リー湘南クリニックからのお知らせ

院長ブログ−異端医師の独り言

一流論文の全訳

2013年06月04日

☆☆☆  The (Political) Science of Salt  食塩の(政治的な)科学 

 優れた論文なので、2週間ほど掲示します。

減塩の効用に関する30年に及ぶ論争は、良質の科学は公衆衛生政策の圧力の前に頓挫することを示す
GARY TAUBES Science 281:898-907, 1998

Science…warns me to be careful how I adopt a view which jumps with my preconceptions, and to require stronger evidence for such belief than for one to which I was previously hostile. My business is to teach my aspirations to conform themselves to fact, not to try and make facts harmonize with my aspirations.”
 「科学は…私に、先入観に合う考え方に適応する際は慎重たれ、そして予想に反する考え方に適応するときよりも説得力のある証拠を要求せよと警告する。私の仕事は、情熱を真実に従わせることを教えることで、情熱に調和する事実を作るのことではない。」  −Thomas Huxley, 1860

 行政官からトレーナー、世話好きの親戚、そしてレジに居合わせた人まで、あらゆる人々が食事の助言をする時代、「食塩を控えれば血圧が下がり、健康で長生きする」というメッセージは 30年間にわたり絶対真理であった。このメッセージは、国立心肺研究所(NHLBI)と国立高血圧教育プログラム(NHBPEP:36の医療機関と 6つの連邦機関から成る)により提唱された。食塩を控えれば、何百万人の高血圧患者ばかりでなく、すべての人の心臓病と脳卒中のリスクが低下する。推奨される食塩量は、一日 6g、現在の平均摂取量より 4g少ない。NHBPEP所長の Ed Roccellaは「この中程度の減塩で動脈圧が下がり、卒中を予防する。実行したいことは、人命を救うことだ。」と言う。
 では何が問題か?一つは、食塩は脂肪と並び味を決定する要素で、消費される食塩の 80%はすでに食品に含まれている。そのため減塩は必ずしも容易でない。さらに、思いもかけぬ問題がある。それは食塩は健康を損ねるとされているが、それを証明する十分な科学的証拠が存在しないことである、減塩にいくらかでも効用があるとしても、効用に関する論争は医学論争の中で最も長期にわたる、最も辛辣で、そして超現実主義的なものである。
 食塩を有害と説く学者たちは、先の Roccellaや NHLBI所長 Claude Lenfantらで、食塩が高血圧の原因であるのは反論の余地のない自明の理であると主張する。科学的確証を得るために更なる研究を待てば、その間にも多くの人が死んでいくので、引き続き減塩政策を進める義務があるという。一方、減塩は無意味と説く学者は、アメリカ心臓病学会、アメリカ高血圧学会、そしてヨーロッパ国際高血圧学会・元会長を含む疫学に関心のある内科医たちで、減塩プログラムが有用であることを示す、信じるに足るデータは今だかつて一度も示されず、そればかりか、減塩により予期せぬ副作用が生じかねないと言う。例えば、次は昨年5月号のアメリカ医学会誌(JAMA)に掲載された総説意見である。コペンハーゲン大学の研究者達は、減塩に関する 114の無作為化試験を分析し、「減塩により高血圧症患者が得られるメリットは、降圧剤に比べはるかに小さく、正常血圧者では極端な減塩を実行しても検知し得るメリットは無い」と結論した。JAMA編集者でカリフォルニア大学の生理学者 Drummond Rennieは「NHLBIは、科学的事実を無視した減塩教育を提唱している」と断言する。
 減塩論争の核心は、公衆衛生政策の必要性と良質な科学こそ必要とする哲学的衝突であり、行動を起こす必要性と信頼たる知識の積み重ねこそが必要とする慣行的懐疑主義の衝突である。これこそが、現在多くの公衆衛生論争に油を注ぐ:NIH疾病予防室・室長の Bill Harlanは「我々は Yesか No、曖昧でない簡潔な答えを求める大衆の圧力にさらされている」「それも 5年後にではなく、今すぐ答えを求められている。それゆえ、我々は、科学的見地からは正当化されない、必ずしも望んでいない立場に追いやられる。」と解説する
 減塩論争のいくつかの基本的な見地には、際立った特徴がある。最も顕著なのは、減塩論者たちは、論争など存在しないと公然と主張し、それは単に食塩業者のロビー活動で、雇われ科学者の仕業と主張する。例えば、20年にわたる減塩論者、ノーススウェスタン医科大学・循環器科 Jeremiah Stamlerは「食塩の有害性に対する反論は、科学的再現性がない」と主張する。「反論は食品製造業界の組織的抵抗によるもので、丁度タバコ論争の際、タバコ業界のように事実を隠蔽する。私の豊富な経験に照らし、反対者のどこにも真実を伝える科学的動機を見出せない」と言う。
 Stamlerの見解は極端かもしれないが、この国の研究予算を配分する NHBPEPと NHLBIも同じ見解に立つ。NIHの臨床応用部・部長で10年以上減塩を提唱者しているJeff Cutlerは、小誌にこの総説が掲載されると、論争の存在を世に知らしめ、食塩ロビーストを利すると述べた。「減塩論争が続いていることがメディアに流れると、彼らが勝つ」と Culterは言う。Roccellaも論争を公にすると公衆衛生政策の妨げになると言う。
 しかしながら、世界中 80名近くの研究者、臨床家、そして行政官のインタビューを終え、科学的データの解釈に関して論争が存在するとして、本総説で決着したと確実に言える。Sanford Millerは食塩論争を「公共政策の前で、科学はなぜ脆弱になるかを示した最も顕著な例である」と評す。Millerは現在、テキサス大学・ヘルスサイエンスセンター部長だが、20年前 FDA食品安全センター部長として減塩政策の立案に参画した。データは芳しくなかったが、皆減塩の効用を信じた。今や、データも科学も遥かに改善され、もはや減塩の効果を支持する根拠はない。
 減塩論争の 2つ目の特徴は、数十年にわたる研究の末、減塩の効用は減少するのみである。このことは、減塩の効用は非常に小さいか存在しないことを示唆し、研究者は他の要因のため減塩の効用を検出できないと考えている。(他の要因とは、遺伝的ばらつき;社会経済状態;肥満;運動の多寡;アルコール、果物と野菜、あるいは酪農製品の摂取;あるいは多くの他の要因。)
 論争そのそのものがまだ影響力をもつ、なぜなら個々の患者に対しては無意味なほどの効果でも、公衆衛生上は意味をなすことがある。これが公衆衛生の基本的教義である:小さな効果でも人口全体には重要な結果をもたらすことがある。オックスフォード大学の疫学者、Richard Petoは、減塩により人類の平均血圧を 1mmHg低下させれば、年間何十万人もの死を予防できる:「その数は乳癌を根絶した場合よりも多い。」。しかし、それには減塩により血圧が 1mmHg低下することが前提である。英国・国立衛生センター・前所長、John Swalesは「1ないし 2mmHgの降圧は可能と確信しなければならない」と言う。「また、減塩による有害な副作用はないと信ずるべきだ。」
 疫学的研究では、わずかな効用あり、効用なし、そしてわずかに有害を区別できないので、明確な結論を得られないまま数十年が過ぎた。その間、非常に多くの相矛盾する論文が報告されたため、都合の良い論文をそろえるのは容易で、Stamlerは「データの全体性(totality of data)」と呼んだ、それはある信念を絶対的に支持しているようにみえるが、それには、その信念を支持しないデータの全体性を無視しなければならない。
 何年もの間、減塩論者たちは「データの全体性」を振りかざしては、その英知にそぐわない発見を拒絶した。例えば、1984年オレゴン・ヘルスサイエンス大学の David McCarronらは、国立健康と栄養データベースを分析し、食塩は無害であることを示唆する論文をScience誌に公表したところ、Sanford Miller、NHLBI所長の Claude Lenfant、国立健康統計センター長の Manning Feinleibに論文を非難された。彼らの批判の一部は「食塩は高血圧の原因であることを示す示す豊富な疫学的そして実験的データが存在するのに、結論をそれに適合させようと試みなかった」というものだった。しかしながら、その頃 Lenfant率いる NHLBIは、食塩が本当に高血圧の原因かを検証するため、インターソルトという、かつてない大規模プロジェクトに研究予算を配分するところだった。Stamlerでさえ、当時の食塩と高血圧に関する論文は「一貫性がなく矛盾したもの」で、予算獲得が動機だったと表現した。
 一方的なデータの解釈も減塩論争の特徴であった。例えば、ニュージーランドのオンタゴ医科大学 Olaf Simpsonは、早くも1979年に「食塩と高血圧の因果を示唆するものなら、どんなに小さな証拠でも因果を補強するものとして歓迎し、そうでない場合、それが意味することは別と説明した」と表現した。グラスゴー大学の Graham Wattは、それを「ビン・クリスビー的理由付け、言い換えると正のデータを強調し、負のデータは葬る手法」と呼んだ。この手法を操れば、矛盾するデータから都合の良いデータを集めることができるが、真実を追究する役には立たない。
 この二極化した状況下では、ある特定の研究結果が信頼に足るのか判断不能になり状況は悪化した。その代わり、期待する結果が示されれば、それを信用するようになる。例えば 1991年、英国医学会誌(BMJ)に Malcom Lawらによる 14ページにわたる 3部から成る「メタ解析」が掲載された:彼らは、食塩と高血圧の関係は以前に考えられていたより「相対的に大きい」と結論した。同年、Swalesはそのメタ解析を分析し、「重大な欠陥」をヨーロッパ高血圧学会で発表した。前・国際そしてヨーロッパ高血圧学会・会長・Uppsala大学の Lennart Hanssonは「発表の後、BMJに掲載された Lawらの論文に価値があると考える聴衆は一人もいなかった」と述べる。Swalesの発表は、その後J. of Hypertensionに掲載された。
 しかしながら、丁度 2年後 NHBPEPは、高血圧予防の礎となる指標を発表し、政府が初めて公式に減塩を推奨した。先の酷評された Lawらのメタ解析が「減塩の効果を示すゆるぎない証拠」として繰り返し引用された。この春も研究者から、Lawらの論文に対する意見を散見する:「まるでニューヨーク流の悪いジョーク」「これまで印刷されたメタ解析の中で最悪の例」から「満足行くようになされ、よく分析され解釈された」まで。

論争の具現化(Crystallizing a debate)
 食塩の有害性については生理学的にもっともらしい説明からはじまる。食塩を多く摂ると血液中の Na濃度を一定に保つため、より多くの水分が保持される。ハーバード大学医学部・腎内科・Frank Epsteinは「食塩を多く摂ると腎臓が余分な塩分を排泄するまで、それに見合う水分が保持される。体液が非常に増加するとたいていのヒトで、僅かな血圧の上昇が観察されるが反応は人様々である」と言う。
 生体は恒常性を保つためロシア小説に匹敵するほど複雑な機構を備える。登場人物は、約 50の栄養素、種々の成長因子とホルモンである。例えば、Naは血液量を維持するのに重要である;Kは血管の緊張と弛緩;Caは血管平滑筋の緊張に関与する。摂取カロリーが増えると交感神経が緊張し血管が収縮し、血圧が高くなる。摂取カロリーが減ると血圧は低下する。ことを複雑にするのは、年齢、性、人種で異なるこれら変数の相互作用である。多くの研究者は食塩感受性で、なぜ食塩を多く摂ると特定の人で血圧が高くなり、他の人では高くならないかを説明できると信じているが、Harlanはそれにすら論争があるという。食塩感受性を診断するには、被験者に食塩を与え続け観察するしかないが、この方法では、食塩感受性が一生のものか一過性のものか判断できない。このような複雑な背景にもかかわらず、多くの研究者は今だ、食塩摂取量の多い集団は少ない集団より高血圧者が多く、減塩により高血圧が改善されるのは生理学的に理にかなっていると信じている。
 1970年代、政府が高血圧を 140/90mmHg以上と定義し減塩を推奨し始めたとき、生理学的にもっともらしい説明は、種々雑多な決定的とはいえない研究や臨床知識でまかなわれた。例えば 1940年代、デューク大学の内科医・Wllace Kempnerは、高血圧症患者を低塩、米と桃ダイエットで治療し、血圧が低下することを示した。その後、何年もの間 Kempnerの食事療法は重症高血圧症に対して唯一内科療法だったので、当時の医師たちは減塩の効用を脳裏に刻み込んだ。ブッルクヘブン国立研究所の内科医、1975年に没するまで史上最強の減塩論者と呼ばれた Lewis Dahlは、1972年の萌芽的論文で、高血圧症に対して減塩の有効性は証明されたと断じ、減塩食で血圧が下がらないのは、患者が何と言おうが減塩を守らなかった証左に他ならない記した。しかしながら、降圧効果が減塩に帰するか依然論争がある。Kempnerの食事療法は、極端に低カロリー・低脂肪でカリウムに富む、現在では、これらの要素そのものが血圧を低下させることが知られている。
 Dahlは食塩感受性ラットを継代し、食塩-高血圧の関係を更に強固にした。その研究は、ヒト高血圧症における食塩の役割を示す揺るぎない証拠として現在でも引用される。しかし、1979年に Simpsonが指摘したように、Dahlのモデルはヒトに換算して一日に食塩 500g以上も与え続けないと高血圧を発症しない、Simpsonは「関連うんぬんの範疇外である」と注釈を加えた。最近、1995年の高食塩食を与えたチンパンジーの研究が引用される。しかしながら、Harlanは現存のどの動物モデルもヒト高血圧症と関連がないと言及する。
 初期の論争では、食塩の有害性を示す殆どの証拠は「生態調査」として知られる疫学調査によりもたらされた。それは先住民族、例えばブラジルのヤモマモ族の食塩摂取量と血圧を調査し、工業圏のそれと比べる。先住民の食塩摂取量は 1g以下で、高血圧や心臓病は殆どない。一方、工業圏、例えば北部日本の住民は一日に 20〜30g、世界で最も多量の食塩を摂り、脳卒中の発症率は世界一である。このような発見は移住調査で補強された、すなわち、工業圏に移住した先住民族を追跡すると、食塩摂取量が多くなり高血圧症が増えた。
 これらの発見から直感的ダーウィ型進化論が提唱された:人類は食塩が少ない環境下で進化してきたので食塩を保持できる固体が生き延び、この形質は食塩が豊富な現在まで受け継がれた。この論法に立つと、最適な食塩摂取量は数g、原始社会のそれで、工業圏の住民は食塩を過剰に摂取するため心臓病と卒中が多いことになる。
 このデータと仮説の積み重ねの落穴は、データ全体の半分しか含めていないことである。他の半分、特に集団内調査(intrapopulation studies)と呼ばれる調査は食塩-高血圧説を支持しない。集団内調査では、ある集団、例えばシカゴに住む男性の食塩摂取量と血圧を比較した、そして食塩摂取量と血圧は全く相関がなかった。1980年、国立統計センターが 20,000人を対象とした集団内調査でも関連を認めなかった。
 しかしながら、いずれの調査法をもっても決定的な答えを得られなかった。生態調査は、科学的な研究法とは言えず、現在はあまり用いられない。この調査法の致命的欠点は、結果に影響を与える変数の数が集団により異なるのに、結果を一つの変数で説明することである。例えば、食塩摂取量の少ない集団は、摂取カロリーも少なく;果物、野菜、そして乳製品の摂取量が多く;より痩せていて、活動的で;アルコール摂取量は少なく;そして工業化されていない。これら一つ、あるいは幾つかの組み合わせが血圧を低下させる。先住民族は感染症や外傷で若くして死ぬ傾向があるが、工業圏の住民は心臓病にかかるほど長生きすると Epsteinは言及する。
 生態調査でも集団内調査でも、日々大きく変動する血圧の平均値、そして生涯の食塩摂取量を正確に評価するのは非常に難かしい。初期の殆どの生態調査では、食塩摂取量を実測せず推定していた。例えば、現在でも食塩と高血圧関連を示す萌芽的研究と評されるミシガン大学 Lillian Gleibermannの 1973年の論文で、彼女が結論を導くため基本とした 27の生態調査のうち、11だけが食塩摂取量を実測しようと試みた。摂取した食塩は速やかに尿中に排泄されるので、24時間蓄尿が最も優れていると考えられる。しかし、それは 1ヶ月、年間、あるいは生涯の食塩摂取量を表すものではない。オランダ国立公衆衛生環境局の Daan Kromhoutは「個人の食塩摂取特性を知るには、少なくとも 5〜10回の蓄尿が必要である」と言う。「疫学調査の現場では、非常に難しい」。
 食塩と高血圧仮説を信じる研究者達は、集団内調査で食塩と高血圧の関連が検出されないのは、きわめて単純に測定法の誤差に起因すると考える。さらに、測定誤差を統計学的に補うべく、大規模研究は膨大な予算を必要とするため、実現不可能だと言う。
 1980年代初頭、ロンドン熱帯医学衛生大学 Geoffrey Roseは、公衆衛生に重要な減塩の効用がなぜ集団内調査で検出されないのか、他の理由を示唆した。Roseは、もし工業圏の住人が生態調査で示されたように、すでに食塩を過剰に摂取しているなら、食塩と高血圧の因果関係がどんなに強くても、疫学的にはそれを証明できないとした。想像してみよう、もしすべての住民が毎日一箱のタバコを吸うなら;集団内調査は「肺癌は遺伝的疾患と結論されるだろう…なぜなら、すべての人がすでに原因物質に暴露しているので、疾患の分布は個々の感受性により決定されるからである。それゆえ問題を解く鍵は、集団間の違い、あるいは集団内の長期にわたる変化に求められると論じた。同じ論法で、食塩摂取量を少し減らしても個人レベルでほとんど変化が生じないのは、喫煙を 20本から 19本に減らしても変わらないのと同様である、しかし集団全体の死亡率には大きな影響を与えると主張した。
 Roseの主張は直感的な意味があったが、減塩により血圧が下がるという未証明の推測の上に立てられ、その推測はそれを否定する発見に異常に抵抗し始めた。例えば、1979年 Stamlerらはシカゴの学童を対象に集団内調査を行った。72人を対象に血圧測定と食塩摂取量を推定するには信頼たる 7日間連続蓄尿を行った。彼らは食塩摂取量と血圧に「クリアカットな」関係を認めたと報告した、しかし再現性を確かめるべく二回の追試では再現されなかった。
 Stamlerらは「この現象の解釈に多くの説明を提示しえる」と記した、それらの一つは明らかに:「食塩と血圧に存在しない…」。そして、彼らは関係を見出せなかった理由を 5つ挙げた−例えば、鋭敏でない測定法あるいは遺伝的多様性が食塩の役割を曖昧にした、あるいは「子供では真の関係がまだ明白でない」。3回のうち最初の研究では相関を認めたので「完全にネガティブではない」そして「弱く、そして一貫性のない関係を示唆する」と結論した。
 この論法は Simpsonの言う「食塩−高血圧仮説は弾力的で不滅である。都合の悪いデータは、いつもうまく言いぬけられる」証拠である。

 「もう一つ指摘すべきは、曖昧な仮説はそれが誤っていると証明できない…、また証明過程が科学的でないなら、少しの技量で、どんな研究結果も期待される結果に仕立てられる」  −Richrd Feynman, 1964

1980年代前半、減塩の効用が注目を集めたので、その効用に科学的疑問があることは伏せられた。NHBPEPが 1972年に食塩は必要ない悪と宣言して以来、国立科学アカデミーと軍医総監は言うに及ばず、支持医療機関はこの結論を支持した。1987年には、消費団体”公益と科学センター”は食塩を「死を招く白い粉」と表現し、食塩含有量の多い食品には含有量を表示するようロビー活動を行った。1981年には、FDAは全国的減塩推進のため、一連の「食塩の手引き」を発表した。
 これらのキャンペーンが順調に展開されてから、根本的な論争に終止符を打つべく大規模な研究が準備された。最初の研究は、スコットランド・ナインウェル病院、Hugh Tunstall-Pedoeらによる、1984年に始まったスコットランド心臓病研究(Scottish Heart Health Study)である。スコットランド人 7,300人を対象に、問診表、理学検査、そして 24時間蓄尿を施行した。この研究は、これまでの 24時間蓄尿を用いた集団内調査で最大規模で、症例数が一桁多かった。1988年、BMJに結果が報告された:果物と野菜に含まれる K が血圧に好影響を与えたようで、Naは影響を及ぼさなかった。
 スコットランド・グループの研究結果は、論争の舞台から姿を消した。減塩論者たちは、この研究は大規模だが集団内調査に内在する測定誤差の問題を凌駕するほど症例数が多くないので、ネガティブな結果は驚くにあたらないと論じた。NHBPEPの世界規模での減塩を提唱した 1993年の歴史的報告書は、減塩を支持する 327編の論文を引用した。スコットランドの研究は含まれなかった。(Tunstall-Pedoeらは、その後 10年間追跡調査を行い、1998年に結果を報告した:食塩摂取量と心臓病あるいは死亡との間に何の相関も見られなかった。)
 2つ目の大規模研究は、Roseと Stamler率いるインターソルト(Intersalt)である。無情にも無視されたスコットランド心臓病研究と異なり、インターソルトは食塩論争の中で最も影響力のある、そして論議をかもす報告となった。世界中で最も食塩を多く摂る集団から極端に摂取量の少ない集団まで、52集団について血圧と食塩摂取量(24時間蓄尿による)を比較した。各集団から 200人(男女半々、20から 60歳まで各世代 50人)が無作為に選ばれた。要するに、52の小さな集団内調査だが、組み合わせると巨大な生態調査となる。
 150人近い研究者による数年にわたる研究結果は、1988年、スコットランド心臓病研究と同じ号のBMJに掲載された。食塩摂取量と血圧との間には、直線的な相関があるとした基本的な仮説は証明されなかった。52集団のうち4集団は血圧が低く、一日食塩摂取量が 3.5g以下、ヤモマモ族のような原始社会集団である。これら 4集団と工業圏に住む血圧が高い 48集団とは、あらゆる点で異なる。48集団についてみると、食塩摂取量と血圧に相関はみられなかった。例えば、食塩摂取量が最も多かった中国の天津で、一日摂取量 14g、血圧中央値119/70(mmHg)、最も摂取量の少なかったシカゴのアフリカ系アメリカ人で、一日摂取量 6g、血圧中央値119/76であった。この種の比較では、体脂肪そしてアルコール摂取量と血圧との間に相関がみられた。
 インターソルトの研究者達は、食塩と血圧の間に2つの正の関係を導いた。一つは、52集団を 10,000余名のからなる一つの集団とみなしたところ、弱い相関が見られた。それは、食塩一日摂取量を 10gから 4gに減らすと、血圧が 2.2/0.1mmHg低下することを意味した。もう少し明らかな相関は、食塩摂取量と加齢に伴う血圧の上昇に見られた:食塩摂取量の少ない集団の方が、多い集団より加齢に伴う血圧の上昇が小さかった。もしこれに因果関係があるなら、食塩摂取量を 6g減らすと、25才と55才の平均血圧差が 9/4.5mmHg縮まると推計した。
 このように矛盾した解釈を自在に作り出す能力において、インターソルトはロールシャッハ・テストのようであった。John Swalesは、次号のBJM編集者欄に減塩の効用がもし実在しても、とても小さく他の栄養素のために検出できないだろうと記した。今日、Science誌のインタヴューに答えた殆どの研究者、インターソルトのメンバー、Dann Kromhoutや Lennart Hansonを含め、インターソルトはネガティブ・スタディーとみる。Hassonは「大量の食塩を摂っても血圧は上昇しない」と言う。
 しかし、Stamlerと他のインターソルトの指導者たちは猛烈に反論する。Stamlerは食塩−高血圧因果を示す「豊富で貴重な的確な証拠である」と表現した。そして、これらを根拠に万人に「一日食塩摂取量6g」を推奨した。この観点からすると、ポジティブなデータは、食塩摂取量と加齢に伴う血圧の上昇である。インターソルトのメンバーでベルギー・カソリック大学の Hugo Kestelootは、その発見を「最も興味深い発見で確証的である」と表現した。無論、NHLBIと NHBPEPはこの結果を支持した。1993年、NHBPEPは高血圧一次予防報告の中でインターソルトを引用し、Dahlが 1972年に報告した食塩摂取と血圧の「非常に強い関係」が確認されたと記した。NHLBIの Cutlerは、今もこの結果を「圧倒的にポジティブ」と表現する。
 しかしながら、批判者たちは、Stamlerらが言うところの食塩摂取量と加齢伴う血圧上昇の関係は、証明すべき仮説とその研究方法を記したインターソルトの研究計画書に、含まれていないことに気付いた。そのため「データ・ドレッジング」という破廉恥な事後分析が行われた疑いがもたれた。その様な状況下、研究者達は必要とする科学的手法で仮説を検証するのではなく、すでに蓄積されたデータに合う仮説を探すようになる。このことは、新しい仮説正しくないことを意味するわけではないが、正しく検証されなかったことを意味する。
 NIHの Bill Harlanは、インターソルトは食塩と加齢に伴う血圧上昇を検証しようとデザインされたのではないので、後になって報告された関係は推測の域を出ない:「もしそれを特別な仮説として証明したいなら、異なる研究法をとらなくてはならない」、例えば、より幅広い年齢層と各年齢層のより多くのサンプルを含めるとか、と説明する。UCバークレー校の Freedmanはさらに手厳しく、食塩と加齢に伴う血圧上昇という結論は「第一次分析でよい結果を得られなかったので、何かを掘り出した」ようなものだと言う。
インターソルトのメンバーは、研究計画に食塩摂取量と加齢伴う血圧上昇は含まれていないことは認めたが、計画の一部だったと主張する。ロンドン王立医科大学、インターソルトの Paul Elliotは「うっかり、省略したため」と言う。ノースウェスタン大学、共同研究者の Alan Dyerは「研究計画に書き漏らした物の一つに過ぎない」と言う。Stamlerは議事録と初期の出版物に記されていた、そして「後ろ向きデータ浚渫」という批判は「事実誤認」で訂正すべきだ主張する。
 食塩について最後の言葉を実現するのとは程遠く、インターソルトは曖昧なデータと矛盾するデータの解釈に没頭して行った。そして、それは第一ラウンドに過ぎなかった。
(ここまで半分。続く

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☆☆☆ 食塩2

インターソルト再度試みる
 1993年、NHBPEPが世界規模の減塩政策を支持する根拠としてインターソルトを引用してから、食塩生産者協会(ワシントンD.C.)はインターソルトの生データを入手しようと一連の努力を始めた。協会の重役Richard Hannemanは、報告された食塩と加齢に伴う血圧上昇の関係を確認したかったと言う。協会が年俸3,000ドルで契約した数人の研究者たち(MaCarron、アラバマ大学のSuzanne Oparil、トロント大学のAlexander Logan、そしてUCデービス校のJudy Stern)は、データの矛盾に困惑した。彼らは、もし、食塩摂取量がより多いと、集団が歳をとるにつれ血圧がより高くなると推論し、食塩摂取量の多い集団の中心点は、血圧中央値がより高くなくてはならないが、そうではなかった。若い集団では食塩摂取量が多く、血圧が低いと仮定したときのみ、インターソルトの報告と近似した。これは、反直感的だが、インターソルトは20から29才の血圧を公表していないので、別個に検証される仮説となる。
 Hannemanはインターソルトの生データを入手できなかったが、十分な二次的データを手に入れ、BMJのインターソルト特集の論点、1996年5月号に発表した。Hannemanは、インターソルトが中心化する食塩摂取量の多い最も若いコホートでは、拡張期血圧が低いことが確認されたと結論した。付随する、減塩論者により書かれた編集者コメントは、痛烈に分析を批判した。例えば、Malcolm Lawは「Hannemanのアイデアを奇怪な仮説」と切り捨て、そして「食品業界に不利になることが明らかになるとき、市場を守るための時間稼ぎ」の例であると片付けた。しかし、これら論評者の誰一人も、インターソルトの明らかな矛盾には言及しなかった。論文を読んだほかの研究者、例えばインターソルト共同研究者、ベルリン・フンベルト大学のFriedrich LuftやFreedmanは、Hannemanの分析の欠陥に気付いたが、インターソルトの結果も不可解であるとした。
 しかしながら、同月号に掲載されたもう一つ論文により論争に火がつけられた:インターソルト自身によるデータの再分析。インターソルト改訂というタイトルでStamlerらはオリジナル論文の問題は:真の食塩と血圧の関係を過小評価しているのに違いないと記した。
 この再分析は、疫学上最も論争のある分野の一つ、回帰希釈バイアスに足を踏み入れた。その概念は、食塩と血圧のような二つの変数の関係が真なら、変数を測定するさいの誤差は因果関係を「希釈」するように作用する。この場合、24時間蓄尿も血圧測定も長期間の平均値からずれているらしいので、食塩が血圧に及ぼす影響を過小評価しているという考えである。Elliotは「もし食塩と血圧の因果関係が真なら、ゼロ方向にバイアスが働くので、実際の因果関係は観察されたものより大きいという事実を認めなければならない」と言う。そこで、データを上方修正するため統計学的手法が用いられた。無論、落とし穴は、因果関係が存在しなくても、因果関係を大きくすることである。
 Stamlerらは、1988年のオリジナルの推計値を回帰希釈バイアスにより修正した。1988年には曖昧だった減塩の効用が、1996年には「強く、ポジティブ」に、明らかな効用が謳われた。一日6gm減塩することにより血圧が4.3/1.8mmHg下がり、当初の推定より3倍効果があると結論した。「今や、状況は明白になった。すべてインターソルトの分析は、食塩は高血圧の重要な決定因子であることを確認する。」とLawは記した。
 しかし、状況は明白でない。BMJ編集委員は当初、2人の疫学者(ブリストル大学のGeorge Davyと王立フリー医科大学の SmithAndrew Phillips)によるインターソルト再分析に対する論評を併せて掲載する予定だった。しかしながら、論評が非常に辛辣だったため、それを著者らに提示した。編集者Richard Smithによると、Stamlerらは論評に非常に強く反対したため、BMJは論評を6週間遅らせ、別号に掲載することにした。
Davy Smithによると、その論評はインターソルト再分析の「初歩的な数学的誤り」から、データの裏付けのない仮定を基にした推計学的修正という基本的な誤りまで、累々と欠陥を明らかにした。例えば、回帰希釈バイアス修正のため、Stamlerらは食塩摂取量と血圧の変化は数週以上にわたり、お互いに独立していると仮定した。しかし、もし食塩と血圧が伴に変動するなら、修正は「不適切に因果関係を大きくする」ことに気づいた。食塩摂取量と血圧は短期間内では相関しているという結論に言及し「検証されるべき、食塩摂取量と血圧が相関しているという極端な仮説が、すでに相関の存在を予見する」と指摘した。
 同じ号に掲載された反論で、Stamlerらは「証拠の全体性、この問題を判定する基礎と考えられる、は因果関係は存在するという結論を支持するので」データの修正は正当であると主張した。彼らは、食塩の過剰摂取は高血圧の原因であると結論した国内外の「独立した専門家グループ」を列挙したが、これらグループの結論は、すべて1988年のインターソルトの報告に基づいていることには触れなかった。インターソルトはまた、元の論文では、なぜ減塩の効用が「恐らく過小評価されたのか」7つの理由を挙げたが、なぜ過大評価されたかを検討するつもりはないようであった。ハーバード公衆衛生大学のJain Robinは、インターソルトの反論を「読むのがためらわれる」「不可解で、奇怪で、特殊な弁解」と語った。
 翌8月号のBMJには、そのコメントと反論に対する多くの投書が掲載された。Davy SmithとPhillipsは、英国医学研究会議のNick Dayをはじめ6人の研究者たちから支持された。Dayは「元の結果に大きな修正を加えれば、すぐに疑いを招く」「人々は懐疑的になり始めた」と言う。Dayは、インターソルト再分析の問題を一つの「GIGO(garbage in, garbage out):信頼できないデータからの結果は信頼できないという原則)」と表現し、Stamlerらはデータが内在する曖昧性を統計学的に修正できると考えたが、その意味合いは食塩論争と程遠いと確信した。彼は「それはうまく行かない」と言う。「研究結果には常に不確実性が伴い、研究結果と粗な観察結果と大きく異なるなら、すべてを疑わなくてはならない。もし、基礎に不確実性があるなら、それこそ“garbage in”で、いくら磨いても輝く金にはならない。」
 Stamlerをはじめインターソルト再分析の共同著者らは、この評価を拒絶したが、全員ではなかった。例えば、ロンドン医科大学のMichael Marmotは、振り返ってみると再分析は褒められるものではなかったと述べた。「外部から再分析を見れば、修正した理由はたった一つ、因果関係を大きくするためとみなされる。彼らは、論文を読んだだけで、そのような観点をもつほど熱心ではなかった。

試練と苦難
 食塩論争の壮大な計画の中で、インターソルトのような研究は再分析されようがされまいが、不適切とみなされるべきだった。最終的に双方の研究者たちは、インターソルトはよくてもせいぜい食塩と高血圧の非常に弱い相関を示唆した観察的研究であったこと、そして因果関係を証明するには、ゴールドスタンダード、無作為化対照試験が必要なことに同意した。必要なことは、被験者を2群に分け、片方には減塩食を、もう一方には通常食を与え、経過を観察することだ。(下線by LEE)
 しかし、この試験の結果もほかの研究と同じくらい曖昧だった。無作為化対照試験を正確に行うのは非常に困難であることが判明した。例えば、減塩食にすると必然的にカリウム、繊維、そしてカロリーなど他の栄養素も変化する。また、プラセボ効果と医療介在効果を注意深く除外しなくてはならない。Graham Wattは、1980年代、初めて減塩食の 3つの無作為化二重盲検プラシボ対照試験を行った経験から「被験者を10週間観察すると、何もしなくても何らかの変化がおこる」と言う。
 このような状況下、新しいルートを切り開く手段として、メタ解析が登場した。その概念は、無作為化対照試験で曖昧な結果しか得られない場合、推計学的パワーを大きくするため、類似した臨床試験の結果をプールし、真の効果を推定するというものである。しかし、メタ解析そのものの信憑性についても議論がある。食塩論争の理想的解決法と目されたメタ解析が、そのもの自体の疑問ある本質を露呈することになった。ハーバード公衆衛生大学のCharles Hennekensは「すべてがとても恣意的で、無作為に恣意的と信じたいが、研究者が望む方向に恣意的ある」と表現する。
 1991年、CutlerとElliotらは初めて、無作為化対照試験のメタ解析を行った。それまで21の無作為化対照試験が報告されていたが、うち6つだけがプラセボ対照で、6つは正常血圧者を対象とした。プラセボ対照試験のうちWattだけが二重盲検下に試験を行い、減塩は全く血圧に影響を与えなかった。しかしながら、これら試験をプールすると一日3~6gの減塩により高血圧者で5/3mmHg、正常血圧者で2/1mmHg血圧が下がるという推計が導かれた。Cutlerらは「この関係は因果的である」なぜなら「多くの疫学調査、臨床研究、そして動物実験の結果と一致する」からであると結論した。無論、これこそが議論されるべき点である。
 Malcom Lawらの3部からなる非常に奇妙な論文が1991年4月にBMJに掲載されたため、Cutlerらのメタ解析はその陰に隠れてしまった。彼らの結論は前代未聞だった:彼らは、減塩の効果はCutlerとElliotの発見の2倍近いと推論した。Lawらは、「中程度の」世界規模での減塩、毎日の塩分摂取量を3g減らすだけで、降圧薬より効果があり、6gの減塩で英国だけで年間75,000人の死亡を予防すると予想した。
 彼らは、この結論を3段階で導いた。まず、食塩が血圧に及ぼす平均的な明らかな効果を推定するために、生態調査を分析した。次に、この推定値と回帰希釈バイアスで適正に上方修正した集団内調査のデータを「定量的に調和」した。生態調査と集団内調査の結果は矛盾しないことを示せたので、この20年間信じられてきたように、定量的に調和した推定値が関連する臨床試験の結果と一致するのか解析した。Lawは、これらは完璧なことが判明した、だから、すべての研究は減塩の少なからぬ効用について一致することを示すと言う。
 このLawが言う「定量的再調査」の支持者はいるが、少数である。小誌の求めに応じ、この論文を読んだ、疫学者や統計学者たちは、この研究は欠陥が多すぎ、何の意味もなさないと主張する。研究の取捨選択が行われている:生態調査の分析では、Lawらは1960年から1984年までの23論文を選び、そして中国の1937年の論文を選んだ。次に、生態内調査の母体であるインターソルトを除外した、なぜならインターソルトの良く調整され標準化された血圧値は、調整されていない、標準化されていない研究に比べ15mmHg低くかったためである。批判者たちはこの決定を、赤ん坊を放り投げ、風呂桶に水を貯める(大事なものを捨て、くだらないものをため込む)と形容した。Lawは小誌に、インターソルト元々の結果は「不適切で、低すぎる」ので除外したが「インターソルト再分析」はこの限りでないので含めたと語った。
 Swalesは、Lawらは 78の臨床試験を合成したが、たった10だけが無作為化試験だったことに気づいた。一つは、近代臨床研究時代以前に書かれたものだった。Swalesは、Lawらが主張する減塩による降圧効果は「お粗末な対照の影響」にあると述べた。BMJの編集者で共同著者の Richard Smithでさえ、「最良のものではなかった」と語った。
 しかしながら Lawは、この研究は正当に評価され、インターソルト再分析の発見を支持すると述べる。数々の批判にもかかわらず、Lawのメタ解析は食塩論争の中で最も頻繁に引用される論文の一つになり、Lawが不適切とみなしたインターソルトとともに、1993年 NHBPEP一次予防報告の基幹論文となった。
 
二極化(Poles apart)
 ここ 5年、食塩論争には2つの際立った特徴がある:一つは、データはますます一貫して、減塩による効用が存在するとしてもわずかであることを示唆する、もう一つは、データの解釈に関してこの分野は依然二極化している。このことは、もう2つの食塩‐血圧メタ解析で如実に示された。1993年、NHBPEP一次予防報告が発表されると、キャンベルスープ株式会社は、トロント大学の Loganに協力を求めた。Loganは 1980年代初頭、減塩を研究し、「効果がない」ことを発見した。キャンベル社の資金で正常血圧者を対象とした 28の、高血圧者を対象とした28の無作為化対照試験をメタ解析した。CutlerもLoganの新しい解析法を知り、自分の論文を更新し対抗した。
 Cutlerは、32の新しい論文をメタ解析し、研究結果は実質的に同一、あるいは「異なるというより、非常に似ている」と言う。Cutlerは約6gの減塩で、高血圧者で5.8/2.5mgHg、正常血圧者で2.0/1.4mmHg降圧効果があると主張した。Loganは、高血圧者で3.7/0.9mmHg、正常血圧者で1.0/0.1mmHg降圧作用を報告した。Robinsは、誤差を考慮すると「これらは同じデータである。残りは、煙と鏡(smoke and mirrors)である」と言う。
 ところが、Loganと Cutlerは正反対にデータを解釈した。Loganらは、推定値が負の出版バイアス(そのような研究では、効果なしは出版されない)とプラセボ効果により恐らく上方に偏向していると考えた。減塩は有害であると示唆するいくつかの証拠があると述べ、「高齢で高血圧者に減塩は考慮されて、正常血圧者に世界的減塩を推奨する根拠はない。」と結論した。Cutlerらは、推定値はプラシボ効果や負の出版バイアスで上方に偏向していないと主張した。減塩の有害性を示唆する証拠はないと述べ、正常血圧者と高血圧者に減塩が推奨されると結論した。
 Loganの論文は常識を覆すことと、Cutlerの論文(American J. of Clinical Nutrition)より一年早く、1996年に一流誌(JAMA)に掲載されたので、マスコミの注目を集めた。しかし、大衆誌、減塩食そして無塩食の著者、聖ジョージ病院・医学部のGraham MacGregorは、Loganのメタ解析はキャンベル社の資金によるものだから信用できないとコメントした。Loganのメタ解析が掲載されたJAMAの論評で、Claude Lenfantは「圧倒的証拠は一貫して、中程度の減塩は…公衆衛生に寄与する」という定説の前でこの研究は無視されるべきと示唆した。
 Lenfantの酷評にもかかわらず、最近の研究結果は、Loganの解釈に示唆されるように、減塩の効用が存在するとしても無視できるほど小さいことで一致している。この見解は、1997年 5月号のJAMAに掲載されたコペンハーゲン大学メタ解析、および同年3月号のJAMAに掲載された、NHLBI援助による高血圧予防・第Ⅲ相試験(TOHPⅢ)の結論である。TOPⅢは、ハーバード医科大学のHennekensの協力を得て、2,400人の「高正常」血圧者を対象とした3年にわたる研究で、4gの減塩で6ヶ月目に血圧が 2.9/1.6mmHg低下した。しかしながら、36カ月目には降圧効果は殆ど消失し、Hennekensは、降圧効果は医療介在効果に帰するとした。
 最終的に減塩論争の行方を決める可能性がある一編の論文は、食塩に関するものではなかった。DASH(高血圧阻止の食事療法)と呼ばれる研究結果が 1997年、New Eng J Medicineに掲載された。論文は、食事内容は血圧に大きな影響を与えるが、食塩は関与しないことを示唆した。研究では、被験者に果物と野菜に富む低脂肪乳製品を与えた。3週間のうちに、中程度高血圧者で 5.5/3.0mmHg、高血圧者で 11.4/5.5mmHgも血圧が下がり、その効果は降圧剤をしのいだ。期間中、食塩量は一定に保たれていたので、食塩は血圧に関与しないことを意味する。
 Dayは、DASHの結果が正しいなら、古い生態調査で食塩に求めた高血圧の真の原因は、果物と野菜に求められると言う。食塩摂取量の多い集団は、単に年間を通じて果物と野菜を手に入れにくいため、塩漬けされた保存食を消費する傾向がある。現在、DASH研究者達は、減塩とDASH食の効果を区別するため追跡調査を始めた。400人を対象に、対照群、そして一日食塩 3g、6g、そして9g群に無作為に振り分け、2年間観察する予定である。

戦いを見分ける(Picking your battles)
 1976年、食塩論争が目新しかった時、タフツ大学・学長の Jean Mayerは、食塩を「最も危険な食品添加物」と呼んだ。今日では、実行不可能なほど極端な減塩をして、はたして 1~2mmHgでも血圧が下がるのか、もし下がるとして、それを実行できる人がいるのかという方に争点が移ってきた。正常血圧者にとり 1~2mmHg程度の降圧は全く意味がない;高血圧者にとり、降圧剤は一日数セントのコストではるかに効果がある。しかし、個人への効果と公衆衛生への効果は、今もって別物である。例えば、StamlerやCutlerにとり、集団が減塩すれば心臓病と卒中が減るというのは疑問の余地がない。そして彼らは、減塩は禁煙や運動不足解消に比べはるかに実行しやすい、なぜなら企業を説得し、加工食品の塩分を減らせば済むと論じる。
 はたして、それが価値に値するかが問題点である。政府機関が大衆に減塩を提唱する以上、食塩が各個人の健康に有害である根拠を示すべきだが、少なくとも正常血圧者には何のメリットもない。これは、NHLBIと NHBPEPから発せられる扇動的メッセージの一意専心さを説明するが、政府機関を不誠実にみせる。さらに、公衆衛生の専門家たちは、大衆は多くの健康に関する勧告を押し売りされたと堅く信じている。トロント大学のDavid Naylorは、「国のモラルの比重をどの程度この問題に置くのか?」と言う。「闘いを選ばないといけない。この闘いは、争うに値するのか?」。Naylor、Hennekensらは、減塩の効用を無理に強調すると、体重減少、いわゆる健康食、そして他の明らかに効果がある手段の啓蒙を犠牲にしかけないと言う。
 減塩は痛みを伴わない降圧法であるという主張は、この種の社会工学にマイナス面がないという仮定する。NIHのHarlanが特に言及するように、社会への介在は意図しない成り行きをとることがある、例えば、低脂肪の推奨である。「脂肪摂取量は減少しているが、体重が増加しているのは驚きである。以前に考えられていたほど、ことは簡単ではない」と言う。
 この5年、減塩は死亡率を高めることを示唆した 2つの研究、一つは 1985年 5月号のthe Lancet誌に掲載された。2つともアルバート・アインシュタイン医科大学の高血圧専門医でアメリカ高血圧学会会長でもあるMichael Aldermanによる研究である。疫学者そして Alderman自身も、この結果にあまり神経質にならないように警告する。Swalesは「関連性を検討する研究が必要である。」と言う。「インターソルトに浴びせた如何なる侮辱もこの研究に浴びせえる」。しかし。Aldermanはまた、食塩摂取量と死亡率を比べた研究は,ほんの一握りだが、絶対に相関がないとしたものはないことに、特に言及する。「大衆は、減塩は実際に害を及ぼさないという声明を信頼したばかり」とSwalesは言う。「それは、事実かもしれないし、そうではないかもしれない。個人に有害な効果は、有用な効果ほど小さいのかもしれず、臨床試験でやはり検知できないかもしれない。」
 Aldermanは、2つ目の研究が掲載されたのち、高血圧学会とアメリカ心臓病学会を召集し、NHLBIの Lenfantに次のような手紙を送った。「利用しえる全てのデータに照らし、現行の減塩勧告を再調査するため、医学と公衆衛生の専門家からなる独立した委員会の召集が急務である」。4月に Lenfantは小誌に、再調査を進めることに同意すると語った。もし、そのような委員会を招集するなら、Hennekensには、心に留める価値のある言葉がある:「この分野の問題は、研究者はつくべき側を選んでいた、」「すべきは、科学を操り問題を解決することで、科学の威を借り意見を述べることではない。」

(転載のさいは、出典を明記ください) リー湘南クリニック leeshonan@gmail.com  
拙著 ・癌患者を救いたい PSA検診のウソ正誤表) ・早死にするデブ しないデブ

leeshounann at 15:15|PermalinkComments(9)
2012年12月29日

☆ 緩和ケアーとQOL

2011年 7月号の米臨床腫瘍学会誌(JCO)「コメントと論争」コーナーに掲載された総説の全訳です。意訳した文には(原文)を添えました。一部に癌治療を正当化する誘導的な記述がみられましたが、1927年の JAMA誌をはじめ 40もの医学論文を引用し、世間で曖昧に理解されている緩和ケアー(palliative care)を説明しています。長くて一つのブログに収まらないので、2つに分けます。

 キャサリン(27歳、女性)は、大学院の学費の足しにウィトレスをしていた。彼女は保険には加入せず、倦怠感と鼻出血をストレスとアパートの乾燥した空気のせいだと願っていた。ルームメイトが、彼女が倒れているのを発見し救急車を呼んだ。救急部での末梢血検査で芽細胞が 50,000と判明、白血病と診断された。症状は、激しい骨痛、呼吸困難、不安、そして隔離に伴うパニック発作だった。彼女の兄弟には薬物中毒の経歴があり、両親は疼痛に対してオピオイド(合成麻薬)の使用に反対した。医師は、効果の無いアセトアミノフェンとコデインを必要に応じ 6時間毎と処方した。彼女は、疼痛のため泣き叫び、何度も看護師を呼んだが、6時間待たなければならないと言われた。緩和ケアー・コンサルトチームが「ドラッグを求める患者を巧みに操るために」呼ばれた。オピオイドに変更してから、彼女の症状と精神的苦痛は劇的に改善した。彼女と家族は広範なカウンセリング、そして疼痛を治療しなかった場合の弊害とオピオイドの安全な使い方に関するサポートばかりでなく、精神的、経済的、そして情緒的問題に関する支援を求めた。彼女への骨髄移植を通じ、緩和ケアーチームは血液内科医と緊密に協力した。6年後、彼女は大学院を卒業し結婚した。彼女とその家族は、卓越した科学的そして慈悲深い治療に感謝し、毎年病院へホリデーカードと寄付を送る。
 キャサリンの物語は、緩和ケアーと腫瘍学の共同管理の利点を例証する。彼女に対する治療の目標は治癒であった、しかしそれでも緩和ケアーは、本人、家族、そして医療チームにのしかかる深刻な苦渋を救済するのに必要である。がん患者へ緩和ケアーとがん治療を同時に行うこのロジックにかかわらず、医療従事者は、緩和ケアーをなし得るすべがない終末期医療と同義に捉え続けている。医療は、同時に成立しない 2つの目標があると誤解されている:がんの治癒そして延命、あるいは安楽なケアーの提供。結果として、苦痛を緩和する治療は、延命治療が無効か過大な負荷を与える、あるいは死期が迫っていると判断された時にのみに施される場合がほとんどである。この問題は、進行がんや末期がんばかりでなく、すべてのがん患者の QOLに焦点を当てた先見的な議論を呼びかけた重要な新しい米臨床腫瘍学会ガイドラインにより、2011年 2月に認知された。
 緩和ケアーとホスピス(終末期)ケアーの類似性と違いに関する混同は理解しえる。哲学的に、緩和ケアーはがんの全過程を通じ、慢性あるいは急性憎悪と診断された時から患者および家族に奉仕する連続体と定義される広範な構成概念である。ホスピスおよび緩和ケアー専門家は、症状緩和のエキスパートで、また患者と家族と治療選択、好み、そしてケアーの目標について議論を円滑に進めるのに必要な技能を持つ。緩和ケアーとホスピスの類似性は重要であるが、患者ケアーにあたり厳然とした(full value of)このアプローチの実現を可能とすることこそが両者の違いである。特にホスピス専門家は、余命が明らかに限られそして治療的ケアーを中止する決定をした患者ケアーに焦点を当てる。ボランティアと死別奉職者(bereavement services)は、包括的なホスピスモデルの重要な構成要素である。ホスピスケアーは、どのような条件下でも提供されえ、大多数の患者は自宅でホスピスケアーを受ける。
 対照的に、ホスピス・プログラム外で働く緩和ケアー従事者は、治癒また延命治療継続を希望する患者に専門的知識を提供する。正式に承認された新たな準専門家(medical subspeciality)である緩和医療従事者は、専門医と協調して、重篤なあるいは進行がん患者のケアーにあたる。現在、ホスピス外の殆どの緩和ケアーサービスは、病院と同じ環境を与えられ、症状に対し熟練した治療そして達成しえる患者と家族の目標に適合したマネージメントを際立たせる。緩和ケアーチームはまた、退院後維持可能で安全な生活環境を確実にするために、実践的なサポートと地域リソースを提供し、そして異なるケアー環境(すなわち、病院、自宅、ナーシングホーム、そしてホスピス)下で持続的に支援する。
 瞬く間に死にいたる多くの癌を、何年も生存する慢性疾患に変換させた科学の進歩に伴い、緩和ケアーの必要性はもはや予後と切り離されない。代わりに緩和ケアーは、予後あるいは標準治療(disease-specific treatment)と独立して、重症なあるいは進行がん患者すべてに提供されるべきである。緩和ケアーは、苦痛、QOL、患者と家族の幸福、そしてある場合(例えば、進行性肺がん)は生存期間を改善する。緩和ケアーはまた、不必要な入院、検査や治療、そして無益な集中治療を減少させる。≪続く≫(2011年8月の記事、校正)

leeshounann at 10:20|Permalink

☆ 緩和ケアーとQOL ≪続き≫

 われわれが固守する、伝統的な治癒的ケアーあるいは癒し(comfort)ケアーの二者選択モデルは、結果として有害な結果をもたらす。がん患者と家族は疼痛や他の症状;主治医との不十分な時間;そして、疾患の性質そして治療の利点と負担の誤解について声を上げる(report)。疼痛と呼吸困難といったコントロールされていない症状のとてつもない恐怖は、しばしば致し方ないとされる(are often justified)。52論文の最近の系統的レヴューは、がん治癒者の 33%、積極的な治療を受けた患者の 59%、進行あるいは転移したがん患者の 64%、そして全平均で 53%の患者が疼痛を経験したと報告した。これらのうち、1/3が中等度から激しい疼痛だった。悲惨さは別として、疼痛はうつ(生存期間短縮の独立した指標)、他の気分障害、精神錯乱、機能低下、そして慢性疼痛症候群を含むいくつかの不利な結果と関係する。非疼痛性症状(例えば、呼吸困難)、うつ、不安、そして他の精神症状(例えば、錯乱)はまた、がんという背景下では当たり前のように過小評価され、十分に治療されない。
 疼痛と苦悩の有害な影響について蓄積されつつある証拠、そしてそれらに関する緩和ケアーの利点は、がん治療における緩和ケアーのより早期の、そしてより広範な適用を支持する(argue for)。これら利益のメカニズムは不明であるが、重篤な疾患に関係する長期間のストレッサー(stressors)は免疫予備能を低下させ、緩和ケアーによる心理社会的、症状、そして他の QOL介入がこの経路を遮断し、好ましい結果に繋がると、いくつかの研究は示唆する。心理的そして肉体的ストレッサーと宿主抵抗力低下の関係は、ストレスのかかった介護者の死亡率が高くなり(一つの研究では 60%)、病院あるいは集中治療室で死亡したがん患者の家族介護者では、外傷後ストレス(PTS)のリスクは 5〜9倍高くなり、絶望障害も遷延した。
 医師はデータに基づき行動する(Physicians are data driven)。われわれは、患者を代表して最高の近代医学を統合し動員するよう努める。疼痛と苦悩、気分障害、そして家族介護者の負担はよく観られ、患者と家族に重大な不利益をもたらす。これらの重荷(疼痛や他の症状、気分障害)の扱いに焦点を当てた医療、そして正直に知識を駆使した(informed)達成しえる目標にマッチしたケアーは、QOLの改善とうつの軽減ばかりか、生存を改善することを示唆する。さらに、そのような介在はリスクが低いか無い、また他のがん治療に比べ安価である。これらデータに照らし、なぜ緩和ケアーは患者が明らかに死期を迎える段階にのみ適当とみなされるのだろうか?
 緩和ケアー共同管理へ抵抗感を示す理由に、近代医学の疾患特異的治療への単一焦点性、緩和ケアーの補完的役割とホスピスの混同、そしてメディカル・トレーニング中、診断時から緩和的アプローチと協調した最良ながん治療の不適切な教育が挙げられる。最後に、腫瘍専門医は、緩和ケアースペシャリストとの共同管理は、特に化学療法にもはや効果を望めないとき、患者が化学療法を放棄する可能性を恐れるのかもしれない。この可能性は、腫瘍専門医は「緩和(palliative)」より「支持的(supportive)」療法という言葉を好む最近の研究により支持される。
 重篤ながん診断から緩和ケアーの価値への認識の高まりは、腫瘍学実習生への緩和医療ケアーの必要性、また標準的がんケアー・プロトコールとデリバリーモデルにおいて、日常的プライマリーケアーの提供、必要なときは、専門医レベルの緩和ケアーを提供する組織の再構築を必要とする。この質のギャップを認識する中、主な専門家とがん患者支援組織はここ数年、治療の目標が治癒であるか(Catherinのケースのように)、延命であるか、あるいは単に安楽であるかにかかわらず、緩和ケアーの重要性を認識することに同意してきた。米専門医認定協会(the American College of Surgeon's Commission on Cancer)といった、主要な認定機関は、がん診断時から緩和療法へのアクセスをがん専門医の認定条件にする。外来サービスの変動的な利用性が、早期緩和ケアーへのアクセスの大きな妨げとなっている; がんセンターがこれらの新しい標準を遵守するなら、必要なスタッフ、資源、そしてスペースへの投資が必要となる。同様に、数を増す外来生存プログラムは、がんの長期的効果とその治療、そしてその治療と進行中の腫瘍学的サーベイランスの両方へ焦点を当てた緩和ケアーを提供する。
 ケアーの質を促す(現在のケアーの量を増すサービスごとの料金システムに代わり)新しいデリバリーと支払いモデルは、手続きおよび全人的ケアーへの介入を促進する動機を変化させるかもしれない。患者は利益を得るだろうし、われわれも同様である、なぜならプロとしての満足は、患者と分かち合える特権ををわれわれは与えらているという純粋な人間関係にあるからである。現在のがん患者のケアーには、がんに焦点を当てた治療のような緩和ケアーを同時に必要とする。Francis Peabodyは、1927年にその最善を述べた;「医療の実践の最高の満足を形成する個人的つながりに報酬がある。医師の本質的な質の一つは、人間性への興味であり、患者ケアーの秘密は患者のケアーである。」
Meier D.E. and Brawley O.W. Palliative Care and the Quality of Life J. of Clinical Oncology 29: 2750 JULY 2011
リー湘南クリニック leeshonan@gmail.com  拙著「癌患者を救いたい PSA検診のウソ」(正誤表

leeshounann at 10:18|Permalink
2012年11月26日

☆☆☆★ ピロリ菌を除菌しましょう

2008年 8月号のランセット誌に「早期胃癌を内視鏡で切除後、ピロリ菌除菌が胃癌再発率に及ぼす影響:無作為化対照試験」という、日本からの論文(*1)が掲載されていた。それに対する編集者コメント(*2)を全訳しました。≪≫内は僕の解説です。読むのが面倒くさくなったら末尾、「僕のコメント」だけでもどうぞ。

胃癌予防のため、ピロリ菌をスクリーニングし除菌する日の到来か?
 ピロリ菌は発がん因子に分類されているにもかかわらず、胃癌を予防するため、感染者のスクリーニングと治療は認められていない。その上、胃癌は世界で癌死の 2位をしめる。非噴門部性・胃腺癌≪いわゆる胃癌、腺癌=腺細胞から生ずる悪性腫瘍のこと≫の 80%近くはピロリ菌が原因で、恐らく胃粘膜萎縮と続く粘膜化生による(図1)。環境的そして遺伝的暴露は重要で、1〜3%のケースは遺伝性であるが、ピロリ菌はほとんどの胃癌発生に(十分ではないが)必要である。ピロリ菌感染後、胃粘膜萎縮と粘膜化生をもたらし、この場合、ピロリ菌を除菌してもすでに遅く、胃癌発症を抑制できないかもしれない。一方、もしピロリ菌が胃癌発症の重要な原因なら、進行した粘膜萎縮の状態で除菌しても癌のリスクを低下させるであろう。
 本日のランセット、日本胃研究グループの Fukaseらは重要な無作為化試験で、ピロリ菌の除菌は胃癌発症率を低下させるかを問うた。対象は、内視鏡的胃粘膜切除術を受けた早期胃癌患者で、再発の危険が非常に高い。550人近い患者(ほとんどは粘膜化生、あるいは中程度から高度粘膜萎縮を伴う)で、除菌により胃癌再発は 100毎年あたり 4から 1.4に減少した≪544人を無作為に、除菌群(272人)と対照群(272人)に分け、3年間観察。再発は除菌群で 9人(3.3%)、対照群で 24人(8.8%)だった≫。
 結果は明白である:ハイリスク集団で、除菌により胃癌再発率は減少したが、ゼロにはならなかった。なぜ、ある患者では除菌に関わらず胃癌が再発するのか不明であるが、将来、遺伝子標的が個人別(tailor)治療を可能にするかもしれない。この臨床研究の結果は、同様の非・無作為化試験の結果と一致する。この研究のもつ意味は、早期胃癌における癌再発予防をこえる。他の無作為化試験は、他のハイリスク集団でもピロリ菌除菌は、胃癌発生を抑制することを示唆する。2007年のアジア・太平洋・コンセンサス会議は、ハイリスク集団に対して、ピロリ菌スクリーニングと抗生物質投与が勧められると結論した。
 ほかに、いかに胃癌を予防するか? 早期胃癌発見のため、日本と韓国ではバリウムによる二重造影あるいは内視鏡によるスクリーニングが行われているが、この高価な戦略を支持する証拠はほとんどない≪下線by LEE≫。食事介在≪サプリメント、α-トコフェロールとβ‐カロチンの効果≫を検討した研究の結果は、失望するものだった。
 集団でピロリ菌を除菌すると潜在的危険がある。例えば、胃炎治癒に伴い酸分泌が増加し、胃・食道逆流病、すなわちBarrett食道、そして食道腺癌のリスクを高くする可能性がある。メタ解析≪似たような無作為化試験の結果をプールし合算し、推計学的パワーを大きくする手法:しかし、この解析法自体に疑問をはさむ一流論文もある(当ブログ「食塩の政治学」≫は、通常・ピロリ菌(オッズ 0.52)そして高毒性・ピロリ菌感染(オッズ 0.51)は、食道腺癌の発症を抑制すると結論した。しかしながら、無作為化試験によると、少なくとも工業圏の住人では、胃・食道逆流病および腺癌発生のリスクは、そもそも小さいようである。
 ピロリ菌が消滅すると、因果関係は不明だが喘息やアトピーを発症することがある。抗生物質・耐性菌の増加も懸念されるが、アジアにおける抗生物質乱用に起因する諸問題は、短期≪一週間≫の 3あるいは 4剤の投与が、さらに状況を悪化させるとは考えにくい。総体的に胃癌発生率の高い集団におけるピロリ菌除菌の有用性は、リスクをおそらく上回る。ピロリ菌除菌が普及すれば、消化不良と胃潰瘍に関連した死亡低下を含め、ヘルスケアー・コストを相当に節約する間接的効用をもたらす可能性がある。
 ピロリ菌の除菌は、どの年齢でも胃粘膜萎縮、あるいは粘膜化生にかかわらず、胃癌発生率を抑制することを示す、確たる証拠を今や手にした。ピロリ菌除菌の効用とリスクをアジアにおいて大規模・無作為化試験で検討する必要があるが、それには莫大な資金と時間を要す。今のところ、日本の保険制度は、ピロリ菌除菌を消化性潰瘍に限定し、日本の専門医による合意があるにもかかわらず大規模な除菌プログラムを支持しない。除菌の適用範囲を早急に再検討する必要がある。集団スクリーニングと除菌は、胃癌ハイリスク国の政府そして WHOにより遂行されるべきである。スクリーニングと除菌に関する社会的運動は、最大のコンプライアンスを確保するため、他の公衆衛生的戦略を必要とするだろう(治療失敗と耐性菌増加を最小限にするため)。結果を適切にモニターすることは必須だが、現在の日本と韓国における公衆衛生政策に比べれば、おそらく安価である。
 大腸内視鏡は、大腸・直腸癌のスクリーニングに多くの国で用いられているが、有用性とリスクを比較した無作為化試験は存在しない。その上、世界的に胃癌による死亡数は大腸癌のそれを上回る、そしてピロリ菌除菌は大腸内視鏡スクリーニングより死亡率を低下させる優れた証拠が示された。胃癌多発地帯では、ピロリ菌除菌による胃癌予防を最優先にすべきである。
(*1) Fukase K. et al. Effect of eradication of H pylori on incidence of metachronous gastric carcinoma after endoscopic resection of early gastric cancer: an open-label, RCT Lancet 372:392 2008
(*2) Talley N. Is it time to screen and treat H pylori to prevent gastric cancer ? Lancet 372:350 2008

僕のコメント
 ピロリ菌は、「胃炎」や「早期胃癌」の原因となるのは事実。しかし、50歳以上の日本人の 70〜80%が保菌している事実に鑑みれば「これまで感染したことが無いヒトが初感染すると有症状の胃炎、ひいては胃癌を発症するのかもしれない」。いずれにしろ、胃炎は制酸剤ですぐに治るし、微生物による発癌は「命をとらない癌」で、自然治癒すると考えられる。だから、症状がなければピロリ菌がいても共棲すれば良い。
 ところが日本列島、大多数の癌専門医と大衆は「早期胃癌→ だんだん拡がる→ 転移する」と教条的信仰をもつ(信仰に逆らう見方はこちら)。だから、検診で早期胃癌を発見され、不条理な手術を受けないために除菌して、早期胃癌にならないでおくのも得策です。検査(呼気をとる)と除菌にかかる自己負担分は、せいぜい数千円。手術に伴う費用やリスクに比べれば、ただ同然だし、はるかに安全だ。
 除菌して早期胃癌が減って困るのは、オリンパスなど内視鏡メーカー、製薬会社(手術の方がはるかに多くの薬を使ってくれる)、病院(ドル箱=人間ドックの花形・上部消化管造影や内視鏡検査、そして手術が減る)、そして厚労省(天下り先が先細る)。
 「除菌は、集団の生存率を対照群に比べ向上させるのか」という無作為化対照試験を、業界(厚労省・製薬会社・学閥)が許すはずはないわね。
リー湘南クリニック leeshonan@gmail.com  拙著「癌患者を救いたい PSA検診のウソ」(正誤表)(2008年8月の記事、校正)

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2012年11月21日

☆☆☆★★ さようなら、PSAスクリーニング

1996年ころから、欧州を中心に前立腺癌の手術(根治的前立腺全摘術)の有用性に疑問をはさむ論文を散見するようになったが、いずれも精度の劣る疫学調査だった。しかし、利益を甘受しえる集団から利益を放棄する意見に真理があると確信し、私は、1998年ころから前立腺癌の手術を放棄し、手術を前提とする前立腺生検も放棄した。以来、PSA値がいくつであれ全員、無治療で経過を観察してきました。ようやく、2002年に早期前立腺癌に対する手術は、効果がないことが証明された(天皇が前立腺癌の手術を受けたのが2004年、東大付属病院で:当ブログ参照ください。)
 欧州では、さらに一歩踏み込んで、PSA検査も不要(命を取る癌を早期に発見できない)という意見があがり、大規模な無作為化試験が行われた。結果、無効と判明し、超一流誌に論文が掲載された。PSAスクリーニングと根治的前立腺全摘術・推進派のアメリカも、さすがに看過できず、下記の編集室コメントを掲載するに至った。著者は、端端に「PSA検査や治療は不要」というメッセージを発信していますが、業界の利益を代弁るために、せめて「PSAテストと前立腺生検はしましょう」と落とし所をちりばめています。
 さて、わが国「PSAスクリーニングを受けましょう」と TVなどでほざきだし、日本泌尿器科学会の厚顔無恥な重鎮とバカ専門医どもは、どう対処するのでしょうか? 見ものです、see what happenn。

★やっと、僕の長い(か短かかった)闘いは終わりました。何より、有害無益な手術をしないで済んだことは、僕の誇りです。そして大病院やマスごみの垂れ流す情報より、市井の開業医を信じていただいた患者さんたちのリタラシーに敬服します。

 今月号、米国泌尿器科学会誌の編集室意見の全訳です。例により≪カッコ内≫は、僕のコメントや解説。
What Would You Do, Doctor? (先生は、PSA検査を受けますか?)
Editorials Smith Jr.J.A. J. of Urology 182:421 Aug 2009
 選択の余地、あるいは論争のある勧告が示されると、患者は主治医に同じ立場にあるならどうするのか、尋ねることが多い。泌尿器科領域でどこにでもみられるのは、前立腺癌治療より普及し、増え続ける、PSA≪前立腺癌特異抗原、前立腺が特異的に分泌するタンパク質で、一時、特異的腫瘍マーカーともてはやされた≫スクリーニングのメリットに関する決断である。ある者は 40歳以上のすべての男性は PSA検査を受けるべきと推奨し、他方、PSAスクリーニングに強く反対する勧告を前に、患者はどう考えるだろうか? 患者がスクリーニングの良い点と悪い点(pros and cons)を熟慮し、自分で選択せよという勧告は、事態をより厄介にする。多くの患者が医者に、同じ立場なら「どうされますか」と尋ねるのは道理である。
 このシナリオの根本的問題は、同じ情報を提示されても、患者は異なる意思決定をすることである。個人の価値観、そして危険性と報酬の寛容さは、事実上すべての決断を部分的に左右する、そして、このことは、まさに個々の医療選択にも当てはまる。医師が行いたいことは、個々の患者の好みと必ずしも一致しない。しかしながら、医師に求められているのは、率直さであり、感情を込めた薦め、そして賛否両論あるもつれたデータを解明するために、知識と経験を駆使することである。このことは、公正で理解しやすい期待であるが、実行するのは易しくない。
 最近 New England Journal of Medicine≪内科系の超一流誌≫に掲載された 2つの論文(文献1、2)は、関心の増す PSAスクリーニングの問題に焦点をあてた。これら論文は、前立腺癌は過剰診断(over diagnosed≪診断する必要のないのに診断すること≫)され、過剰治療(over treated≪治療する必要がないのに治療すること≫)されているが、それら知識は PSAテスト出現に先んじていたことを医師たちは初めて学習しているという印象を醸しだす。ここ数十年、米国泌尿器科学会雑誌(The Journal of Urology)や他の雑誌で、多数の論文がこの重要な問題をとりあげ、繰り返し、より正確な予後因子の発見を促してきた。この 2つの大規模無作為試験に関して、多数の価値ある批判があり、今だ、盃の半分は満たされ、半分は空の見方のようだ。それにもかかわらず、これら論文の決定的な観察結果は、10年におよぶ観察期間中、前立腺癌で死亡した患者は少数だったことである。
 しかしながら、前立腺癌で死亡する患者はいる。実際、米国では今年、約 3万5千人が前立腺癌で死亡するだろう。改善されたスクリーニングや治療が、死亡率を低下させてきたかは、他の論争のテーマであるが、前立腺癌の実質的有病率、死亡率、そして社会的コストは論争しえない。さらに、すべての泌尿器科医は、スクリーニングの恩恵に浴すると思われる患者を発見しえる。例えば、PSA値が高値で、Gleason 8≪採取した前立腺組織から前立腺癌の悪性度を、顕微鏡で判定する古典的な方法; 転移する癌か否かは判定できない≫の 58歳男性が、術後 PSA値が何年も検出限界以内に推移した場合を考えてみよう。確かに、この男性は、放置すれば致死的だったかもしれない癌から治癒した。問題は、この患者は致死的でない癌の治療により、QOL≪生活あるいは人生の質≫を損ねる可能性である。だから、リスク・対・報酬難問に直面する。致死的であるごく少数の患者を治癒させるのに、非常に多くの患者に治療を受けさせる価値があるのか?
 欧州無作為化試験(文献2)は、1例の前立腺癌を治癒させるのに必要な症例数を算出した。この数字は、患者を区別なしに適用すれば適当なのだろうが、医師が各患者の健康および癌の危険因子を考慮して、患者を選択すると≪そんなことは、不可能だし、バイアスが入る≫、成績が向上する可能性がある≪ハテ、無作為化試験の結果を順守するのが「証明医療」、近代医学の定義である。科学を冒涜するのか≫。だから、どの比率が受け入れ可能なのか?
 アメリカ人の約 1/4は喫煙者で、喫煙の対価(あるいは必要性)は、深刻で証明済みの健康被害を凌駕しているようだ。シャツのポケットにタバコを入れ、毎年 PSA検査に訪れる男性の心理状態は、時に理解に苦しむ。それにもかかわらず、多くの男性は前立腺癌スクリーニングを望み、少数は、PSAは前立腺癌発見に有用だろうと説く。
 ひとたび診断が確定すれば、スクリーニングと治療の最適な折り合い(governor)がつくと思われる。この問題への関心の高まりがもたらす効用は、積極的スクリーニング戦略が適切なら、より多くの患者が参加したいということである。しかし、間違いなく、前立腺癌と診断されると、治療は「いかにも正しく行われ」、いわゆる破滅にいたる道(a slippery slope)への連鎖反応をおこす可能性がある。PSAスクリーニングに関して賢明な助言を与えるより、泌尿器科医にとり重要なのは、適切な観点から患者に前立腺癌の診断をくだすのを助け、不必要な治療へ導く、癌に関し過度の不安を与えないことである≪ハテ、治療が不必要なら、その前提となる前立腺生検も不要なはず。前立腺生検は、一回当たり 300ドル(1992年当時)、数こなせば、結構な小遣いになるからか?≫。適切なカウンセリングと助言を与えれば、そう破滅的な結末にならない(the slope does not have to be so slippery)。
 ほとんどのガイドラインは、患者と PSAスクリーニングの良い面と悪い面を話し合うことを推奨している。このアプローチの単純さと実行不可能性は、男性に正しく情報を伝えるために、それこそ週末を通したセミナーを必要とするであろう≪P.C. Walshを筆頭に、米国泌尿器科学会(AUA)が患者を教育(洗脳し)、「PSA検査→根治的前立腺切除術」を普及させておいて、何を今さら。≫。多き忙な臨床業務と患者の多さは、関連する問題点の十分な討議をおよそ許さない。それにもかかわらず、一つのサイズがすべてに合うわけではないという認識は、前立腺癌スクリーニングを患者毎に個別化して行う権限を付与する。
 それでは、先生はどうされますか? 医師たちが、どの位の頻度で PSAテストを受けているかという内輪話(confidential queries)を知ることは、常に有益である。泌尿器科専門医でさえ、驚くほど多くの医師は PSAスクリーニングを受けていない。しかしながら、ほとんどの泌尿器科医は、癌を恐れていた患者を診察し、スクリーニングで治癒した例、同様に前立腺癌で死亡した患者を経験している。治療するか、あるいは無治療様子見かの決定は、癌が発見されてからくだせる、しかし最初にそれを知らないと背水の陣をしくことになる。
(文献1)Mortality results from a randomized prostate-cancer screening trial. N Engl J Med 360:1310 2009
(文献2) Screening and prostate cancer mortal ity in a randomized European study. N Engl J Med 360:1320 2009
リー湘南クリニック leeshonan@gmail.com  拙著「癌患者を救いたい PSA検診のウソ」(正誤表)(2009年8月の記事、小校正)

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2012年11月19日

☆☆☆ ランセット誌における薬剤の広告

2011年 7月 2日号、ランセット誌の編集室コメントです。≪カッコ内≫は僕の解説、強調したい箇所にはアンダーラインを付しました。
 製薬会社は、医療組織に不可欠な存在で、この領域での良い面と悪い影響については、十分に証明されてきた。本号のランセット誌「応対コーナー(A Correspondence letter)」は、医学誌に掲載される薬剤広告が医師の処方へ及ぼす影響に関する新しい研究に言及する。著者らは、その系統的評論に注意を向け、薬剤広告は、同じ雑誌内の論文よりはるかに医師の処方に影響を与え、そしていくつかの研究によると、薬剤広告はより不合理な処方とより高価な処方と関係してきたことを示す
 これらの発見は、医学雑誌と医師は薬剤広告の影響についてこれまでになく用心深くなる必要があることを示す。ランセット誌は、本誌に掲載を希望するすべての薬剤広告に懐疑的に臨み、厳格に審査する。広告は臨床経験がある編集員により厳密に審査され、もし広告内容が誤解を招くと判断される場合、本誌は掲載拒否権をもつ。ランセット誌はまた、ある薬剤に関する研究論文が掲載される号には、同薬剤の広告は絶対に掲載しない方針である。もし、これら安全装置が十分でなく、読者が広告に問題があると考えたら、応対コーナーを通じ、本誌は説明責任を負う。われわれは、批判を心から歓迎する。必要な場合、われわれは編集者コーナーで製薬メーカーの行為に言及し、そして広告を掲載した会社はそれら批判から免れることはありえない。われわれの編集部と広告部は独立して運営している(どの医学誌もそうあるべきである)。
 医師は、製薬会社の広告を絶えず批判的にまた臨床的に観るべきであり、処方動機へ及ぼす影響に気づくべきである。医学雑誌における研究論文や総説(しばしば、付録の形をとる:2010年3月の関連記事)は、おおむね製薬会社がスポンサーで、科学的意味があるかのように誇示し、広告というより内容を保証するように目を向けさせる。そのような「製薬会社の操作を偽装する」医学雑誌は、読者を故意に誤解させるリスクを負う。それら医学雑誌は真の悪病神(real scourge)であり続ける。
≪今月号のランセット誌に掲載されている広告は、たった 3つ(降圧剤 2つ、遺伝子解析検査一つ;他は求人広告)。私が購読している米臨床泌尿器科会誌(JOU)や米臨床腫瘍学会誌(JCO)には、薬剤広告はてんこ盛り、雑誌の 1/3位を占める。特に、ある薬剤に関する論文が掲載される時は、その薬剤に関する派手な広告が分厚くなる(一例)。真摯なランセット誌の方針には、頭がさがります。ひるがえって、わが島国では郵送されて来る医学情報新聞(メディカルトリビューンなど)やメール、そして会員制医学サイトや「ツムラやカネボウ」が配布する処方本でお勉強され(したと思い)、処方する医者が無数にいる。医学情報、特に癌関連に関し、日本語で記されたものにまともなものはない。一流誌の翻訳に関しても、ほとんどの場合、製薬会社の取捨選択が介在する。≫
Editorial Drug advertising in the Lancet Lancet 378: 2 July 2-8, 2011
リー湘南クリニック leeshonan@gmail.com  拙著「癌患者を救いたい PSA検診のウソ」(正誤表)(2011年8月の記事、小校正)

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2012年10月09日

☆ 地中海型食事: 文化的遍歴

地中海型食事は、1950年代の「7カ国研究」に端を発した。栄養学者、Ancell keysは南イタリアとクレタ島・住人の心血管機能は、北欧に比べはるかに優れていることに気づいた。彼は、この結果をオリーブ油、パン、野菜、そして穀類の大量摂取に求めた。今日、地中海型食事の概念はよく定義され、フードピラミッドに示されている。主な特徴は: 植物に富むこと(野菜、果物、丸挽きの穀類、ナッツ類、そして豆類); 主な脂質はオリーブ油であること; 少量から中程度の、魚、パン、そして家禽類の摂取; 相対的に赤肉の摂取量が低いこと; そして、食事中、赤ワインの適量摂取。ここから、食事の文化的そして料理法を観ていく。
 料理法の観点から、地中海型という言葉は地中海と同じくらいあいまいで、20以上の国があり、それぞれが独特の料理法をもつ。食物は、国家、地域、家族、あるいは個人の独自性の重要な要素である。だから、pizzaとスパゲティーはイタリアと関係し; チーズとパテーはフランス; ホムスは Magreb《=Maghreb: モロッコと西サハラ、アリュジェリア他の地域》; mezeはレバノン; tagineと pastillaはモロッコ; パエリアはスペイン; bacalauはポルトガルと関係する; などなど。それで、地中海型食事とは? ピザ、タジン、あるいはパエリア? 実際は、どれもがである(Actually, it is none and all of these at the same time.)。なぜなら、食事(diet)は完成した料理より成分に関連し、そして共通する成分のうち、オリーブとオリーブ油こそが地中海型食事の真の独自性である。
 食事の概念は古い。すべては、紀元前一万年にメソポタニアに遡る、当時、地勢的拡大に伴い、農業が地盤を築き、食料が世界中へ輸出された(グローバリゼーションの最初の例)。人類学的に、農業はまた文明の始まりを示す: 人類が動物と距離を置き始めた。農家は、もはや、狩猟者でもなく単なる摘み手でもない。農家は生産者で、自然(nature)から明確に区別される。パンは農業と文明のシンボルである。パンは自然界には存在せず、複雑なテクノロジーをもって作られた人工物である。パン、オリーブ油、そしてワインは、ギリシャそして古代ローマ人の食事の基礎で、キリスト教では特に重要である。オリーブは平和の象徴で、キリストがヒトになった時「汝は、私の肉体(パン)と血(ワイン)を食すであろう」と述べた。その供述は、動物を生贄にし、神格化を求めたそれまでの地中海宗教の真逆である。
 ある日、北欧からの人々(表*にある、バイキング: 地中海食を食さない)は、ローマ帝国を侵略し支配した。だから、2つの相反する料理文化が遭遇し、混ざり合った。バター、ビール、ポークそして他の肉類はノルディック文化の基礎で、栽培したものではなく、森から直接調達された物に由来する。肉は、直火で調理される。より大きいことはより強いを意味したので、絢爛さは侵略する狩猟者に重要であった。反対に、ローマ人は倹約的農家だった。彼らはまた、異なる料理法を用いた: 火で調理するにあたり、(スープにみられるように)煮ることが好まれた。2つの文化が癒合した典型的な近代の例は、サンドイッチあるいは paninoである: パン、ポーク、バター、そして野菜が一緒である。この種の混じりあいは、なぜ真のヨーロッパ料理が存在しないのかを説明するが、複数の混じり合いにより特徴づけられる異なる料理の絶え間ない進化をも説明する。このことはまた、北欧と南欧料理の多くの違い、そして地中海食のいくつかの混在を説明する。
 豊富な美、新鮮味、そしてシエスタ(昼寝)を伴う地中海型伝統(Koine)の好ましい身体的影響も考慮されるべきである。今日、われわれは食べ物とライフスタイルにおけるアンチテーゼに直面する: ファースト vs スロー; 食物の産業化 vs 新鮮あるいは有機原料; グローバリゼイション vs 局地化; 保存 vs 新鮮; キングサイズ vs バランス、などなど。地中海食では、取り分け(small portions)、新鮮さ、均衡、そして食べる楽しみに力点がおかれる。これこそが、これら食事に関し素晴らしい点である。食べ物は、美、調和、そして均衡とリンクした医療になった。
*表 地中海型 vs 北欧型 の大きな違い: Romans vs Vikings; 農業 vs 狩猟; 倹約 vs 絢爛; 貧乏 vs 裕福; 農家 vs 貴族; 水 vs 火; パン vs 肉; 野菜 vs ポーク; オリーブ油 vs ラード、バター; ワイン vs ビール
Ferrari F. and Rapezzi C.   The Mediterranean diet: a cultural journey   Lancet 377: 1730 May 2011

リー湘南クリニック leeshonan@gmail.com  拙著「癌患者を救いたい PSA検診のウソ」(正誤表) 早死にするデブ しないデブ(2011年5月の記事)

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2012年09月15日

☆☆★★ Michael Crichton

ランセットからの全訳です。≪≫内は僕の解説。≪1991年、たまたま JURASSIC PARKを購読して以来、最も好きな小説家です。あたり前ですが、原作の方が映画より遥かに面白かったです≫
2338マイケル・クライトン
医師、ベストセラー作家、そしてテレビ・ドラマ ERの創造者。1942年 10月 23日、シカゴに生まれ、2008年 11月 4日、66歳で癌にてロス・アンジェルにて死去。
Michael Crichtonは医師だった。科学の威力、そしてそれを使う者の危さこそが、Jurassic Park、Andromeda Strainから ER まで、彼が描くすべてのフィクションと映画を通じ、一貫した筋道だった。彼が操る物語は、最先端のおとぎ話で、最先端の技術、遺伝子学、外科医、そして無数の科学技術学に詳しい人々で満たされていた。主要なテーマは、ヒトの基本的特性 ― 貪欲、傲慢、そして権力への欲望に関してだった。
 クライトンの本はベストセラーで ― 世界中で15億冊が売れ ― そして、その多くが映画化された。彼は、批判者達からしばしばバカにされ ― 意味のない対話そして浅はかな科学というのが、よく耳にした批判だった。ニューヨーク・タイムス誌は、読者たちをファンタジーに潜む科学に深く引きこみ、恐竜の遺伝子学的複製から音声認識ソフトへのタイムトラベルまで、まさに「彼の経験から織りだされる、時計仕掛けのような贅沢な仕事」と絶賛した。批判者、Charles McGrathは「これらの本は作り話であるが、物事の内部(人間、特に女性に対峙するように)に巨大な歓喜をもたらす」 と評した。
 2004年の著書 State of Fearは、地球温暖化に疑問を投げかけ、環境専門家と科学者たちの激怒をかったが、George W Bush 大統領に招かれ、ホワイトハウスで働くことになった。同時にクライトンは、アメリカの遺伝子研究規制を修正する必要性を訴え、2006年、「法律に関し、4つの分野に憂慮がある:遺伝子の特許を認めない、組織収集に関する法律を修正、治験の報告が必要、そして将来の研究を禁止しない」 と議会で訴えた。同じ年、ウォールストリート・ジャーナルに、患者が死ねば遺体は、研究機関の所有物にすべきと主張し、死体の組織利用の権利:「もし、研究者たちが行いたいことを認めなければ、生命を守る奇跡の流れは干上がると警告する」記事を書いた。
 クライトンは 4人兄弟の長男としてロングアイランドで育った。ハーバード大学で英語を専攻後、人類学へ転科、首席(summa cum laude)で卒業した;その後、ケンブリッジ大学(UK)で一年間教鞭をとった。ハーバード医科大学在籍中、1966年、学費の足しに小説を書きはじめた。医学部卒業後、サンディエゴの Salk生物研究所でポスドク≪医学博士を取る過程、日本のと違い、八百長は皆無≫になった。執筆の情熱は The Andromeda Strainを創造した、地球外の致死的病原体から地球を守ろうとする科学者チーム関する、ハイテク医学スリラーである。本はベストセラーになり、1971年には映画化された。
 サイクルこそ、彼の経験を磨いた。クライトンは Andromeda Strainの成功、Five Patients、ノンフィクションを追求した:The Hospital Explained、しかし、すぐに暗黒卿のフィクション、Yul Brynner主演、未来のファンタジー・リゾートが立ち行かなくなる Westworldを監督し、彼のニッチに戻った。そして、後に映画、Sean Conneryとなる Great Train Robberyを執筆した。
 その後、本や映画を手掛けたが、有史前の DNAからクローニングされた恐竜が暴れまわるテーマパーク、Jurassic Park(ジュラ紀・パーク)≪恐竜が栄えたのは白亜紀だが、あえてジュラ紀にした。当時、恐竜は恒温動物 vs 変温動物で科学界は揺れていたが、クライトンは恒温動物と主張した。中国で毛の生えた恐竜が発見され、この論争は終止符を打った。恐竜は絶滅したのではなく、その子孫は鳥です≫が発表される 1990年までヒット作はなかった。この本は、3年後 Steven Spielberg監督の怪物映画になった。一年後、本業である救急救命室を扱ったテレビ・ドラマ ERを執筆した; このドラマはテレビ史上、最も長く、今、最終章を迎えている。クライトンは、かつて、物語は自分の人生だと語った。「One of the things that distinguishes that show from other television show is the degree to which it is based on real stories,」。「視聴者は語れる」。
 小説家、脚本家、そして監督と自在に行き来する、クライトンは 5回の結婚を経験した。彼は、妻・前 Sherri Alexander、そして愛娘・Taylorに生を与えられる。
― Samuel Loewenberg Lancet 372:1948 2008
リー湘南クリニック leeshonan@gmail.com  拙著「癌患者を救いたい PSA検診のウソ」(正誤表)(2008年12月の記事、小校正)(20011年4月の記事、小校正)

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2012年09月04日

☆☆★★ 協調の起源 続き

Group selection
協調の進化を考察するとき、他の観点をもつ研究者もいる。彼らは、集団間の競争が協調を育むと確信するに至った。換言すれば、進化的圧力が様々なレベルで作用し、集団レベルで、自然淘汰は非協調的な集団を排除する、なぜなら協調的な集団の方が生存に優位だからである。ダーウィンは、The Descent of Manに、これは人類において正しいように思えると記した。もし、2種の部族が競争したとき、「一方の種族は、勇気のある、同情的そして忠実なメンバーを多く含めば、お互いにいつも危険を注意し合い、お互いに守り合い、この種族は成功しやすく、他の種族を制圧する、」と記した。
 経済学者の Bowlesは、それは近代でも、闘争している集団にも当てはまるという。「軍の歴史から、より協調的な集団の方が、成功をおさめやすい、」。過去において、度重なる紛争は、本質的に集団に協調をもたらすと Bowlesらは論じる。
 彼らの最近の研究は、その論点を支持する。2009年 6月号のサイエンス誌で、Bowlesは、ある(その生活様式は古代の人間社会に最も近似した)狩猟集団について、約 5万年前からの考古学的証拠、および民族史的そして歴史的報告を評価した。
 Bowlesは、争い(戦争)による成人の死亡率は 0~46%、平均 14%、先の 2つの大戦での欧州での死亡率をはるかに凌駕することを発見した。そのように頻繁におこる争いは、生存に必須な利他的協調を育んだと言う。
 ゲーム理論を用い、彼は戦争中何が起こるのかシミュレーションし、人類は容易に、彼のいう偏狭的利他主義(parochial altruism)、つまり、血族関係を離れ他の集団の人を助け、よそ者を傷つける、に進化すると結論した。「関係者(actor)に憂慮すべきコストがかかる場合でも、集団内で協調する傾向を助長してきた、」と語る。

人類から微生物へ(From man to microbe)
いかに人類が協調を獲得してきたのかを理解するために、非常に多くの研究から多くの説が提唱されてきた。驚くことに(But)、協調するのに大きな脳も魅力的な笑みも必要としない。細菌性(バクテリオ)ファージ≪細菌に寄生するウイルス≫と呼ばれるウイルスでさえ協調することにより繁栄してきた。2005年、テキサス大学の Sachsと Bullは、自己−関心の競い合いを減少させる特性は、2つの異なるファージに進化することを示した。2つのファージを同時に細菌に注入した。代を重ねるうち、2つのファージは、それぞれのゲノムを一つタンパク膜内にパッケージし、次の細菌宿主への伝染を確実なものにした。片方のファージは、自己を複製する遺伝子を結局失うと報告した。
 さらに多くの研究者たちは、さらに多くの微生物たちでの協調を発見した。「人類や他の動物での協調を理解するために用いられるコアー説は、微生物にも当てはまる、」とハーバード大学の Fosterは言う。いくつかの研究チームは、イースト≪カビ=真菌の一種≫、細菌、そしてアメーバーの協調の進化について基本的原理を理解してきた。「微生物は、実験的に扱いやすい、…そして実験室の時間スケール内で、ダイナミックに進化する、」とMIT(マサチューセッツ工科大学)の Goreは言う。関係、裏切り、そして他の要因が微生物たちの協調的冒険の成功を決定する。
 例えば、Edinburgh大学の生物学者・Westは、日和見感染菌≪宿主の抵抗力が低下したときや、強力な抗生物質で宿主の常在菌=味方の菌を駆逐すると、感染する菌≫Pseudomonas aeruginosa(緑膿菌)で、定足数感知(quorum sensing)と呼ばれる集団現象を研究する。他の細菌と同じように、緑膿菌もやがて仲間の菌が毒力因子、栄養素‐収集分子、そしてバイオフィルムと呼ばれる細菌の塊を形成する足場になる混合物を含む、化学信号を分泌する。Westらは、個々の緑膿菌が近傍に他の仲間が増えると、ある種の生化学物質濃度が高くなり、緑膿菌集団の利益となる物質を分泌することを示した。
 二年前、Westのチームはまた、人類の進化ゲームと同様、この緑膿菌でのシステムは裏切りに対してもろいが、助けになる物質を分泌しない緑膿菌は、集団に対して成果をもたらすことを示した。一つの実験で 48時間= 7代後に詐欺集団は、1から 45%に増え、協調的な野生株がいかに存続し得るのか問題を提起した。Westは、その関係が解答だと考える: 野生株は高密度の集団を形成する傾向があり、変異した(異なる遺伝子をもつ)詐欺集団を追い出す。
 2月号の Current Biology(最近の生物学誌)に、Westらはマウスの熱傷に緑膿菌が感染し繁殖するとき、協調と裏切りの研究により上記の発見を補強した。裏切り集団の割合は、細菌そしてマウスの健康に影響を与えた。より多くの裏切り集団が現れたとき、マウスは良くなった ― 恐らく、毒力要因があまり産生されなかったことによる ― 裏切り者を中央に据えることにより、定足数感知細菌の感染を治療したに違いないことを示唆する、と Westは言う。
 おそらく、最も称賛される社会的微生物は、Dictyostelium(ねばねばしたカビ)である、長年、発達そして細胞生物学者に研究されてきた。一世紀以上前、研究者たちは、この単細胞アメーバーは時に茎のある胞子を形成するために合体し、胞子をより栄養豊富な環境に放出することを発見した。1980年代、研究者たちは茎を形成するアメーバーは利他的で、自らの自己複製をあきらめ、他のアメーバーが胞子を形成するのに協力することに気づいた。Rice大学の Quellerと Strassmanは、他の微生物と同様にアメーバーにみられる協調は、トレードオフ(tradeoffs)と同族関係が関与することを明らかにした。
 裏切りは常に脅威である: 2000年、コロンビア大学の Kessinは、細胞をスクリーニングし、裏切り細胞は、非・自己再生的茎になるのを避け、胞子を形成する細胞に侵入する変異種であることを見出した。もし裏切りアメーバーが集団の半分を占めると、約 2/3が実を結ぶアメーバーで胞子を占めることができる。ベイラー医科大学と Riceらの研究で、100以上の騙す能力のある裏切りタイプの遺伝子を発見した。これら遺伝子は、全ての機能をカバーし、実を結ぶ茎の発達において異なるポイントに関与する。「多くの遺伝子と代謝経路が関与することは、容易に裏切り遺伝子に進化し、その完全なコントロールを難しくする、」と著者らは、2008年 2月号の Nature誌に報告した。
 しかし彼らの研究は、アメーバーは大きな集団内で裏切りを抑止する、なぜなら裏切りを可能とする遺伝子はまた裏切り者を集合体形成させる傾向があることを示した。研究室内では、casAと呼ばれる細胞接着遺伝子を欠くアメーバーは、茎をバイパスし実を結ぶ胞子になりすまし定着する、つまり裏切り者の様にふるまう。しかし、自然界では、細胞接着タンパクがないアメーバーは、実を結ぶ胞子に参加できない、と Quellerは言う。
 CasA遺伝子は、いわゆる緑-のき(green-beard:植物)遺伝子の例で、自己の認識を可能とする ― まるで、緑-のきを認識するように ― そして、同じ遺伝子をもつ他のものと協調する。緑-のき遺伝子は、個体間の関係の親密さに関わらず、他者の遺伝子のコピーが永続されるように助け合う。アメーバーのケースでは、casaAタンパク≪CasaA遺伝子をもとに作られたアミノ酸の長い並び=タンパク質≫は、お互いに接着し、この緑-のきを共有できるように細胞同士を接合させ、茎を形成し実のなる集合体を形成する。
 数は少ないが、実社会で、緑-のき遺伝子が知られている。イースト菌はその一つだが、2008年 ハーバード大学の Fosterと Leuvenカソリック大学の Verstrepenらが示したように、FLO1と呼ばれる他の細胞接着タンパクはイースト菌の塊を形成させる。アメーバーでみられたように、その遺伝子を持つイースト菌が塊をつくる。イースト菌が塊を作るとき、外側の細胞は内側の細胞を毒素や環境的ストレスから守るため、自らを賭して意図せず利他的となる。
 緑-のき遺伝子を保有することが示されてきたイースト菌とアメーバーは、いかに協調するかを明瞭に説明する助けとなるので、微生物系のパワーを物語る: Hamiltonは、それらが発見される遥か前に、それら遺伝子の存在を確信していた。シロアリからミーアキャットまで、数えきれない生物種が協調の研究の機会を与える。「社会性の起源は、単一の説で説明できないようだ、」とNCSUの Huntは言う。「社会性は、多細胞性と同様に様々な分類群(taxa)で無数にみられ、多くの異なるレベルの統合に到達した。」
Pennisi E On the Origin of Cooperation Science 325: 1196 Sep 2009
リー湘南クリニック leeshonan@gmail.com  拙著「癌患者を救いたい PSA検診のウソ」(正誤表) (2009年12月の記事)

leeshounann at 13:19|Permalink
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