(Harrison's)には「γGTPの意味は不明」と記されていたが、最新版には γGTPの索引すらない。根拠のない「休肝日」やら「アルコール性肝障害とか脂肪肝」とほざく医師はよっぽどの勉強不足、避けたほうが無難。
普段の血圧は 160/100前後ときわめて健康的であった。入院中は、朝晩血圧を測定するのだが、低いときは 106/80、高いときは 130/100くらい。毎日一定の摂取内容(胃漏からの注入)、運動量、環境にもかかわらず血圧はこれほど変動する。一体どれが僕の血圧を表わすのか。降圧薬の宣伝をみると、血圧が 2mmHg低下などと謳っているが、そこには「血圧村」のにおいがする。(3月25日)
腎前性腎不全 腎不全の原因は、腎前性、腎性、そして腎後性に分けられる。腎前性は脱水症によるもの、腎後性は両側尿管の通過障害とほぼ同義。腎性と違い、早めに診断すれば、適切な処置により予防あるいは治癒する。
3月 17日未明から下痢が始まり止らない。翌日には、激しい口渇(symtom=自覚症状)、そして乏尿と頻脈(sighn=他覚的症状)があらわれ、明らかに脱水症である。放置すると、腎血流が遮断し急性腎不全に陥る。どのくらい放置すると腎不全になるのかは定かではないが、嘔吐後に 2日間昏睡に陥り、3日目受診時には透析が必要な腎不全になっていた症例(若い男性)をだいぶ前に経験した。診断には、尿比重が役に立つ。
たまたま、担当医は手を離せないので代理の医師に、脱水症であることを伝え、すぐにスポーツ飲料あるいはソリタ T3号(500ml)(維持輸液の定番、何とか 3号を冠したジェネリックが多くある)の胃瘻からの注入をお願いしたが埒があかない。スポーツ飲料は鼻から論外のようで、ようやく、ソリタの原末ならあるというので注入をお願いしたら、何と 100ccの水に溶くという、これでは脱水を助長する(高張液なので)。看護師に 600ccの水に溶いてもらって事なきをえた。代理の女医は捕液のイロハを知らないことを知った。
脱水症が治ってから、異様な倦怠感にみまわれた。これは、脱水というストレスで Vit B1と B12が消耗され、その欠乏による症状である。担当医に B1とB12の欠乏症なので注入をお願いしたが、注入液中に十分に含まれているので…とのこと。婉曲的に内科書(Harrison's)に記されていることを伝えると注入の指示をいただいた。無論、倦怠感はすぐに消失し、元気満々になった。
仔細なことだが、看護師は胃瘻からの注入量が多いと下痢を助長すると信じていた(注入量が少ないと、医原性急性腎不全になる)。担当医は、胃瘻が確保されているのにもかかわらず、しきりに点滴をすすめた。(3月27日)
グレリン攻撃 グレリンは、胃が空虚な状態が続くと、胃から分泌されるホルモンでダイエットを行う上で大敵である。史上最強のホルモンと称され、息を止めて自殺できないと同様に、このホルモンが分泌されると摂食せずにいられなくなる。ダイエットが順調にすすみ、摂食量が減少すると、突然猛烈な食欲に襲われることがある。対策は、胃を膨らませるもの、例えば豆腐やこんにゃくを食べ 5分間ほど我慢すること。すると、あれだけあった食欲がウソのように消退する。
さて、2月 24日に緊急入院してから 1週間ほどは末梢からの点滴(500Kcal前後/2,400ml前後/日)のみ、その後は、経管(胃瘻)栄養(1,200Kcal/日、水分は 1,400〜1,800ml/日)、低カロリーで、胃はしぼんだ状態。グレリン攻撃にさい悩まされるかと思いきや、全く食思が沸かない。遺伝子は変わらず、その機能が変化(Epigenetics*)したのかもしれない。
*What Is Epigenetics Science 330: 611-632 OCTOBER 2010 (4月9日)
放射線照射追加 食道癌原発巣への放射線照射は、20回(40Gy)での終了を希望したが、担当医は熱心に 30回(60Gy)照射を勧めるので間をとって、計 28回(56Gy)照射することになった。20回(4月 9日)まで、前後 2門照射であったが、放射性脊髄炎の可能性を考慮し、21回目から左右斜めから照射している。担当医が強く勧める 30回(60Gy)照射の根拠を問うてみると、「これが、日本の標準ですので…、アメリカでは 51Gyが標準ですが」と煮えきらない。照射後に化学療法を勧めてきたが、担当医には申し訳ないが、これには爆笑してしまった。
昨日から、唾液を飲み込めるようになったが、誤嚥性肺炎が怖くて、飲食は自重している。もっとも、ビールを飲んでみたが、食道にしみて美味しくない。照射野から、反回神経がはずれたせいか、声がでるようになってきた。あと 10日間くらいの辛抱と踏んでいる。(4月15日)
胃瘻を抜去しました 緊急入院から約 2ヶ月、体重は 10Kg強減り、54Kg台(170cm)、Gパンがゆるゆるです。嚥下痛は強いものの、何とか飲み込めるようになったので、先ほど、一月半お世話になった胃瘻を抜去しました(自分で抜去できる)。入院中は期せずして、多くの方のお見舞いや激励の文を賜り、感謝に耐えません。
左のお写真は、神戸の横幕さんからお送り頂いた「昨年の沖縄ダイビング合宿」のエッセンスです。癒されました。
その右は、その横幕さんが来月 5月 16日(木)に神戸でが主催されるライブのポスターです。出演は、穴澤さん(ヴァイオリン)と野田さん(ピアノ)、今から楽しみです。(4月17日)
退院後の日記
4月4日 3月下旬、北海道の後藤さんが来訪されたとのこと。美味しそうなおみやげは、もったいないことをしました。
4月20日 昨日、19日で放射線照射が終了した、この 20数年の中で最も嬉しい!
4月17日に胃瘻を抜去したものの、固形物はほとんど飲み込めず、水分も突然に飲み込めなくなることがあり、干からびてしまうのではと一瞬不安がよぎる。ここ 4日間の摂取カロリーは一日せいぜい 500Kcal、水分量は多くて 1L。しかし、口渇はあるものの、空腹感はなく体調も良い。
4月21日 昨日の午後から喉がスカスカ通るようになった。喉の渇きが癒えるまで、冷水を 1.5Lついでに美味しくはないもののビールを 500ml飲んだ。昨日までの心配がウソのようで、身体の隅々までが潤おった。固形物も桜餅を一個食せた。さて、今日は何を食らうか、焼きソバか、レトルトカレーwithフランスパンか、ねぎ・チャーシュー・メンマ入りインスタントラーメンか、嬉しい悩みである。二ヵ月半ぶりの食事となる。
4月23日 一昨日、カレーうどんをこさえた。一口すすってみると、放射線で炎症(=発赤、疼痛、浮腫)状態にある食道粘膜を刺激したため、丸半日水分も飲みこめんなくなってしまった。
4月25日 毎晩、ビール、正確には発泡酒にチャレンジするのだが美味しくないので残してしまう。気の抜けたビールが 1.5Lになったので、21〜22日にかけて豚三枚肉のビール煮をこさえた。香辛料を加えていくうちに、ポトフとボルシチの中間みたいな料理に仕上がった、味は上々である。ただ、半端ではない量になってしまったので、4人前ほどスタッフにおすそ分けした。
昨晩、食してみたが、まだ固形物は喉を通らない、あと数日だろう。嚥下痛は軽くなり、声も出るようになった。入院中、3月25日に原因不明の痙攣に見舞われ、以来、体動動時左上半身に激痛が走り、退院まで車椅子のお世話になった。退院後も左上半身に痺れと疼痛が続き、寝返りを打てなかったが、昨晩は仰向けで就寝できた。あと一歩。
4月27日 昨日、湘南テラスモールで映画「リンカーン」を鑑賞した。鑑賞後、テラス内の「佐野実」出店の店でワンタンメンを食した。スープは上品な鶏がらで絶品、美味いの一言につきた。メンマも美味い、そして調子に乗ってワンタンを食らったら、これが喉を通らず、以来何も喉を通らなくなってしまった。口渇は強いものの、今のところうがいで我慢するしかない。毎度のことながら、脱水症の恐怖が脳裏をかすめる。
5月4日 一週間前、キャベツとなめこを具に味噌汁をこさえた。二口ほどすすったら、嚥下障害をきたした。再び水分を摂取できるようになるまで 27〜30時間を要し、その間「口渇」はうがいでしのいだ。思えばこの一週間その繰り返しである。目下、嚥下障害発生後 24時間目で、喉の開通を待っている。
味噌汁の方はといえば、悪くなるともったいないので、一日に一回火を通す。水や味噌を足し、賞味期限が過ぎた納豆も加えた。今朝味をみたら、味噌の風味はないものの、味噌煮込みそのもの、非常に美味い。喉が開通したら、具を避け汁だけ飲もう。
胃瘻抜去後、命をつないでいるのは、抹茶ラテとハーゲンダッツ・アイスクリームそしてカルピスである。スタッフが栄養が偏らないか心配していたが、完全栄養食である、だって、赤ちゃんは、ミルクだけですくすく育つから。ちなみに、ヒトの乳と牛乳の組成は殆ど同じだが、人乳の方が糖分が高い。
5月10日 転移性食道癌になって良かったこと 皆さんのご厚情を知ったこと。酒代が減ったこと、罹る前は一日ビール 4Lは飲んでいましたが、今では 1Lも飲めません。そして、食道癌にまた罹らない科学的根拠を知ったこと。