リー湘南クリニックからのお知らせ

院長ブログ−異端医師の独り言

聖路加病院一年生

2012年08月08日

★ 手術の基本

医師一年目、聖路加病院時代「鬼」の異名をとる牧野外科部長の監督下、停留睾丸の手術を執刀することになった。先輩から「英論文通りに始めから終わりまでやらないと、頭突きを食らうか、ペアン(小型ペンチみたいな手術道具)で手を挟まれる」と教わった。無論、論文を丸暗記した。
 泌尿器科の藤岡先輩(現・岩手医大・泌尿器科教授)からは「手術前には 2冊以上の英文手術書を読むように」命じられ、それが習慣になり今日にいたる。しかし、聖路加を離れて以来、英文教科書を読む医師に出会ったことがない。どの病院でも医者は、「先輩のやり方を真似る」か「メーカの提供するビデオ」で習っていた。
 手術にあたり、「悌毛、術野の消毒、抗生物質の使い方、糸の選び方・結び方・締め加減、傷の閉じ方、術後の消毒、抜糸時期など」それぞれに「基本」(科学的根拠)がある。
 北里研究所病院時代(1990〜96年)、後輩の入江に「根治的前立腺全摘術」を執刀させることになり、あらかじめ手術法の論文を渡し、その通りにするように命じた。術後、入江が「リー先生、論文を読んでおくとこんなに違うのですね。」と感想をもらした。
 名古屋で美容外科の副業をしていた時代(1993〜1998年)、北里研究所病院美容外科・U部長を招聘し、ワキガ手術を何十例も施行してもらった。驚いたことに、例外なく、100%に合併症が発生した。その度に言い訳をするのだが、要は基本(=血流を温存する)を知らなかったわけで、私が施行するようになってからは、合併症は、ゼロになった。
 北里研究所病院で外科や婦人科の手術を手伝ったが、基本を無視した目を覆うものだった。しかし、殆どの患者さんは大過なく退院され、基本を知らなくても通用することを知った。
リー湘南クリニック (2006年10月の記事、校正)

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2012年06月12日

☆★★ お尻の穴に指や棒を入れたことがありますか

「若い女性の腹痛を診たら子宮外妊娠(外妊)を疑え」と教わった。診断法は、膣をコルポスコピー(器具の名)で展開し、子宮頚部の下の行き止まり部分を穿刺する。外妊の場合、ここに固まらない血液が貯まる。外妊は、出血多量で死亡することがあるので、緊急手術の対象となる。聖路加病院一年生、当直の外科の先輩がこの検査を施行し、外妊の診断を目撃した。
 次善の診断法は、肛門に指を入れ(直腸診)かかる解剖部位に圧痛があるかを調べる、現在は、CTや MRIで、容易に診断できると思うが。
 さて、北里病院(相模原)時代、近医で当直のバイトをしていたら、腹痛を訴える若い女性が受診された。何のためらいもなく肛門に指を入れたら、前立腺を触れないので「おや」と新鮮な驚きに浸っていた。次の瞬間、患者の鋭い目線を感じた「この変態、いったい何をするのよ…」。外妊の所見はなく、患者はプリプリ怒って帰っていった、やれやれ。
 泌尿器科では、「直腸診」で、前立腺肥大症や前立腺癌を診断するのだが、前立腺の一部を触れ、全体を想像するわけで「盲が像の腹を触り、全体を想像する」に等しい。お尻の穴に超音波プローブという棒を突っ込み、前立腺の大きさを測定する方法があるが、何もお尻の穴に入れなくても、膀胱に尿が貯まっていれば、お臍の下から同じ情報を得られる。うちの患者さんの 100%が直腸からの検査は懲り懲りと語る。
 前立腺癌に対し「根治的前立腺全的術が無効」と判明した現在*、前立腺生検は必要ない。だから、肛門からの不愉快な検査は必要ない。僕は、直腸診をやめて(2012年現在) 17年、経直腸的超音波検査をやめて 11年になる。
New Eng. J. of Medicine 347:781, 2002
リー湘南クリニック leeshonan@gmail.com  拙著「癌患者を救いたい PSA検診のウソ」(正誤表)(2007年2月の記事、短縮)

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2012年04月22日

☆★ 終末期患者さんに対する蘇生術 と 安楽死

新米医師のころ(1980年〜)、患者さんの心臓が止まると蘇生術(気管内挿管、心臓マッサージ、薬剤投与)を施し、自発呼吸が回復しない場合、人工呼吸器を装着するのが当たり前だった。終末期の患者さんでも、たいてい心臓はまた動き出す。
 終末期の患者さんに蘇生術を施すことに疑問を感じるようになってからは、あらかじめご家族と蘇生術を施すかを相談するようになった。私が関わったご家族で、蘇生術を希望された方は皆無だった。
 終末期の患者さんは意識レベルが低いので、延命処置を施すか、ご本人に確認するのは不可能、また家族から「蘇生術を行わない、あるいは人工呼吸器を取り外す」ことを、「書面」で残すのは困難である。なぜなら家族は、後ろめたさや親戚への遠慮から署名を躊躇する。
 新米医師を訓練する目的で、終末期の患者さんに蘇生術を施すのは、やむをえないことだ。特に、心臓マッサージ、気管内挿管や心臓穿刺の技術習得は重要。ただ、中堅病院で熟練した医師が蘇生術を施す目的は、売り上げ増で、蘇生術を施した場合、数十万円の利益が上がるのに対して、健やかに看取るとゼロになる。医師は経験を積むにつれ「ヒューマニズム」vs「病院経営」という葛藤に直面する。
 北里研究所病院(港区)時代(1990〜97年)、毎月各科毎の売上げが公表され、また医師毎の売上げ表も作成され、売上高の多い医師は評価された。売上げ高を誇る医師は、一般に患者から人気があり、癌末期の患者さんに対しても拡大手術や化学療法を行い、そして、後輩に命じ、蘇生術を施していた。
 健やかな看取りを初めて経験したのは、聖路加一年生時代。当直日、外科の癌末期の女性患者さんが心停止し、ナースから呼ばれた。型のごとく蘇生術にかかると、外科のチーフ・レジデント、ヒゲの桜井(たしか)先生がすっと近づいてきて、「リー君、いいんだよ」とささやいた。(2007年1月の記事、校正)

 積極的な安楽死を一度経験した(刑事罰『殺人罪』を考え、今まで記事にできなかった)。北里研究所病院時代(1990〜1996年)、泌尿器科部長の患者さんが、肺転移のためひどい呼吸苦で苦しんでおられた。観るに見かねて、部長に「モルヒネを投与していいですか」と問うたところ、こっくりと頷いてくれた。ナースに目配せをしながら、充分量のモルヒネを投与した。患者さんは、呼吸苦から解放され、数時間後に安らかに旅立たれた。 (2010年9月の記事、校正)
リー湘南クリニック leeshonan@gmail.com 

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2012年02月19日

酒精綿で消毒?

採血や注射をするとき、穿刺部をアルコール綿で拭く(消毒?)が、これは何の役にも立たないことを、僕は、1980年、聖路加病院時代に先輩の外科研修医から学んだ。酒精綿で拭くと、穿刺後に痛みをもたらすだけ。
 ただ、初診患者に「皮膚の意味が無い」ことを一々説明するのは面倒くさいので、水溶性消毒液(ヒビテン)で拭く。水溶液なので穿刺後、痛まない。常連さんは、「皮膚の消毒は、無意味である」ことをご存知なので、消毒しない。
リー湘南クリニック leeshonan@gmail.com  拙著「癌患者を救いたい PSA検診のウソ」(正誤表) (2010年3月の記事、校正)

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2012年01月22日

★★ 製薬会社さんのご接待

医師一年目、聖路加病院の月給は 10万円だったが、病院住み込みと大抵の入院患者さんは謝礼を置いていったので悠々と生活できた。一ヶ月くらいして、製薬会社さんの営業マンがアンケートに協力して欲しいと面会に訪れた。その会社の抗生物質を注射する際に、患者さんが静脈痛を訴えるか、10名ほど調べて欲しいと一枚の表を渡された。患者のイニシャルを記載し、「はい」か「いいえ」に○をする。新米医師は注射当番なので、多分一日で表が完成したと思う。
 後日、製薬会社さんが謝礼をもってきた「一万円」。ただし、○ひとつが一万円、10個まるをつけたから 10万円。お金をもらったので、その会社の抗生物質を処方するようになった。そのほか歓送迎会、納涼会、忘年会などなど、製薬会社さんが代わる代わる接待してくれる。いろいろなタクシー券を収集し、自慢しあっている同僚もいた(北里大学病院で)、彼らは今でも熱心なコレクターである。泊りがけの学会出張は「学会付き無料温泉旅行」だ。
 1980年代、製薬会社の申し合わせで、過剰な接待が自粛されたことがあったが、いつの間にか元に戻ってしまった。藤沢で近隣の診療所をみると接待漬けである。数軒隣の H耳鼻科は、第一製薬とファイザー製薬のいいなりに、じゃぶじゃぶ薬を処方し、さらに近くの薬局から売上げの一部をキックバックされている。
 この慣行に眉をひそめる前に考えて欲しい。これは製薬会社の正当な商行為、医師も会社も法に触れていない(国公立だと賄賂になるが)。これが業界なのである、官も民も日本はこのような仕組みから成り立っているのである。
 今年の 1月か 4月に製薬会社の取り決めで医師への接待は全面禁止になるそうである。抜け駆けするメーカーが現れるのか、見ものですね。
リー湘南クリニック leeshonan@gmail.com  拙著「癌患者を救いたい PSA検診のウソ」(正誤表) (2006年10月の記事、校正)

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2011年12月17日

★ 聖路加病院時代の当直 小児科医不足

外科系 1年目の医者は奴隷である。勤務が終わると順番に聖路加病院の当直をやらされ(うろ覚えでは、当直手当はゼロか数千円)、当直でない日も典型的な症例が来ると夜間もおこされた(病院の屋上に軟禁されていたため)。先輩にデートなどの私用が入ると、代わりに先輩のバイト先の当直に行かされた。精神病院の当直代は 2万円くらいだったが、ゆっくり眠れたから好きだった。脳外科の先輩からバイト先の当直を命じられた時には、他の脳外科病院から急変した患者が搬送されてきて、あわててマニュアルをひろげたものだった。
 経験的に、小児科医を目指す医者は、崇高な精神の持ち主である。聖路加時代、ほろ酔いで、夜に図書館に行くと、一年先輩の小児科研修医(名前失念)は、いつも勉強にふけっていた。どうでもよいことだが、クソまじめのその研修医が宴会で、野バラを歌ったのには肝をつぶした。
 北里大学病院、医師 2年生時代、病院の当直とバイト先の当直の繰り返しで、ほとんどアパートに帰れない。酷なのは、救急指定を受けた医院である。夜間救急車のサイレンが聞こえると、どんどん近づきパッとやむ。当直代は 3万5千円くらいだったが、当直が続くと、お金はいらないから眠らせてくれという気持ちになった。昨今の当直事情はどうなのだろう。
 だれもが苦手だったのは、乳幼児の母親だ。明け方に救急車で駆け込んでくる。聴くと、数日前から症状があるのに受診せず、明け方にやってくる。「急病でないのに、なぜあと数時間、病院が開くまで待てないのか」と腹が立った。昨今の小児科医不足、医者も生身の人間だということが分からない利己的な母親にも原因がある。
 ちなみに、乳幼児が熱発した場合、絶対に解熱剤を与えてはいけません。熱発は有益なのです。ただし、重篤な心疾患や喘息を合併している場合、重症感がある場合(脱水症疑い)はアセトアミノフェン(商品名はアンヒバ、タイレノールetc)を投与します。
リー湘南クリニック leeshonan@gmail.com  拙著「癌患者を救いたい PSA検診のウソ」(正誤表) (2008年12月の記事、校正)

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2010年01月13日

★ 聖路加病院に巣くう金の亡者

医師になって一か月目、一年間の聖路加病院勤務を命じられた。
 月給は、10万円だったが、外の病院へ当直に行かされると一晩 3万円前後、製薬会社からの調査費や接待、そして、聖路加病院では殆どの患者さんが現金をおいていった。だんだん、この慣習に違和感をおぼえる医者と、この慣習をこよなく愛する医者に分かれて行った。
 文化勲章を受章した日野原は、当時「金の亡者」と呼ばれ、私が勤務した年、内科のレジデント 9人が抗議のため辞職した。何やら死の淵にある患者と金銭の交渉をするそうだ。「金の亡者」におもね、お気に召された輩は「日野原・チルドレン」と呼ばれていた。昨今、もはや聖路加病院には証明医療は存在しないのだろう、漢方や人間ドック(日野原の息子が部長)を軒先に並べ、日野原・チルドレン達が部長になっている。

 高名な岡本・泌尿器科部長は、金持ちをこよなく愛し、毎週の部長回診では、大部屋の貧しい患者は「リー君、診ておきたまえ」でとばした。ルチーンの回診していたある日、個室に大金持ちの「健忘症」を合併する前立腺肥大症患者が入院した。彼は現在の出来事を 30分くらいで忘れる。だから必ずメモをとる。岡本・部長が入室してきた時の会話がメモに記されていた。「僕が世界の岡本です」。以下ご想像の通り、婉曲に手術謝礼の相場に言及していた。
 どこの科でも一流の英米専門誌を読む「勉強会」が開催されるが、部長は「リー君、ぼくはもう勉強するものがないよ」とおっしゃり、勉強会には出席されなかった。当時、インポテンツ(EDという言葉はなかった)の手術が流行りだし、部長が学会で発言することになった。何と、何でも知っているはずの岡本部長は「医師になって 6ヶ月目のリー君」から手術法を教わった。

 僕が聖路加一年生時代、外科や内科はアメリカで専門医を取得しないと、スタッフになれなかった。研修医達は非常によく勉強し、多くの先輩達は、臨床に非常に詳しく尊敬に値した。ところで、僕は入退院者のサマリーを英語で「タイプライター」で記した(ワープロなんかないですよ)。あれから四半世紀以上、何と僕のサマリーが新人研修医に「お手本」として、今だ使われているいるらしい。
リー湘南クリニック (2006年6月と2007年6月の記事統合、校正)

leeshounann at 12:38|Permalink
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