とくひょんの日記

2014年12月

倉木麻衣のMai.K Diary : ☆デビュー15周年!!! - ライブドアブログ



マイペースで無理せずに気楽にやっていってください。
あまり、気負いすぎても疲れちゃいますしね。
あくまで本人の意思ですから。

きっと、今まで悪戦苦闘してきた「君」に出会って、夢を叶えていく過程や夢を叶えた時やその後など、また通過点をこれから歌詞として歌っていくのだろうかな?
と勝手に思ったりしてます(- -;)

その中には、夢を叶えていく過程での葛藤や喜びや生活や、はたまた出産などによるものや、いろいろな愛や苦悩の叫びが書かれるのでしょう。
幸せな気持ちや、こんなはずじゃなかったとか。

一貫したとても深みのある倉木麻衣musicになっていくのでしょうか。

love day after tomorrowを超えて凌駕してくのだろうと思います。
それは、「君」と出会うときなのか、それとも夢を叶えた時なのかはわかりません。

ただひとつ言えることは、倉木麻衣さんがやってること状況は誰にも真似できないことだろうと思います。

「君」と出会えなくて夢も叶わず、他の人との恋や愛を書いていくという方向転換もありですし、それはそれで新たな倉木麻衣を発見できるかもしれません。

ただ、個人的な思いとしては、「君との夢」を貫いた先に見える、人間技とは思えないヤバイ境地を見てみたい。

これは、人類の共通の願いであり、宝であり、希望であり、また夢であり、可能性であり、未来であると思いたいです。

倉木麻衣のMai.K Diary : ☆デビュー15周年!!! - ライブドアブログ


15周年おめでとうございます(^.^)

15年前は7歳でした・・・

とても、あっという間でしたね。

生涯現役ならば20周年でも30周年でもいけますよね。
可能であるならば出来る限り続けるのが良いと思いますよ。
もちろん、スタンスや方向性や歌詞の内容などは変遷するものだと思いますが・・・
それが自分や周りの人に力を与え、また助けにもなると思います。
継続は力ですからね。
一旦やめてから、また歌なり他の人生なりをスタートするのはエネルギーもかかるし、応援してくれるファンがいる以上、賢い選択ではないと思います。

これから、恋愛やご結婚などなさる時も、是非他の芸能人やアーティストのように引退とかせずに、今の仕事とパートナーの仕事が組み合わさって相乗効果で豊かな芸術を産み出したり、補え合える素晴らしい相手が見つかると良いですね。

なんか、いきなり現れて熱心なファンでもないのに、こんなこと言って申し訳ないですが僕の見た限りの感想です。

倉木麻衣の芸術によって、相手の方を支える。
むしろ、女性が仕事をしてることによって、相手の方の助けになる、そんな関係は滅多にないし、理解を示してくれる男性もそうそういないと思うので。

続けることでより多くの人を励まし、倉木さん自身の重みや魅力もさらなる輝きを増していく、僕はそんな麻衣さんを見ていたいし、好きです。
気があって、心の通じた人が現れると良いですね。

麻衣さんだったら、そんなアグレッシブで普通の人には無理なようなことも、やってのけてしまう秘めた闘争心があると思います。
15年前を考えたら・・・
楽勝ですか?(笑)

きっと、僕の知ってるあの時の麻衣さんのままで、生涯走り抜けるのだろうと思います。


倉木さんは世界にもまたジャンルや活動も幅広いので、いい人が見つかりそうですよねφ(..)

倉木麻衣のMai.K Diary : ☆キラキラ… - ライブドアブログ



一人カラオケで、summer time gone を歌って切なくなるんですね( ・Д・)

一人なか卯もやるんですね。

偶然なことに、僕も一人カラオケは得意です。
さらに偶然なことに、一時期一人なか卯やってました。
日曜日の朝・・・・
電車乗る前。かき揚げうどんと唐揚げ。

あと、メールアドレスはヤフーの方も載せておきます。
kaokao_novel@yahoo.co.jp

バイブルシャレーとか、河口湖あたりのバンガローも行ったことありますか?
江ノ島水族館とか。

秘密基地も作りました?

倉木麻衣のMai.K Diary : ☆This is my dream. - ライブドアブログ



伊豆の大島に行きませんでしたか?教会で。
小田原駅からフェリーに乗って。
僕が小学校三年生の時。

相模原教会にいた頃。
相模原にいたことありました?
夏休みの間?
mai-kでいた気がするのです。
週末は僕の家に来てませんでした?
家族ぐるみの交流。
お兄さんは元気ですか?

その年にデビューされたんですよね?
離れ離れになって、別れ際に相模原教会の玄関で
「いつまでも愛してる」って言った記憶があるのです。

大阪に行く前に、最後に旅行しませんでした?
どこかは良く覚えてないのですが、相模湖方面か城山あたりだったような気がするのです。
その時、倉木さんの元父から車のタイヤがパンクしたとかって電話があったようななかったような・・・・・

( ・Д・)そんなことはどうでもいいんですが・・・

僕は忘れていましたが、倉木さんは僕のことを覚えていて、見守ってくれてたんじゃないでしょうか?
別れた後の記憶をたどると、陰ながら支えてくれてたような痕跡が見られるのです。
僕の思い違いと言われればそれまでです。

きっと、隠してた方が良いと思われたのでしょう。
あるいは夢のために秘密にしてた方が幸せだったのでしょう。
キャンプや、また学校の行事であったり。

ところで、狭山にもいました?
狭山でも会ってる気がするのです。
狭山で別れた後に僕を追って相模原に来たのですか?

これは良くわからないのですが・・・
もっと昔から絵を描いたり手を繋いだり、助け合ったり困難に立ち向かったりしたと思うのです。

狭山では、西武遊園地や稲荷が丘公園など・・・
いろいろ経験しましたね。

狭山でも相模原でも花火大会に行きましたよね。
あれは・・・相模原では上大島の花火大会でしたっけ?
淵野辺の宇宙博物館とか。

ちょろちょろくっついてるのが幸せでした。

みきおくんとか・・・
正直、思い出がごちゃまぜになってる感は否めないです。
でも確かに倉木さんとはまだ絆があると思えるのです。
歌詞を見ていても痛切に感じるのです。
babyIlikeを筆頭に年下の男の子に向けて書いてるような気がして。
僕に向けて書いてるような気がするのです。
妄想かもしれませんが。

僕は、ヤバイやつじゃないので怖がらないでください。
ストーカーとかじゃないですから・・・・・

僕の父は牧師でした。
母と一緒に韓国から宣教に来ました。
いろいろあって父は僕が中2の時になくなりましたが。

長文になりましたね。申し訳ありません。
まとまりのない文章ですね。

また、是非書かせてください

このページのトップヘ