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先日、日本に住む友人G君(外人部隊第2外人落下傘連隊出身)から本が送られてきました。 この本、ご存知の方は多いと思いますが、私も非常に気になっていたんで日本のアマゾンに注文を出そうかと考えていたところでしたが、G君とは以心伝心なのか彼から何も言わずにいきなり送られてきました。非常にありがたい話です。G君有難う。


小学校中学校のように本を読んだら感想文を書くとか、自衛隊の学校でも所感文を書けとか、色々とありますが。どれも上からいわれて書くものでありますが、今回のこの本に関しては自発的に私が書評として所感を書きたくなったもので、良本であると私は結論付けています。

伊藤祐靖氏、海上自衛隊 特別警備隊 初代小隊長として 自衛隊初の特殊部隊創設から関わった方のお話です。

軍事研究書と言うわけではありません。 しかし軍事と言う大きなカテゴリーの枠の中では確かに軍事関連書籍にはなりますが、私は軍事関連書と言うよりも一人の男の生き様の書と理解しております。

私は外人部隊出身であり、外人部隊とは確かに一般の日本人からすれば別の世界にはなるかとは思いますが決して特殊部隊ではありません。特別な部隊ではありますが特殊部隊ではない、それでもこの伊藤氏と共鳴できる部分も確かにあります。しかし、この伊藤氏とはまた違う世界観が外人部隊にはありますので、私はこの伊藤氏の書籍を5星で最大の評価をしてもすべてにおいて共感しているわけでもないです。

お互い違う人生を歩んできたんで物事や事象を同じに理解するはずもなく、それぞれの経験や思想、思考による捉え方が違ってくるのは当たり前の話しで、それは全ての人に言えるでしょう。皆それぞれ人間を長くやってればそれぞれの経験思想思考などが違ってくるのは当然です。ですから私はこの伊藤氏の書を絶対視しているわけではない。尊敬尊重はしていても私の経験思想思考の違いから来る違和感の部分も当然あるわけです。


それでもこの書は大変な良書ですね。お勧めします。内容を書いてしまえばこの本を買う意味はなくなりますので内容は書けません。是非購入してください。

私の持論と言うか素朴に昔からなんとなく感じていることの一つに「軍人兵隊はあくまでも兵隊であってスポーツ選手ではない」と言うのがあります。例えば、スポーツ選手は、運動を始める前に入念に準備体操を行い、日頃から節制し,そしていきなり大全開フルパワーで運動をすることは決してないですよね。これはスポーツ武道化した柔道、剣道、空手でも同じことが言えるでしょう。

ところが兵隊と言うのは、セックスやってる最中にいきなり銃を持って飛び出さなければならなかったり、クソたれてる時にいきなり飛び出さなければならなかったり、およそ運動選手が決してやらないような状況環境の中でもスポーツ選手並みの運動力を発揮しなければならない.ここが兵隊とスポーツ選手の違いの一つでもあり、兵隊はしかも命のやり取りがあるという大前提もさらに加わります。

フランス外人部隊ではと言うか、フランス軍では早朝のランニングの際、ランニングはいきなりはじめます。準備体操をやってから、自衛隊体操をやってから徐々に走り出すわけでもなんでもない。朝礼が終わればその後そのままいきなり走り始めます。

ランニング後には柔軟体操を入念には行いますがランニング前の準備運動はない。

フランス的な論理でランニング前には必要ないだろうと単純に割り切って、特にその他理由も無くランニング前の準備体操をやらないのかもしれませんが、基本的に我々は兵隊であってスポーツ選手ではないと兵隊が自然といつの間にか無自覚的に自覚してしまっています。

スポーツ武道ではない柔術、剣術、各種各流派の徒手格闘空手術(例えば極真空手など)もまた、兵隊と同じといえるでしょう、何故ならスポーツではなく命のやり取りが大前提にあるからです。

ちなみに、帝国陸軍の強さはスポーツ選手の体力の強さではなく百姓の体力からくる強さであると私は勝手に思い込んでいます。

フランス外人部隊はフランスの国のために死ぬことはない、あくまでも外人部隊と言う部隊のために死ぬのであって、フランスの国益だとか、フランスの同盟国のためにだとか、フランス国家そのもののために死ぬわけではない。「外人部隊はわが祖国 LEGIO PATRIA NOSTRA 」の標語は建前ではなく、外人部隊の大前提であるので、これを受け入れない限りは外人部隊兵として長期にわたってはやってはいけません。


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というか、上に命令されて「何のために死ぬの?」とか考えるような繊細な人間はそもそも兵隊には向いていないと私は思います。少なくともフランス外人部隊兵には向いていませんし、必要な人材ではないです。まあこれはあくまでも私個人の考えですから普遍的な考えでは決してありません。

しかし、それでも外人部隊、そしてフランス政府は国家として部隊として戦死者に対して最高の敬意を払います。



Lazare Ponticelli 第1次世界大戦時に外人部隊に志願入隊したイタリア人。 戦死ではなく2008年に寿命で病没したんですが、フランス政府は国葬を行いました。これが国家として国家のために命がけで働いた人間に対する儀礼であり、これこそが人道に対する本当の尊重でしょう。

翻って今の日本政府は大東亜戦争でなくなられた英霊に対し何の尊重もありません。訓練中やその他事故で殉職した警察官、消防士、海上保安官、自衛官に対する日本国家としての尊重もあまりないように私は感じます。だからこそ、「こんな国のために死ねるか?」と言う現場の心の叫びもあるのでしょう。本当に悲しいことです。


フランス外人部隊は特殊部隊ではなく特別な部隊です。勿論、外人部隊の中にGCP ( GROUPE COMMANDE PARACHUTISTE ) といった特殊部隊はあります。
私はこの部隊出身のスコットランド人小隊長の通信小隊にいたことがありますが、とにかくこのスコットランド人小隊長は意味のない規律規則が嫌いでムダだと公言してはばからない人でした。

また、スペイン人 ロペス曹長。外人部隊で超有名で知らない人がまずいないような有名人。この曹長を知らない外人部隊兵はまずモグリです。私は運が言いと言うか腐れ縁でこの曹長の小隊に2度も配属されてしまいました。



このスコットランド人小隊長、ロペス曹長も、やはり特殊部隊系の方なんで本質を直球で突っ込んでくるような人でありました。しかし、じゃあそれでいいのか?となると話しはまた別で、人間的に兵隊の戦闘力技術力全てにおいて超優秀であっても小隊長職として色々と無理があったのは事実。

特殊部隊の小隊の小隊長ならば良かったのでしょうが、スコットランド人小隊長は通信小隊の小隊長、ロペス曹長はコマンド訓練センター小隊の小隊長。 だから特殊部隊では以心伝心でわからなければならない部分がそういった部隊では通じない。また規律規則と言うのは、特殊部隊の高みに達した人間にとっては必要ではなくてもそういう高みに達していない一般の兵隊には必要な部分でもあるし、特殊部隊の高みに上るための段階的な各種の課程履修においてやはり新兵教育のような規律規則を求められるのは当然だと私は理解しています。
特殊部隊の高みに到達した人間と言うのは押しなべてプロフェッショナルであり、緊張すべき時とそうでないときの使い分けがうまく、いきなり緊張するような状況に追い込まれても笑って対処できるうえに物事全てを本質に直球で考えるから非常にやりやすい。だからと言って一般的な我々が彼らの真似をしようとしてもその高みに達していないから何処かに必ずひずみが生まれる。だからこそ規則や規律が必要なんだと私は考えます。


規律規則のない武装集団など一歩間違えればただの武装集団、匪賊、馬賊、テロリストになりかねない。だからこそ世界中の軍隊と言うものは規律規則があるのです。





勿論、特殊部隊と言う特殊作戦を人知れず行うような部隊であれば自分が死ぬ理由、自分が命をかける理由を知りたくなるのかもしれませんが、それは高度に訓練され心身ともに鍛えられた特殊部隊員のレベルに達している人間だからこそ知りたいのだと思います。



いずれにせよ、伊藤氏の「国のために死ねるか」は本当にお勧めします。是非お読みください。