リー湘南クリニックからのお知らせ

院長ブログ−異端医師の独り言

北里大学病院(相模原市)

2013年04月13日

☆☆★ ゼクトリ ご存じないですよね

関取ではありません。業界用語で「ゼク取り」、ゼクは「ゼクチオン」、ドイツ語で「解剖」のこと。コヤクマルさんが 1981年 10月に息を引き取り、息つく暇もなく遠藤准教授が「りー、ゼク取って来い」。泣き崩れているご主人に「遺体の病理解剖」をお願いする。何故? 医学の進歩のためだそうだ。バカの一つ覚え、どこへ行っても「ゼク取り」「ゼク取り」「ゼク取り」。近代医学の黎明期なら、生前の症状と死後の解剖所見を照らし合わせれば、医学の発展に貢献する。医者の不勉強のために、転移性絨毛癌で命を落とされた「コヤクマル・ヒロコ」さんを解剖して一体何が分かるのか。

 これまで僕の中で例外は、北里研究所病院時代(1990〜96年)、転移性精巣腫瘍・患者の肺炎の原因が分からなかった。死後、ご遺族にお願いして病理解剖すると、すさまじい「間質性肺炎」、肺がカチカチになっていた。
 早期に、ブレオマイシンによる「間質性肺炎」と診断し、薬剤を中止すれば助かった可能性がある。呼吸器専門医の鈴木幸男先生(北里研究所病院・内科部長)に依頼したら、まず「大葉性肺炎」と診断、大量の抗生物質投与。次に「癌性リンパ管炎」と診断、間質性肺炎の可能性を問うたが、答えられない。間質性肺炎の早期診断法は唯一、「バリバリ」という呼吸音(ベルクロ・ラ音という)の聴取。後にバイト先でかかる患者を経験したが、聴診さえすれば誰にでも簡単に診断できる。

 日本では、病院外での「病死」には、かなりの確率で犯罪性があるそうだ。しかし、おざなりの検視で、解剖されることはまれ。オランダでは全例が解剖される。
リー湘南クリニック leeshonan@gmail.com (2007年4月の記事、校正、加筆)

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2012年09月12日

★★ 医学博士と袖の下

日本の医学博士は単なる箔付けだが、開業を考えていたので「集客効果」を考え、僕は 1995年に取得した。博士になるのには、2つコースがある。ひとつは大学院に入学し、指導教官の元で論文を作成する。これは授業料を納めなくてはならず、裕福な病院のご子息でない限り無理。このコースでめでたく大学院を卒業すると「博士号」を取得できる。
 もう一つは、医学雑誌に掲載された主論文(副論文を 2つ添える)を審査してもらい、通ると「論文博士」を与えられる。ちなみに「博士号」は「論文博士」よりも格が上らしい。あと、あらかじめ語学試験(当時は、英語だけ;現在は、英語とドイツ語)にパスしておく必要がある(辞書持ち込み可の簡単な試験)。
 僕は、在米時(1985〜1990年)に副業で行った研究を、米国の二流科学誌*に投稿し、その論文を審査してもらった。内要は、「マウス膀胱癌において、抗癌剤が毛細血管内皮細胞の分裂・増殖および腫瘍血管新生に及ぼす影響」。自画自賛だが、斬新な内容です。
 審査は、主査と 2人の副査が行う。要旨をスライドにまとめ(パワーポインターなど無い時代でした)、30分ほど説明し、質問に答える。副査の鹿取・薬理学教授と堀田・生化学教授から絶賛され、和気あいあいと科学者として充実した時間を楽しんだ。そして、主査の小柴・泌尿器科学教授は、鼻高々にみえた。
 論文審査に際し、審査にあたられる先生には寸志を包むのが習慣と聞いていたので、副査の先生には 5万円入り封筒をお渡しした。後日、堀田教授からは「研究費に繰り入れたことを示す領収書と丁寧なお礼の手紙」をいただいた。鹿取教授からは「同額の名前入り高級万年筆」をいただいた。主査の小柴教授は、頑として謝礼を受け取らなかった。
 日本で、博士論文の 99%以上は、中学生の作文程度のものである。投稿すれば無審査で掲載される四流誌や「北里医学」などの学内誌に掲載される。この場合、審査する先生たちに袖の下をお渡しするのがしきたりらしい。
 ところで、医学博士は何の意味もないが、「主義信条」でこれを取らなかった医者はいない。だから、これすら持たない医者は、よほど程度が低いとみなしてよい。
*Lee K, Influence of chemotherapeutic agents on the proliferation of capillary endothlial cells and tumor angiogenesis in murine bladder cancer. International J of oncology 6:1021, 1995 
リー湘南クリニック leeshonan@gmail.com  拙著「癌患者を救いたい PSA検診のウソ」(正誤表) (2007年4月の記事、校正、加筆)

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2012年08月01日

★★ 捨てる癖

「自分の体験やパラダイム(ある時代に支配的な認識の体系や枠組み) にそぐわない考えに方」に遭遇した時は、とりあえず、それを試すことにしている。その原体験は、予備校数学講座にあったのかもしれない。英単語丸暗記で数学にかける時間がないといったら、若い数学講師が「寝ている間に問題を解けばいいんだよ」とおっしゃった。そんなバカな、と思ったが試してみたら、翌朝「答えが浮かんでいた」。「天才か」と思ったが、そうではなく、誰にでもある能力なのです。それを「意識するか」「しないか」である。

 1978年、学生医学論文の研究を始めるにあたり、内科学で計量医学(コンピューターで生物現象を定量的に解析する) 専門の佐藤登志朗・教授から、研究をすすめる上での考え方を習った。「不要なものは捨てなさい」「研究目的により、残すべきデータをあらかじめ決めておくこと、念のためにと残したデータは役に立たない」。「へーそうなんだ」と感心し、とりあえず実行した。
 在米時(1985〜1990年)、一流から 3流の研究者と付き合ったが、例外なく、3流研究者の部屋は、乱雑で書類がうず高く積まれ、優秀な研究者の部屋は整頓されていた。要は、不要なものが増えると、大事なものを探し出せないのである。
 本を読む際、面白くない本は途中で捨てる。読了した本は、1〜2年保存し、その間に再読しなかったら捨てる。二度以上読んだら、「愛読書」として保存する。今、愛読書を数えてみたら 51冊、この 4年で差し引き 11冊増えたことになる(愛読書コーナーの一画をしめていた「アホの立花隆」の本は全部捨てた)、多いのか少ないのか。
 医学論文や科学雑誌は、読まない部分をまず捨てる、そして読んだものは捨てる、重要なものは、「要旨(Abstract)」をスクラップブックに貼り付ける。斬新なものは全訳 (この作業で、忘れていた単語を思い出し、語彙も増える) して、保存する。
 その癖がぬけず、メールや年賀状もしばらく連絡がないと捨てる。で、困ったことは、ほとんどありません。
リー湘南クリニック leeshonan@gmail.com  拙著「癌患者を救いたい PSA検診のウソ」(正誤表) (2007年5月の記事、校正)

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2012年01月21日

☆★ 前立腺触らせてください

医師 2年目、北里大学病院(相模原市)外来当番日、医学生が臨床実習でまわってきた。泌尿器科には直腸診といって指にゴム・サックをして、肛門から前立腺をまさぐる検査がある。
 美系女医の卵に、内心「にやにや」しながら、次々にご老人のお尻の穴に指を入れさせていた。実習が終わったころ、その美系女子学生が眼を輝かせながら真顔で近づいてきた。「先生、前立腺肥大症は分かったのですが、正常の前立腺を触ったことがありません、先生の前立腺を触らせてください」。…たじたじ。

 ところで、この検査「digital rectal eam.」といって、泌尿器科ではゴールド・スタンダード。しかし、10数年前にこの検査に疑問を抱いて以来、僕は行っていない。なぜなら、直腸から前立腺の一部を触れ、全体を想像するわけで、客観性が無い。また、硬結を触れると癌を疑うが、前立腺内部の癌は触知しえない。前立腺の大きさなら経腹的エコー(膀胱に尿が貯まっている状態で、臍の下から行う)分かるし、硬結が前立腺癌だとしても様子をみるだけ、何の役にも立たない。自分が患者なら、ケツの穴に指や棒(超音波プローブ)を入れられるのは嫌だし、まして針を刺される(前立腺生検)のはもっと嫌だ。
 さらに、前立腺の大きさは、あくまでも目安で、肥大していても症状でお困りでないなら治療しない、あまり肥大していなくても症状が強ければ治療する。
 ちなみに、下部尿路通過障害の症状に対する第一選択薬は、「ユリーフ4」(著効)→「フリバス75」(有効)→「ハルナール0.2」(無効=プラセボと同じ効果)。
リー湘南クリニック leeshonan@gmail.com  拙著「癌患者を救いたい PSA検診のウソ」(正誤表) (2006年10月の記事、校正、加筆)

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2011年12月17日

★ 聖路加病院時代の当直 小児科医不足

外科系 1年目の医者は奴隷である。勤務が終わると順番に聖路加病院の当直をやらされ(うろ覚えでは、当直手当はゼロか数千円)、当直でない日も典型的な症例が来ると夜間もおこされた(病院の屋上に軟禁されていたため)。先輩にデートなどの私用が入ると、代わりに先輩のバイト先の当直に行かされた。精神病院の当直代は 2万円くらいだったが、ゆっくり眠れたから好きだった。脳外科の先輩からバイト先の当直を命じられた時には、他の脳外科病院から急変した患者が搬送されてきて、あわててマニュアルをひろげたものだった。
 経験的に、小児科医を目指す医者は、崇高な精神の持ち主である。聖路加時代、ほろ酔いで、夜に図書館に行くと、一年先輩の小児科研修医(名前失念)は、いつも勉強にふけっていた。どうでもよいことだが、クソまじめのその研修医が宴会で、野バラを歌ったのには肝をつぶした。
 北里大学病院、医師 2年生時代、病院の当直とバイト先の当直の繰り返しで、ほとんどアパートに帰れない。酷なのは、救急指定を受けた医院である。夜間救急車のサイレンが聞こえると、どんどん近づきパッとやむ。当直代は 3万5千円くらいだったが、当直が続くと、お金はいらないから眠らせてくれという気持ちになった。昨今の当直事情はどうなのだろう。
 だれもが苦手だったのは、乳幼児の母親だ。明け方に救急車で駆け込んでくる。聴くと、数日前から症状があるのに受診せず、明け方にやってくる。「急病でないのに、なぜあと数時間、病院が開くまで待てないのか」と腹が立った。昨今の小児科医不足、医者も生身の人間だということが分からない利己的な母親にも原因がある。
 ちなみに、乳幼児が熱発した場合、絶対に解熱剤を与えてはいけません。熱発は有益なのです。ただし、重篤な心疾患や喘息を合併している場合、重症感がある場合(脱水症疑い)はアセトアミノフェン(商品名はアンヒバ、タイレノールetc)を投与します。
リー湘南クリニック leeshonan@gmail.com  拙著「癌患者を救いたい PSA検診のウソ」(正誤表) (2008年12月の記事、校正)

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2011年06月23日

☆★★ 盗作・盗用王国日本

聖路加病院出張を終え、医師 2年目、北里大学病院(相模原市)で初めて「主治医」を任された。患者さんは、 26才新婚「コヤクマル ヒロコ」さん、転移性の絨毛癌(胎盤の癌、転移しても高率に治る)。近医で妊娠と誤診され、癌が進行してから北里大学病院・産婦人科に入院。小腸転移が見つかり外科へ転科、腸切除術を受ける。今度は腎転移が見つかり泌尿器科へ転科。医局長(癌が専門、現・東海大学医学部・教授)が、どうせ治らないと踏んで、新米医師、僕を主治医にあてた。
 治療歴を総括したら、何の化学療法も受けていない。早速、MTX(メソトレキセート)を中心とした標準治療を開始、腫瘍マーカー(HCG)はぐんぐん下がったが、途中で効かなくなった。図書館で調べると、MTX耐性の絨毛癌には シスプラチンが有効であることを知った。この新薬、物凄い嘔吐をもたらす。観るに見かねて調べると、Methylprednisolone(MPL)というステロイド剤がシスプラチンの嘔吐に有効であることを知った。治癒を信じ懸命に治療したが、7ヵ月後に他界された。
 コヤクマルさんが他界された時、学生論文でお世話になった遠藤准教授に「りー、泣くな」と叱られた。「???」。
 当時は気づかなかったが、大学病院の各科「癌専門を謳う」スタッフ、誰一人も標準治療をご存知なかった。コヤクマルさんの治療経過を日本語論文にまとめたが、かかる癌にシスプラチンを使用したのも、MPLが制吐作用を有することを示したのも、医師 2年目の僕が日本初だった*。

 その他に日本/世界初の論文は、腎盂の平たい癌に対して、腎尿管全摘せずに治療できますという内容**。北里研究所病院時代(1990〜1996年)、後輩・入江に命じ日本語で論文にした。元部長・門脇や現・部長・入江啓らは、僕が開業した後、この論文の英訳を、僕の名前を載せずに一流誌の論文にしていた。門脇先生は部長だったので、お情けで論文に名を連ねてあげ、入江先生は全部僕の口述通りに論文を書いたにもかかわらず、自分らの手柄にした、あきれた。彼らは英語を解さないが、英文にしてくれる業者がある。
 1990年の秋、現・岩手医大・泌尿器科・藤岡知明教授(聖路加時代の先輩)に請われ、岩手まで講演に出かけたことがある。僕が考案し一流誌に載せ、世界中から絶賛された「血管新生の定量」に関する論文***を、あろうことか彼は盗用した。
 あと日本初は、学生医学論文「李ら、生命表分析による移植腎生着率の検討、北里医学 Vo 10、1980年」のデータだけ書き換えたバージョンをどこかの医学誌で目にした。
 盗作・盗用、オリジナリティーを尊ぶ欧米では、想像すら及ばない行為なのです。

* 李ら、抗癌剤化学療法時における MPLの併用 その制嘔作用、癌と化学療法 10:1466、1983
** 入江、李ら、上部尿路上皮内癌に対して尿管ステントカテーテルを留置した BCG膀胱内注入療法 臨床泌尿器科 49:149、1995
*** K.Lee et al、Cortisone inhibition of tumor angiogenesis measured by a quantitative colorimetric assay in mice(マウスにおける、コーチゾンによる腫瘍血管新生を光学的に定量する方法) CCP 26:461、1990
リー湘南クリニック leeshonan@gmail.com  拙著「癌患者を救いたい PSA検診のウソ」(正誤表)(2007年4月の記事、校正)

leeshounann at 08:54|Permalink
2010年11月29日

★★ スーツは何着?

前川先生は東大医学部卒業後、渡米され、救命救急の専門医をとられた。帰国後、北里大学医学部・救命救急部の副部長として赴任された。
 同級生の杉本は、外科に入局後、前川先生が実践する証明医療に感銘し、救命救急部に移籍した(これで救命救急部は、デクノ棒の部長、前川先生、そして杉本の3人態勢になった)。杉本から聞いた話。誰もが、助からないと思っていた重症熱傷の患者に一日 7,000Kcalもの高カロリー輸液を施し、患者さんはみるみる改善し生還、奇跡を目撃したそうだ。助かる見込みのない患者さんには、十字を切り、すべての管をさっさと抜去、患者さんは、安らかに旅立たれたそうだ(前川先生はクリスチャン。外科の一年生が、重武装でこわごわと、創が緑膿菌感染した重症患者のガーゼを交換していたら、前川先生がつかつかと歩み寄り、素手で緑色の膿がべっとりのガーゼを鷲掴むと、パイ投げよろしく、外科医の顔に押しつけたそうだ etc。
 医師 5年目、渡米 6か月前から北里大学病院(相模原)に勤務した。杉本は救命救急部で、すでに第一人者、一人前になっていた。自科で手に負えないケースは、例えば、泌尿器科・○○先生あてに依頼状を書く。ある日、救命救急部から僕宛に依頼状が来た。はて、とりあえず出向いたが、簡単な膀胱瘻(お臍の下から、膀胱内に留置してある管)の交換。看護婦に指示し、準備していると、杉本がニヤニヤしながらあらわれた。要は茶化されたわけ。仕返しに、杉本をからかいに行ったら、開胸して心臓を素手で揉んでいた(開胸心マッサ-ジ)。そんな杉本から、前川先生にアメリカの様子を聞いたらとすすめられた。
 前川先生に「スーツは何着くらい持っていったらいいんですか?」。「お前アホか、Gパン、Gパンでいいの」。「でも、パーティーの時なんか」。「お前アホか」…。(以上、2008年3月の記事、校正)
 昨日は、その前川先生(東京大学名誉教授、関東中央病院・院長)と杉本らをお迎えし、野田さん穴澤さんに、クリニックで演奏していただきました。 リー湘南クリニック
(2009年4月の記事:すみません、記念写真をうっかり消してしまいました)

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2010年06月28日

酒気帯び運転

去年のあの痛ましい博多での事故のあとに、記事にしにくいのですが、かなり前の経験です。運転をやめて14年になります、過疎地では、仕方なくレンタカーを運転しますが。
 1回目は、医学部4年のころ、自宅で酒を飲んでいて、何かの用事で相模大野駅に運転していった。駅前で、警官に停車を命じられ、「酒を飲んでいるか?」「はい」「顔が真っ赤だから、100m先からわかったぞ。冷めるまで交番で休んでいけ」といわれ、駅前の交番に 1時間ほど座っていました。翌日、「リーが喧嘩でつかまった」とうわさが流れていた。
 2回目は、在米時。冬にパティーのあと、アパートの直前でパトカーに停車を命じられた。「ずっとつけてきたが、一時停止と左折禁止違反、お酒を飲んでいますか?」「Yes」。雪が降りしきる中、道路の白線上を歩かされ、片足立ち。そして、アルファベットを Zから Aまで、逆唱させられた。そして、「お気をつけてお帰りください、素晴らしい夜を」と最上級の敬語でいわれました。

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2010年04月21日

★ 英語だけ喋れるようになっていらっしゃいよ

僕が北里大学病院の当直の日は、たいてい、健ちゃん(小柴教授の愛称)が現れ、「りーさん暇。どう一局」と延々と将棋を指した。渡米の日が近い頃「リーさん、あんたが Cockettのところで業績を残してくること(論文を書いてくること)なんか期待していないから、英語だけ喋れるようになっていらっしゃいよ」。「英語は自然に頭に湧いてくるものじゃないから、相手の言葉を真似すること、真似すれば、自然に上達するから」。「なるほど、王手」と。
 当時、米国に留学するには「米国の医師国家試験プラス語学試験に合格」あるいは、「研究員(exchange visitor)」があった。「米国医師国家試験プラス語学試験」は、米国政府の「外国人医師を締め出そうとする」国策のため、超難関になり合格はまず不可能。私は、研究員という資格で赴任した。ちなみに、研究員の場合、観光ビザでないので給料をもらえ、最長 2年間滞在できる。かくして、1985年 6月末に渡米した(させられた)。
リー湘南クリニック (2006年11月の記事、校正)

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2010年03月29日

☆★★僕が経験した医療事故-1

重大な医療事故を 2回経験した。医師 2年目、遠藤准教授監督下に右腎癌摘出手術を執刀することになった。手術前日、遠藤准教授に「どういう手順で手術するのか」説明するのが慣わしだった。英文手術書通りに説明した。出だしで話がかみ合わない、患者さんの体位(どういう風に手術台に固定させるか)で、「リー君、それじゃ逆だよ」といわれ、「のけぞらせる」とは正反対の体位を指示された。学生論文で指導を受け、万能と信じていた遠藤准教授は、手術書をお読みでないことを知った瞬間だった。
 患者さんは若い男性、巨大な右腎癌で妊婦のように腹が膨れていた。「のけぞらせる」体位でないので、術野が狭く、癌と周辺臓器との位置関係が分からない。癌表面をたぐりながら、血管を一本一本結紮・切断していった。手術は順調に進んだが、突然の静脈性出血(黒い血が湧き上がってくる)にみまわれた(動脈性出血は血が水鉄砲のように吹き出るので、出血点が容易に分かる)。ただならぬ量で、大静脈を傷つけたようだ。准教授が処理に当たるが、癌が術野をふさぎ、おたおたするだけ。数分後、僕が癌の表面をたどると突然、出血がやんだ、どうやら、ひとさし指が裂けた大静脈に入ったようだ。ブラインドで(盲目的に)出血点にクランプ(物を挟む手術道具)をかけると出血が止まった。かくして、巨大腎癌は無事摘出された。
 術後 2日目、バイト先へ同僚から電話が入った「リーすぐに戻れ」。患者が 2日間無尿とのこと。腎動脈あるいは尿管を切断あるいは結紮した可能性が高く、ただちに緊急手術となった。遠藤准教授が執刀し、私は助手を務めた。左腎動脈が結紮されていた、糸をチョキンと切り、手術は終了した。
 ホッとしていた時、回復室で患者が頭痛と腰痛を訴えた。いつか読んだ症状「異型輸血」。看護婦が血液型を二重にチェックしたはずが、違う型の血液が輸血されていた。発見が早く事なきをえた。もし、主治医が僕でなかったら患者は死亡していたであろう。異型輸血を続けると溶血がおこり、腎不全から死亡する。後日談だが、その時看護婦にとび蹴りをいれたらしく(覚えていない)、以来「暴力先生」とありがたいニックネームを頂戴していた。
 文献を調べたところ腎動脈を遮断し、24時間(温阻血時間という)以上たつと腎機能は廃絶する。かかる患者の温阻血時間は 48時間。腎機能はほぼ正常に復したが、医療事故だったため世界記録は闇に葬られた。 
リー湘南クリニック (2006年10月と11月の記事、校正)

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