2016年08月24日

満州引き揚げ体験談

取材陣









8月15日・終戦の日に、今年も山梨平和ミュージアムでは、戦争体験を聞く機会を作ってくださいました
この日の講師は、山梨平和ミュージアム編『戦時下戦後を生きて』(山梨ふるさと文庫)に執筆された石原孝徳氏と、甲府空襲に遭われた平原國男氏のお二人でした。
終戦記念日と言うこともあったのでしょう、何時にもまして報道陣が数社来ていました。地元のTV局2社・新聞社も3社、それぞれカメラを持ち込み写真をとったり熱心にメモをとっていました。


開会










司会者の挨拶の後、理事長から講師の紹介があり、体験談が始まりました。
初めは石原孝徳氏の引き揚げ体験談でした。
石原氏は終戦時9歳、浜江省帽児山開拓団に居ました。この団は636名で構成されていました。
石原氏の家族は父・母・祖母・叔父・妹と石原氏の6人家族でしたが、父と叔父は1か月前に召集されていませんでした。
その日、灌漑用水で泳いだり魚を追い回していたところ、大人に家に帰れと言われ大急ぎで家に帰ると、現地人が家々を取り囲み大騒ぎをしていました。家の中の物を奪おうとして来ていたのです。が、使用人だった王(わん)さんと林(りん)さんが大声で制して止めてくれました。


講師









次の日、団員が馬車に乗りハルピンに向かって出発しました。王さんと林さんが馬車を曳いて守ってくれ、平山駅まで送ってくれました。
石原氏は、今でも何で王さんと林さんが暴動を止めてくれて馬車で平山まで送ってくれたのか分からないと言いますが、多分その人たちに親切にしてあげていたからなのでしょうね。
現地人は、自分たちが耕作していた土地や家まで奪われて追い出されたのですから、日本人に恨みを持っていたはずです。そうとは知らない開拓民は、入植した時点で意識していない加害者だったのです。

平山駅からハルピンに向かうのですが、来る列車は満員でどれにも乗れずやっと乗れたのは17日でした。が、途中でなかなか動かず、ハルピンに着いたのは19日でした。
ハルピンでは技術養成所と言う学校の教室に入れられ捕虜としての生活が始まりました。しかし食べ物がない・着替えがない・布団もない、そんな状態でノミ・シラミが身体じゅうに・・・・・ペストも流行りだし、発疹チフスも蔓延して先ず体力のない幼児・そして年寄りが亡くなっていきました。
突然父と叔父が軍隊が解散になり、帰って来ました。老人と女・子どもだけだった団は、急に元気が出て明るくなりました。が、すぐにソ連兵が来て、時計や金目のものを奪い、その上若い女性まで連れて行くようになり、若い女性は髪の毛を刈ったり顔に墨を塗ったりしました。


開拓団









ある日母の隣で寝ていた石原氏の祖母も朝冷たくなっていました。父はハルピンの大きなお寺に無理にお願いして葬ってもらいました。
こんな生活が2ヶ月も続いたころ、このまま冬になったら零下40度にもなるこの地では生きてゆけない、暖の取れる場所に移動しなければと、父たちが方々探し回り、阿城にある日本軍の陸軍病院へ移ることになりました。そこの倉庫には食料も残っていました。
全員で越冬準備をして自炊もできるようになりました。

ところが12月になると、又発疹チフスやコレラが流行りだし、妹も3歳でしたが栄養失調も加わり、日々衰弱して骨と皮ばかりになり、母に抱かれて死んで行きました。が、毎日人が死んで行きますので、涙も出ませんでした。
冬の大地は凍りついていますので、穴を掘ることもできません。やむなく大平原に死体を積んでおくしかありませんでした。
阿城に居た避難民は2000人居たそうですが、この冬に半数が亡くなりました。石原さんの団員も98人が亡くなっています。
両親を亡くした子どもたちは地元民に託され、残留孤児になったのです。
5月になった頃、阿城市から蒔と灯油を貰って死体を火葬にしました。大きな炎が何日も何日も燃え続きました。そしてみんなで合同慰霊祭をしました。


石原氏「









春になり、現地人の大地主でりんご園の家の納屋に住んで、リンゴの剪定や草取りなどさせてもらいました。この半年ばかりが苦しい日々の中で唯一楽しい思い出になっています。
太陽が地平線から上がって地平線に沈む広大な大地、10人ぐらいの労働者が立ガンナで大豆畑の草取りをしながら半日行き、そこで昼食をとって帰ってくれば1日終る・・・・・その人たちのシルエットが今も目に焼き付いています。

8月、いよいよ日本に向けて引き揚げが始まりました。阿城から無蓋貨車に乗せられて、ハルピン経由で葫蘆島まで1カ月近くもかかりました。汽車が止まってしまい歩かされたこともありました。
何処の駅かわかりませんが、貨車から客車に代わり葫蘆島につきました。葫蘆島からアメリカ軍の上陸用舟艇に乗せられました。船の中でも毎日人が死んで行き、毎朝甲板から海中に死体が投げ込まれていました。水葬にするしか無かったのです。
佐世保に上陸して10月に甲府に帰って来ましたが、皆やせ細り親族も誰だかわからないような状態でした。
石原家は6人中4人帰宅できたので幸運でしたが、開拓団は636人中帰国できたのは401人、亡くなった人約200人・現地で託された子どもは30人近くいたはずです。
開拓団は完全に関東軍に見捨てられたと思います。軍は国民を守らないものだと思います。
退職後、世界中を回りましたが、中国には1回も行けませんでした。
今、こうして生きているのが不思議です。
そう言われた石原氏にとって、旧満州・中国は辛すぎて忘れたい場所なのでしょう。
平原氏のお話は明日に廻します。


leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(3) 平和 

2016年08月23日

いけだ祭り

いつも「健康友の会」で会場を提供して頂いている介護施設いけだで、「いけだ祭」がおこなわれます。利用者さんは勿論ですがそのご家族や地域の皆さんにも参加を呼び掛けています。
今年で2回目ですが、昨年も大いに盛り上がりました。
わが池田班は、フランクフルト係。熱いなんて言っていられないほど盛況でしたよ。
今年もフランクフルト係にと、言われましたので、班員一同張り切っています。


いけだ祭り



地域の皆さんもどうぞ遊びに来てください。
職員さんも今から準備おこたりなく、当日に向けて頑張っています。
皆さんで大いに楽しみましょう!
8月28日(日) 午後3時スタートです。
おこしをお待ちしております。


leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(0) お知らせ 

2016年08月21日

痛ッたたた・・・・・

もう20年も行きつけの歯医者さんから、「今にも危ない」と言われていた歯茎。歳と共に痩せてきて、歯肉が痛んできていました。そこがどうやら化膿してきたらしく、ズキズキ痛かったのですが、お盆で歯医者さんはお休み、お盆明けを待って仕方なく歯医者さんへ。

小鼻の横を押すと痛いのですが、食べる時は何ともないので、いつも通り食べていましたが、痛みが出てはもう、行くよりほかありません。
「一応切開して、膿を出してみるけれど、落ち着かなかったら、歯を抜くしかないかも・・・・・」と怖いことを言われ、そしていよいよ治療が始まりました。


イテッ



「ごめんね痛いよ」と麻酔注射を打たれ、暫くして切開!そして中の膿を掻きだしたのでしょう。ギリギリ・ガリガリ・・・・・痛い!!思わず体に力が入ります。「痛いね・ごめんね」と言いながら、さっさと処置をする先生。痛い!と言いたいところを我慢して声は出しませんでしたが、握った手は汗びっしょり。麻酔がよく効かなかったようですし、麻酔薬も少なくしたようです。高齢なので強いと危険なのでしょうね。

「暫く出血するかもしれませんよ。冷やしてくださいね」と言われ、ふらつきながら帰って来ました。
早速保冷剤を布に包んで頬におき、横になっていました。唾を吐くと出血が夕方まで続きました。帰ってきたお嫁さんがこれを貼ってみてと「熱さまし―と」を出してくれましたので、夜はそれを貼って寝ました。
と言うわけで、このブログ、2日ばかりお休みさせていただきます。


leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(6) 健康 

2016年08月20日

釣りとバーベキュー

キャッチボールサワガニ









お腹一杯になった子どもたちはまた、駆け回り始めました。ただ一人の1年生の男の子は、息子たちから「野球を教えてもらいたい」と言ってましたので、野球狂の長男と三男から手取り足取りです。ボールの握り方・投げ方・捕りかた・・・・・1年生にしてはなかなかセンスがあり、上手だと言われてご満悦。息子によると「体の柔らかいのが良い」そうです。


スイカわりもっと右









スイカ命中











その後はスイカ割り、子ども好きでずっと一緒に遊んでいた孫が見守り、娘が目隠しをしてぐるぐる回します。フラフラしながらみんなの掛け声を頼りにスイカに近づくと、エイッとばかりに振りかざします。「惜しい!」 「やった〜ッ!」 遠くから見ている大人たちも声をかけます。
割れたスイカもみんなのお腹の中に納まりました。


横一列つかみ取り









いるかな?捕まえた









さぁ、池の水を抜いてつかみ取りの始まり。子どもは勿論ですが、大人たちも池に入り大騒ぎ。「ここにいる!」「こっち」・・・・・ニジマスだって逃げるのに必死です。
「皆、横一列に並んで」と誰かが声をかけて・・・・・池の中を並んで進んだり、懸命に水を早く抜こうとかきだす者もいて、水がだんだん減っていく中で、「捕まえた!」 岸ではバケツを持って待ち構えています。


さばくニジマス









釣ったものもそうでしたが、捕まえたものも、捕れた端からさばくのが上手な大人が、はらわたを出していい塩加減にしてくれます。
全部捕まえるのに、1時間ぐらいもかかったでしょうか。全員が凄く楽しかった!と喜んでいました。
最後にサワガニは逃がしてやって、サァ後片付け。


埼玉組と横浜組は、皆家に寄ってくれましたので、ここでもまたひと騒ぎ。治療院の椅子やローリングに乗ってみたり、子どもたちはトランプに興じたり。
「お陰で良い絵日記が書けます」「来年もまた声をかけてくださいね」
「隣の東海高校に野球でこさせろ。家から通え」と息子。
皆、本当に楽しかったようで、今回の計画は大成功でした。
行った先の釣堀は、息子の患者さんが経営しているところでした。

ちなみに
清川つりぼり
 TEL 0552-77-0015
山梨県甲斐市敷島町福沢592
でした。



leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(2) 日記 

2016年08月19日

釣りとバーベキュ―

家族と親族と総勢26名で、盆の1日を釣りとバーべキューで楽しみました。
埼玉・横浜・都留市から親族が集まり、甲府の住人と現地で合流。行った先はお隣の甲斐市の清川にある釣堀。バーベキュウの施設も揃っています。


じぃじたち野菜を切って












蝶が・・・火おこし













到着と同時に高齢者は小屋の中に陣取り、息子たちは火おこし・お嫁さんたちは野菜切り。
デザートにと持参した桃に、早速チョウチョが密を吸いにに来ました。
甲府より標高が高いので、風は爽やかだし涼しいし、セミ時雨れだしトンボも群れているし、水も空気もきれいだし・・・・・気分は最高!


釣り釣りに夢中








釣れた焼くよ









子ども達と自称釣り名人は早速釣り堀で魚釣りを始めます。きっと良く釣れるようにお腹を空かしてあったのでしょう。竿を入れると同時にもう釣れて!子どもたちは大喜び。
釣りに飽きると水鉄砲で水を掛け合って駆け回ったり、ボール遊びをしたり、サワガニを見つけて取ったりして、子どもたちの楽しそうな笑い声が響きます。


サワガニボール遊び














火おこしに苦労していた息子たち、火がつくと次々に美味しく焼けた肉・野菜・魚が運ばれてきます。遊んでいた子どもたちも美味しそうに食べています。
とれたての魚は、生臭さがないので皆かぶりついています。「おいしい!」
爽やかな風・大勢で食べるから一層おいしいバーベキュウ。



子ども達








この後もいろいろと楽しいことがありましたが、それは明日のお楽しみ。


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2016年08月18日

これってスイカ?

「プランターにキュウリの芽のようなものが出たね」「何かしら?何も蒔いた覚えがないんだけれど」「そうなの?マァそのうちに分かるでしょ」
そのつる、左右にだんだん伸びて黄色の小さな花がさき、雌花も咲きました。「実になるかもね」「どうやらスイカかメロンみたい」



スイカ?




小さな身がだんだん大きくなってきます。家庭菜園をしている人たちが、「カボチャはツルの先を止めなくちゃァ、小さい実が一杯になるから、二つぐらいにしてツルを切ればいい実がとれる」と聞いたものですから、左右のツルの先を切り取りました。どうやらスイカのようです。
今、ソフトボールより少し大きい位。果たして食べられるぐらいにまで育つかしら。


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2016年08月17日

いいとこめっけ!

私はのぼせ症で、長湯が出来ませんので、温泉はあまり好きではありませんから、山梨にもいい温泉が一杯あるのに、殆ど行ったことはありません。
が、息子の野球友達が板さんをしている日帰り温泉があるというので、温泉より食事目当てで出かけて行きました。その板さんH君の料理はとても美味しいのです!


パンフ温泉










そこ「初花」は、私は良く知らなかったのですけれど、かなり名前が知られているとかで、駐車場には県外車も多く見られました。桃畑の真ん中にあるようなところなので、ちょっとわかりにくい場所ですし、バスは入れないような細い道にあります。
なんでも養鰻場だった所から温泉が湧いたとかで、それで畑の真ん中のようなところなのでしょう。


料金ロースかつ













日帰り温泉と食事処、宴会もできるようですし、個室もあります。勿論休憩室もあります。
温泉も大浴場・露天風呂・超音波風呂・寝湯・打たせ湯・サウナ・蒸風呂・水風呂などがあります。
料金は入浴料が3時間で700円、食事をすると30分延長してもらえます。
宴会の場合は一人4320円(税込)で、入浴料金・部屋代も込みです。
定休日は木曜日
営業時間は10時〜夜9時半
場所は
〒405-0032 山梨市正徳寺1093-1
  TEL 0553-22-6377


お造り天ぷら








温泉の方は、露天風呂に一寸浸かって・と言っても私にしては珍しく
20分ぐらいも入っていました。2歳ぐらいの可愛い子どもとママがいたので、話しかけていたのす。
さぁ、その後は目指すお食事!養鰻場だっただけあって、うなぎが売りだとか。でも丑の日で食べたばかりでしたから、先ずは生ビールと刺身の盛り合わせ・天ぷらにサラダ・揚げ出し豆腐に茶碗蒸し・・・でお腹一杯!ご飯かお蕎麦をといわれましたが、ノーサンキュウ〜。
こんなに美味しいのなら今度は孫が帰省した時連れて来よ〜〜ッと。と孫にかこつけて又来る口実にしようとした私めでした。


leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(2) 日記 | 食べ物

2016年08月16日

夏祭り

とてもまとまりのいいこの自治会の2組は、子どもたちの夏休みに合わせて、「夏まつり」をします。
組と言っても40軒もありますから、4班に分かれていて、毎年持ち回りで当番になり、祭りの準備をします。


市長さん










今年もお当番さんは午前中から出て、会場づくりやら食べ物の準備をしてくださいました。
夕方6時、組の皆さんが集まってきます。今年も市長さんが来てくださいました。市長さんは県会議員だったころからずっと来ていましたので、顔なじみです。でもお忙しくなったようで、皆さんが集まったところでご挨拶をして、お帰りになりました。この日は他に9か所もあるとか。


子どもたちも









自治会長さんや市会議員さんのご挨拶のあとは、楽しい宴です。焼き鳥・モロコシ・枝豆・漬物・やきそば・もろきゅう・フランクフルト・・・・・後からスイカ・組の中に在る安曇野食品さんからのヨーグルト・他にもポップコーンetc・・・・・飲み物も生ビール・焼酎・ジュース・お茶と揃っています。
このお祭りで大きくなり、嫁いだ娘さんたちも子ども連れで参加しています。



宴










同じ組の人でも、こんな時でないと顔を合わせませんので、中には「あの人誰?」と聞くことも。
こうしてご近所の親睦が深まります。
いつも来てくださっている「おやなぎ連」が今年は不参加でしたが、多分あちこちからお座敷がかかっていたんでしょうね。お囃子があるといかにもお祭り気分になれるのですが。


扇風機








最後にお楽しみ抽選会があり、何と!今年も扇風機が当りました!!これで今年の運は使い切ったのかなァ。


leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(2) 地区の出来事 

2016年08月15日

71年

8月15日、敗戦から71年。
あの時私は9歳でした。
当時の満州の天崗(てんこう)と言うところに住んでいました。
父が求めた3000町歩(3000㎢)の土地で、
父は夢であった生涯趣味の釣りと猟を
自分の土地の中でしたいと
求めた地でした。

父は貧しい農家の生まれ、
親戚から「貧乏人の子」と馬鹿にされ
「いつか見返してやる」と奮起したとか
10歳で丁稚奉公に出されます。

国策の「行け満洲へ」にのせられて、
とうじまだ事変の収まらない所へ
18歳で言葉も分からないのに
単身で渡っていき
戸板1枚で路上で商売を始め
商才のあった父は
たちまち店を持ちます。

23歳、日本(内地と言ってました)で結婚し
花嫁(母)を連れて新婚旅行をしながら
新京で新婚生活を始めます。
吉林・奉天・ハルピン・大連・牡丹紅と次々支店を出し
月のうち10日ぐらいしか
父は家に居ませんでした

そして求めた天崗
父には理想の生活
でも電気も水道もありませんでした
私も汽車で20分ばかりの所にあった
開拓団の学校に通いました。

敗戦の年
父は畑に種を蒔きながら
「収穫は誰がするのだろう」と言ったとか
敗戦を感じていたのでしょう
間もなく赤紙で召集され、
父は出征していきました。 

そして8月15日
玉音放送も聞けないでいましたら
16日の早朝
隣にある満鉄牧場の場長さんが
吉林で玉音放送を聞いたと
教えてくれました

残された女・子どもと祖父は
大急ぎで荷物をまとめ
列車で吉林の店まで避難しました。
何事かと遠巻きに眺めていた
現地人の姿を思い出しています

新京の家のすぐそばにあった
領事館の人たちは
敗戦間際に全員内地に引き揚げて
中はからっぽだったそうです

奥地に居た開拓団の人々が
みぞれの降る中を
コモをかぶって
とぼとぼと近くの映画館に
避難してきました
来る道々で次々に倒れて死んで行く団員
日本軍は自分たちが逃げるために
渡った橋を爆破し、道路も壊したので
開拓団の人たちは
山に中を逃げてくるしかありませんでした

水が出ないので汲ませてください
と尋ねてきた団長さんに
シベリヤに連行される列車から脱走してきた父は
快く水を提供していろんな話を聞きました。

この時から軍に見捨てられたと
身に染みている私は
軍隊は国民を守らないものだと
今も強く思っています


leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(0) 日記 | 平和

2016年08月14日

墓掃除

毎年盆前の土・日に、お墓の掃除に行きます。今迄は行くたびに掃除をしていましたので、そんなに草も伸びいてはいませんでしたが、今年は6月に行ったままでしたから、多分草も伸びているだろうと思いながら行きました。


孫とお嫁さん終了









今年は三男のお嫁さんと孫・それに妹も手伝ってくれましたので大助かりでした。手分けして、草取りをしたり、墓石を洗ったり・拭いたり、年1度は大がかりな掃除になります。1時間以上かけてすっかりきれいになりました。

家の庭の草も、長男と三男・それに甥も一緒に取ってくれましたので、さっぱりしました。
皆に助けられて、綺麗にしてもらいお墓も庭も喜んでいることでしょう。


leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(2) 家族 | 日記

2016年08月13日

「母」を書いて・三浦綾子さんの文






小林多喜二の母を描いた「母」を書いた三浦綾子さんの文のです。

  小説「母」を書いて(抜粋)

 日本にどれだけの作家が生まれたかは知らないが、多喜二ほどに真剣に、自分の思想に生きた作家はないと思う。
 多喜二の育った家は貧しかった。しかし多喜二は叔父の援助により、小樽の高商まで卒業させてもらい、卒業して北海道拓殖銀行に就職した。月給は高額で、母のセキも、少しは生活も楽になったと言った頃、多喜二はその思想の故に馘首された。その時の給料は百円にもなっていたという。六十数年前の百円である。当時の小学校の教員の初任給が四十五円から五十円だったから、実に高級と言える。そのまま黙って務めていれば、その後の生活は安泰だった筈だった。
 しかし多喜二は官憲に追われても、生きる道を閉ざされても、己が良心の指す方を選んだのである。地位が高くなり、生活が豊かになればなるほど、人間はそこにどっぷりとつかって、危険道は避けようとするのではないだろうか。私には到底真似のできない生き方である。
 愛する息子が銀行を馘になったと知った時の、母セキの受けた衝撃は、どんなに大きかったことであろう。すでに時折特高刑事が訪ねて来ていたこともあり、母親であるセキの嘆きは想像にあまりある。だがセキは、多喜二の生き方を信頼していた。多喜二のすることに間違いはないと確信していた。
 母セキは、多喜二が少年の頃から、小さな店を営んでいた。多喜二たちきょうだいは、母親にきょう一日の出来事を告げたくて、われ先にと話すので、時に客の訪なう声を聞きもらした。そしてパンや餅が盗まれていることもあった。そんな時セキは「なんぼ腹が空いていたんだべか」と、心ころからなる同情の言葉を発した。この母セキの、貧しいものへの愛が、多喜二をして、自分だけの生活に安住させなかったのであろう。そして遂には、命まで失ったのである。
 小説「母」を書き起こすにあたって、私は何人かの若い人に、「多喜二を知っていますか」と尋ねてみた。残念ながらほとんどの者が知らなかった。多喜二は忘れられてはならぬ人である。その母の家族も、忘れてはならぬ人である。バイブルには〈称賛に値するものに心をとめよ〉という言葉がある。小説「母」を書きながら、実に多くの事を学ばされた私は、多喜二とその母セキに、残る生涯注目をつづけたいと思う。


映画作りにはばく大な資金が必要です。この映画を完成させるために、皆さんからのご協力をお願いしています。公式サイトにもありますが、下記の所に賛助金・制作協力券のお振込をお願いたします。

賛助金・制作協力券代金の振込先・ゆうちょ銀行振替口座
  口座番号・00140-7-672706
  口座名義・三浦綾子原作「母」を映画にする会

お問い合わせ
 株式会社 現代ぷろだくしょん

〒161-0034 新宿区上落合2-22-23-409
TEL 03-5332-3991
FAX 03-5332-3992
Mail:gendaipro@gendaipro.com


leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(0) 平和 

2016年08月12日

母・小林多喜二の母の物語

「望郷の鐘」の監督・山田火砂子氏の次回作品は、小林多喜二の母を描いた「母」だということです。この作品は、三浦綾子氏の原作で、「二度と多喜二をつくらない国になってほしい!」という、山田監督の思いが込められた作品になるようです。主演を寺島しのぶさんが引き受けてくださったとか。期待して完成をお待ちしています。


母



以下、山田監督の言葉です。
 私が30歳の時、橋爪健作著「多喜二虐殺」と言う本を買って読んだ時に腹が立った。特高警察はなんてひどい事をする人たちなのか。それでも人間ですか。多喜二を裸にして死ぬまで殴った特攻を探し出して、同じように殴って殴って、死ぬまで殴ってやりたいとの思いになったこと、多喜二の母(三浦綾子作)の映画化にあたり思い出している。
 私の戦前は13歳まで、嘘ばかり教えられた。神国日本・天皇は神様・中国へ侵略している日本軍を勝った・勝ったと提灯行列をして喜んでいる大人たち。空襲になり焼夷弾を落とされて、日本中の大都市は丸焼け、我が家も5月25日の東京山の手の大空襲によって焼きだされた。着る物も食べる物もなく乞食同様の生活に落ちぶれ、神風が困った時には必ず吹くなど嘘を言った国。神風どころかやたらに風が吹いて、火事を大きくしただけだ。
 戦争では兵隊と同じくらいに非戦闘員が殺され、多喜二たちが必死に戦争なんかするな武器をつくるお金を生活にと言えば、治安維持法を振り回し、刑務所に入れて、やりたい放題。牢から出されても死ぬか障害者になるひどい仕打ちをうけた。二度と多喜二をつくらない国になってほしい。


又、パンフレットにはこう書かれています。
 裁判にかけないで、
 いきなり殺してもいいもんだべか。
 警察のしたことは、
 人殺しちゅうことにならないだべか
 わだしには法律ちゅうもんが、
 どんなふうになっているもんだか知らないけれど
 警察が悪いとみたら誰でも彼でも
 殺していいとは何としても考えられない

おおらかで多喜二の「理想」を見守り、人を信じ・愛し、懸命に生きぬいたセキの、波乱に富んだ一生を描き切った、三浦文学の集大成!


原作の三浦綾子さんの言葉は明日に続きます。


leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(2) 平和 

2016年08月11日

再び「望郷の鐘」

入り口に










「望郷の鐘」昨年観た映画でしたが、もう一度見たくて県立図書館に行ってきました。
この頃は「脳力?」が落ちてきたせいか、見落していたシーンや、忘れてしまっていたシーンがあり、やはり見に来て良かった!と感じました。
前回と同じように、上映前に山田監督のご挨拶があり、映画の中で山本慈昭師の娘役を演じた監督のお孫さんも、「平和は宝物です」と挨拶していました。この映画に出演したことで、いろいろ学んだのでしょう。「教えたわけではありません」と山田監督も言われてました。

↓ 昨年書いたブログのページです
http://blog.livedoor.jp/leltugo123-yuki1234/search?q=%CB%BE%B6%BF%A4%CE%BE%E2


チラシ


昨年拝見した時は、「事実はこんなものではなかった。もっと悲惨だった」と思いましたが、監督の「もっとひどい状態だったという批判がありますが、辛くてこれ以上は撮れなかったし、若い人が見て耐えたれないのではとも思ったので、これが精一杯でした」と言われた言葉に、納得できました。

開拓団の人たちは、国策で27万人以上もの人が、旧満州に送り込まれ、実に敗戦直前までそれは続きました。が、開拓団としていく・そのことが加害者だとは気付かずに過ごし、敗色が濃くなると国に見捨てられ、敗戦とともに犠牲者になりました。
そして生まれた残留孤児。その残留孤児たちを探し、肉親のもとに一人でも多く返そうと、その生涯をささげた山本慈昭師。明らかに残留孤児がいるとわかっていても、国交がないからとたらいまわしにするお役所。怒る慈昭師。それでもつづける活動に、ご褒美のように行方が分からなかった長女が見つかり帰国します。親子の再会の笑顔でホッとさせてくれます。

山本慈昭師が住職を務めていた長岳寺のすぐそばに「満蒙開拓平和祈念館」が建てられ、全国から開拓団の関係者が見学に来ているようです。
そのページもあります。↓
http://blog.livedoor.jp/leltugo123-yuki1234/archives/51750056.html

http://blog.livedoor.jp/leltugo123-yuki1234/archives/51750061.html



山田監督









山田監督は次回作として、三浦綾子原作の「母」を制作するそうです。
自分の信念を曲げず特高警察の暴力で惨死した小林多喜二の母を描いた作品だということです。「二度と多喜二の母をつくらない国になってほしい」と言う願いをこめた作品になるようです。
そのことは明日書き込みます。


leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(0) 平和 

2016年08月10日

よりだし

日本の農産物は、見た目を重要視していますので、農産物全体がそうでしょうが、正規に出荷できないものがたくさん出るのだと思います。
少しぐらい形が変でも、小さな傷でも・大きすぎたものでも、味に変わりはないのですから、出荷できないのはどうかと思いますが・・・・・


よりだし




そんな桃がよく家にやってきます。「よりだし」とか「はねだし」とか言いますが、そんな桃を美味しくいただいています。過熟になって跳ねだされたものなどは、返って美味しかったりするのですが。
こういうものも流通できればもっとお安く食べられるのでしょうが・・・・・



leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(0) 食べ物 

2016年08月09日

ひまわり

ヒマワリ

お隣の庭先で1本だけ植えられていたひまわりが、大輪の花を咲かせました。
大きな花が太陽の光を一杯浴びて咲き誇っているさまは、夏真っ盛りを思わせます。
ジージーとアブラゼミも終日鳴いていて、30度越えの日にふさわしい舞台です。
毎年、ひまわりで話題になる、北杜市の一面のひまわり畑が今、丁度見頃のようです。


leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(2) 日記 

2016年08月08日

福島の今とミニコンサート

福島福島は











「YWCAピースフェスタ2016」・2日の午後1時30分から、講演とミニコンサートがありました。
講演は展示場に写真が展示されていたフクシマ在住の赤城修司氏が、今朝撮ってきたという写真を始め、原発事故直後から福島を撮り続けている写真をスクリーンに映し出しながら、福島の現状をお話してくださいました。


放射線すぐそばで









赤木氏は教師をされています。その学校に通学する子どもたちは、除染された土の入った大きな袋が山積みになっている傍の道を通ってきます。通学路ばかりではなく、各家庭の庭にも除染された放射性物質の入った袋は積まれているのです。子どもたちはそんな風景になれてしまい、そのそばで遊んでもいます。
(政府は認めようともしませんが、子どもの甲状腺がんはフクシマでは年々増えています。)
体育館には、「窓側は放射線が高いから、使用しないで下さい」と書かれています。


除染作業通学路








除染作業と共に、放射性物質はどんどん増えるばかりですが、最終処分場どころか中間置き場もありませんから、各家庭の側に積まれていきます。
(そんな場所から避難したくても出来ないでいる人や、避難指示解除と言う場所は20ミリシーベルト、確実に被曝し続けているのです。放射線は痛みも匂いも色もありません。被曝していても気づかないことが怖いことなのです。)


赤城修司氏









赤木氏は撮り続けている写真を示しながら、淡々と事実を話されただけです。上記の文でカッコ内は私の見解です。赤木氏の立場では多分批判は出来ないのでしょう。


平和への祈り








この後、ソプラノ歌手の杉田博子さんが、依田博さんのピアノ伴奏で「平和への祈り」として、長崎の鐘・さとうきび畑・花は咲くなどの歌を聞かせてくださいました。
アンコールに応えて歌ってくださった歌も「アヴェマリア」会場に響いたソプラノの美しい声に、平和への祈りが込められていました。


leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(2) 平和 

2016年08月07日

市民の絵・見殺しそして後悔

原爆の絵



甲府YWCA主催で開かれた「ピースフェスタ2016」の会場で、最初に展示されていたのは被ばくした市民の手で描かれた絵でした。
どの絵も事実を描いていますから、見る人にその実情を強く訴えかけます。思わずハンカチを顔に当てながら見入る人も多くいました。


へその緒ごめんなさい










やけ爛れた赤剥けの肌・垂れ下がった皮膚・黒焦げの遺体・・・・・母の身体から外に飛び出した嬰児と母の遺体はへその緒でつながったまま・・・・・「おかぁさんを助けて」と泣きながら訴える少女のそばでは母親が柱の下敷きになって呻いています。男性は助けようとしましたが、柱はビクとも動きません。迫りくる炎に男性は合掌してそこを去ります。おそらくこの男性は生涯心に大きな傷を持ち続けていたに違いありません。だからこの絵を描いたのでしょう。


市民の絵勤労学徒









勤労学徒は傷一つない状態で死んでいました。その遺体を穴の中に放射状に重ねて置き、葬ったという絵もありました。


丸木夫妻の絵









会場には丸木位里・俊夫妻の絵も展示されていました。解説文にはこの被曝遺体の中に、捕虜になっていた米兵が手錠をかけられたままの姿で亡くなっていたと書いてありました。この写真ではわかりにくいと思いますが、確かに手錠姿の二人が描かれていました。


パッチワーク折鶴












この他、広島・長崎に落とされた原爆のきのこ雲・長崎の写真・そして福島の様子。
甲府YWCAの会員さんの手による平和への願いのこもったパッチワーク。そして栗原貞子さんの折鶴にこめた想いの詩。見応えのある展示でした。
会場には、あちこちに千羽鶴が掛けられ、鶴を折るコーナーもありました。
このあと、原発事故以来ずっと福島の写真を撮り続けている赤城氏の講演と、ソプラノ歌手のコンサートがありましたが、それは明日に廻します。
(どの写真もクリックしますと大きな画面でご覧になれます)


leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(2) 平和 

2016年08月06日

生ましめんかな

8月6日・71年前広島に原爆が落とされた日です。先日県立図書館で開催されていた「ピースフェスタ2016」で、目に留まった詩です。
毎年今ごろ、吉永小百合さんが朗読されているあの詩です。
達筆な毛筆で書かれていました。ここに転載致します。



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 生ましめんかな

こわれたビルディングの         

地下室の夜だった
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク一本ない地下室を
うずめていっぱいだった
生臭い血の臭い 死臭
汗くさい人いきれ
うめきごえ
その中から不思議な
声が聞こえてきた
「赤ん坊が生まれる」
と言うのだ
この地獄のような地下室で

若い女が産気づいているのだ
マッチ一本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを
忘れて気づかった
  と「私が産婆です
    私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた
重症者だ
かくてくらがりの地獄の底で
新しい命は生まれた
かくてあかつきを待たず
産婆は血まみれのまま
死んだ
  生ましめんかな
  生ましめんかな
  己が命を捨つとも

『詩集広島』 栗原貞子


leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(0) 平和 

2016年08月05日

今年も来ました・安城梨

安城梨









たった1回の出逢いでもう20年もお付き合いが続いている愛知県のKさんから、今年も美味しい安城梨が送られてきました。
桃もそうですが、今年は雨が少なかったからでしょうか、果物がいつもの年より甘みが強いんですよね。果物はあまり食べないのに、梨は大好物の息子が一番初めにがぶり!「うめぇ〜」


梨








毎年この山田農園から直送されてきます。きっとKさんが契約してあるのでしょう。この園の梨は外れのない美味しいものが届きます。
同じ写真なのに、色の違う2枚。まるで2箱のようですが、実物はこの2つの中間位の色なんですよ。
今年も美味しい梨をありがとうございました。


leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(2) お付き合い 

2016年08月04日

忘れてはいけない

山梨平和ミュージアムに行くたびに、いつか皆さんに読んでいただきたい詩があり、ご紹介したいと思っていました。地球上で初めて使われたヒロシマに原爆が落とされた日が近づいてきましたので、ここに転載いたします。


詩



忘れてはいけない

 無茶苦茶ノ爛レタ顔ノ
 浮腫ンダ唇カラ洩レテキタ声ハ 
 「助ケテ下サイ」
 静カナ空コレガ人間ナノデス
 人間ノ顏ナノデス

   広島原爆記念館展示パネル原民喜「夏の花」より
 


あの日から50年以上の歳月が過ぎ去った
広島の原爆記念館でその詩を
思わず声を出して読み上げた瞬間
小さなパネルの中から
血塗られた手がぬっと突き出してきた
うめき声も聞こえてくる

忘れたい
思い出したくない
日常は地底に鎮まっていて
起き上がってくることはないのに
悪夢のような光景がまざまざと呼び醒まされた
鉄の雨で破壊された火にあぶられた
恐ろしい顔 火中からの断末魔の悲鳴

十歳だった
郷里甲府で
空襲の真っ只中を線路づたいに逃げた
棒切れのような塊に躓く
老婆が焼け爛れた顔をあげ
どろどろの手を伸ばして
モンペの足首をつかんだ
「助けて! 水を! 水を!」
その手を声を
払い捨て父の後を追って走った

昭和20年7月6日
B29爆撃機139機甲府盆地空襲
投下焼夷弾約970トン
焼き殺された非戦闘市民1127人

ー安永圭子詩集「7月6日の赤い空」よりー


leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(4) 平和