2003年4月号の TIME誌*に掲載された記事です。非常に長いのでそのごく一部を紹介します。われわれ人類は、近親者を亡くすと深い悲しみにくれますが、その起源は動物にあるという、言われてみれば当たり前のお話。近親者を亡くされたとき、この記事を思い出してください。
 科学者は、動物は死に対して敬意をはらい、悼み、そして通夜すらする新しい証拠を発見しつつある。それは、動物について、そしてわれわれに何を明らかにするのか。
 カラスの魂には、何か深いものがある。容易に死を負わせる動物は、仲間が死んだ時、深く感傷にふけるように見える。野外に横たわるカラスの死骸には、すぐに 2ないし 3羽のカラスが集まる。カラスは、何百羽もの仲間を呼び寄せる特別な泣き声を発しながら、急降下と上昇を繰り返す(dive and swoop and scold ≪=ヒッチコック風の表現らしい≫)。まるで儀式的な協調で、しばしば全くの沈黙の中、舞い降り死骸を取り囲む。あるカラスは、草木のスティクや枝木を運び、死骸の横や上に置く。そして、敬意を表し飛び去る。
 子供の死後数日から数週たち、腐敗が始まっても死を認めず、死体をかかえ続ける母猿の例がある。血縁者の死後長い間、確かめ、触れるながら死体に寄り添う。象は見つけた骨に立ち止まり、骨を確かめる。遊び仲間が死んだとき、元気が無くなり食事をしなくなる犬と猫、猫の中には悲しみを恐ろしいほど泣き叫び表現する。ボノボスは消え行く灯火に荒れ狂い、しばしば死骸に石を投げつけ、自分の胸を叩く前に死骸の胸を叩く。死に伴う明らかな悲しみは、農園ではヤギ、羊、豚、カモ、アヒルに観察されてきた、そして海では、母イルカは霊長類の母のように死骸を前に押し出す。
 動物は、われわれと同様社会的生き物である。動物は、われわれと全く同じように関係を築き、それはある時点でそれらの終わりを経験しなくてはならないことを意味する。「彼らは、われわれと同じように繋がっている」と William and Mary大学の人類学教授で 「How Animals Grieve(いかに動物は悲しむか)」の著者でもある Kingは言う。「われわれは皆、社会的に順応しいて、われわれの脳は同じように配線されている。なぜ動物は死者を哀悼しない?」。
 もし彼らが実際に哀悼するなら、その機序はわれわれの哀悼過程の進化的前身に違いない。「これらの行為がいかに進化してきたのかを理解するのは容易い」とコロラド大学の進化生物学教授、Bekoffは言う。「それは通夜である。深く悲しむヒトの家族が自ら言い聞かせるのと丁度同じように、動物は、自然の摂理であると感情を押し殺す」。
 BekofとKingは、動物は喪に服するかという発展する研究分野でリーダー的存在である。それらの知見は、野外観察的研究よりよりも動物園の飼育員やペットの飼い主からもたらされる。われわれが苦しむと同じように、動物達も苦しむようだ。
喪の方法   英国の動物学者 Douglas-Hamiltonは、ケニアの国立公園における Eleanorとして知られる 2003年のアフリカ象の死に心を打たれた。Eleanorは、彼女の群れの女家長で 6ヶ月早く生まれた。病を患い、彼女は他のメス象の前で倒れた。Graceと呼ばれる象は、らっぱのような声をあげ、Eleanorを押しそして牙で彼女を起こそうとした。翌朝 Eleanorが死ぬと丸一週間、彼女の子供と群れのメスは死骸を訪れた。死骸を密猟者から守るために移動しても彼女らは訪れ、腐食動物が死骸を食べ出しても訪れた。その子供は、母の身体に鼻をすりつけ、乳をせがんた。しかし、乳は出ず、母は決して動かなかった、そして子供もすぐに死んだ。「Eleanorの死の感情的影響を明確に見た」と Kingは言う。「Eleanorに近づくすべての象が哀悼のためではないと思う、中には単に好奇心のためと思う。しかし、Douglas-Hamiltonは、種を超えた極度の悲痛について描写してくれる。」
 霊長類は異なるアプローチをする。一つの理由は恐らく、彼らのより優れた脳が他の動物がしないほう方法で、死を永久的で避けがたいものと捉えるからである。Emory大学の霊長類学者 de Waalは、ピグミーチンパンジー(ボノボー)の群れが Gaboon viperとして知られる毒蛇に遭遇した時の様子を指摘する。ボノボーは、一匹のメスが蛇を掴めるぎりぎりまで棒で蛇をつっつき、メスは蛇を地面に叩きつけ殺した。瞬時に恐れていたボノボーは平静になり、若いサルは毒牙を調べたり蛇を花輪のようにまとった。「蛇が生き返るのを経験したサルはいなかった」と de Waalは言う。「死は死」であることを理解する。
 その認識、それはヒトで何ヶ月もの間、実存する不変で恐ろしい狭間で深い悲しみに行き当たり、サルが試練に向き合うのと同じである。オランダの Burger動物園で Oortjeと呼ばれるチンパンジーが難治性の感染症に罹った。ある午後、サル達は室内にいて、他のメスが弱った Oortje彼女に近づき、彼女の目を凝視し、そして自分の胸を叩きだした。Oortjeは答えようとしたが、倒れそして死んだ。他のチンパンジーから泣き声が発せられ、そして室内のサル達は完全に沈黙した。Oortjeに最も近いチンプは、死が近いことを知っていたと、科学的に確信的に言えるが、それは直感的観察である。「Oortjeと蛇の死は、他の者の死は霊長類の心にあり彼らに深い影響を与えることを示唆する」と Waalは言う。「証拠は、動物がある期間動かなくなったら、回復は見込み薄であることを彼らは知っていることを示唆する。」
Noと言うだけ(Just Say No)  希望が薄いことは、希望が無いと同じではない、そしてヒトは、いつも死に対して否認を示す。救命救急室で家族は、事故の犠牲者の生命機能が停止し長く経っても、医師に電気ショックと心マッサージの継続を懇願する。医師とウィージャー(=心霊術で用いるアルファベットなどが記された板)製作者は、われわれの「死は死(dead-is-dead)」という格言を頑なに拒否する。宗教もその反映である。単なる永遠の生命の願望より神格と信者の深い信仰に関し数多くの研究多がある。
 動物では、この行動は死骸運搬の奇妙な行動によく表現される。チンパンジー、ボノボ、そしてヒヒは、腐臭が出だした後でさえ死んだ子供を運び、死骸は手の中で白骨化していった。捕食者が文字通り数ポンドの重荷を待ち伏せするジャングルの中ををてくてく歩くのは、不適応的だが母はリスクを負い、どうでもよいカロリーを消費する。ギニアの一例では、母は赤ん坊を 68日間も運んだ。
 「良くそれを見る」と、コンゴ共和国の 75エーカーのボノボ保護区で働く、研究科学者で「ボノボの握手」の著者でもある Woodsは言う。「母親達は子供の死骸を運ぶだけではなく、それらにとても慎重である。授乳を早期に中止したヒトの母親は、うつ病のリスクが高く、だから子供が死んだときボノボにも何か同様なことがおきている可能性がある。」
 Kingの本は同様に、動物王国を通して深い悲しみと否定の物語を語る。:シャム猫の Willaは巣穴の中で部屋から部屋へ歩き回り、死んだ妹を何度も再訪した。日本の伝統的な秋田犬、ハチコーの深い悲しみは種を超えるようにみえる。ハチコーは毎朝、飼い主を見送りに駅まで行き、夕方に出迎えに行った。ハチコーは飼い主が死んだ後、毎日毎日 10年間通い続けた。仲間が死んだ後、鬱に陥る馬がいる、そしてウサギでさえ、飼い主によると檻の中の仲間が死んだ後、「仲間を探して、約一週間、悲劇的掃除をした。」
 ある程度まで、このような状況で動物の脳に何が起こっているのか科学的に調べるのか可能で、予備的証拠は、悲しみ反応であることを示唆する。死に続くストレスは、動物そしてヒトの脳でコーチゾールの遊離を促す;コーチゾールは、しばしば「抱擁物質(cuddle chemical)」と呼ばれる、オキシトシンの遊離の引き金となる。オキシトシンこそが、赤ちゃんが生まれた後両親の血中に激増し、社会的関係や交友関係を求めるように仕向ける。霊長類研究家 Enghはボツワナで、動物社会が経験する最も悲惨な出来事の一つである、仲間が捕食者に殺された時、同反応するを調べるため、ヒヒの群れを追った。捕食者からの攻撃の後、群れの糞を集め、上昇したグルコ・コルチコイド(GC)ストレスマーカーのサインを調べた。最長一ヶ月に及び、殺害を目撃したすべての個体の GCは上昇し、犠牲者の血縁者や社会的関係のある 22個体の GCはより高かった。もしこれがオキシトシン遊離を促したなら、われわれと同じように、動物は死者の前での治癒的集いに加わったに違いない。これは、目的をもったストレスそして深い悲しみで、いかに正確にシステムが作動するかである。「彼らが反応に気づかなかったとしても、反応は適応性がある」とペンシル大学の生物学者で、「ヒヒの形而上学」の共同著者、そして Enghの仕事を監督した一人である Cheneyは言う。「ヒトと同じように、動物の強固な社会支援ネットワークは、ストレスに対して緩衝となる」
 脳研究は、動物が悲しむ説を補強する。ヒトでは、悲嘆は感情を処理する前頭葉、側坐核、そして扁桃核により媒介される。われわれは、多くの他の動物と基本的解剖を共有するが、ある種では構造物があまり発達していない。鳥の脳は、われわれとあまり似ていないが扁桃核を持ち、特にカラスは大きな前頭と良く発達した海馬をもつ。
 Marzluffは、マスクをつけた研究者に捕らえられたカラスを異なるマスクをつけた研究者が給餌し世話をするという研究を行った。鳥は放射活性色素を注射され、そしてストレスのかかる捕獲時のマスク、給餌マスク、あるいは全く異なるマスクを見せられた。そして、鳥に麻酔をかけ PET scanを行った。恐ろしいマスクを見たカラスは、一貫して高い海馬活動を示した。死んだように見えるカラスの剝製を見せられたカラスは、活動は海馬に起こり、カラスは、そこは危ないから避けろという位置記憶を形成していることを示唆する。「カラスは生涯、20年間つがいとなる」と彼は言う。「片方が死んだ時、残りはただ立ち、見つめる」「ストレスがかかれば、カラスはわれわれと同じような経験しているのか分かる」と言う。
反論の余地は?(Is It the Real Deal?)  実験や野外観察の結果は、動物―悲嘆説の主唱でさえ、結論を急ぐことに慎重である。Kingは、GC追跡調査が示唆しているにもかかわらず、サル達は本当に悲しむのかを問う。そう、メスのヒヒは死んだ子を長い期間運ぶが交渉をもつことがあり、深い悲しみと一貫性に欠ける。「これは、彼女の立場に影響を与えるから公に悲しまないようにさせる自然淘汰か、あるいは彼女は全く何も感じていないのか?」Kingは問う。「わからない」。ヒヒの赤ちゃんの行動をみていても明らかでない。死んだ母親の前に立ち揺すりそして泣く、これらは確かに悲しみに見えるが単なる飢えなのかもしれない。母親が死ぬとミルクが絶たれ、食物の途絶は飢えばかりでなく寒さももたらし、それが揺らしにつながるのかもしれない ≪赤ちゃんと成人を同列に論じるには無理がある。ヒトでは、乳幼児期に母親が死んでも何も感じない≫。  
*Jeffrey Kluger TIME p.32 APRIL 15, 2013